日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

166.バージンブルース

1974年11月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 藤田敏八

東京の予備校に通う岡山出身の畑まみ(秋吉久美子)と小林ちあき(清水理絵)が集団万引に加担して発覚し、借金取りに追われる中年男 平田洋一郎(長門裕之)と逃避行の放浪旅へ向かうロードムービーです。

万引現場からは逃れた二人は、寮へは帰れず郷里 岡山を目指します。平田に旅費を出してもらい、新幹線は使わず鈍行で岡山に向かう様です。
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日中 東海道本線の電車を鈍行乗り継ぎで進む、三人の様子が続きます。
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更に夜は旧客列車内のボックス席で寝ながら西へ進む場面が有りますが、この部分はセット撮影の様です。というのも当時は東海道本線上に旧客各停列車はもう存在していなく、急行銀河2号指定席部分位しか該当しません。
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続いて夜が明け、再び湘南色の電車に途中駅で駅弁を買って乗り込む平田の姿があります。
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どの辺りを走っているのか分かりませんが、朝食であろう駅弁をボックス席で食べる三人の様子も映っています。
そして岡山駅に 581系特急電車が到着し、
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4号車デッキから3人が降りて来ました。構内放送の様子からこの列車は岡山 11:30着の新大阪発 広島行 特急しおじ2号と思われます。最後の区間だけ特急を奮発したのでしょうか。
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映画公開の2年前に岡山まで開通した山陽新幹線ですが、全ての在来線特急が岡山接続となったわけではなく 広島行しおじ・西鹿児島行なは・宮崎行日向 等大阪始発の山陽本線特急が多く残っていました。

次に岡山駅正面口に三人が立ち、
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ちあきが「じゃどうも」と頭を下げると平田は「もういいの?」と聞きますが用済みの感じです。平田はまみに付いて実家へ行きますが、警察の手が廻っていたので倉敷へ行きました。
倉敷駅旧駅舎前で平田は「まぁゆっくり考えよう」と述べ、この先も平田とまみの放浪逃避行は続くのでした。
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 101. 女の園

1954年3月 松竹 製作 公開   監督 木下恵介

京都の正倫女子大に入学した姫路出身の出石芳江(高峰秀子)は学生寮に入るが、封建的な厳しい規則と寮母の五條真弓(高峰三枝子)らによる干渉を受けて学校側と対立 闘争に至る学園ドラマです。

芳江が厳格な父に隠れてつきあう同郷の大学生 下田参吉(田村高廣)は、苦学生で東京で学びながらバイトをして生活費を稼いでいます。
中盤 最初の鉄道シーンは内堀通りの半蔵門付近です。自転車で配達のバイトをしている下田を同級生が呼び止め、その横を都電が走る姿が映っています。10か11系統ですが、判然としません。
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続いて京都 四条通りを大丸百貨店をバックに走る京都市電1号系統の 600型 678の姿が映ります。1941年日車製の 678はまだWポールで走っています。
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車内では芳江が同室の行動的な滝岡富子(岸恵子)に下田への手紙を検閲されたことを話しています。京都のメインストリートを走る四条線は、その後 1971年1月に廃止されてしまいました。

共に正月休みで帰郷している二人が舞子で束の間のデートをする場面があります。待ち合わせの舞子駅でしょうか?ホームで待つ芳子の前をC50型蒸機?らしきが牽く下り貨物列車が轟音と共に通過して行きます。
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待ちわびる芳江の前に上り大阪方面行の国電が到着し、続いて舞子の海岸を歩く二人のシーンへ飛びます。上下列車共に逆光状態で撮影されていて、細部は判然としないのが残念です。

