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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

375. 集金旅行

1957年 10月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 中村登

大家が急死し アパートが転売されるのを防ぐ為に 残した借用書と 未納の部屋代を回収する必要があり、借家人を代表して 旗良平(佐田啓二)が向かった 集金旅の道中を描いた コメディ映画です。

冒頭 旗は住んでいる望岳荘の大家 山本仙造(中村是好)と 競輪へ行った帰り、京王帝都電鉄 井の頭線 代田二丁目駅(現:新代田駅)付近らしきを走る 電車の横を通って帰宅します。
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ところが 山本は置手紙で 妻の浜子(小林トシ子)が、三号室の阿万克三(北原隆)と 駆け落ちした事を知り ショックで 急死してしまいました。
その後 借家人一同の会議で 目下失業同然の旗が 債券取り立ての代表となり、東京駅ホームに停車している 急行列車のデッキで 皆の見送りを受けています。
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祝集金旅行 などと書かれたのぼり旗を 持つ者までいて、旗はさつま号らしき 鹿児島行の急行列車のデッキで 五番さん(桂小金治)の音頭による 万歳三唱と共に盛大に送り出されました。
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ところが 客席へ向かうと、山本の遺児 勇太(五月女殊久)を連れた 同じ借家人の 小松千代(岡田茉莉子)も 既に乗っています。
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旗にとって苦手な女ですが、勇太に説得されて渋々同席しました。千代は 昔の男から慰謝料の取り立てと、勇太を母親の元へ連れて行くので 乗ったと言ってます。
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やがて夜が明けると京都駅を通り
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非電化区間の山陽本線を快走して、
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C59形蒸機に牽かれた急行列車は 岩国駅へ到着しました。
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荷物を持って ホームを歩く旗は、後方に 勇太を連れた 千代がいるので驚きます。 何でもこの地に、慰謝料の請求相手がいるそうです。
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旗は幸先よく 松平公夫(大泉滉)から 三万円の取り立てに成功し、千代もこの土地で 教育者として知られる 松尾六造(伊藤雄之助)から 十万円をふんだくって 山口へ向かいます。
強い日差しで暑い車内の 山陽本線を進み、
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小郡手前の 椹野川橋梁でしょうか 大きな川を渡ります。
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そして山口線に乗り換えしたらしく、山口駅へと到着しました。
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しかし旗が訪ねた債務者は、北海道へ転勤していて 取り立て不能でした。千代は 市会議員となっている 藤沢庫吉(市村俊幸)宅で、勇太があの時の子だと迫りますが バレそうになり 慌ててバスで萩へ向かいます。

萩では 旗が取り立てに行った当人の、葬儀が行われていて 又しても失敗です。
千代は 藤沢から見合いの相手だと連絡を受けた 産婦人科医の生田完一(トニー谷)が待ち受け、託された 慰謝料十万円を受け取りますが 見合いの方は乗り気になれません。

翌日千代は 生田に予定を聞かれたので、でまかせに「松江に行く」と言います。千代は萩見物の途中で 生田をまいて 萩駅で旗と合流しますが、生田も現れたので 仕方なく松江へ向かう汽車に乗りました。
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道中で生田は千代に 車窓の景色案内をしますが、千代はさっぱり 聞いてない様子です。
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そして松江の旅館から 再度脱走した三人は、雨が降りだした中 阿万の実家のある 瀬戸田へ渡るべく 尾道へ向かいました。
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C59形らしき蒸機に牽かれた列車が 雨の尾道水道をバックに走る中 尾道に到着しますが、
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荒天の為 船は欠航で 旅館で二晩足止めされます。
その後 生口島への連絡線で 瀬戸田へ着いて 阿万の実家へ行き、旗は借用書を渡して 兄の阿万築水(西村晃)から 二万円を受け取り 回収の仕事を終わらせました。

そして説得の末に 勇太を浜子の元に引き取らせ、別れ際に 二人は有り金の大部分を 餞別に渡したのでした。
千代は昔の男 津村順十郎(アチャコ)の居る 徳島へ旗を誘い、C58形蒸機らしきに牽かれて 大河を渡り徳島へと向かい 一騒動が起こります。
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PS.
  1枚目の画像は京王帝都電鉄 井の頭線を走る、1400形か1700形でしょうか。

  本作のロケは 公開1ヵ月半前の 9月11日夜 22:15東京発 25レ急行出雲に ロケ隊50人が乗り込み 松江へ向かいスタートします。
  2枚目画像からの見送り場面は その時30分早い 21:45発43レ急行さつま号出発時に撮影し、佐田は次の品川で降りて 後続の出雲号に 合流したのでは?と思われます。

  ところが米子で 先乗り人から「松江駅に黒山の様に 見物人が待ち構えているので、一つ手前の 安来から車で」と 連絡があったので 佐田と岡田は 17:08着の安来から 松江の皆美旅館へ 直行したそうです。

8枚目の画像は京都駅へ到着する手前の様子らしいのですが、急行さつま号は7:36着で12分間も停車します。

  作中での旅程を妄想すると ① 東京 22:15 ―(43レ急行さつま)― ② 16:32 岩国  ③ 岩国9:30 ―(405レ準急長崎行)― 11:40 小郡 11:53 ―(608レ)― 12:17 山口 14:30 ―(防長バス)― 16:40 萩
  ④ 萩12:14 ―(818レ京都行)― 18:44 松江  ⑤ 松江 9:15 ―(716レ大阪行)― 9:53 米子 10:11 ―(916レ岡山行)― 14:16 倉敷 15:29 ―(235レ小郡行)― 17:00 尾道 
  ⑦ 尾道港 7:30 ―(生口汽船)― 10:30 瀬戸田 15:25 ―(瀬戸内海汽船)― 17:00 今治港  今治 17:21 ―(30レ高松桟橋行)― 21:17 高松  ⑧ 高松 9:22 ―(215レ牟岐行)― 11:21 徳島

