
1961年1月 東京映画 製作 東宝 配給 公開 脚本・監督 松山善三
耳が聞こえない二人が ろう学校の同窓会で出会い 結婚しますが、数々の困難に直面しながらも 二人は助け合い 少しずつ乗り越えて行く過程を描いた映画です。
当初 竜光寺の僧侶 真悦(高橋昌也)と結婚した秋子(高峰秀子)でしたが、戦後の買い出し列車内で感染した

発疹チフスで真悦が死亡したことから 離縁され 実家へ戻されてしまいます。
その後 秋子はろう学校の同窓会で 受付をしていた片山道夫(小林桂樹)と出会い、山手線渋谷~恵比寿の線路沿いで 東急電鉄東横線と交差する地点で お互いの話しています。
上を立体交差する東横線の 5000系電車4連が通る轟音も

横を高速で走り抜けて行く 山手線の72系電車の騒音も、手話による 二人の会話の世界には 何の邪魔にもなっていません。

翌日 片山から電報で 上野動物園に呼び出された秋子は 猛獣が消えてしまったままの園内を 二人で歩き 片山から求婚されますが、一度失敗していることもあって 断ります。
それでも片山が 粘り強く願い出るので、秋子は母親に相談すると話して 帰路に付きます。二人で駅の構内踏切を渡り、

定期券を見せながら 改札口を通ると 駅員(南道郎)が呼び止めます。

更に大声で 駅員は呼び掛けますが、耳の聞こえない二人は 歩き続けます。同僚に後を託した駅員は 走って二人に追い付くと、何も話さない片山を 殴り倒してしまいます。

傍らを2連の国電が走る所で秋子は 必死に事情を 駅員に伝えようと頑張ると、漸く理解した駅員は「なんだ唖か!」と呟くだけでした。
この一件で 決意を固めた秋子は「私達の様な者は お互いに助け合わなければ 生きていけません 道夫さん 一生私を助けてくれますか(道夫承諾ス)私も道夫さんの為なら どんなことでもします」と伝え二人は結婚に同意したのでした。
そして 道夫の伯父さん(織田正雄)と 秋子の母親(原泉)立ち合いの元 無事結婚式を終えた二人は、C61形蒸機牽引列車に揺られて 新婚旅行に出掛けました。

こうして結婚した二人でしたが 耳が聞こえない同士故に、第一子を事故死させてしまったり・騙されたりしながらも 二人で靴磨きの仕事をしたり、第二子が宿ってからは 片山一人で 貨車から荷下ろしの 肉体労働に精を出して 生活費を稼ぐのでした。

しかし グレている秋子の弟 弘一(沼田曜一)に 片山は給料を貸し倒された挙句、同居した秋子の母親が 大事な指輪を売った金で購入したミシンを 弘一に売り飛ばされてしまいます。
親に反抗ばかりしている 小学一年生の第二子 一郎(島津雅彦)の 子育てにも悩んでいた秋子は 遂に絶望感から、「弘一を殺して 私も死にます」と道夫に手紙を残して 家を飛び出し駅へ行ってしまいます。

直ぐに手紙を読んだ道夫は、秋子を追い駆け 山手線大塚駅へと向かいます。

階段を駆け上がったホームを見渡し

捜しますが見つからず、

一足早くホームの前方にいた秋子は 到着した電車に 乗る姿が見えました。

片山は素早く 閉まりかけた近くのドアに 飛び込み、

電車は出発しました。

乗客の波をかき分け 前方へと進みます。
ところが車端部に来ても、隣の車輛に移れない 構造になっています。
そこで片山は 隣の車輛内部が見易い 窓際に移動し 隣の車内を見ると、

憔悴しきった様子で 立っている 秋子を発見しました。

身振り手振りで 窓際に呼び寄せた片山は、なんとか秋子を 翻意させようと 必死の説得を続けます。


そして「結婚を決めた時に 交わした約束を 忘れたのですか?」と聞くと、秋子は涙を流して 考え直す約束をしたのです。
そして片山は「もうこの手紙は 破り捨てましょう」と伝えると 秋子が頷いたので、

