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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

251.あの空の果てに星はまたたく

1962年5月 東映 製作 公開   監督 関川秀雄

香川県多度津沖に浮かぶ佐柳島を舞台に、厳しい島の生活に抗して力強く生きる堀本早苗(丘さとみ)を中心に描く青春映画です。

嵐で船を失い借金だけが残った山口小次郎(山村聡)は寝込んでしまい、早苗と付き合う山口三郎(水木襄)は高校を辞めて働く決意をします。
山口が大阪で働くと聞いた早苗は、大阪行の船を見送ろうと多度津港へ先回りして待つところへ山口が到着します。
山口は到着時刻の関係から汽車で行くと言い、多度津駅で見送る為 二人で話しながら駅へと向かいます。

多度津駅の地下連絡道から予算本線 高松方面の1番線へと階段を上がると、二人の後方には多度津区の給水塔が見えています。
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緊張しているのか山口が汗をかいているので、早苗はハンカチを渡してあげます。
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そこへ高松行 内燃機普通列車が到着します。
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降車する親子を待って山口が乗ると、30秒停車かの様にドアが程なく閉まって「気を付けてね」としか言葉をかけることが出来ません。
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去り行く山口を、ただ見送るしかできない早苗なのでした。
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先に神戸へ働きに出ている早苗の兄 堀本義夫(千葉真一)から病に伏せている旨の手紙が届き、早苗は思い切って神戸へ行くことにします。
多度津から船で神戸へ向かい、新開地付近でお巡りさんに道を尋ねます。兄の家は造船所近くの裏通りという設定らしいので、この線路は川崎造船の専用線でしょうか。
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PS.
  小柳ルミ子のヒット曲「瀬戸の花嫁」の様な明るい世界ではなく 苦しい島の生活が描かれていますが、お盆休みに早苗の同級生が集まって登った見晴らしの丘から見た瀬戸内の眺めは素晴らしいの一言に尽きます。

比較的早く無煙化された四国ですが、ロケ当時はC58形蒸機が 12輌程配置されていた多度津区の一角が映っています。 残念ながら蒸機は映っていませんが、土讃本線への分岐駅としての風格を感じる駅です。
三郎が乗ったのはキハ 17 形らしき気動車2連です。現在の車輛に比べて、ドアの閉まるスピードが格段に速い気がします。

大阪へ向かった三郎の行程を推理すると、先ず早苗が船を使うと考えた点が起点となります。当時 関西汽船の大阪・神戸~多度津 航路がありました(途中他に寄港地あり)、昼便は多度津港 10:40 発で大阪港 22:40 着でした。
船の出発時刻を起点に多度津駅から乗った列車を探すと、今治始発の 42レ高松行 普通列車が多度津 10:21 着発同時刻の列車があります。この頃は未だ前後の列車は蒸機牽引か始発列車で、午前中は他にありません。 42レは高松 11:01 着で 11:25 発の宇高連絡船 12便に乗り継ぎ、12:30 宇野に到着して 13:10 発の 304レ準急鷲羽 2号に乗り換えて終着駅 大阪へは 16:36 と明るい内に到着します。

一方 兄の手紙で神戸へ向かった早苗は、多度津港 19:40 発の関西汽船に乗って翌朝 5:00 神戸港へ着いたのでしょう。そして兄の所から大阪に居る山口を訪ねた後、大阪港 21:30 発の関西汽船で翌朝 8:20 多度津港へ戻ったと思われます。
この航路は時間は掛かりますが、多度津~大阪で2等運賃が 500円と格安です。一方 国鉄で大阪へ向かった山口は、多度津~大阪の二等運賃が 670 円+宇高連絡船 70 円+準急料金 100 円で合計 840 円と割高ながら夕刻に到着する方を選んだ様です。