ロケは作中と違って、松江 → 萩 → 山口 → 岩国 → 尾道 → 瀬戸田 → 徳島 と逆順で行われた様です。 また山口では原作と同名の医師 箕屋完次氏が実在したので、急きょ生田完次と変更したそうです。

   参照:月刊明星1957年12月号

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300. 張込み

1958年1月 松竹 製作 公開   監督 野村芳太郎

質屋強盗殺人事件の共犯者 石井(田村高廣)が拳銃を持って逃走し、昔の恋人の元に現れると ふんだ二人の刑事が張り込んで 逮捕に迫る過程を柚木隆雄(大木実)刑事の目線で描いたサスペンス映画です。

本作の冒頭から7分半を掛けて 横浜から佐賀まで鉄道で至る道程を 描いた導入部分は、「映画の中の鉄道シーン」の筆頭格に値する名画として 昔から語り継がれている有名作です。
横浜駅6番ホームに「停車中の列車は 23:06 発の鹿児島行 急行列車さつま号です」と放送が流れる中、
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3番線に京浜線の桜木町行が到着して
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二人の刑事が6番線への乗り換え通路へ向かいます。
乗り換える列車を牽引する電機の 発車ホイッスルが聞こえる中 階段を駆け下りて
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地下通路から隣のホームへと 駆け上がり、既に動いている列車の 13号車デッキに下岡雄次(宮口精二)刑事と柚木は飛び乗りました。
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横浜崎陽軒のシウマイ娘にも見送られて 列車は横浜駅を去り行きますが、
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混み合った車内で 空席を探す二人は徒労に終わり 仕方なく通路に座るのでした。
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蒸し暑い中 夜行列車は静岡・浜松・名古屋と過ぎ行き、夜が明ける頃 漸く京都で降りる人の一席分だけ空きました。
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EF58に牽かれて淀川らしきを渡り、C59形蒸機に替わって山陽本線を走ります。
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ここらで漸く東京駅から乗った、石井の本籍地である小郡へ向かう組の刑事の所へ合流します。
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C5933 蒸機に牽かれて広島へ着くと、
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柚木がホームで4人分の駅弁を買って 更に酒売りを呼びます。
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その後 戸田~豊海の中間付近でしょうか、海沿いの景勝地を C6214 が颯爽と急行を牽き 走り抜けて行きます。
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そして C59187 に牽かれて小郡へ着き、
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石井の本籍地担当の二人と分かれます。
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暗くなる頃 EF10形関門用の電機が牽いて関門トンネルを抜け、
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九州へ入ると C595 蒸機が
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博多夜船の流れる博多駅を出発して行きます。
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そして佐賀駅舎から二人が降りてきて、冒頭の鉄道シーンが終わります。
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翌日佐賀署に挨拶し 石井の元恋人 横川さだ子(高峰秀子)が住む家の向かいの宿で、張込みを開始したところでタイトルとなります。ここから6日間は何事も無く、猛暑の中 張込みが続きます。
その合間・合間に質屋強盗殺人事件の 捜査過程が映り、東京晴海通りを 三原橋方面へ行くパトカーが 都電9系統車輛とすれ違います。
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また柚木と恋人 高倉弓子(高千穂ひづる)との、難航する交際経緯も流れます。

終盤の7日目 張込みの成果が出ない中 下岡が本庁の指示を仰ぎに 佐賀警察署へ出掛けた留守に、さだ子がいつもより早く 買い物袋を持たずに 出掛けるのを柚木は 不審に感じて尾行します。
ところが丁度その日は 祭りの日で、人混みの中 さだ子を見失ってしまいます。佐賀駅舎内を見回しても見つからず、
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発車案内時刻表から 汽車ではなく バスで移動したと推察します。
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バス会社で尋ねると、似た二人連れが(東多久?行に)乗った様です。柚木はタクシーでバスを追い駆け、D60形蒸機が5連客車を牽く 久大本線らしきに沿って進みます。
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工事現場で足止めに会った後、C11形蒸機さしきがバックで牽く混合列車を 追い越す勢いですが
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追い付けませんでした。二人が5つ手前で降りたことを聞き出し、佐賀警察へ役場の電話を借りて連絡します。

柚木は二人の目的地らしい 宝泉寺温泉へ向かい 土手を登ると、戦時型の C11 が客車2輌と緩急車を バックで牽く宮原線らしき列車に遭遇します。
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宝泉寺温泉で 佐賀警察署の応援も得て 石井を逮捕し、さだ子にも つかの間の夢から覚めて 元の生活に戻る様諭して 無事 事件は解決しました。

ラストは夜行列車で 東京まで犯人を護送するべく、急行西海号に乗って佐賀駅を後にする 本作第二の重要な場面です。
夜遅い佐賀駅舎内 殆どの人は東京直通急行 西海号を待っている様です。300-37.jpg
柚木は東京までの3人分の急行券と3等乗車券を買った後、
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台東区役所総務課の弓子に宛てて「カエリシダイケツコンスル」と電報を打ちます。
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「お待たせしました 22:40発 東京行 急行西海号の改札を開始致します」と放送されると、待合の人々は一斉に改札口へ向かい
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やや遅れて3人と佐賀警察の佐々木刑事もホームまで同行します。
4人が改札口から入ると、
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「この列車の停車駅は、鳥栖・博多・遠賀川・折尾・~・新橋・東京です」と全ての停車駅を告げます。米原辺りに掛った頃 C57形蒸機を先頭にした急行西海号が入線して来ました。
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そして「さぁがぁ~・さぁがぁ~」と独特の節回しで駅名が放送される中 停止すると、エンドクレジットが延々と映り 終わると汽笛が長々と鳴り響き
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西海号が出発して行きながら エンドマークとなります。






