
1961年1月 松川事件劇映画製作委員会製作 公開 監督 山本薩夫
1949年8月17日未明 東北本線 松川~金谷川で青森発 上野行 412ㇾがレールが外される列車妨害で脱線転覆させられた事件の、捜査 公判過程を高裁判決まで ドキュメンタリータッチで描いた映画です。
福島警察の本間刑事(井上昭文)が福島駅舎前で

煙草に火を点ける場面から本作は始まります。当ブログの(8.赤い夕陽の渡り鳥)でも登場した、明治期建築の名駅舎です。

1949年9月のシーンですが 1960年3月の東北本線 福島電化後にロケが行われたので、架線下に蒸機の姿があり 汽笛を盛んに鳴らしています。
警察は元国鉄保線職員で国労組合員だった赤間勝美(小沢弘治)に目を附け、組合幹部への憎しみや恐怖心を煽り立て 長期の取り調べ 拷問に依って当局の筋書き通りの供述書を作らされるに至るのでした。
この供述書の確認過程で、赤間は伊達駅長らの不正追及に組合員30名と共に伊達駅へ押し掛け 逮捕されます。

追及の時 赤間は不本意に参加した様で、途中で蒸機が停まる伊達駅ホームに抜け出しすシーンがあります。

また供述書では事件の謀議が組合事務所で行われた時、松川~金谷川のカーブ地点が最適との意見が出て 日中C57形蒸機牽引の客ㇾがカーブの先から走り寄る場面で現場付近の様子を再現しています。

そして実行の夜 現場近くでD51形蒸機牽引の上り列車がカーブの先から近づきます。前照灯で顔を見られぬ様 一同は土手下に飛び降りて伏せ、列車をやり過ごしたのでした。

赤間の供述を元に 1949年9月末には第一次検挙が有り、狭い街中の路上に福島電鉄の線路が在る上を警察車両が走ります。10月の第二次検挙では松川駅舎が映った後、東芝松川労組長が検挙されます。

そして福島地裁での公判場面で 武田久(藤田啓二)の妹が証言台に立ち、8月16日の晩 本田昇(山科年男)達が家に集まり 酔った本田を駅前の辰巳屋旅館の前まで送ったと証言します。
その回想場面では 本田を見送り 家に帰ろうとする前を、福島電鉄(1962年7月 福島交通に社名変更)軌道線の電車が通過して行きます。

福島駅前から湯野町に至る飯坂東線を走るモハ 2000形の 2022です。1960年 日車製で、福島の路面電車 最終新型車でした。軌道線はその後 1971年4月に全線廃止となりました。
赤間に面会の為 赤間の兄 博(名古屋章)が保原支署へ大塚弁護士(宇津井健)と斎藤千(相川延夫)と行った時、福島電鉄 保原駅に到着したモハ 1100形 1113から3人が降りてくるシーンがあります。

1100形は電化初期に製造され、戦後 半鋼体化されて全線廃止まで活躍した車両です。軌道線としては立派な保原駅は保原線の終点駅で、ここから掛田線と梁川線が出ていました。
警察と検察の思い描く通りの判決となった一審に続き 仙台高等裁判所での二審判決の日、裁判所前は家族や大勢の支援者で溢れ 多勢の警察官も並んで異様な雰囲気に包まれています。
そんな中 高裁前の道路を仙台市電 循環線の車両が 高等裁判所前電停から普段通り走って来ました。

特徴ある形から 1976年の廃止まで走った、比較的新しい 200形車両と思われます。
1949年8月17日未明 東北本線 松川~金谷川で青森発 上野行 412ㇾがレールが外される列車妨害で脱線転覆させられた事件の、捜査 公判過程を高裁判決まで ドキュメンタリータッチで描いた映画です。
福島警察の本間刑事(井上昭文)が福島駅舎前で

煙草に火を点ける場面から本作は始まります。当ブログの(8.赤い夕陽の渡り鳥)でも登場した、明治期建築の名駅舎です。

1949年9月のシーンですが 1960年3月の東北本線 福島電化後にロケが行われたので、架線下に蒸機の姿があり 汽笛を盛んに鳴らしています。
警察は元国鉄保線職員で国労組合員だった赤間勝美(小沢弘治)に目を附け、組合幹部への憎しみや恐怖心を煽り立て 長期の取り調べ 拷問に依って当局の筋書き通りの供述書を作らされるに至るのでした。
この供述書の確認過程で、赤間は伊達駅長らの不正追及に組合員30名と共に伊達駅へ押し掛け 逮捕されます。

追及の時 赤間は不本意に参加した様で、途中で蒸機が停まる伊達駅ホームに抜け出しすシーンがあります。

また供述書では事件の謀議が組合事務所で行われた時、松川~金谷川のカーブ地点が最適との意見が出て 日中C57形蒸機牽引の客ㇾがカーブの先から走り寄る場面で現場付近の様子を再現しています。

そして実行の夜 現場近くでD51形蒸機牽引の上り列車がカーブの先から近づきます。前照灯で顔を見られぬ様 一同は土手下に飛び降りて伏せ、列車をやり過ごしたのでした。

赤間の供述を元に 1949年9月末には第一次検挙が有り、狭い街中の路上に福島電鉄の線路が在る上を警察車両が走ります。10月の第二次検挙では松川駅舎が映った後、東芝松川労組長が検挙されます。

そして福島地裁での公判場面で 武田久(藤田啓二)の妹が証言台に立ち、8月16日の晩 本田昇(山科年男)達が家に集まり 酔った本田を駅前の辰巳屋旅館の前まで送ったと証言します。
その回想場面では 本田を見送り 家に帰ろうとする前を、福島電鉄(1962年7月 福島交通に社名変更)軌道線の電車が通過して行きます。

福島駅前から湯野町に至る飯坂東線を走るモハ 2000形の 2022です。1960年 日車製で、福島の路面電車 最終新型車でした。軌道線はその後 1971年4月に全線廃止となりました。
赤間に面会の為 赤間の兄 博(名古屋章)が保原支署へ大塚弁護士(宇津井健)と斎藤千(相川延夫)と行った時、福島電鉄 保原駅に到着したモハ 1100形 1113から3人が降りてくるシーンがあります。

1100形は電化初期に製造され、戦後 半鋼体化されて全線廃止まで活躍した車両です。軌道線としては立派な保原駅は保原線の終点駅で、ここから掛田線と梁川線が出ていました。
警察と検察の思い描く通りの判決となった一審に続き 仙台高等裁判所での二審判決の日、裁判所前は家族や大勢の支援者で溢れ 多勢の警察官も並んで異様な雰囲気に包まれています。
そんな中 高裁前の道路を仙台市電 循環線の車両が 高等裁判所前電停から普段通り走って来ました。

特徴ある形から 1976年の廃止まで走った、比較的新しい 200形車両と思われます。


