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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

308.嵐を呼ぶ十八人

1963年9月 松竹 製作 公開    監督 吉田喜重

造船所の臨時工 島崎宗夫(早川保)が 特別手当と引き換えに 寄宿舎々監を引き受け、大阪から手配師に連れられて来た 流れ者18人との 葛藤を描いた 変化球的な青春映画です。

造船所の正社員工が ストライキを起こしたので 臨時工は連日の残業で懐が暖かくなり、一同は島崎を先頭に 嬉々として街へ繰り出しました。
ジャズ喫茶へ入った 清一(生島孝治)とみのる(近藤たかし)は、和夫(平尾昌晃)を頭とする愚連隊と揉めて 清一は6人から袋叩きにされてしまいます。
続いて 派手に大きな広告看板を取り付けた 呉市電 608形の 608号が、四ツ道路電停近くの右カーブらしき地点を 曲がり行くシーンがあり
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みのるの急報で助けに駆け付ける一同の場面に続きます。

この騒ぎの最中に あきら(安川洋一)が 島崎と恋仲のノブ(香山美子)を襲い、ノブは呉の街から 消える様にいなくなってしまいます。
島崎は寄宿舎で皆を詰問し、みのるを自白に追い込みます。そしてノブが 広島に行ったことを聞いた島崎は、ノブを追って 呉線の蒸機牽引列車で広島へ向かいました。
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島崎は失意のノブを 広島市民球場で探し出し、ノブに求婚して同意を得ます。

その後 清一は 愚連隊のボス和夫を付け狙い、呉市電の車中で 和夫にナイフで切りつける事件を起こします。
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和夫の取り巻きは 最初は清一をからかいますが 清一がナイフを構えると逃げ出し、緊張感漂う車内には停車ボタンのブザー音だけ鳴り響いているのでした。事件を聞いた島崎は 清一の為にと、一同の反対を押し切って通報するのでした。

呉で島崎とノブの結婚式を挙げる頃、造船所が暇になったことから 島崎がタコ師と呼ぶ 手配師の森山(芦屋雁之助)から 明朝 清一以外 17人の北九州への移動を告げられます。
最初は頑として 結婚式への出席を 拒否した寄宿舎の連中も、雨が降る中 遠巻きに無言で祝福している様でした。

翌日 大阪から貰い下げに来た 清一の母(浪花千栄子)と清一が、堂々とした 呉駅舎の前に現れます。
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駅舎内で 見送りに来た島崎が「他の連中は北九州へ行きよる」と言うと、清一は「家には帰りとおない」と呟きます。
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そこへ慌てて駆け込んで来た森山が、「奴らに逃げられた」と怒ってます。その後 17人が遅れて現れたので、森山は一度は払い戻した 切符を再び買い直して 一同とホームへ急ぎます。

「8:05発の広島行がまいります」と放送が流れる中、跨線橋から一同は 2番線への階段を駆け下ります。
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そこへ C59形蒸機6号機牽引の、広島行列車が到着しました。
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清一は母親が「そっちは違うで~」と止めるのも聞かずに、2番線へ降りて行きます。皆を見送るつもりなのかと、母親もゆっくり後を追いました。

一同と縁のあった 高校生の楽団が演奏する中、島崎は無言のままで 順番に一同の顔を見て歩き 見送る様です。
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発車ベルが鳴り始めると
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突然清一は列車に乗り込み、母親の呼びかけも聞かずに 一同と同席します。
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島崎は「これでいいんや」と母親を説得する様に話すと、汽笛の音と共に列車は発車して行きます。
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森山以外 無言だった連中は、列車がホームの端に来た頃になって 別れの挨拶をしています。
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勿論ホームの高校生は 大声で見送っています。
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車内では 森山が配った酒を飲んで 陽気な連中が映り、
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ヘリに依る空撮で 去り行く列車の姿を捉えて エンドマークとなります。
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PS.
 呉市電は 1909年(私鉄期)~1967年12月迄存在し、登場した 608号は廃止前年に 岡山電気軌道へ譲渡され 2600形として 1983年迄使われたそうです。
 
 作中に登場する呉駅舎は 戦時中に焼失した駅舎を、進駐軍の肝煎りで 1946年5月に完成させた3代目の駅舎です(僅か5か月の突貫工事!)その後1981年7月に、現在の駅舎へ改築されています。