PS.
 皆様の応援のお蔭で、遂に300回記念号を迎えることが出来ました。 それに相応しい名作として、お待たせしておりました( 張込み )を取り上げました。

 昔から当時 急行さつま号の横浜発は 22:19なのに、何故 23:06発としたのか?・東京駅で知り合いの新聞記者に見つかったのなら、何故 品川駅から乗らなかったのか?等々の議論があったそうです。

 小生の推理では 早い時間帯での横浜駅構内と さつま号が混んでいてロケの許可が下りなかった? さつま号より遅い 23:06発の201レ湊町行の急行大和号を さつま号に見立ててロケが行われたのでは?

 でも実際に二人が飛び乗ったのは、23:34発の203レ鳥羽行の急行伊勢号の様です。飛び乗った13号車の前の12号車がスロハ32なのと、大和号に無い14号車スハフ42が連結されている点で伊勢号と思われます。

 当時九州直通急行は常に混んでおり 三等車の場合 大和号や伊勢号の方が2割程 乗車率が低かった点も、飛び乗りロケをする時に考慮したのでしょう。昔映画に数ある飛び乗りシーンの中で、再難度の飛び乗りをスタント・特撮無しで映像に記録されています。

 さて 混み合う さつま号の車内場面ですが【(松本清張研究2号 1997年砂書房)の〔座談会〕映画『張込み』(野村芳太郎監督)撮影現場からの証言】に依ると、国鉄と交渉して東京 20:30発の41レ博多行急行筑紫号の最後部に貸切三等車を1輌増結して スタッフの輸送を兼ねて博多までの道中 ロケを行いながら移動したので 真夏の暑さを感じる 本物の迫力ある映像を撮ることが出来たのでしょう。
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 ですから裏方や助手なども エキストラ役を兼務して、映らない部分に小道具や各種用品も積み込んでの移動だった様です。勿論 映らない高峰秀子さんなどは、3号車の特ロに乗って行った様です。終点博多には翌日19:45に到着し、貸切バスに乗換えて佐賀へ向かったそうです。

 すると柚木と下岡が乗る急行さつま号が博多駅を出発して行くシーンですが、バスに乗るさだ子を尾行するロケの後 博多へ移動し 19:45に終着した急行筑紫号に乗り込み客車区へ回送する車輌のサボを鹿児島行に替えてロケを行ったそうです。
 ロケ終了後 0:52発 411レ長崎行に乗って、02:25の真夜中に佐賀へ帰ったそうです。作中に鹿児島行の急行さつま号から鳥栖で乗換える場面がありませんが、使うとするとこの 411レに乗換えるしかありません。

地元紙である佐賀新聞が「今日の撮影予定」の記事を連日載せるなど 撮影の様子を連日細かく書くので、街頭ロケには一万人程の見物人が集まって 柚木がさだ子を追って佐賀駅で捜す場面等は 佐賀警察の総力を挙げての警備でも苦戦したそうです。

 宝泉寺温泉駅もある宮原線は久大本線恵良~肥後小国までの 26.6㎞で、豊後森区のC11形蒸機に牽かれて 当時は豊後森から全6本の列車が発着していましたが 1984年12月に廃線となりました。

 ラストの佐賀駅夜間撮影は野村監督が拘った場面であり、佐賀商工会議所全面協力の元 九州電力から200キロのトランスを借りて強力なライトを使ってクレーン撮影も行った様です。
 門デフ仕様の C57175機関車がライトに照らされて停車しますが、発車シーンでは標準デフの C57159機関車です。これは機関士が眩しさか・緊張からか停止位置より手前に停まってしまい、発車シーンがNGとなり 翌日撮り直しとなったからの様です。
 
 参考文献 【(清張映画にかけた男たち 張込みから砂の器へ)西村雄一郎著 2014年:新潮社刊】・【娯楽よみうり 1957年11月号】



続PS
 山陽本線の戸田~豊海らしき景勝区間で C6214機関車の走行場面は、ベテラン井上晴二カメラマンによって静止画でも鮮やかな流し撮りの様です。
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 東京行 34レ急行西海号は 柚木がさだ子を追って佐賀駅へ行った場面で、上り時刻表に 19:51発と映っているのに何故 22:50発としたのでしょうか不明です。

 地元 佐賀警察署の佐々木(多々良純)が「今度のは長崎発だから大丈夫ですよ」と座れる可能性が大だと言ってますが、西海号が佐世保発着なのは地元では常識なので先行上映を観た地元の方は・・・

 以上疑問点もありますが、何度見直しても素晴らしく 映画史に残る名作であることは間違いありません。大木実氏が観たという沿線の琵琶湖や姫路城のシーンがある、タイトルまで20分近くあるバージョン(試写会版?)を是非観たいものです。 

次回から 1970~1990年代の作品特集をして、その後は通常運転に戻す予定です。

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284.夜来香(イェライシャン)

