
1967年5月 松竹 配給 公開 現代映画社 製作 監督 吉田喜重
愛の無い結婚生活に悩む 社長夫人 古畑織子(岡田茉莉子)が 亡き母の愛人に魅かれながらも、行きずりの男と関係して 更に苦悩する 女の情念と心の移ろいを描いた映画です。
母の死後 久しぶりに短歌の集いに出席した織子は 母の愛人だった能登光晴(木村功)に再会し、終了後 連れ立って話ながら踏切を渡って行き その後を 横須賀線らしき電車が通過します。

その後 回想場面で織子は能登に「桃井繁子(南美江)の娘です お話があります」と告げると、能登の家で話そうと歩く道中で江ノ島電鉄(当時は江ノ島鎌倉観光)の線路内を歩いて行きます。後ろから 500形の501を先頭にした藤沢行2連が左右に車体を振りながら近付いて来ました。

二人は左右に分かれて線路から離れ、電車が通り過ぎるのを待ちます。

そして織子は「もう母に会うのは止めて下さい」と能登に願い出ます。しかし能登は話をはぐらかし、会わないという約束はできないと断るのでした。織子は怒ったのか、来た線路内を足早に戻って行きました。

母親をふしだらな女だと言う織子ですが、能登に魅かれながらも 行きずりの労務者(高橋悦史)と関係してしまう自分に 苦悩する織子でした。
そんな自分のことを能登に話そうと、前に能登と歩いた江ノ電の線路内を歩く場面があります。

その後 線路沿いの道を歩くと、500形の502が後ろ側の2連とすれ違います。



能登の家に行くと不在で、夏の間は真鶴の石切り場で活動しているとのこと。真鶴迄の東海道本線の道中でしょうか、混んだ車内で立つ織子の周りの男は皆タバコを吸って煙たい様子です。

織子は古畑と別れる決意を家の襖に短歌で残して、最後の場面である北鎌倉駅へと向かいました。ホームを歩くと、反対側のホームに あの労務者を見付けます。

やがて横須賀線の111系らしき電車が 反対ホームへ到着し

出発して行くと、一瞬目を合わせたあの男はもうホームから消えていたのでした。
PS.
古畑織子と能登光晴が最初に連れ立って渡る踏切は、北鎌倉駅に近い 第一円覚寺踏切の様です。当時は遮断機も警報器も無い、第4種踏切だった様ですね。
回想場面で初めて織子と能登が会った時、能登の家へ行くのに長々と線路内を歩く場面は由比ヶ浜~長谷の区間でしょうか。思い切った織子の願い出には、閉鎖的空間でという 監督の表現の為 江ノ電の協力を仰いだのでしょう。
江ノ電初代500形の 501は 501と551が組んだ 2連で、1956年に製造されて連接台車で繋がっていました。1979年に前照灯を窓下に2灯配置する様に改造され、見た目の印象が大きく変わりました。
織子が能登の家に向かう時 江ノ電 502とすれ違う場面は、稲村ケ崎~七里ヶ浜の区間でしょうか。電車が通り過ぎた後 織子は線路を渡るので、能登の家はこの辺りにある様です。
同じ500形でも 501の前照灯は前面の上部に丸形と一般的なのに、502は大型のケース内に角型の前照灯とその左右にタイフォンと特徴ある姿でかなり印象が違いますね。
東海道本線の車内場面はセットでの撮影の様ですが、当時の東海道本線は東京~平塚が禁煙区間であり 織子が乗る平塚~真鶴は喫煙可能なのでした。
愛の無い結婚生活に悩む 社長夫人 古畑織子(岡田茉莉子)が 亡き母の愛人に魅かれながらも、行きずりの男と関係して 更に苦悩する 女の情念と心の移ろいを描いた映画です。
母の死後 久しぶりに短歌の集いに出席した織子は 母の愛人だった能登光晴(木村功)に再会し、終了後 連れ立って話ながら踏切を渡って行き その後を 横須賀線らしき電車が通過します。

その後 回想場面で織子は能登に「桃井繁子(南美江)の娘です お話があります」と告げると、能登の家で話そうと歩く道中で江ノ島電鉄(当時は江ノ島鎌倉観光)の線路内を歩いて行きます。後ろから 500形の501を先頭にした藤沢行2連が左右に車体を振りながら近付いて来ました。

二人は左右に分かれて線路から離れ、電車が通り過ぎるのを待ちます。

そして織子は「もう母に会うのは止めて下さい」と能登に願い出ます。しかし能登は話をはぐらかし、会わないという約束はできないと断るのでした。織子は怒ったのか、来た線路内を足早に戻って行きました。

母親をふしだらな女だと言う織子ですが、能登に魅かれながらも 行きずりの労務者(高橋悦史)と関係してしまう自分に 苦悩する織子でした。
そんな自分のことを能登に話そうと、前に能登と歩いた江ノ電の線路内を歩く場面があります。

その後 線路沿いの道を歩くと、500形の502が後ろ側の2連とすれ違います。



能登の家に行くと不在で、夏の間は真鶴の石切り場で活動しているとのこと。真鶴迄の東海道本線の道中でしょうか、混んだ車内で立つ織子の周りの男は皆タバコを吸って煙たい様子です。

織子は古畑と別れる決意を家の襖に短歌で残して、最後の場面である北鎌倉駅へと向かいました。ホームを歩くと、反対側のホームに あの労務者を見付けます。

やがて横須賀線の111系らしき電車が 反対ホームへ到着し

出発して行くと、一瞬目を合わせたあの男はもうホームから消えていたのでした。
PS.
古畑織子と能登光晴が最初に連れ立って渡る踏切は、北鎌倉駅に近い 第一円覚寺踏切の様です。当時は遮断機も警報器も無い、第4種踏切だった様ですね。
回想場面で初めて織子と能登が会った時、能登の家へ行くのに長々と線路内を歩く場面は由比ヶ浜~長谷の区間でしょうか。思い切った織子の願い出には、閉鎖的空間でという 監督の表現の為 江ノ電の協力を仰いだのでしょう。
江ノ電初代500形の 501は 501と551が組んだ 2連で、1956年に製造されて連接台車で繋がっていました。1979年に前照灯を窓下に2灯配置する様に改造され、見た目の印象が大きく変わりました。
織子が能登の家に向かう時 江ノ電 502とすれ違う場面は、稲村ケ崎~七里ヶ浜の区間でしょうか。電車が通り過ぎた後 織子は線路を渡るので、能登の家はこの辺りにある様です。
同じ500形でも 501の前照灯は前面の上部に丸形と一般的なのに、502は大型のケース内に角型の前照灯とその左右にタイフォンと特徴ある姿でかなり印象が違いますね。
東海道本線の車内場面はセットでの撮影の様ですが、当時の東海道本線は東京~平塚が禁煙区間であり 織子が乗る平塚~真鶴は喫煙可能なのでした。


