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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

364.美徳のよろめき

1957年10月 日活 製作 公開   監督 中平康

裕福な生活を送っている人妻が 偶然再会した昔の男と恋仲となり、逢瀬を重ね 泥沼にハマってゆく様を描いた よろめき映画です。

倉越節子(月丘夢路)は名家に生まれ 裕福な倉越一郎(三國連太郎)と結婚して息子もいたが、東京で偶然にも 昔恋した土屋(葉山良二)に会い 誘われ 密会の沼にハマってゆくのでした。

序盤 都電が行き交う銀座四丁目交差点で
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節子は信号も警官の警告も無視して、和服姿で銀座通りを 強引に渡った後
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偶然土屋と一瞬 目が合っただけの再会でした。

翌年には東京駅構内で夫と歩いている時
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スキー旅行へ行く土屋と偶然再会しましたが、一瞬立ち止まり黙礼しただけでした。

夫の倉越一郎は 自宅のある鎌倉から横須賀線で 東京まで通勤している様で、今朝も鎌倉駅2番線で 東京行の上り列車を待っています。
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その後 喫茶店で偶然会った二人は 送って行くからと 新橋駅から
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横須賀線に乗ると、
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車内で土屋は 長く付き合っている間柄の様に振舞い 節子を驚かせます。
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それからも度々二人は会い 女学校以来の親友 牧田与志子(宮城千賀子)にそそのかされ、遂に夫に嘘をついて 泊まり掛けで伊豆へ行くことに同意した節子は 東京駅の待合室で土屋を待ちました。
続いて 東海道本線根府川駅先にある 白糸川橋梁を渡る 80系電車らしきが映ります。
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しかし翌日 節子が関係を拒絶して 気まずい雰囲気となった二人が乗る 上り列車が大船駅に着くと、
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乗換える節子だけが 二等車からホームへ降ります。
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やがて電車が動き出し 窓の外に節子の姿が見えても、土屋は顔を背けて 外の節子の方を見ようとしません。
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去り行く 土屋の乗った上り列車を、節子は寂しそうに 見送るのでした。
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次に 銀座のバーで土屋といる所に 偶然倉越が現れ、節子は咄嗟に「こちら御存知の 土屋さんの弟さん 銀座でお食事を御馳走になったの」と言い訳して 一緒に帰り 鎌倉駅の降車口から 出て来たシーンがあります。
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その後 夫の子を身籠った節子は 土屋への想いもあって 堕胎しますが、入院した病室に 与志子から聞いた土屋が駆け付け 散々な節子です。 
更に与志子が 只のボーイフレンドだと言って 弄んだ飯田(安部徹)に 刺されたとの知らせに二人で行くと、包帯だらけの哀れな姿で 絶命してしまいます。

そして 横須賀線で土屋と帰る車内で 節子が「このままどこかに連れ去ってくれたら」などと妄想していると、
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土屋が「今度大阪へ行って 仕事をしようかと思っている」などと話します。
しかし 鎌倉の浜辺を歩いている時、遂に節子は 別れ話を切り出したのでした。

翌朝 何事もなかったかのように 出掛けた倉越ですが、鎌倉駅のホームで 知り合い二人に挨拶されたのに 節子のことを考えているのか無言のままです。
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PS.
  小生は未読ですが 三島由紀夫の原作を かなりソフト化した脚本を 新藤兼人が書き、中平康が監督して 節子の心情を 高橋昌也がナレーションする形で進行しています。

  序盤の銀座四丁目場面は 特撮か不明ですが、交通整理の警官の動きが リアルで実写としたら 撮影許可は大変でしたでしょうね。
監督はこの場面で節子が想定外の奔放な行動をする女だと、表現したかったのでしょうか?