1951年1月 新東宝 公開  新東宝・昭映プロ提携作品   監督 市川崑

華北の戦地で軍医 関三郎(上原謙)と娼婦 矢吹秋子(久慈あさみ)が恋仲となるが生き別れ、5年後に神戸で再会するも悲劇に向かう恋愛映画です。

闇屋の亀山達吉(河村黎吉)に秋子の消息を聞きに来た関は、地図を描いてもらい事務所を出ます。そして外階段を下りると前方の高架線上を、国電40系らしき5連が走っています。先頭は半車 進駐軍専用の白帯車ですね。
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高架下にある事務所から外出した亀山を小田切利夫(川喜多小六)が尾行する場面があります。 国鉄の高架線沿いの大通りを渡る亀山を小田切は少し距離をおいて尾行していき、その先には戦地での負傷から弱視となった関がいました。
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軍隊で部下だった小田切が闇商売で警察に捕まったので関が保釈金十万円を亀山に借りに行くと、偽薬製造への協力を条件に出してくれました。ところが亀山は保釈金を自分が出したと騙し、小田切に兵庫駅での抜け荷の手伝いを命じるのでした。
亀山の悪事を聞いた関は小田切を救おうと秋子に「夜明けには戻る」と告げて出掛けますが、秋子の相棒 ぎん(利根はる恵)には「あんた 帰って来ないつもりなんでしょ」と見透かされています。

明け方4時を構内時計が指しています。
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4:38に到着する貨物列車から荷を盗む段取りを、亀山が小田切に説明している所へ弱視の関がやって来ます。
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悪事を止める様 関は二人を説得しますが聞かない様子の一同背後を、D50形らしき蒸機牽引貨物列車が轟音と共に通過して行きます。
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関を振り切って二人は停車している有蓋貨車の所へ行くと、
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振り切られた関が「君の保釈金は僕が出したんだ」と大声で伝え、騙されたと気付いた小田切は亀山に掴み掛かります。
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更にレールにつまづいて倒れながらも叫び続ける関です。
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その時 転んでいる関の後方から、D50形蒸機が接近して来ることに関は気付いていません。
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小田切と亀山の掴み相が続いていると、
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突然 非常汽笛と関の叫び声を聞いてしまうことになります。

現場検証が行われている線路の端には、関の手帖と挟まれていた夜来香の押し花が悲し気に落ちているのでした・・・
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PS.

 最初 亀山商事は元町辺りらしき東海道本線の高架下に事務所がある設定の様でした(事務所内はセット)
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 しかし秋子の消息を聞きに来た事務所は、線路から離れたビルの2階の様です(室内は同じセットを使用?!)

 戦時中までに京都から西明石まで電化されていましたが、亀山商事が高架下にある長距離列車が走る列車線を蒸機牽引列車が走る姿が映っている場面もあります。

 兵庫駅の貨物取扱は当時 鷹取機関区のD50形蒸機が担当していた様です。 また蛇足ですが息が白い季節に早朝 4:38着の貨物列車から、抜け荷を行う設定の脚本には無理があると思えます。(6時半頃が妥当でしょう)



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166.バージンブルース

1974年11月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 藤田敏八

東京の予備校に通う岡山出身の畑まみ(秋吉久美子)と小林ちあき(清水理絵)が集団万引に加担して発覚し、借金取りに追われる中年男 平田洋一郎(長門裕之)と逃避行の放浪旅へ向かうロードムービーです。

万引現場からは逃れた二人は、寮へは帰れず郷里 岡山を目指します。平田に旅費を出してもらい、新幹線は使わず鈍行で岡山に向かう様です。
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日中 東海道本線の電車を鈍行乗り継ぎで進む、三人の様子が続きます。
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更に夜は旧客列車内のボックス席で寝ながら西へ進む場面が有りますが、この部分はセット撮影の様です。というのも当時は東海道本線上に旧客各停列車はもう存在していなく、急行銀河2号指定席部分位しか該当しません。
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続いて夜が明け、再び湘南色の電車に途中駅で駅弁を買って乗り込む平田の姿があります。
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どの辺りを走っているのか分かりませんが、朝食であろう駅弁をボックス席で食べる三人の様子も映っています。
そして岡山駅に 581系特急電車が到着し、
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4号車デッキから3人が降りて来ました。構内放送の様子からこの列車は岡山 11:30着の新大阪発 広島行 特急しおじ2号と思われます。最後の区間だけ特急を奮発したのでしょうか。
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映画公開の2年前に岡山まで開通した山陽新幹線ですが、全ての在来線特急が岡山接続となったわけではなく 広島行しおじ・西鹿児島行なは・宮崎行日向 等大阪始発の山陽本線特急が多く残っていました。

次に岡山駅正面口に三人が立ち、
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ちあきが「じゃどうも」と頭を下げると平田は「もういいの?」と聞きますが用済みの感じです。平田はまみに付いて実家へ行きますが、警察の手が廻っていたので倉敷へ行きました。
倉敷駅旧駅舎前で平田は「まぁゆっくり考えよう」と述べ、この先も平田とまみの放浪逃避行は続くのでした。
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 101. 女の園

1954年3月 松竹 製作 公開   監督 木下恵介

京都の正倫女子大に入学した姫路出身の出石芳江(高峰秀子)は学生寮に入るが、封建的な厳しい規則と寮母の五條真弓(高峰三枝子)らによる干渉を受けて学校側と対立 闘争に至る学園ドラマです。

芳江が厳格な父に隠れてつきあう同郷の大学生 下田参吉(田村高廣)は、苦学生で東京で学びながらバイトをして生活費を稼いでいます。
中盤 最初の鉄道シーンは内堀通りの半蔵門付近です。自転車で配達のバイトをしている下田を同級生が呼び止め、その横を都電が走る姿が映っています。10か11系統ですが、判然としません。
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続いて京都 四条通りを大丸百貨店をバックに走る京都市電1号系統の 600型 678の姿が映ります。1941年日車製の 678はまだWポールで走っています。
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車内では芳江が同室の行動的な滝岡富子(岸恵子)に下田への手紙を検閲されたことを話しています。京都のメインストリートを走る四条線は、その後 1971年1月に廃止されてしまいました。