下田が上京する日 僅かな時間 姫路城で会った二人ですが、駅で見送るのが辛くなった芳江は天守閣からハンカチを振るので下田も汽車の一番後ろのデッキからハンカチを振ってほしいと告げました。
15:00 米原行き普通列車が C59102に牽かれて姫路を発車します。
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その最後部に立つ下田はハンカチを力強く振っています。姫路駅構内の先に見える姫路城天守閣から芳江も盛んにハンカチを振っています。
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冬休み中の行動を指摘された学生を処分したことから規則の緩和要求する学生側と突っぱねる学校側の学園闘争になり、更に芳江だけ不均衡に軽い処分に変更されたことから皆から妬まれ 神経衰弱状態になります。
そして寮から飛び出したので、補導監の平戸喜平(金子信雄)は芳江の実家のある姫路へ向かいます。姫路駅手前の市川に架かる鉄橋を渡る列車を遠景で捉えるシーンの後、平戸が下車の支度をする車内シーンがあります。
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芳江は思い切って、東京の下田の下宿先へ来たのでした。しかし思い直した芳江は、翌朝 置手紙を残して消えてしまいます。後を追った下田は中央本線緩行線 千駄ヶ谷駅ホームへ上がって捜しますが、既にいません。
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その頃芳江は東京駅から大学へ戻るべく、初期型EF58電機が牽く東海道本線下り列車のデッキにいました。機関車の次位にはマヌ34らしき暖房車が盛んに黒煙を吹き上げています。
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この列車は途中で急行列車とすれ違いますが、これには芳江の父(松本克平)が特別2等車に乗って下田の下宿先を目指しています。これを含めて車内シーンは京都市電以外の全てがセット撮影の様です。
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下田も後を追って京都を目指しますが、気をもんでも追い付く術がありません。芳江が普通列車でなく 9:30東京発の急行阿蘇に乗ったとすると、後続の急行や特急はと号でも追い付けないのです。




PS.  舞子駅は電化されていますが、西明石までの区間なのでこの頃 長距離列車や貨物列車は全区間蒸機牽引でした。姫路まで電化されるのが 1958年なので、姫路駅構内の空がまだスッキリとしていますね。
また舞子付近が列車線と緩行線に分離され複々線となるのは 1965年のことです。

下田が姫路から上京する時乗った列車を「3時の汽車」と言い、アフレコの放送もそう伝えています。時刻表を見るとこの列車は姫路着 15:00で 15:10発車の414ㇾ米原行で、東京直通ではありません。
この列車に乗ると大阪着が 17:14で、僅か4分前の 17:10に 134ㇾ東京行が発車してしまいます。大阪 17:30発の準急名古屋行 3406ㇾを使えば、彦根で 134ㇾに追いつけますが苦学生の下田がこの手を使うとは思えません。

下田が最後部のデッキからハンカチを振る場面が最初に映った列車は、C5971が牽き 三ノ宮のサボが掛っていました。この列車が 414ㇾの1本前 14:30姫路始発の 926ㇾ三ノ宮行だとすると都合が良いのですが・・・
926ㇾは 15:55三ノ宮に到着するので、京都方面行の近距離国電に乗り継ぐと 16:30頃には大阪に着けます。そうすると大阪 17:10発の 134ㇾ東京行に乗り継ぎ、翌朝 5:28には帰京でき とてもスムーズです。

安く関西から東京へ行く普通列車はこの時代でも意外に少なく、大阪からは3本のみ。更に姫路から東京直通となると、門司始発の 112ㇾ1本しかなく姫路発 20:50で終着東京へは翌日 13:54に到着となります。
しかし 112ㇾを使ったのでは本編の様な別れのシーンとならないので、この様な脚本となったのでしょう。趣味的には電化前の姫路駅構内の様子や C59の勇姿が割と長く有り、Aランクの作品であります。

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 100. 大いなる驀進

1960年11月 東映 製作 公開   カラー作品    監督 関川秀雄

お蔭様で 100回目を迎え記念に今回は(大いなる驀進)を取り上げます。この作品 冒頭から最後まで劇映画としては驚きの 99%鉄道シーンだけで作られているので、全ては語れません。
国鉄の列車給仕である矢島敏夫(中村嘉津雄)は安月給ゆえに次のさくら号乗務を最後に国鉄を辞めようとし、恋人の望月君枝(佐久間良子)がさくらに乗り込んで考え直させようとする青春映画です。