  車内シーンは 全てセット撮影ですが、7枚目の横須賀線70系二等車と 12枚目の東海道本線80系二等車場面で セットを使い分けているのは流石ですね。

  駅でのロケは 東京・鎌倉・新橋で 短く行われましたが、大船駅では 到着した電車から 月丘夢路が降りて、去り行く電車を見送るシーンのロケは 深夜帯で行ったことでしょう。



  図らずも硬派・軟派の作品を 交互に取り上げましたが、当ブログの趣旨は 一貫して鉄道シーンの紹介にあります。次回はあくまで、その趣旨に沿った 作品を取り上げます。


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292.暁の追跡

1950年10月 田中プロ・新東宝 製作  新東宝 配給 公開   監督 市川崑

真夏の東京 新橋駅前交番の巡査 石川道夫(池部良)を中心に、警察官の日常と心中を当時の国家地方警察・警視庁協力でセミドキュメントタッチに描いた青春映画です。

冒頭 東京~神田を走る山手線か京浜線の電車が映ります。
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最後部が半車白帯の進駐軍専用車で、右端に永代通りの日本橋方向が映っています。
真夏の炎天下に警邏する石川が、新橋駅烏森口前道路を歩いています。
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交番に戻ると恋人の友子(杉葉子)が出前帰りに寄り、帰る時に頭上を横須賀線らしき電車が通っています。
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同僚 田部巡査(柳谷寛)の夜間勤務を代わってあげた明け方、山口巡査(水島道太郎)が麻薬売人の舟木隆次(長浜藤夫)を検挙してきました。ところが石川の隙を見て、逃げ出してしまいます。
夜明け頃の新橋駅前を、石川は舟木を追い駆けて行きます。
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舟木は外堀通りを渡ると工事用の足場から高架線上り、一番外側の線路上で 京浜線大宮行電車に轢かれてしまいます。
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自分の追跡から舟木を死なせて お悔みに行けば 妹 雪江(野上千鶴子)から罵られ、スト活動中の組合員とスト破りの暴力団との衝突の仲裁に動員されたりと 石川は警察官の仕事に疑問を感じて転職先を探します。
証券会社の友人から断わられた帰りに 神田~御茶ノ水を走る
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満員の中央本線車内で、偶然雪江に再会しますが問い掛けに何も答えません。
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三鷹行の63系電車がホームへ入線し、
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到着した神田駅で降りても雪江は見当たりません。
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続いて訪れた有楽町駅近くの屋上でも 戦友から断られた石川は、そこから横須賀線越しにビル内での傷害事件を目撃します。
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直ぐに現場へ急行して通報し、ここから暁の麻薬密輸団摘発へと繋がるのでした。
その捜査の途上で新橋付近の高架下から雪江の遺体が発見され、現場へ向かう人見捜査主任(菅井一郎)達が歩く上の 高架線を電機牽引客レが走行しています。
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雪江の所持品から石川宛の手紙が出てきたので、石川が捜査本部へ呼ばれて渡されます。手紙は 石川への謝罪文と 一味の悪事を伝え、兄と同じ売人となってしまい行く末の不安感を綴っています。
雨の中を石川が警邏するバックで、石川への手紙を雪江が読む形で以上の内容を伝えています。その途中 新橋駅北方向の外堀通りを歩く石川の上を、半車白帯の山手線か京浜線電車が走っています。
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その後 友子に警察官を辞めたいことを伝えていたので、化粧品セールスの仕事口を話に友子が交番へ来ます。
曖昧な返事をする石川に怒った友子が帰る時、高架線上を先頭 63系の後ろに32系・42系の混ぜこぜ 7輌編成の横須賀線らしき電車が通っています。
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PS.
 戦後5年目 真夏の東京新橋を舞台に大部分を街頭ロケで行い、真夏の暑さを感じる ドキュメンタリー的印象を 強く感じる作品となっています。
 舟木が高架線上に逃走する場面では、未だ電車が遠い内にレールに倒れ込み 前途を悲観しての自殺の様にも見えます。
当時 この区間は、未だ山手線と京浜線が同一線路を使っていました。