共に正月休みで帰郷している二人が舞子で束の間のデートをする場面があります。待ち合わせの舞子駅でしょうか?ホームで待つ芳子の前をC50型蒸機?らしきが牽く下り貨物列車が轟音と共に通過して行きます。
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待ちわびる芳江の前に上り大阪方面行の国電が到着し、続いて舞子の海岸を歩く二人のシーンへ飛びます。上下列車共に逆光状態で撮影されていて、細部は判然としないのが残念です。

下田が上京する日 僅かな時間 姫路城で会った二人ですが、駅で見送るのが辛くなった芳江は天守閣からハンカチを振るので下田も汽車の一番後ろのデッキからハンカチを振ってほしいと告げました。
15:00 米原行き普通列車が C59102に牽かれて姫路を発車します。
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その最後部に立つ下田はハンカチを力強く振っています。姫路駅構内の先に見える姫路城天守閣から芳江も盛んにハンカチを振っています。
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冬休み中の行動を指摘された学生を処分したことから規則の緩和要求する学生側と突っぱねる学校側の学園闘争になり、更に芳江だけ不均衡に軽い処分に変更されたことから皆から妬まれ 神経衰弱状態になります。
そして寮から飛び出したので、補導監の平戸喜平(金子信雄)は芳江の実家のある姫路へ向かいます。姫路駅手前の市川に架かる鉄橋を渡る列車を遠景で捉えるシーンの後、平戸が下車の支度をする車内シーンがあります。
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芳江は思い切って、東京の下田の下宿先へ来たのでした。しかし思い直した芳江は、翌朝 置手紙を残して消えてしまいます。後を追った下田は中央本線緩行線 千駄ヶ谷駅ホームへ上がって捜しますが、既にいません。
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その頃芳江は東京駅から大学へ戻るべく、初期型EF58電機が牽く東海道本線下り列車のデッキにいました。機関車の次位にはマヌ34らしき暖房車が盛んに黒煙を吹き上げています。
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この列車は途中で急行列車とすれ違いますが、これには芳江の父(松本克平)が特別2等車に乗って下田の下宿先を目指しています。これを含めて車内シーンは京都市電以外の全てがセット撮影の様です。
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下田も後を追って京都を目指しますが、気をもんでも追い付く術がありません。芳江が普通列車でなく 9:30東京発の急行阿蘇に乗ったとすると、後続の急行や特急はと号でも追い付けないのです。




PS.  舞子駅は電化されていますが、西明石までの区間なのでこの頃 長距離列車や貨物列車は全区間蒸機牽引でした。姫路まで電化されるのが 1958年なので、姫路駅構内の空がまだスッキリとしていますね。
列車線と緩行線に分離され複々線となるのは 1965年のことです。
2018年刊行された川本三郎氏著(あの映画に、この鉄道)によると、二人が待ち合わせたのは地上時代の明石駅だそうです。
現在とは駅も周囲もまるで違うので、想像すら出来ませんでした。

下田が姫路から上京する時乗った列車を「3時の汽車」と言い、アフレコの放送もそう伝えています。時刻表を見るとこの列車は姫路着 15:00で 15:10発車の414ㇾ米原行で、東京直通ではありません。
この列車に乗ると大阪着が 17:14で、僅か4分前の 17:10に 134ㇾ東京行が発車してしまいます。大阪 17:30発の準急名古屋行 3406ㇾを使えば、彦根で 134ㇾに追いつけますが苦学生の下田がこの手を使うとは思えません。

下田が最後部のデッキからハンカチを振る場面が最初に映った列車は、C5971が牽き 三ノ宮のサボが掛っていました。この列車が 414ㇾの1本前 14:30姫路始発の 926ㇾ三ノ宮行だとすると都合が良いのですが・・・
926ㇾは 15:55三ノ宮に到着するので、京都方面行の近距離国電に乗り継ぐと 16:30頃には大阪に着けます。そうすると大阪 17:10発の 134ㇾ東京行に乗り継ぎ、翌朝 5:28には帰京でき とてもスムーズです。

安く関西から東京へ行く普通列車はこの時代でも意外に少なく、大阪からは3本のみ。更に姫路から東京直通となると、門司始発の 112ㇾ1本しかなく姫路発 20:50で終着東京へは翌日 13:54に到着となります。
しかし 112ㇾを使ったのでは本編の様な別れのシーンとならないので、この様な脚本となったのでしょう。趣味的には電化前の姫路駅構内の様子や C59の勇姿が割と長く有り、Aランクの作品であります。

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 100. 大いなる驀進

1960年11月 東映 製作 公開   カラー作品    監督 関川秀雄

お蔭様で 100回目を迎え記念に今回は(大いなる驀進)を取り上げます。この作品 冒頭から最後まで劇映画としては驚きの 99%鉄道シーンだけで作られているので、全ては語れません。
国鉄の列車給仕である矢島敏夫(中村嘉津雄)は安月給ゆえに次のさくら号乗務を最後に国鉄を辞めようとし、恋人の望月君枝(佐久間良子)がさくらに乗り込んで考え直させようとする青春映画です。

5ㇾ特急さくら号乗務員の仕事を東京での出発点呼から始まり、終着 長崎駅到着 推進運転による引き上げまで 20系ブルートレインの内外 各牽引機関車の勇姿を余すところなく捉えています。