5ㇾ特急さくら号乗務員の仕事を東京での出発点呼から始まり、終着 長崎駅到着 推進運転による引き上げまで 20系ブルートレインの内外 各牽引機関車の勇姿を余すところなく捉えています。
撮影は国鉄全面協力の元 20系の予備編成を使って撮影用列車を走らせ車内シーンや緊急停止の場面などを撮影し、定期の特急さくら号での撮影と合わせて迫力ある映像は貴重な記録としても価値ある作品と思います。

東京駅丸の内駅舎をバックに矢島と君枝が話している場面から始まり、出発点呼 品川客車区での出発準備と続きます。この時食堂車では、日食チームが今と違って早くも開店準備をしているのですね。
そして東京駅 14番線へ入線。盛大な見送りを受ける政治家 新婚客 駆け落ち組 危篤の母の元へ急ぐ娘 スリの名人 裏世界の人等々多彩な人々が乗ります。16:35 EF5897が牽引し、発進直後 君枝が駆け寄り飛び乗りました。
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横浜を出た辺りでしょうか3号車の食堂車では日食の松本芳子(中原ひとみ)が営業開始の放送し、日車製食堂車には続々とお客が前後の車両から入って来ます。ビーフステーキ定食は350円でした。
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その間にも専務車掌の松崎義人(三國連太郎)は矢島と組んで、検札 電報打ち 車内放送 ドア扱いと次々仕事をこなしてゆく様子が映されています。その折矢島は君枝と会い、デッキで話すも平行線です。

18:59静岡着 機関車乗務員は交代し EF58154先頭で出発して行きます。21:18名古屋着 憲政党幹部の坂ノ上坂次郎(上田吉次郎)はホームで待ち構えていた名古屋支部の一団から見送りを受けます。
23:49大阪着 台風による暴風雨警報が発令されており、前途に暗雲が・・ ここから明日の午後2時までに長崎大へ血清を届ける役目の大阪大病院の森原数子(久保菜穂子)が鞄を持って3等車へ乗ります。

2:08岡山着 既に風雨はかなり強くなっています。
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自殺を図った2等寝台の客へここから医者が乗ります。5分停車の間 先頭がC62型蒸機に交換され、機関士と機関助手は風雨に厳しい顔で出発合図を待っています。
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2:13駅長(明石潮)が合図を出し、豪快な汽笛と共に大動輪が動き出しました。駅舎へ医者の鞄を取に走った矢島はギリギリのところでデッキに飛び乗ります。この様子を君枝は勿論、食堂車から芳子も見ています。

そしてこの映画のクライマックス 深夜の崖崩れが、三原駅より2km先で起こります。緊急停止して現場を確認すると、列車防護 保線区への連絡 障害物撤去と乗務員 保線員 食堂車社員も奮闘 更に君枝 数子まで手伝います。
38分遅れで運転再開した さくら号は広島を出て、寝台の解体が始まり食堂車の営業も開始されました。天気も回復し由字~大畠の瀬戸内沿いでしょうか、美しい朝の海岸線を走るSL特急の姿が有ります。

晴天の下関には7分回復して31分遅れで、C6235がさくらのヘッドマークも眩しく到着します。
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ここからEF10が門司まで牽き、その先 八幡製鉄所をバックにC59型蒸機が高速で走る場面もあります。
C59を先頭に博多(1963年移転前の旧博多駅)へ到着すると、100-10.jpg
矢島は危篤の母の元へ急ぐ娘の為 改札まで荷物を運んであげます。ここからは軸重の軽いC61型蒸機に替えて長崎を目指します。

