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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

401.あの橋の畔で 第3部・完結編

あの橋の畔で 第3部 1963年1月  松竹 製作公開   監督 野村芳太郎

菅野が設計した作品が 業界紙記者 角倉六太郎(小池朝雄)の策略で 盗作とのニュースが流れますが、真実が明かされ 菅野と葉子双方の疑念も 能登で晴れるまでを描いた 長編メロドラマの第3部です。

第3部の終盤で 角倉の元妻 村田道代(岸田今日子)に 押し付けられた息子を、葉子は仕方なく 角倉の実家のある能登へ 連れて行くことになります。
七尾線を行く 3連の気動車が映り
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 穴水で 九十九行と別れて、
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一路輪島駅へと 到着しました。
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遥々 息子を連れて来てくれた 葉子の姿を見た角倉は 葉子に 陰謀のカラクリを告白し、藤川宅で チカ坊に託された 葉子からの手紙で 気持ちを理解した菅野は 後を追って
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輪島に駆け付け 二人の蟠りが解けたのでした。
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あの橋の畔で 完結編  1963年7月  松竹 製作公開   監督 野村芳太郎

沢野が 傷害事件ざたで 逃避した北海道で 漸く葉子との離婚に 同意しますが、葉子が脳腫瘍で 残り二年程の命と 菅野は告げられ つかの間の 幸せな二人の姿を描いた 長編メロドラマの完結編です。

菅野は 不倫の慰謝料として 百万円を沢野から請求され 離婚を条件に承諾して 北海道での仕事の前払金で示談金を作り、上野駅から皆に見送られて 出発して行くシーンが 前半にあります。

上野駅11番線の 急行列車一等車席で 菅野は窓越しに 葉子・藤川・チカ坊と話す内に、
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神崎弁護士(大森義夫)が 売店で缶ビールを買って来てくれました。
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やがて列車の 発車時刻となり、皆に見送られて 菅野は一人札幌へと 旅立つのでした。
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その後 チカ坊の祖父が 函館近郊に暮らしている情報があり 葉子とチカ坊も渡道し、
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葉子との離婚絡みで 田代弁護士(佐藤慶)を 傷つけた沢野も 北海道へ逃避していて 葉子と札幌で再会します。
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ところがそこで 突然激しい頭痛に襲われた 葉子は入院し、この地で 再起を図る沢野から 離婚届を菅野が渡され 漸く二人の前途が 開かれることになりました。

しかし 精密検査の結果 葉子は悪性の 脳腫瘍と判明し、手術で一旦は 全快した様になるが 後二年程の命だと 担当した沖医師(神山繁)から 菅野は聞かされます。
翌年の春 二人は晴れて結婚式を挙げ、新婚旅行で乗った 一等車内で葉子は「本当は手術を受けるとき 諦めていた」と話すのでした。
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湘南に新居を構えた菅野は 仕事帰りに図書館で 脳腫瘍に関する専門書を 借りる一方、江ノ島鎌倉観光電鉄 鵠沼駅で降りると 401-15 (1)
出迎えた葉子の買い物に同行して 幸せな新婚生活を共有するのでした。

その後 手術から一年半が経過した頃 伊村謙作(西村晃)所長から「結婚祝いにピアノを送ったが、手足の麻痺症状が出る時期が来たので 後悔している」と聞いた菅野は、葉子の様子が気になり 雨の中傘もささずに江ノ電沿いの道を 急いで帰宅しますが 杞憂に終わりました。
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やがて 結婚二周年の集いが 菅野家で開かれることとなり、鵠沼駅から 沖医師が降りて来ると 後ろから藤川も合流します。
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そして 江ノ電沿いの道を歩く 二人の背後から来たタクシーから 伊村所長が降りると、ポール集電の 江ノ電2連電車が 横を走り抜けて行きました。
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手術から二年経ったこの集いでは 沖医師も驚く程に 葉子は回復した姿で振る舞い、あるいは病の進行が停止した 奇跡が起きたのかと 藤川共々思いを共有しました。
しかし それから暫らくして 葉子から会社にいる菅野に電話があり、「頭が痛い・・・」と言ったまま返事が無いので 藤川と共に中央線に乗って駆け付けますが・・・
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葉子の葬儀の後 苦悩する菅野の姿がありますが、ラストシーンは 二人が出会った数寄屋橋の畔にある 菊田一夫作「数寄屋橋 此処に ありき」の 石碑を読む菅野の横を 都電が行き交う姿が映って エンドマークとなります。
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PS.
  最初の画像は 七尾線 能登鹿島~穴水での 走行シーンでしょうか。二枚目画像で 作中では「穴水で九十九行と別れて輪島へ」と葉子が言ってます。穴水から先の能登線は 公開当時 宇出津までしか開通していません。

  公開後の1963年10月に 宇出津~松波が開通しますが 九十九駅は存在せず、有名な九十九湾近くに 能登小木駅が設置されました。何故当地の主要駅で 当時終点の宇出津行と、しなかったのか不思議です。九十九と駅名が予定されていたのか・・・

  三枚目の画像は 七尾線 穴水~能登三井の 山越え区間にあった、七海川を渡る 橋梁を進行する 単行列車の輪島行と思われます。


  8~11枚目の画像で映る列車は 11番線からの出発なので、21:30発 401レ急行津軽号で 翌日12:00青森着 12:15発青函連絡船19便で 16:45函館着 17:05発19D急行すずらんで 22:03札幌着となります。

  しかし菅野が乗ったのが 2号車指定席一等車オロ61なら 隣は自由席一等車オロ61の筈で、3号車自由席一等車オロ60なら 隣は二等寝台車スハネ30の筈ですが オハ61形二等車が連結されていて 実態と合いません。
  また9枚目の画像を筆頭に上野駅シーンは、セット撮影の様に見えます。

  16枚目の画像に 映っている 江ノ電車両は 300形の352です。1929年製造の102を 1957年に352へと改造した車両だそうで、現在も山梨県のオートキャンプ場に 302と共に静態保存されています。 

  18.19枚目の画像に映っている 江ノ電車両は100形と思われます。ポール集電時代の末期で、この後順次 ビューゲル集電へと改造されています。



  前作にて急告の通り1本運休させて頂きましたが、今回から再び定時運行を目指したいと思っております。 
  あの橋の畔で 第3部の鉄道シーンが僅かな為、今回は完結編との合併号と致しました。

 

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