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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

164.ずらり俺たちゃ用心棒

1961年12月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 松尾昭典

警視庁の銀行強盗 特捜班の覆面捜査官である 竜崎四郎(二谷英明)が、潜入捜査で岐阜市にはびこる暴力団 大須賀組と井関組の共倒れを目論むアクション映画です。

前半 ビリヤード屋の浜中正一(和田浩治)が、バイクの後ろに恋人 筒井雅子(和泉雅子)を乗せて名鉄岐阜市内線の長良線(徹明町~長良北町)が走る長良橋を渡るシーンがあります。
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4輪単車にダブルルーフの古風なモ1形か 10形と思われます。(98. 花咲く乙女たち)の冒頭でも同じ様に、山内賢と堺正章がバイクに二人乗りしてこの橋を渡るシーンがあります。

次に大須賀組長の身代わりで2年間 務所暮らしした戸田新吉(川地民夫)が、帰ってくるのを幹部の山形(上野山功一)と竜崎が岐阜駅で出迎えるシーンがあります。
岐阜駅1番ホームへ C58 266(高山区)が牽く高山本線の列車が入って来ました。
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デッキから身を乗り出していた戸田は、山形を見付けると未だ停止しない内から嬉しそうに飛び降りました。
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一二等合造の半車ロザが連結されているこの列車は当時の時刻表で見ると、高山本線 笹津 5:28発 828ㇾと思われ 終着 岐阜には 11:31の到着です。

中盤 井関組長(内田良平)の情婦 槙美子(椎名伸枝)の動向を探る竜崎が乗る車の横を、ダブルルーフで4輪単車の名鉄 岐阜市内線 モ10形の 19が通り抜けて行くシーンがあります。
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1914年 元美濃電気軌道の車両として製造。古風なスタイルでこの後も走り、1967年7月に仲間と共に廃車となりました。

続いて大須賀の命令で戸田が鉄(江角英明)と組んで、麻薬取引に列車で関へと向かう場面があります。先ずキハ 17系らしき気動車2連が高速で走り抜けて行きます。
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そして越美南線 美濃関駅(現 長良川鉄道越美南線 関駅)から二人が降りてきます。木造駅舎は現在と大きくは変わりありませんが、駅前は砂利道で時代を感じさせます。
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最後に事件が解決し、竜崎が岐阜を去る場面でも鉄道シーンが有ります。岐阜駅1番線 乗車した竜崎は勢いよく窓を開けて、地元刑事2人と戸田から見送りをうける中 発車ベルが鳴り出しました。
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次に沿線では浜中と雅子が汽車の汽笛が聞こえると、バイクに二人乗りして やって来た列車に合わせて併走します。
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そして竜崎の姿を見付けると、手を振り呼び掛け 竜崎も窓を開けて応えます。
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C58蒸機が8両牽き、6両目に半車ロザが連結されています。この列車は沿線で帰宅学生が多く乗る、岐阜 13:28発 827ㇾ高山行と思われます。

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 156.新男の紋章 度胸一番

1964年8月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 滝沢英輔

1937年頃 軍医として出征していた大島組若親分 大島竜次(高橋英樹)が、満期除隊で戻ってからの組を盛り立てる活躍を描く任侠映画です。

先ず 大島組へ役場より大島が除隊となる連絡が入り、地元 日比野駅に組員はもとより楽団まで呼んで派手に出迎えます。楽団が勇壮な曲を奏でる中 C58 108に牽引された混合列車が日比野駅に到着します。
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組員は手に日の丸の小旗を持ち のぼり旗が立つホームへ帰着予定の列車が到着しますが、
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大島は降りて来ません。皆が首を傾げる中、列車は次の駅へと出発して行きました。
その頃 大島は戦死した部下で清村組の一人息子の遺品を届ける為、手前で寄り道していたのです。
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ロケが行われたこの駅が気になりますが、木造跨線橋で繋がっている先には電化されたホームが有ります。そして牽引機 C58 108が当時 高山区の所属で、高山本線を走っていました。
そうなると該当する駅は、名鉄 新那加駅と接続する高山本線 那加駅を想像してみましたがあくまで妄想です。
製作当時 架空駅であった日比野ですが、1971年 名古屋市営地下鉄名城線の駅として開業 現存しています。