東京駅丸の内駅舎をバックに矢島と君枝が話している場面から始まり、出発点呼 品川客車区での出発準備と続きます。
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この時食堂車では、日食チームが今と違って早くも開店準備をしているのですね。
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そして東京駅 14番線へ入線。盛大な見送りを受ける政治家 新婚客 駆け落ち組 危篤の母の元へ急ぐ娘 スリの名人 裏世界の人等々多彩な人々が乗ります。
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16:35 EF5897が牽引し、
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発進直後 君枝が駆け寄り飛び乗りました。
横浜を出た辺りでしょうか3号車の食堂車では日食の松本芳子(中原ひとみ)が営業開始の放送し、日車製食堂車には続々とお客が前後の車両から入って来ます。ビーフステーキ定食は350円でした。
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その間にも専務車掌の松崎義人(三國連太郎)は矢島と組んで、検札 電報打ち 車内放送 ドア扱いと次々仕事をこなしてゆく様子が映されています。その折矢島は君枝と会い、デッキで話すも平行線です。
18:59静岡着 機関車乗務員は交代し EF58154先頭で出発して行きます。
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21:18名古屋着 憲政党幹部の坂ノ上坂次郎(上田吉次郎)はホームで待ち構えていた名古屋支部の一団から見送りを受けます。
その後 営業の終わった食堂車では、松崎と矢島が夜食のカレーを注文して芳子と揉めています。
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23:49大阪着 台風による暴風雨警報が発令されており、前途に暗雲が・・ ここから明日の午後2時までに長崎大へ血清を届ける役目の大阪大病院の森原数子(久保菜穂子)が鞄を持って3等車へ乗ります。 機関士達の交代もここで行われます。
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2:08岡山着 既に風雨はかなり強くなっています。
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自殺を図った2等寝台の客へここから医者が乗ります。5分停車の間 先頭がC62型蒸機に交換され、機関士と機関助手は風雨に厳しい顔で出発合図を待っています。
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2:13駅長(明石潮)が合図を出し、豪快な汽笛と共に大動輪が動き出しました。駅舎へ医者の鞄を取に走った矢島はギリギリのところでデッキに飛び乗ります。この様子を君枝は勿論、食堂車から芳子も見ています。

そしてこの映画のクライマックス 深夜の崖崩れが、三原駅より2km先で起こります。緊急停止して機関助士が現場を確認すると、
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列車防護 保線区への連絡 障害物撤去と乗務員 保線員 食堂車社員も奮闘 更に君枝 数子まで手伝います。
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トンネルの反対側からはD52形蒸機牽引の貨物列車が接近し、発煙筒を焚いて緊急停止させ
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事情を説明します。
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復旧作業が終わると、車内へも戻った給仕が乗客へ状況を説明しています。
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38分遅れで運転再開した さくら号の食堂車で着替えた君枝の元へ泥だらけの矢島が戻りました。
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広島を出て寝台の解体が始まり
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食堂車の営業も開始されました。
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天気も回復し由字~大畠の瀬戸内沿いでしょうか、美しい朝の海岸線を走るSL特急の姿が有ります。
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徳山駅では店の金を娘と持ち逃げした男が待ち構えた兄に殴られ、松崎が仲裁する場面もあります。
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晴天の下関には7分回復して31分遅れで、C6235がさくらのヘッドマークも眩しく到着します。
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ここで危機を感じた裏世界の男が急遽下車しますが、ホームで刺客に襲われたところを松崎が助けて負傷してしまいます。
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ここからEF10が門司まで牽き、その先 八幡製鉄所をバックにC59型蒸機が高速で走る場面もあります。
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C59を先頭に博多(1963年移転前の旧博多駅)へ到着すると
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下車する自殺未遂客達を松崎や君枝は見送り
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矢島は危篤の母の元へ急ぐ娘の為 改札まで荷物を運んであげ、動き出している列車に飛び乗りました。
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ここからは軸重の軽いC61型蒸機に替えて長崎を目指します。
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長崎本線 喜々津~大草の大村湾沿いの海辺をC61蒸機を先頭に走る姿を編成後部から撮ったシーンは美しく、カラー作品である喜びを感じます。
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こうして遂に長崎到着となるのですが、列車が長崎駅ホームに掛った所から先頭を牽くC6132に並走して走らせた車両から減速してゆく姿を撮影しているのには国鉄全面協力とはいえ驚きです。
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ホームでは地元選出の議員の派手な出迎えがり、
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長崎医大への血清引き渡しする様子を、食堂車内から芳子が見ています。
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食堂車内では片付け作業が進むなか、
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さくら号は推進運転で留置線へ引き上げて行くのでした。
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PS.
撮影は国鉄全面協力の元 20系の予備編成を使って撮影用列車を走らせ車内シーンや緊急停止の場面などを撮影し、定期の特急さくら号での撮影と合わせて迫力ある映像は貴重な記録としても価値ある作品と思います。
C62形蒸機が牽く さくら号がけ崩れ現場で停車する場面は、常磐線の線路切り替えで旧線となった区間で大掛かりなロケが行われたそうです。
10枚目の画像で謎のC62120が映っています(C62形は49迄) 東映が用意したのでしょうか? ならばがけ崩れ現場で停車するC6219は?謎です
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D52形蒸機が登場する場面は、御殿場線での夜間撮影だそうです。