長崎本線 喜々津~大草の大村湾沿いの海辺をC61蒸機を先頭に走る姿を編成後部から撮ったシーンは美しく、カラー作品である喜びを感じます。
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こうして遂に長崎到着となるのですが、列車が長崎駅ホームに掛った所から先頭を牽くC6132に並走して走らせた車両から減速してゆく姿を撮影しているのには国鉄全面協力とはいえ驚きです。
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多様な仕事をこなした列車給仕は2年後には乗客掛となり、更に車掌補と変わって寝台解体などの業務からは離れました。現在では走行中に組立 解体をしていません。
1959年7月5ㇾとして始まった 寝台特急さくら号(この時1ㇾは急行大雪)は、1961年10月の全国大改正で 1ㇾとなり九州行ブルートレインの1番手として 2005年まで東京と長崎を結んでいました。


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 79. 錆びたナイフ

1958年3月 日活 製作 公開     監督 舛田利雄

石原慎太郎の原作。昔 起こしてしまった事件の背後に潜む黒幕に挑む男を石原裕次郎主演で描く、サスペンスアクション映画です。

鉄道シーンとしては、島原(宍戸錠)が東京から宇高(架空駅)へ悪漢をユスリに向かう場面にあります。
まず昼間に東海道本線 根府川橋梁を渡るEF58電機 牽引の列車が映ります。
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夜間の車内シーンで島原は「宇高には何時に着くか」と車掌に聞きます。
「明朝 10:35 の到着です」と答え前方へ進む車掌に、電報を依頼する男もいます。島原の動きを伝える見張り役の男の様です。

続いてコンクリート造りの立派な宇高駅舎が映り
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ホームで待ち構える勝又組の一味は島原の顔写真の確認なんぞを駅名板の下でしてます。
架空駅のロケにしては駅構内を含め大掛かりな仕立てです。{HP.想い出の和田浩治}の管理人 まゆみ様の御協力によりますと、この駅は門司だそうです。

次にC59蒸機 牽引の列車が宇高駅へ入線してきます。山陽本線からの列車ですとEF10電機牽引なのですが。
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到着した列車の3等車から島原が降りてきますが、男達に危険だからと再び乗車させられました。
「下り徳山・カワベ方面は乗換」との構内放送は、山陽本線岩国辺りの駅に到着の急行から普通列車への乗り換えを示唆しているのでしょうか。
宇高が門司とすると、東京 13:30発で門司 9:35到着の急行雲仙を想定いたのでは?と思われます。
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男達は警察の者で、勝又組が狙っているので次の駅まで保護すると島原を騙し安心させます。続いて架線下をC59牽引列車が高速で走り抜けます。
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その後男達は勝又組の本性を表し、島原を走行中の列車のデッキからすれ違うC62蒸機牽引列車に突き落してしまいます。
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関門トンネル開通時の1942年7月に幡生~門司が電化されているので、宇高駅(門司駅)構内はともかく架線下をC59が走行するシーンは何処?
幡生~下関での撮影でしょうか。続いてのデッキからすれ違う蒸機列車を映す場面は、C62牽引なので幡生以東の山陽本線と思われます。
山陽本線は映画公開の翌月 1958年4月にようやく西明石~姫路が電化。鹿児島本線の初電化も 1961年ですから、関門地区の電化区間はこの頃希少でした。

それから寺田(小林旭)が由利(白木マリ)を乗せてバイクを走らせるシーンでは、西鉄北九州本線と北方線が直角に接する魚町電停が映ります。
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バイクは北方線旦過橋方面から行き止まり終点の魚町電停を通り、右折して北九州本線沿いに小倉駅方向へと走り抜けます。
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北方線の車両は 321形でしょうか。北九州本線側は 500形の様です。この両線は軌間が違う為、接しながらも繋がっていないのです。

後半 橘(石原裕次郎)が なかなか証拠を掴ませなかった悪党の親玉 勝又(杉浦直樹)を捕まえ、留置された宇高警察署前の場面で
西鉄 1000形連接車である 1007 と 600形がすれ違うシーンがあります。
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 46. 愛と死のかたみ