 横須賀線は戦中 32系で運行されていましたが 終戦後の乗客急増や車輌疲弊等から 40系・50系・63系を加え、更に1950年5月に関西から42系を大量に移籍させてブドウ色のまま走らせてもいました。
 横須賀線に新型エースの顔となる70系電車が走るのは本作公開の翌年なので、当時はこれら旧型車での混ぜこぜ編成で毎日を凌いでいた状況の様です。(その後も中間付随車は旧型のままでした)

 転職先を探す途中の車内で偶然雪江に会った時に車内は凄く混んでいて、ポイント通過時の揺れで左右に大きく乗客が振られます。その最中に雪江に話しかけているので、セットか借りた車内でエキストラを入れて撮影が行われたと思われます。
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 石川は東京駅から中央本線の三鷹行に乗って神田駅で降りたと思いきや、作中では「神田~神田~中央線・地下鉄線乗り換え」と山手線か京浜線に乗車して着いたと思われる放送が流れています。

 

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277. 晩春

1949年9月 松竹 製作 公開   監督 小津安二郎

早くに妻を亡くした大学教授 曽宮周吉(笠智衆)が、何かと父の世話を焼く一人娘 紀子(原節子)の結婚を心配して一芝居打つホームドラマです。

冒頭 横須賀線 北鎌倉駅の様子が3カット映ります。
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そして紀子や叔母の田口まさ(杉村春子)が、茶会に参加する場面へと続きます。
その翌日 紀子は病院で検査結果を聞く為、出勤する父に同行して横須賀線で東京へ行くことになります。
先ず 鎌倉駅のホームが映ります。屋根が掛かるのは僅かで、殆どの部分は露天ですね。
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ホームの様子は現在から見ると、隔世の感があります。
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続いて 東京行 63系電車が、軽快なBGMと共に亀ヶ谷トンネルへ向かって行きます。
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久里浜始発らしき電車は混んでいて、二人共立って吊革に掴まっています。
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次に大船から東海道本線へ乗り入れた所でしょうか、複々線区間を走っています。前から2両目は二等車、4両目にはサハ57形らしき太い白帯の進駐軍専用車が連結された10両編成です。
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横須賀線では 1949年1月10日より10両化されました。

その次のカットでは3複線区間から、左方向へ複線が分岐して行く地点が映ります。
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鶴見の先で分岐する品鶴線でしょうか、直進する列車の最後部はモハ32形車輌と思われます。
そして六郷川橋梁を渡るシーンへと続きます。撮影機を窓外へ固定して撮っているので、ポニーワーレントラス橋が続いた後
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プレートガーター橋へと変わる様子が良く分かります。
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横浜に停車した時に席が空いたのでしょうか、紀子も父親の隣に座って本を読んでいます。
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田町駅の先では、右手に大きなガスタンクが現れます。
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浜松町付近では、やや距離を置いて映しています。
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最後は新橋駅南西地点から63系電車を捉えているそうです。
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当時 横須賀線用に配備された 153両の内、63系は 45両で最多でした。
その次のカットは銀座服部時計ビル(この当時はPX)なので、二人は終点 東京駅で降りた様です。






PS.
   前作「276.お茶漬けの味」のコメントへの返信続編でも紹介しましたが、小津監督作品の撮影を担当した厚田雄春氏が(小津安二郎物語 厚田雄春・蓮實 重彦 著 筑摩書房刊)の中で本作についても触れています。

厚田カメラマンは鉄道ファンでもあるので横須賀線に乗って鎌倉~東京で小津監督と共にロケハンすると、好撮影地や見所の助言を行い 小津監督も多くの意見に同意して本編の様な流れとなったそうです。

   車窓からの撮影には張り出し長さを検討した丈夫な台を窓に取り付け、フランス製パルモ撮影機を載せて固定し 駅間でのみ撮影して駅が近づくと中へ収納したそうです。

   また笠智衆と原節子が乗った車内シーンは大船駅から国鉄大船工場までの引込線で、63系電車を借りて行き来してもらい エキストラと共に撮影したそうです。

   小津監督はスクリーン・プロセスが嫌いなので、実車を借りて撮影することが多かったそうです。(225.彼岸花)の特急かもめ号車内ロケも、品川客車区で特ロ車輌を借りて行った様です。

   その究極例が前作のコメントへの返信続編で記した、特急つばめ号の展望車でのロケです。マイテ39形らしきを借りて、急行きりしま号の最後部に沼津まで連結してもらっての撮影でした 予算は?