続いて 大島が中国戦線から連れて帰還した元部下だった渡世人の虎鮫(桂小金治)が、実家へ帰るシーンではダブルルーフに4輪単車のクラシックな路面電車が登場します。
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クリームと緑色で上下に塗装され 2 とだけ番号が付けられた小型車から、手動ドアらしきを開けて虎鮫が降りて来て路地に入り歩く背後に4輪単車の路面電車が映っています。
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この電車は名古屋鉄道 岐阜市内線を走っていた、元美濃電気軌道出身の モ1形2と思われます。明治生まれの木造2軸単車の車体外側に鋼板を取り付けた見かけ鋼体車です。
ピューゲル集電ですが、ダブルルーフ・4輪単車で走る姿が昭和前期の時代背景にピッタリです。しかし翌年から2年程で仲間と共に廃車されて、この映像が貴重な記録となっています。

中盤 大島が子分を連れて評判の悪い笹塚組へ向かう場面では、赤ナンバーを付けた C58形蒸機に牽かれた列車が走り抜けるシーンが先ず映ります。美濃太田区の 318か 326号機と思われます。
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続いて 笹塚駅(勿論 京王電鉄ではなく架空駅)改札を通って笹塚組へ向かう大島達を、待合室で待ちうけた連中が付けて行きます。この駅も高山本線の何処かの駅と思われます。



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 155. 遠い雲

1955年8月 松竹 製作 公開   監督 木下恵介

かつては相思相愛の仲だった石津圭三(田村高廣)と寺田冬子(高峰秀子)は石津が転勤前の休暇で帰省した折 再会し、家庭の事情から望まない結婚をした冬子が夫と死別していたことを知ります。
石津は冬子への思いを再燃させ今度こそ結婚を望みますが、亡夫の義弟 寺田俊介(佐田啓二)も冬子との結婚を望んで間で揺れる冬子の心情を中心に描く恋愛映画です。

冒頭 北海道の留辺蘂への転勤を前に久々故郷の高山へ向かう石津が乗る高山本線のC58形蒸機牽引列車を、様々な情景・色々な角度・一般映画としては異例の長さで映しています。
先ず 長い上り勾配をゆっくり黒煙を吹き上げながらC58 153が、7両の客荷車を牽いて登って来ます。
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石津は故郷が近付いたせいかデッキで陽気に唄い沿線の子供に手を振ったりしています。

続いて鉄橋を渡る姿を 横から 次に下からと角度を変えて捉えたり、カーブのかかった鉄橋を渡りながら迫り来る姿を捉えたりと 一般映画とは思えない程のテンコ盛りです。
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そして街中へ入って行く姿をロングで映した後、母や妹らが出迎える高山駅下り線ホームへC58 280が牽いて到着します。
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石津は完全停止直前に二等車デッキから飛び降り、久々の対面で皆笑顔一色です。
車で駅から実家へと向かう場面では、バックに堂々とした高山駅舎が映っています。残念ながら今年 築 80年だったこの木造駅舎も、先日 12月より建て替えで解体工事が始まったそうです。
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石津が高山駅に到着した時もホームで飲み物等の立売していた松本(田浦正己)は、中盤 冬子が駅前の公衆電話を使う場面でも駅構内のラッセル車や蒸機をバックに登場します。
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最終盤 石津が始発列車で高山を立つ日、未だ薄暗い早朝 C58 266牽引の上り列車が到着した折もホームで立売をして石津を見送っています。
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石津はデッキでお手伝いさんの見送りを受けながらも、前夜 再度同行を断られた冬子が現れるのではと改札方向を気にしています。
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その時 出札口に冬子が現れ、東京までの切符( 850円 )を求めます。
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構内放送が「高山~三分停車」と告げる中 冬子は急いで改札へ向かおうとしたその時、停車している列車から降りてきた寺田が改札へ現れ 冬子は凍りついた様にその場を動けなくなりました。
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寺田は「石津さんを見掛けましたよ ホームの後ろの方です」と告げますが冬子は答えられません。発車ベルが鳴り始め 改札が閉じられました。二人は待合所へ行くと寺田が「やっぱり東京へ行くのですか 行かないでほしいな」と説得します。
石津を乗せた列車はゆっくりと加速し、高山駅を離れて行きました。
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列車が構内を外れる時でしょうか、再度 汽笛が聞こえると冬子はベンチに腰掛け泣き出します。一しきり泣くと、吹っ切れた様な顔立ちになりました。
そして冬子は寺田に寄り添い駅を後にします。列車は冒頭の勾配区間を今度は下りなので軽々と加速して高山の街から離れて行き、冬子への思いを断ち切るかの様に線路端には昔 冬子からもらったジットの{狭き門}が転がっています。