 1962年11月  日活 配給 公開      監督 斎藤武市

 福井の損保会社で働くクリスチャンの田辺阿佐子(浅丘ルリ子)と獄中の死刑囚 野崎潔(長門裕之)の悲恋映画であります。

 鉄道シーンの始まりは阿佐子の母 田辺千世(高田由美)が東京から福井の阿佐子を訪ねて来るシーンにあります。9:06 福井駅2番ホームで阿佐子が待ってると、ED 70 8 牽引の普通列車が到着します。46-1.jpg

 泊行きと放送しているので米原発 223ㇾ泊行と思いきや、サボは直江津行となっているので千世が乗って来たのは福井 9:47 着 敦賀発 225ㇾ直江津行と思われます。46-2.jpg


 ED 70 8 は北陸本線 田村~敦賀の交流電化に合わせて 1957年8月製造された国鉄初の幹線用交流電気機関車で、全機敦賀第二機関区所属し 1975年迄北陸本線で活躍しました。
 この映画が撮影された直前 1962年6月北陸トンネルが開通、敦賀~福井が電化され(今庄~福井は3ヶ月早く電化)北陸本線の近代化が福井迄やって来たばかりの時期でした。

 阿佐子は獄中の野崎と二年間に渡る文通でお互いを励まし合い、五日間の休暇を取り九州の博多刑務所にいる野崎に面会しに行くことを決めます。
 海岸線近くを走り抜ける C 59 蒸機らしきが牽引する列車が映ります。46-3.jpg
山陽本線を走る急行列車でしょうか。福井~博多は長距離ですが当時 山陽本線の横川~小郡位しか未電化区間は残っていません。
 
 そして阿佐子は博多駅頭に立ちます。バックには 1909年(明治42年)建築の重厚な博多駅舎が映っています。この映画公開の一年後の 1963年12月には駅そのものが現在地へ移転し今に至っています。46-4.jpg

 その後明治生まれの旧博多駅舎は惜しまれつつも解体されました。この僅かなシーンが貴重な映像として残されたのです。
 この旧博多駅構内の様子が映った映画としては、1958年松竹から公開された「張込み 野村芳太郎 監督」や 1960年東映から公開の「大いなる驀進 関川秀雄 監督」などがあります。

 無事 野崎に面会することができた阿佐子の帰路、トンネルから飛び出して来る C 62 31 が牽引する列車が映っています。この機関車は当時 下関機関区に所属、山陽本線 広島~下関で最後の本線走行を行っていました。46-5.jpg

 

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 41. 夜霧のブルース

 1963年6月 日活 配給 公開    カラー作品    監督 野村孝

 非情なヤクザ社会に身を置く西脇順三(石原裕次郎)を巡る任侠系青春映画です。

 鉄道場面としては、西脇が神戸一の貝塚組幹部として羽振りをきかせていた頃の回想シーンに4箇所程あります。
 港近くで西脇が子分二人を連れて踏切に差し掛かると、汽笛が鳴り 8620形牽引と思われる貨物列車がゆっくりと鐘を鳴らしながら通過して行きます。

 遮断棒は申し訳程度の長さしかなく道路の中央部分は大きく開いていますので、人通りの少ない臨港地区によくある引き込み線の様です。
 煙突の前に鐘が有り、低速で走っていることから 神戸臨港線の貨物列車ではないかと思われます。劇中では汽笛が鳴っていますが、日活映画特有の音なので実際には鳴らしてはいなくアフレコと思われます。

 これは沿線にホテル等が多く なるべく汽笛を使わず、劇中の様に低速で鐘を鳴らしながら運行していたそうです。神戸臨港線は山陽本線東灘操車場から分岐し、湊川迄の間に多くの枝線が有りました。
 この映画撮影の翌年2月末をもって 8620形等蒸気機関車はDL化されていますので、僅かなシーンではありますが貴重なシーンと言えましょう。その後途中迄電化されましたが、2003年11月末をもって廃線となりました。

 次に三宮駅前の片隅で西脇ら三人をやり過ごすチンピラ二人のバックには阪神三宮駅と国鉄三ノ宮駅の間を走る神戸市電が映っています。
阪神三宮地下駅の入るそごうデパートビルは 1981年春迄この重厚な外観でした。41-1.jpg