   

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272.豚と軍艦

1961年1月 日活 製作 公開   監督 今村昌平

横須賀の米軍基地を背景に非合法稼業から養豚業に乗り出した日森組で、恋人 春子(吉村実子)との明るい未来を夢見て もがく欣太(長門裕之)を軸に描いたブラックジョーク調の青春アクション映画です。

中盤 組織の兄貴分 鉄次(丹波哲郎)が胃潰瘍で入院しますが、胃癌と勘違いして前途を悲観して鉄道自殺を図ります。病院からパジャマ姿で、京浜急行電鉄の踏切方向へフラフラと歩いて行くのです。
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夕暮れの第四種踏切の前方から、ライトを光らせ電車がやって来ます。
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鉄次は飛び込もうとしますが、警笛に威嚇され日産生命の看板の足元に抱きついて果たすことはできませんでした。
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終盤 組織の仲間割れから豚の飼育係である欣太は、大八(加藤武)達一派から豚を売り飛ばす計画に誘われます。欣太は仕事が済んだら、川崎へ逃げたい実子と横須賀駅の終電で待ち合わせます。
ところが日森組長(三島雅夫)達に見付かり、カーチェイスの末 横須賀のどぶ板通りで停車します。ここで両派の手打ちとなりますが欣太はブチ切れ、豚を街へ放ち機関銃を連射した末に射殺されてしまいます。

到着する横須賀線の 70系電車が映った後 
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春子の駆け落ちを察知した母 ふみ(菅井きん)が、隣のおばさん(武智豊子)と横須賀駅の改札口で春子を待ち構えています。
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春子は物陰から改札口方向の様子を伺っていますが、欣太はなかなか現れてくれません。その内に折り返し 23時20分発 上り最終電車は、警笛を鳴らして発車して行ってしまいました。
その時 タクシー運転手同士の「おい どぶ板通りはチンピラが機関銃を振り回していて通れないぞ」という会話が聞こえて、春子は現場へ駆けつけ欣太の死を目の当たりにします。

後日 横須賀駅から米空母寄港に沸く街へ向かう女達の群れに対向して、この街を去る決意をした春子は荷物を手に改札口へ向かっています。この駅舎は3代目で、現有駅舎です。
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続いて高台から横須賀駅全体を俯瞰するシーンでは、現在の3番線部分が切り欠き行き止まりホームで2輌編成程の電車が停車しています。
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久里浜方面は何処かと捜すと、切り欠きホームの先に4番線とも見える通り抜けホームが下部に在ります。現在は切り欠きホームは無く、3番線が久里浜方面の上下線です。








PS.
   兄貴分の鉄次が飛び込み自殺に失敗した場面で、通過する京急電車は不鮮明ながら 600形に見えます。協賛する大きな日産生命の看板の足に、鉄次が抱き付く場面はジョークでしょうか。

   横須賀駅は開業当時から階段の無い頭端式ホームのバリアフリー駅で、改札口も1か所なので春子の駆け落ちを見張るには容易い構造です。

   作中では上りの終電が横須賀駅折り返し 23:20と放送していますが、当時の時刻表では夜9時以後の上り列車は全て久里浜始発でした。終電が折り返して発車するまでの間、欣太を待つ春子の心情を表す演出でしょうか。

   横須賀駅の俯瞰シーンでは左端に3列車程の旧型客車が留置されている様に見えます。また2番線から 70系東京方面の上り列車が発車し、3番線に停車しているのは 40系の2連と思われます。