PS.
石津が乗った朝一番の汽車とは? 本編では金沢からの出張帰りの寺田が降りてきた列車に石津が乗っています。構内放送では 5:25発岐阜方面と聞こえ、つまり富山発の夜行列車を想定していると思われます。
当時の時刻表を見ると、朝一番は 5:25高山始発の 826ㇾ岐阜行で 5:25発の部分は事実ですがアフレコ放送です。映画のスジの都合から高山本線全線通しの上り列車として設定し映している様です。

前年まで無かった夜行列車がこの年 1955年 7月の改正で岐阜 0:35発 1869ㇾ下り列車が登場、 終着 高山 4:49着ですが逆方向です。もしや5枚上の画像はこの下り 1869ㇾの到着時の姿では?
機関車と乗務員は共に交代し、1869ㇾの客車がそのまま折り返し 826ㇾになったと想像すると1番線への到着も納得いきます。上り夜行列車は笹津 23:13発 1870ㇾ岐阜行で、高山 1:39着と想定外です。

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 98. 花咲く乙女たち

1965年1月 日活 製作 公開  カラー作品    監督 柳瀬観

紡績工場の女工を水商売に誘い込む指令を組から受けた山口昌次(山内賢)とサブ(堺正章)が、友人となった仲間達から励まされ更生してゆく青春映画です。

冒頭 尾西の町へ向かうべく岐阜 長良橋をバイクで渡る、山口とサブが映ります。ピューゲルを屋根に付けた前面3枚窓の路面電車とすれ違いますが、不鮮明で廃止直前のモ 70形かもしれません。
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この路線は名鉄 岐阜市内線 長良線(徹明町~長良北町)で、途中に急カーブ部分が有ることから車種が限られ晩年は北陸鉄道金沢市内線から来たモ 550形で運行 1988年廃線となりました。

山口は女工の林田サツキ(西尾三枝子)と知り合い、サツキの父親が田舎から出てきた時 観光案内をかってでます。成田山名古屋別院大聖寺前に来たとき頭上を犬山モノレールが通過して行きます。
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これは 1962年(犬山遊園~動物園 1.2km)開通した名鉄の路線で、2年後開通の東京モノレールのモデルとなりました。その後乗客減少もあり、2008年末廃線となり現在犬山遊園駅付近では跡形もありません。

そしてサツキの父 林田清作(中村是好)が岐阜駅から帰宅するシーンが一番の見どころです。まだ地平駅の岐阜駅1番線高山線ホームで 旧客に乗った父をホームからサツキが窓越しに見送っています。
「かあちゃんに美味しいものでも買って」と3000円の入った封筒を渡すと
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ベルが鳴り汽笛が聞こえると、汽車はゆっくりと黒煙を吹き上げ発車して行きました。最後に父親は「昌次さんにも宜しくな」と一言。
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先頭で牽く機関車は映っていませんが、C58型蒸機と思われます。隣の2番ホームには次列車として 15:50の看板が架かっていますので、この列車は 14:52発 833ㇾ美濃太田行と思われます。
終点 美濃太田で更に飛騨金山行列車に接続しています。高山線岐阜口ではその後 1968年10月旅客列車が無煙化され、更に 1969年1月完全無煙化でサヨナラ列車が運転されました。

ラストシーン 組とは縁を切り、町を去る山口がバイクで名神高速道路をノーヘルで走っています(特撮)。その左手を開通後まだ日の浅い東海道新幹線が追い越して行きます。
0系 12連でひかり号かこだま号かは分かりませんが、前方には雪を被った伊吹山でしょうか?見えています。
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