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 120. 喜劇 団体列車

1967年11月 東映 製作 公開  カラー作品   監督 瀬川昌治

喜劇 急行列車に続く東映製作の列車シリーズ第二弾。四国を舞台に国鉄駅員 山川彦一(渥美清)が、助役試験と恋愛成就を目指すコメディー映画です。

冒頭 山川が自宅から自転車で国鉄 仁堀航路乗り場らしきの前を通って勤務地 伊予和田駅(架空駅)へ向かいます。構内の案内板からも予讃本線 堀江駅と思われます。
そして松山方向から C58 333蒸機に牽かれた7両編成の上り列車が到着し、山川が「伊予和田~」と連呼します。その後急いで学生中心客の改札もこなします。
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今では考えられない7両編成の列車は、朝の通勤通学時間帯ならではですね。当時のダイヤから見ると、堀江 8:01発の伊予北条行 2122ㇾ普通列車かと思われます。
C58 333機関車は戦後一貫して四国内で活躍、準急いよ号の先頭で牽いたこともあったとか。1970年に廃車となりましたが、準鉄道記念物として多度津にて保管されています。

そして山川はこの列車の車掌から迷子の子供を託されます。「お城の近くに住んでいる」との話から松山で捜しますが、宇和島と分り山川が連れて行きました。
その宇和島駅で子供の母親 志村小百合(佐久間良子)が駅事務室を尋ねる場面で、背後に2両だけ存在した変った風貌の改造DC キニ15が前面補強前のノッペリとした姿で停車しています。
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子供の面倒を見た縁から小百合と知り合いになった山川は、小百合が教師をしていることから助役試験の勉強を見てもらい熱を上げます。
しかしその子が二次試験の前日に熱を出し、徹夜で看病した山川は六時の鐘の音を聞いて急いで宇和島駅へ駆け付けますが目当ての列車に乗り遅れてしまいます。
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この列車とは 6:03発の 102D 高松行の急行第一せと号と思われます。次の列車は 6:37発の 116D 高松行 急行うわじま1号なので、試験のある松山に 8:45 到着で会場に3分遅れで着いたのでしょう。

次に伊予和田駅主催の団体旅行が開催され、小百合親子や山川の見合い相手 日高邦子(城野ゆき)も参加して世話やき係の山川は大忙しです。
四国一周の旅なのでネコヒゲ キハ 58系が丸型 H M を付けて海辺を走る急行をはじめ、
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団体旅行用とは思えないキハ 20系に 国鉄バスで二代前の高知駅前を通るシーンもあります。
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更に通常塗装のキハ 58系急行気動車の走行シーンが有り、
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車内では山川達が弁当とオロナミンCを配る場面もあります。徳島では夕方 小百合の子が行方不明になってしまいます。
線路端を捜すと、愛用の玩具が落ちています。先へ進むと、線路内を歩いています。前方からは蒸機列車が汽笛を鳴らして近付いて来ます。間一髪 山川が抱えて助けることができました。

場所柄 徳島本線か牟岐線・高徳本線の何れかでしょう。ところが、短笛連鳴の直後にアップで映ったのは 49613 蒸機の顔で、次のカットでは薄暗いながらも 8620形のボディと足回りと思われます。
徳島なので 8620形は分りますが、四国に一度も配置されなかった 9600形のアップ映像を何故差し込んだのでしょう。迫り来る列車の迫力を盛り上げる為、川越線で後から撮って加えたのでしょうか?

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 96. うず潮

 1964年11月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 斎藤武市

林芙美子原作 大正 11年 尾道高等女学校の生徒 林フミ子(吉永小百合)は貧しい家庭の文学少女。懸賞に応募した童話が入賞したことから、東京で身をたてる決意で故郷を離れるまでを描く作品です。

鉄道シーンは終盤 フミ子が尾道駅から東京へ旅立つシーンからあります。朝まだきの尾道駅 和服姿のフミ子は僅かな荷物を持っているだけです。「只今より大阪・東京方面の改札致します」の言葉で改札を通ります。
明るくなったホームへ上がると、C58 254牽引の東京行列車が到着します。
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8~10両編成と長く、フミ子は3両目に乗車します。
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ロケが行われたこの木造駅は当然 尾道駅ではなく、ロケ地の志度駅でしょうか?