 作中で 8:05発の下り広島行として C59形蒸機牽引列車が映りますが、撮影当時の時刻表が無いので 前後の時刻表を読むと変わらず 7:49発広島経由岩国行の611レが該当します。(驚くことに確認できた1958年~1969年ほゞ同じダイヤ)
 普通に考えると 呉 8:15始発の 401D急行出島 長崎行に乗れば、北九州の小倉に乗り換えなしで 12:25に着きます。あくまでドン行で行くと、611レが 8:41広島着 9:40発の 223レに乗り継ぎ門司で乗り換え 16:00小倉着です。

 ラストの空撮で映る列車には、蒸機+荷物車+一等車+一等車+二等車+・・・なので、呉線を代表する東京始発の 呉12:36発23レ急行安芸号 広島行と思われます。(C59+マニ+オロネ10+スロ53+マシ38+ナハネ10・・・)

 愚連隊の頭として演じる 平尾昌晃は、言わずと知れた日本歌謡界の 代表的作曲家でした。1957年歌手デビューと共に 映画俳優としてもデビューし、1968年迄 通算23本の映画に出演しています。 

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135. 愛と死の記録

1966年9月 日活 製作 公開   監督 蔵原惟繕

レコード店員 松井和江(吉永小百合)と印刷会社工員の三原幸雄(渡哲也)が恋仲となるも、三原の病気が二人を裂き悲しい結末へと向かう青春映画です。

序盤 三原と和江・三原の同僚 藤井(中尾彬)と ふみ子(浜川智子)が其々バイクに二人乗りでWデートに出掛ける場面で、呉線沿いの国道を走るシーンがあります。
呉線 坂~小屋浦(現在では間に水尻駅があります)の美しい海沿い区間を嬌声を上げながら走る二組のバイクを、C59161蒸機牽引の列車が高速で追い越して行きます。
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当時 糸崎区所属で客車7両+荷物車を平坦路線区間なので、軽々と高速で牽いて行きます。呉線の有名撮影地でもあるこの区間を走るC59の姿は貴重ですね。
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この C59 161機は戦後生まれで山陽本線一筋に全線電化迄走りました。呉線へ転じた後も状態が良いのかC59形最後の3両まで残り、呉線電化の時 蒸機さよなら列車として装飾した急行安芸を牽きました。
現在では広島原爆ドームからも近い、こども図書館に移設 静態保存されています。

中盤 和江が鉄道橋と並行する幅の狭い人道橋を雨に濡れながら歩いています。遠く背後で三原がバイクを降り、走り寄って来ました。左手の線路を黒煙を吹き上げる蒸機が近寄って来ます。
追い付いた三原が「バカじゃのう バカじゃ」と言うなり、和江を抱きしめます。猛然と黒煙を吹き上げ轟音と共に鉄橋を渡りながら近付く C58形らしき蒸機列車。
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一転 線路の向こう側から二人の姿をカメラが捉えると、C58に牽かれた列車が左から二人を覆い隠して行きました。ワンカットに懸ける蔵原監督の熱意を感じます。
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この特徴あるロケ地が気になりますが、登場したのがC58であることから呉線ではないでしょう。広島で C58といえば芸備線ですが、市内に該当する様な橋梁はありません。
二人がいる人道橋らしきにヒントがありました。先人の写真に見覚えが有り、宇品線(既に廃線)の猿猴川に架かる大須口橋梁の様です。短く特徴に乏しい宇品線では、宇品駅かこの橋で撮る方が多かった様です。

この映画公開の3ヶ月前に同じ日活から公開された{ 夜霧の慕情  監督 松尾昭典 }の作中でも同じ場所でロケが行われています。カラー作品で、同じく C58蒸機列車が橋を渡っています。
この人道橋は明治期 軍用線として設置した橋を架け替えした際、旧橋の橋脚を利用して住民用の人道橋を設置したので鉄道橋と平行して存在していたのです。{ 夜霧の慕情 }ではその古い橋脚の様子が映っているので特別にその画像を加えます。
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宇品線はこの映画公開後の年末 広島~上大河原と短くして大幅に本数を減らし、定期券所持者のみ乗車可という変則旅客営業となり時刻表から消えてしまいました。
その後 1972年3月末には旅客営業が完全に廃止され、更に 1986年9月末をもって貨物営業も終了となり完全に廃線となりました。



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