総武本線 秋葉原~お茶の水に在る 松住町架道橋上から 破いた手紙を 紙吹雪の様に捨て去りました。

PS.
山手線の線路際で 二人が騒音の元で会話する場面で 頭上を5000系連電車が走っていますが、せめて デハ3700形等の 3000系電車が走って来たタイミングで 撮影してほしかったですね。(時代設定は1948年頃でしょう)
7枚目の画像は C61形蒸機20号機ですが、ロケ当時 仙台区に所属し 東北本線・常磐線等で活躍していました。脚本では 伊東温泉へ新婚旅行に 出掛けた様なので 合っていませんが、松島方面への行先を想定して このカットを入れたのでしょうか。
秋子が置手紙を残して向かった駅は 山手線の大塚駅ですが、階段を上がったホームは2面あり 明らかに違う駅です。南武線の尻手駅に似ていますが、向かいホームの待合室は 東武鉄道の造りに似ていて 小生には分かりませんでした。
片山の動きを見ると 手前に撮影用のレールを敷いて 横方向に移動しながら撮影しているので、国電が映る13・14番目の画像と 別撮りでしょう。
(車内シーンは セット撮影ですが 山手線の外回り電車に乗ったとしても 次の巣鴨駅には3分足らずで着いてしまい、歴史に残る 6分間の名場面となりませんので 架空の快速電車としてご理解ください。)
(更に片山が持参した手紙を 特徴ある松住町架道橋上から撒く為に、山手線・中央本線・総武本線と 渡り走るミステリー運行したと 苦しい想像をお願いします。)
高峰秀子と小林桂樹は 難しい役柄に挑戦し クランクイン1か月前から、ろうあセンターの 三田尚子氏・画家の黄田貫之氏の特訓で 手話での日常会話をマスターしたそうです。(特に小林桂樹は、一言も台詞がありません!)
手話での会話は スーパーインポーズで翻訳し、時には翻訳を入れず 観客に想像させるシーンも幾つかあります。
また竜光寺の建物・戦後のバラック・片山宅付近の街並みは 全て川崎市溝の口に 二千万円を投じて作った オープンセットだそうで、東宝美術スタッフ・東宝舞台(株)の得意技です。
弘一役には 新東宝の沼田曜一が呼ばれて 出演しています。特に秋子の内職の柱である ミシンを売り飛ばす場面では、運送屋の三輪車に追いすがる秋子の 手を踏みつける悪役ブリが印象的です。

本作の製作5年前に 松山善三が 松竹の木下恵介監督と 有楽町のガード下で ろう者夫婦が 靴磨きをする姿を見て、共に映画化を思い付き 松山善三が取材・構想を纏めましたが 木下と考え方が合わず 東京映画で製作されました。
完成試写会には 映画評論家と並んで 木下恵介氏も参加し、素晴らしい出来栄えに 絶賛したそうです。公開年の キネマ旬報ベスト・テンでは 第5位でした(第3位に木下恵介監督の{258.永遠の人})
参考: 映画情報 1960年12月号 ・ 映画芸術 1961年4月号
耳が聞こえない二人が ろう学校の同窓会で出会い 結婚しますが、数々の困難に直面しながらも 二人は助け合い 少しずつ乗り越えて行く過程を描いた映画です。
当初 竜光寺の僧侶 真悦(高橋昌也)と結婚した秋子(高峰秀子)でしたが、戦後の買い出し列車内で感染した

発疹チフスで真悦が死亡したことから 離縁され 実家へ戻されてしまいます。
その後 秋子はろう学校の同窓会で 受付をしていた片山道夫(小林桂樹)と出会い、山手線渋谷~恵比寿の線路沿いで 東急電鉄東横線と交差する地点で お互いの話しています。
上を立体交差する東横線の 5000系電車4連が通る轟音も

横を高速で走り抜けて行く 山手線の72系電車の騒音も、手話による 二人の会話の世界には 何の邪魔にもなっていません。

翌日 片山から電報で 上野動物園に呼び出された秋子は 猛獣が消えてしまったままの園内を 二人で歩き 片山から求婚されますが、一度失敗していることもあって 断ります。
それでも片山が 粘り強く願い出るので、秋子は母親に相談すると話して 帰路に付きます。二人で駅の構内踏切を渡り、

定期券を見せながら 改札口を通ると 駅員(南道郎)が呼び止めます。

更に大声で 駅員は呼び掛けますが、耳の聞こえない二人は 歩き続けます。同僚に後を託した駅員は 走って二人に追い付くと、何も話さない片山を 殴り倒してしまいます。

傍らを2連の国電が走る所で秋子は 必死に事情を 駅員に伝えようと頑張ると、漸く理解した駅員は「なんだ唖か!」と呟くだけでした。
この一件で 決意を固めた秋子は「私達の様な者は お互いに助け合わなければ 生きていけません 道夫さん 一生私を助けてくれますか(道夫承諾ス)私も道夫さんの為なら どんなことでもします」と伝え二人は結婚に同意したのでした。
そして 道夫の伯父さん(織田正雄)と 秋子の母親(原泉)立ち合いの元 無事結婚式を終えた二人は、C61形蒸機牽引列車に揺られて 新婚旅行に出掛けました。