座席に座って発車してからも延々と決別の置手紙の文面をフミ子が朗読していく中を列車は進んで行きます。沿線には延々とハエタタキが並ぶ中、機関車のキャブ越に前方を映す お馴染みのカットもあります。
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そして C58 46牽引列車の走行シーンも登場します。前出 254と同様 鷹取式集煙装置と思われる重装備搭載で豪快に走り抜けて行きます。また門デフ装備と思われる C58の走行シーンもあります。

その後もフミ子は延々と東京へ行くことへの希望・あこがれ・期待を込めて東京へ行けば何とかなる 東京へ行けば幸せが待っている などちょっと危ない気もしますが、前途に明るい未来しか考えられない感じです。
ラストシーンは長い鉄橋を渡る列車の姿を後方から映し、いよいよ故郷と決別し東京へ向かうフミ子を乗せた汽車が段々小さくなっていくところで終わります。
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 PS. 上記の様にこの映画は尾道ではなく香川県志度町(現 さぬき市)でロケが行われています。C58 254が牽く列車は高徳本線を走っているのかと考えますが、それにしては長編成です。
C58 254は当時 多度津機関区所属でしたので、予讃本線の列車と思われます。またフミ子が入る駅舎のシーンとホームから乗り込むシーンは別撮りとも考えられます。

該当する長編成列車は有るのかと撮影当時の時刻表を見ると、予讃本線 川之江 5:52発普通 高松行と土讃本線 財田 6:15発普通 高松行が多度津で合体し高松へ向かう通勤通学列車 322ㇾがあります。
初冬の朝 長編成の普通列車が到着するシーンにピッタリだと思われます。そうなるとホームでロケが行われたのは多度津の先 丸亀か坂出ということになりますが、いかんとも小生には分かりません。

大正末期 尾道から朝乗って東京直通の普通列車が有るのか?と時間表(時刻表)を見れば、下関始発の 24ㇾが尾道 7:08発で山陽本線・東海道本線を走り通し翌朝 6:40終点 東京へ到着し映画の内容に合います。
余談ですが、フミ子が歩いて来た尾道駅前には(汽車辡當)の大きな看板があります。しかし意外にも隣の糸崎には駅弁マークが有るのに尾道には戦後まで駅弁は無いのです。その後1949年の時刻表に初登場しています。
( 24. 素足の娘 )は 1957年の作品ですが、上から3・4枚目の画像に駅弁の立売人が映っています。  

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 2、大暴れ風来坊

 1960年11月 日活 製作 公開  カラー作品     監督 山崎徳次郎                                                                            小林旭主演の流れ者シリーズ第4作  最初は敵対する野村浩次(小林旭)と十字架の政(宍戸錠)が手を組み痛快に悪者退治という、おなじみのシリーズ。

 鉄道シーンはラストにある。 松山を去る浩次が松山駅で政たちから見送りを受ける。発車ベルが鳴る中 浩次は盛んに眼を泳がせ玲子(浅丘ルリ子)を捜すが、見当たらない。 そして発車の汽笛が鳴り響く。

 浩次の乗る準急いよ号は快調に走ります。
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何故かデッキに立つ浩次の眼に、並走するタンクローリーの助手席から手を振る玲子の姿が映る。途中立体交差する場所もあります。
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 そして車は先行し、踏切で降りた玲子が別れを惜しみ手を振る中 浩次の乗る準急いよは走り去って行く。2-5.jpg
 なお周囲の状況から、上り列車ではなく宇和島方面の下り列車と思われる。 

 四国における旅客列車無煙化は案外早く、C58牽引の客車準急いよ号もこの映画が撮影された後の1960年秋には完全DC化されている。
 後部デッキに大型テールマークを付けたC58牽引の準急いよ号の姿がまさに際どいタイミングで撮影された訳だが、
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カラーで美しい瀬戸内の海をバックに走る姿を今に残す価値ある一作であると思われる。




 PS.準急いよ号の走行シーン撮影時、カメラの正面を通過する際客車に撮影クルーの姿が映り込んでしまっています。 現在のようにその場で確認できず、また山崎氏はこの年じつに年間7本の映画を監督するハードスケジュール故に編集段階で確認できたとしても松山まで撮り直しに行く訳にもいかず公開となったのでしょう。
 1960年一年間に日活は公開映画数 100本という短期製作を強いられていたのです。

 

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