日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

191. 明日は日曜日

1952年11月 大映 製作 公開   監督 佐伯幸三

貿易会社に勤務する桜井大伍(菅原謙次)と山吹桃子(若尾文子)の恋愛過程の紆余曲折を、コメディタッチで描く青春映画です。

冒頭 早朝の中央線 三鷹駅3番線に、東京行の 40系らしき始発電車が入線して来ました。
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ベンチで寝ていた桜井に駅員が近寄り、「もしもし始発電車が出ますよ」と声を掛けました。
それに対して「今日は何曜日」と寝ぼけた様子の桜井に、駅員は「金曜日ですよ」 と優しく答えます。駅ネの櫻井が欠伸をしながら乗り込むと、一枚扉が閉まり次の吉祥寺へと発車して行きました。
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当時の時刻表によりますと、三鷹発の始発 東京行は 4:13です。薄暗いながらも夜明け近い夏場なので、ホームのベンチで駅ネしても大丈夫の様です。

中盤 人の良い桜井が友達に部屋を一晩貸したことから桃子の誤解を受けて、デートの待ち合わせ場所の渋谷駅前で待ちぼうけを食らう場面があります。
渋谷駅西口ハチ公前広場を山手線方向へ撮影していますが、現在 東急 5000系電車が展示してある辺りを山手線に平行して都電が走っています。
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そして更に右にパンしてゆくと、玉電ビル(現 東急東横店)の下から頭を出している都電 青山線の車両も見えます。
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更に右へとパンすると、北向きのハチ公像の傍らに桜井が立っています。
桜井は煙草を吸いながら八チ公像の身体を撫で、「お前と同じ気持ちだよ」などと嘆いています。足元には吸殻が散らばり、スッポカされた長さを演出しています。
また ハチ公の背後には 玉電ビルと東口の東横百貨店の屋上を山手線越しに結んでいた、子供用遊覧ロープウェイのひばり号が進んでいる姿が映っています。
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現在のハチ公前広場とは隔世の感があります。都電 青山線は市電時代の 1923年 ここまで延伸したのですが、1957年には東口の新ターミナル新設に伴い短縮 撤退となりました。(しかし11年後の1968年には廃線)
また遊覧ロープウェイひばり号も、僅か2年少々で廃止となったので貴重なカットと思われます。なお(東京のえくぼ 1952年7月新東宝公開)という作中で、上原謙・丹阿弥谷津子が乗り込むシーンがあります。

終盤 桜井は運よく仕事が成功し 社長主催の宴会で酔いつぶれて、深夜 新橋駅ホームのベンチで桃子に介抱されています。山手線電車が横を通っても、コートを頭から被ったままで 寝込んだ様にも見えます。
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やがて起きると、「悪い夢から覚めたようだ」「私も」「明日は何曜日」「日曜日」「明日こそ十時に」「ハチ公前で」と見つめ合う二人は急接近の様子です。
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そこへ「池袋止まりの山手線終電車です」のアナウンスと共に 63系電車らしきが到着し、二人は手を取り合って乗り込み新橋駅から去って行くのでした。
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時刻は 0:23でしょう。去り行く電車に駅員がカンテラを振って確認合図を送り、エンドマークとなります。
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179.素晴らしき日曜日

1947年7月 東宝製作公開   監督 黒澤明

戦後黎明期の東京で若い貧乏なカップル雄造(沼崎勲)と昌子(中北千枝子)の日曜日一日を、ドキュメンタリータッチで描いた青春映画です。

冒頭 運輸省営鉄道 63系電車が上野駅らしきに到着するシーンがあります。179-1.jpg
前面はまともですが、壊れた窓ガラスに板を貼って修理してあるなど荒廃した終戦後の姿で運行されています。
到着すると超満員の車内から昌子も降りて来ました。階段を降りてくると、壁に8番線の標示が有りますから常磐線沿線に住んでいるのでしょう。
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昌子は外に出て待ち合わせの場所へ行くと、シケモクを拾って吸おうとしている雄造の手を叩いて止めさせます。駅の外の様子は新橋駅の様にも見えますが、上野なのでしょう。
ここから二人の楽しい一日が始まるのですが、所持金が雄造 15円・昌子 20円しか有りません。新築モデルハウスの展示場を見て夢を語る昌子ですが、10万円の価格に溜息の二人です。

ただここで 闇屋の男(菅井一郎)から貸し間が近くにあることを聞き、そこへ向かう道中 遮断棒の無い警報機だけの第三種踏切がありました。複線電化区間の様で、左からの単車に続いて右から2両編成の電車が通過します。
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アップの映像であり、意外に高速で通過したので車両の詳細が分かりません。上野近くとなれば京成電鉄ですが、雰囲気的に東京急行電鉄 井の頭線(当時)の様にも見えますね。

上野公園界隈から動物園へ入ったりした二人は、日比谷公会堂で行われるクラシック演奏会のポスターを見て行くことにします。上野公園からの階段を駆け下り、上野駅へと走る二人を車から併走撮影している様です。
駅前交差点角は石垣だけで、まだ聚楽(現在はUENO3153ビル)も有りません。続いてドアガラスが板張りの 63系電車が疾走する姿の後、車内で座る昌子は「遅いな~この電車 もっと早くもっと早く」などとウキウキしている様子です。
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次に雨が強まる中 有楽町で降りた二人が日劇をバックに晴海通りを横断する時、山手線でしょうか6両編成の 63系電車が高架線を有楽町駅へと向かって行きます。
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ロケ当時 上野~有楽町の運賃は5km.までの最低区間内なので、 50銭でした。しかしインフレが激しいので この映画公開直後(6日後)に2倍の1円に値上げされ、貧乏な二人には一段と厳しい世の中になったのです。

その後ダフ屋に邪魔され演奏会に入れなかった二人は、野外音楽堂で二人だけの空想演奏会を開き 心が満たされます。最後は夜の有楽町駅らしきホームを想定したセット撮影シーンです。
ベンチに二人が座り、駅員が一人が立つホームで電車を待っています。
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やがて電車到着の音が入り、昌子が「またこの次の日曜日」と笑顔で別れを告げて乗車した様です。

この映画は黒澤監督 戦後第二作で、珍しくホームドラマ風の映画です。焼け跡だらけの町と一見まともな都心のビル街、走る電車は板張りのドアや窓と戦後復興黎明期の東京をリアルに映しています。
なお国営鉄道事業が新法人 日本国有鉄道に移管されたのは、二年後の 1949年6月です。

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