こうして結婚した二人でしたが 耳が聞こえない同士故に、第一子を事故死させてしまったり・騙されたりしながらも 二人で靴磨きの仕事をしたり、第二子が宿ってからは 片山一人で 貨車から荷下ろしの 肉体労働に精を出して 生活費を稼ぐのでした。

しかし グレている秋子の弟 弘一(沼田曜一)に 片山は給料を貸し倒された挙句、同居した秋子の母親が 大事な指輪を売った金で購入したミシンを 弘一に売り飛ばされてしまいます。
親に反抗ばかりしている 小学一年生の第二子 一郎(島津雅彦)の 子育てにも悩んでいた秋子は 遂に絶望感から、「弘一を殺して 私も死にます」と道夫に手紙を残して 家を飛び出し駅へ行ってしまいます。

直ぐに手紙を読んだ道夫は、秋子を追い駆け 山手線大塚駅へと向かいます。

階段を駆け上がったホームを見渡し

捜しますが見つからず、

一足早くホームの前方にいた秋子は 到着した電車に 乗る姿が見えました。

片山は素早く 閉まりかけた近くのドアに 飛び込み、

電車は出発しました。

乗客の波をかき分け 前方へと進みます。

ところが車端部に来ても、隣の車輛に移れない 構造になっています。
そこで片山は 隣の車輛内部が見易い 窓際に移動し 隣の車内を見ると、

憔悴しきった様子で 立っている 秋子を発見しました。

身振り手振りで 窓際に呼び寄せた片山は、なんとか秋子を 翻意させようと 必死の説得を続けます。


そして「結婚を決めた時に 交わした約束を 忘れたのですか?」と聞くと、秋子は涙を流して 考え直す約束をしたのです。
そして片山は「もうこの手紙は 破り捨てましょう」と伝えると 秋子が頷いたので、

総武本線 秋葉原~お茶の水に在る 松住町架道橋上から 破いた手紙を 紙吹雪の様に捨て去りました。

PS.
山手線の線路際で 二人が騒音の元で会話する場面で 頭上を5000系連電車が走っていますが、せめて デハ3700形等の 3000系電車が走って来たタイミングで 撮影してほしかったですね。(時代設定は1948年頃でしょう)
7枚目の画像は C61形蒸機20号機ですが、ロケ当時 仙台区に所属し 東北本線・常磐線等で活躍していました。脚本では 伊東温泉へ新婚旅行に 出掛けた様なので 合っていませんが、松島方面への行先を想定して このカットを入れたのでしょうか。
秋子が置手紙を残して向かった駅は 山手線の大塚駅ですが、階段を上がったホームは2面あり 明らかに違う駅です。南武線の尻手駅に似ていますが、向かいホームの待合室は 東武鉄道の造りに似ていて 小生には分かりませんでした。
片山の動きを見ると 手前に撮影用のレールを敷いて 横方向に移動しながら撮影しているので、国電が映る13・14番目の画像と 別撮りでしょう。
(車内シーンは セット撮影ですが 山手線の外回り電車に乗ったとしても 次の巣鴨駅には3分足らずで着いてしまい、歴史に残る 6分間の名場面となりませんので 架空の快速電車としてご理解ください。)
(更に片山が持参した手紙を 特徴ある松住町架道橋上から撒く為に、山手線・中央本線・総武本線と 渡り走るミステリー運行したと 苦しい想像をお願いします。)
高峰秀子と小林桂樹は 難しい役柄に挑戦し クランクイン1か月前から、ろうあセンターの 三田尚子氏・画家の黄田貫之氏の特訓で 手話での日常会話をマスターしたそうです。(特に小林桂樹は、一言も台詞がありません!)
手話での会話は スーパーインポーズで翻訳し、時には翻訳を入れず 観客に想像させるシーンも幾つかあります。
また竜光寺の建物・戦後のバラック・片山宅付近の街並みは 全て川崎市溝の口に 二千万円を投じて作った オープンセットだそうで、東宝美術スタッフ・東宝舞台(株)の得意技です。
弘一役には 新東宝の沼田曜一が呼ばれて 出演しています。特に秋子の内職の柱である ミシンを売り飛ばす場面では、運送屋の三輪車に追いすがる秋子の 手を踏みつける悪役ブリが印象的です。

本作の製作5年前に 松山善三が 松竹の木下恵介監督と 有楽町のガード下で ろう者夫婦が 靴磨きをする姿を見て、共に映画化を思い付き 松山善三が取材・構想を纏めましたが 木下と考え方が合わず 東京映画で製作されました。
完成試写会には 映画評論家と並んで 木下恵介氏も参加し、素晴らしい出来栄えに 絶賛したそうです。公開年の キネマ旬報ベスト・テンでは 第5位でした(第3位に木下恵介監督の{258.永遠の人})
参考: 映画情報 1960年12月号 ・ 映画芸術 1961年4月号