多様な仕事をこなした列車給仕は2年後には乗客掛となり、更に車掌補と変わって寝台解体などの業務からは離れました。現在では走行中に組立 解体をしていません。
1959年7月5ㇾとして始まった 寝台特急さくら号(この時1ㇾは急行大雪)は、1961年10月の全国大改正で 1ㇾとなり九州行ブルートレインの1番手として 2005年まで東京と長崎を結んでいました。


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 79. 錆びたナイフ

1958年3月 日活 製作 公開     監督 舛田利雄

石原慎太郎の原作。昔 起こしてしまった事件の背後に潜む黒幕に挑む男を石原裕次郎主演で描く、サスペンスアクション映画です。

鉄道シーンとしては、島原(宍戸錠)が東京から宇高(架空駅)へ悪漢をユスリに向かう場面にあります。
まず昼間に東海道本線 根府川橋梁を渡るEF58電機 牽引の列車が映ります。
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夜間の車内シーンで島原は「宇高には何時に着くか」と車掌に聞きます。
「明朝 10:35 の到着です」と答え前方へ進む車掌に、電報を依頼する男もいます。島原の動きを伝える見張り役の男の様です。

続いてコンクリート造りの立派な宇高駅舎が映り
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ホームで待ち構える勝又組の一味は島原の顔写真の確認なんぞを駅名板の下でしてます。
架空駅のロケにしては駅構内を含め大掛かりな仕立てです。{HP.想い出の和田浩治}の管理人 まゆみ様の御協力によりますと、この駅は門司だそうです。

次にC59蒸機 牽引の列車が宇高駅へ入線してきます。山陽本線からの列車ですとEF10電機牽引なのですが。
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到着した列車の3等車から島原が降りてきますが、男達に危険だからと再び乗車させられました。
「下り徳山・カワベ方面は乗換」との構内放送は、山陽本線岩国辺りの駅に到着の急行から普通列車への乗り換えを示唆しているのでしょうか。
宇高が門司とすると、東京 13:30発で門司 9:35到着の急行雲仙を想定いたのでは?と思われます。
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男達は警察の者で、勝又組が狙っているので次の駅まで保護すると島原を騙し安心させます。続いて架線下をC59牽引列車が高速で走り抜けます。
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その後男達は勝又組の本性を表し、島原を走行中の列車のデッキからすれ違うC62蒸機牽引列車に突き落してしまいます。
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関門トンネル開通時の1942年7月に幡生~門司が電化されているので、宇高駅(門司駅)構内はともかく架線下をC59が走行するシーンは何処?
幡生~下関での撮影でしょうか。続いてのデッキからすれ違う蒸機列車を映す場面は、C62牽引なので幡生以東の山陽本線と思われます。
山陽本線は映画公開の翌月 1958年4月にようやく西明石~姫路が電化。鹿児島本線の初電化も 1961年ですから、関門地区の電化区間はこの頃希少でした。

それから寺田(小林旭)が由利(白木マリ)を乗せてバイクを走らせるシーンでは、西鉄北九州本線と北方線が直角に接する魚町電停が映ります。
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バイクは北方線旦過橋方面から行き止まり終点の魚町電停を通り、右折して北九州本線沿いに小倉駅方向へと走り抜けます。
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北方線の車両は 321形でしょうか。北九州本線側は 500形の様です。この両線は軌間が違う為、接しながらも繋がっていないのです。

後半 橘(石原裕次郎)が なかなか証拠を掴ませなかった悪党の親玉 勝又(杉浦直樹)を捕まえ、留置された宇高警察署前の場面で
西鉄 1000形連接車である 1007 と 600形がすれ違うシーンがあります。
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 46. 愛と死のかたみ

 1962年11月  日活 配給 公開      監督 斎藤武市

 福井の損保会社で働くクリスチャンの田辺阿佐子(浅丘ルリ子)と獄中の死刑囚 野崎潔(長門裕之)の悲恋映画であります。

 鉄道シーンの始まりは阿佐子の母 田辺千世(高田由美)が東京から福井の阿佐子を訪ねて来るシーンにあります。9:06 福井駅2番ホームで阿佐子が待ってると、ED 70 8 牽引の普通列車が到着します。46-1.jpg

 泊行きと放送しているので米原発 223ㇾ泊行と思いきや、サボは直江津行となっているので千世が乗って来たのは福井 9:47 着 敦賀発 225ㇾ直江津行と思われます。46-2.jpg


 ED 70 8 は北陸本線 田村~敦賀の交流電化に合わせて 1957年8月製造された国鉄初の幹線用交流電気機関車で、全機敦賀第二機関区所属し 1975年迄北陸本線で活躍しました。
 この映画が撮影された直前 1962年6月北陸トンネルが開通、敦賀~福井が電化され(今庄~福井は3ヶ月早く電化)北陸本線の近代化が福井迄やって来たばかりの時期でした。

 阿佐子は獄中の野崎と二年間に渡る文通でお互いを励まし合い、五日間の休暇を取り九州の博多刑務所にいる野崎に面会しに行くことを決めます。
 海岸線近くを走り抜ける C 59 蒸機らしきが牽引する列車が映ります。46-3.jpg
山陽本線を走る急行列車でしょうか。福井~博多は長距離ですが当時 山陽本線の横川~小郡位しか未電化区間は残っていません。
 
 そして阿佐子は博多駅頭に立ちます。バックには 1909年(明治42年)建築の重厚な博多駅舎が映っています。この映画公開の一年後の 1963年12月には駅そのものが現在地へ移転し今に至っています。46-4.jpg

 その後明治生まれの旧博多駅舎は惜しまれつつも解体されました。この僅かなシーンが貴重な映像として残されたのです。
 この旧博多駅構内の様子が映った映画としては、1958年松竹から公開された「張込み 野村芳太郎 監督」や 1960年東映から公開の「大いなる驀進 関川秀雄 監督」などがあります。