 本編では現在のフラワーロードにあたる道路に神戸市電が走っていて、撮影位置はT字型交差点の突き当り部分ですが現在の様に通り抜けできる十字型交差点に改造工事中の様子が映っています。

 続いては西脇の恋人となる榊田みち子(浅丘ルリ子)が神戸駅から帰郷する場面があります。大阪発 佐世保行の急行平戸号の通路側席に座ります。茶色塗装のスハフ42らしき9号車です。41-4.jpg

 放送で 22:19 神戸発車 岡山 0:45 ・・・下関 7:55 ・・・終着 佐世保 12:32 到着と続きます。こんな時刻でもホームには駅弁の立売がいて、車内から買いに降りてくる人もいます。横には赤帽さんも二人います。41-3.jpg


 西脇がみち子との新しい生活の為 組を抜け駆け落ちを計った時、初代後期型セドリックのタクシーで神戸駅へ向かうシーンがあります。踏切警手のいる第一種手動踏切を渡り、須磨の辺りか 72系らしきと並走するシーンがあります。
 そして高速も無くスッキリとした港方面からの道を上り、神戸駅ロータリーに乗り付け改札へ急ぐ二人でありました。
 

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 24. 素足の娘

 1957年9月  日活 製作、配給  監督:阿部豊

 尾道の造船所社員食堂で働く桃代(南田洋子)を中心とした青春映画で、鉄道シーンは最初と最後に有ります。

 長らく父(大坂志郎)と別れて育った桃代が父の働く会社の食堂で働くことになり、尾道駅に降り立つ場面が最初の鉄道シーンです。
 先ず千光寺公園辺りからの撮影でしょう。大きく左カーブを曲がりながら尾道駅に向かう列車が遠景で映ります。ここからのシーンは小津監督の東京物語でもあります。
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 続いて C59 177 牽引の列車が到着し、
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桃代が降りてきます。1957年の撮影ですから山陽本線といえどまだまだ蒸機天国で、この時点では未だ西明石までしか電化されていません。
 乗り降りする人々で混雑する中 桃代はホームにいる駅弁売りに造船所への行き方を聞きます。
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 会社の中で最初は嫌った安治(長門裕之)こそが信頼のできる好きな相手だと気付いた桃代ですが、訳あって東京へ働きに出ることにします。
 ラストシーンでは尾道駅ホームで急行列車に乗った桃代を父や安治が見送ります。 12号車に乗っていますので15:13 発の さつま号か、16:23 発の 筑紫号と思われます。
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 糸崎区所属の C59が力強く発進して行き、最後はまたあのカーブを曲がり尾道から去り行くのでした。



  PS   ラストの上京場面 桃代の乗った急行列車は3番線に停車しています。でも跨線橋の案内板には跨線橋を渡った先に出口と岡山・大阪方面の乗り場のある1,2番線があると書いてあります。
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      とすると3,4番線は下り広島・下関方面でしょう? 現在は1番線が下りホームで2番線が上りホームですが、昔は逆でした。

      また発車までは急行列車に乗っていましたが、C59発進のカットの後は急行のプレートがありません。車両もオハ35でスハ43やナハ10ではありません。他の席の乗客も変わっています。次の列車で撮り直しでしょうか。
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 18. ぶらりぶらぶら物語

 1962年11月 東京映画制作 東宝配給  カラー作品    監督 松山善三

 全国を放浪する猪戸純平(小林桂樹)が九州で桑田駒子(高峰秀子)と知り合い騙され、更にとある女から二人の子供を押し付けられ東京を目指すコメディ映画です。

 冒頭C11蒸機が牽引する列車が映ります。18-1.jpg
下関駅で二人の子供を押し付けられた純平はホームで女を捜します。見晴らしが良く関門海峡が見える中、東京行のC62牽引列車が入線して来ます。ホームから関門海峡の海が見えます。18-2.jpg
汽笛一声 ゆっくり加速する列車のデッキからこちらを見る女。
 それを見つけた純平は追いかけますが、間に合わず汽車は行ってしまいます。