 無事 野崎に面会することができた阿佐子の帰路、トンネルから飛び出して来る C 62 31 が牽引する列車が映っています。この機関車は当時 下関機関区に所属、山陽本線 広島~下関で最後の本線走行を行っていました。46-5.jpg

 

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 41. 夜霧のブルース

 1963年6月 日活 配給 公開    カラー作品    監督 野村孝

 非情なヤクザ社会に身を置く西脇順三(石原裕次郎)を巡る任侠系青春映画です。

 鉄道場面としては、西脇が神戸一の貝塚組幹部として羽振りをきかせていた頃の回想シーンに4箇所程あります。
 港近くで西脇が子分二人を連れて踏切に差し掛かると、汽笛が鳴り 8620形牽引と思われる貨物列車がゆっくりと鐘を鳴らしながら通過して行きます。

 遮断棒は申し訳程度の長さしかなく道路の中央部分は大きく開いていますので、人通りの少ない臨港地区によくある引き込み線の様です。
 煙突の前に鐘が有り、低速で走っていることから 神戸臨港線の貨物列車ではないかと思われます。劇中では汽笛が鳴っていますが、日活映画特有の音なので実際には鳴らしてはいなくアフレコと思われます。

 これは沿線にホテル等が多く なるべく汽笛を使わず、劇中の様に低速で鐘を鳴らしながら運行していたそうです。神戸臨港線は山陽本線東灘操車場から分岐し、湊川迄の間に多くの枝線が有りました。
 この映画撮影の翌年2月末をもって 8620形等蒸気機関車はDL化されていますので、僅かなシーンではありますが貴重なシーンと言えましょう。その後途中迄電化されましたが、2003年11月末をもって廃線となりました。

 次に三宮駅前の片隅で西脇ら三人をやり過ごすチンピラ二人のバックには阪神三宮駅と国鉄三ノ宮駅の間を走る神戸市電が映っています。
阪神三宮地下駅の入るそごうデパートビルは 1981年春迄この重厚な外観でした。41-1.jpg

 本編では現在のフラワーロードにあたる道路に神戸市電が走っていて、撮影位置はT字型交差点の突き当り部分ですが現在の様に通り抜けできる十字型交差点に改造工事中の様子が映っています。

 続いては西脇の恋人となる榊田みち子(浅丘ルリ子)が神戸駅から帰郷する場面があります。大阪発 佐世保行の急行平戸号の通路側席に座ります。茶色塗装のナハ10らしき9号車です。41-4.jpg

 放送で 22:19 神戸発車 岡山 0:45 ・・・下関 7:55 ・・・終着 佐世保 12:32 到着と続きます。こんな時刻でもホームには駅弁の立売がいて、車内から買いに降りてくる人もいます。横には赤帽さんも二人います。41-3.jpg


 西脇がみち子との新しい生活の為 組を抜け駆け落ちを計った時、初代後期型セドリックのタクシーで神戸駅へ向かうシーンがあります。踏切警手のいる第一種手動踏切を渡り、須磨の辺りか 72系らしきと並走するシーンがあります。
 そして高速も無くスッキリとした港方面からの道を上り、神戸駅ロータリーに乗り付け改札へ急ぐ二人でありました。



PS. 米手作市様のコメントにより、神戸から乗った客車をナハ10に訂正致しました。お陰様で 9番線に停車の点からも、国鉄の協力によって別な駅で深夜に車輛を借りてロケを行ったのでは?との思いに至りました。
 

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 24. 素足の娘

 1957年9月  日活 製作、配給  監督:阿部豊

 尾道の造船所社員食堂で働く桃代(南田洋子)を中心とした青春映画で、鉄道シーンは最初と最後に有ります。

 長らく父(大坂志郎)と別れて育った桃代が父の働く会社の食堂で働くことになり、尾道駅に降り立つ場面が最初の鉄道シーンです。
 先ず千光寺公園辺りからの撮影でしょう。大きく左カーブを曲がりながら尾道駅に向かう列車が遠景で映ります。ここからのシーンは小津監督の東京物語でもあります。
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 続いて C59 177 牽引の列車が到着し、
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桃代が降りてきます。1957年の撮影ですから山陽本線といえどまだまだ蒸機天国で、この時点では未だ西明石までしか電化されていません。
 乗り降りする人々で混雑する中 桃代はホームにいる駅弁売りに造船所への行き方を聞きます。
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 会社の中で最初は嫌った安治(長門裕之)こそが信頼のできる好きな相手だと気付いた桃代ですが、訳あって東京へ働きに出ることにします。
 ラストシーンでは尾道駅ホームで急行列車に乗った桃代を父や安治が見送ります。 12号車に乗っていますので15:13 発の さつま号か、16:23 発の 筑紫号と思われます。
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 糸崎区所属の C59が力強く発進して行き、最後はまたあのカーブを曲がり尾道から去り行くのでした。



  PS   ラストの上京場面 桃代の乗った急行列車は3番線に停車しています。でも跨線橋の案内板には跨線橋を渡った先に出口と岡山・大阪方面の乗り場のある1,2番線があると書いてあります。
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      とすると3,4番線は下り広島・下関方面でしょう? 現在は1番線が下りホームで2番線が上りホームですが、昔は逆でした。

      また発車までは急行列車に乗っていましたが、C59発進のカットの後は急行のプレートがありません。車両もオハ35でスハ43やナハ10ではありません。他の席の乗客も変わっています。次の列車で撮り直しでしょうか。
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