 大阪を目指して最低区間の切符で岡山から山陽本線の急行電車に乗ると、早速検札が来て見付かります。映像では 153系 準急 鷲羽です。
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 この頃この区間に急行電車は無く客車急行ばかりです。優等電車は特急電車が 富士 と うずしお であり準急電車が鷲羽と びんご でした。

 和歌山から東京を目指し、貨物列車に乗り込んだ場面では東海道本線という設定だが、D52蒸気機関車が牽引して無蓋車トム50000に乗っています。
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 架線柱が既に見えますが、この当時電化工事が未完成だった山陽本線の広島~小郡(現 新山口)の内 岩国~徳山の辺りで撮影されたのではないかと思われます。無蓋車の上で風に吹かれる三人は気持良さそうです。18-5.jpg

 なお 1964年7月の全線電化後もしばらくは電気機関車不足もあって、本編の様にD52 SL は架線の下で活躍していたそうです。
 東京に着いた猪戸が都電に乗る場面では、対向する都電6000形とすれ違うシーンもあります。18-6.jpg

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 3、その夜は忘れない

 1962年9月 大映 製作 公開    監督 吉松公三郎                           
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 鉄道シーンは冒頭 一等寝台車に乗る加宮がC59牽引の列車で広島に降り立つ。3-1.jpg
 終盤 帰京せねばならない加宮は秋子と広島駅で待ち合わせるが、特急あさかぜ の案内が始まっても現れずヤキモキさせられる。

 ようやく来た秋子とホームで話す中、C62牽引の特別急行あさかぜがヘッドマークを掲げて到着する。3-3.jpg
加宮と秋子は束の間別れの言葉を交わします。バックは あさかぜ号の20系車両です。3-6.jpg
 そして機関車をEF58に交換したのかホイッスルが鳴り響き、 満員の食堂車 一等座席車 一等寝台車と続く中 加宮は開いたデッキから別れを惜しみ手を振る。

 この当時 山陽本線の電化は広島まで。 冒頭でC59牽引の列車で広島に到着したのは、糸崎停車の急行列車なので糸崎~下関をC59で通し運転だった為と思われる。

 モノクロ作品である点残念だが、活気ある広島駅など新幹線開通前の在来線全盛期の姿を今に伝える一作である。

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 1、ある日わたしは


  1959年9月 東宝 製作 公開  カラー作品     監督 岡本喜八                                       
 記念すべき最初に取り上げる作品として一番好きな、この(ある日わたしは)にします。
 この作品は昭和34年東宝製作で主演が宝田明と上原美佐。 
 主な鉄道シーンは共に岡山県出身の二人が学ぶ東京で知り合い、二度目の上京時20系寝台特急が映ります。
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その後男の実家がある新見へ連れて行く道中 女の実家がある倉敷駅を通るので、停車中家族と会うという場面です。

 先にC59牽引の列車が映り、
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電化前の長閑な倉敷駅に到着する時はD51(?)牽引に変わっている。
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 これは東京から急行で岡山まで来て、岡山始発の伯備線列車で新見へ向かう為変わったものと思われる。
二人が乗る客車のサボは米子行となっています。

 その後東宝の看板女優となる星由里子が妹役でホームから窓越しに話すうち発車の時刻となる。汽笛一声! その時具合が悪く来れないという母親がホームの端に現れる。
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 ゆっくり加速する列車に走り寄る母親。 やっと追いつき手短に話すも走り行く列車・・・

 映画における鉄道シーンとしては代表的な別れの場面ですが、対向の上り列車も遠く映り 未電化時代の山陽本線倉敷駅の様子をカラー映像で残す鉄道シーンの一級品です。
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 この映画は石坂洋次郎原作の爽やかな恋愛映画で全編見た印象もとても素晴らしいので、真っ先に取り上げてみました。

 

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