   当時は横須賀~東京の運行が多く、9時半~16時過ぎは久里浜~東京の直通列車はありませんでした。しかし久里浜~横須賀の区間列車が15分毎に運行されていました。

   現在では逗子~東京方面の列車が多く 昼~16時では久里浜~東京方面の直通列車は一時間毎で、久里浜~逗子の利用者は20分毎の区間列車で不便な乗り継ぎとなっていて横須賀の存在感も低下しています。


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249. 乳母車

1956年11月 日活 製作 公開   監督 田坂具隆

赤ちゃんまでいる父の愛人に会った桑原ゆみ子(芦川いづみ)が、崩壊した家庭の修復と赤ちゃんの幸せを願い 愛人の弟と共に奔走する姿を描いた映画です。

友人から愛人の存在を聞いた ゆみ子は 母 桑原たま子(山根寿子)に問うと、住み家まで全て知りながらも静観の様子。そこで ゆみ子は 東急電鉄 大井町線 九品仏駅を降りて、母から聞いた愛人 相沢とも子(新珠三千代)宅を訪ねる場面があります。
1960年に改築される前の九品仏駅舎から ゆみ子が降りてきて、
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踏切で待つ前を 3000系電車が通り過ぎて行きます。
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僅か2連で、先頭は 3450形の 3491らしき車両です。現在同様 上下線の間に駅舎が有り、外へは踏切を必ず渡る構造です。

次に とも子の娘 まり子(森教子)への帽子を手土産に九品仏へ行った時、玄関に父 桑原次郎(宇野重吉)の靴を見付けて 慌てて駅に引き返します。
駅前の踏切で とも子の弟 宗雄(石原裕次郎)に会ったので、「父が来ているので今行くのははダメ」と 姉の家に行こうとしている宗雄に告げて止めます。
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娘のゆみ子まで愛人 とも子の肩を持つ様に感じた たま子は、夜遅く帰宅した桑原を袖にして実家へ帰ってしまいます。更に遅く帰宅した ゆみ子は、鎌倉駅まで母親を追い駆けて 何とか家庭崩壊を押し止め様とするのでした。
鎌倉駅の改札口を走り抜けて
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急ぎ階段を駆け上がると、ホームで電車を待つ母 たま子に追い付きました。たま子を引き戻そうとする ゆみ子ですが、
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硬い決心をした たま子を説得することはできません。
そこへ横須賀線 70系電車が到着し、
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2等車に乗った母を茫然と見送る ゆみ子です。
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セットらしき 2等車内では、呆然とした様子の たま子です。
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改札口へ戻ると遅れて父 次郎が駆けつけ一緒に外へ出ると、終電だったのか構内が消灯されてゆきます。
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桑原との別れを切り出そうとした とも子は、急に仕事帰りの桑原に寄ってもらいます。夜 九品仏駅の改札口で、とも子は桑原を待っていました。
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その後 花屋でバイトする宗雄の背後を、旧塗装の都電 1200形らしきが通過して行く場面もあります。
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桑原家崩壊の責任を感じた とも子は、桑原と別れて弟の下宿先へ引っ越します。ゆみ子と宗雄は協力して まり子の幸せを第一に応援しようと、関係者全員を とも子の移転先へ集めて 善後策を話し合います。
その帰り道 ゆみ子は母 たま子とタクシーに乗って、母の働くバーへ向かいます。タクシーはネオン煌めく銀座界隈の晴海通りを、月島方面に向かう都電11系統(新宿駅前~月島通八丁目)の電車を追い越して走ります。
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PS.

鎌倉駅で ゆみ子は母親が乗った上りの終電車を見送り、改札口を父親と一緒に出ると駅構内は消灯となりました。 鎌倉駅から当時の上り終電は、23:38発の横浜行です。
ところが下り電車はこの後 23:40・0:10発の久里浜行があり、終電は 0:42発 逗子行でした。つまり 上りの終電から一時間以上後まで下り電車があるので、消灯はBGMと共に映画の中での演出でしょう。

それにしても 女性 登場人物の名が、皆( ひらがな表記+子)なので文章にすると分かり難いですね。


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 151. 私が棄てた女

1969年9月 日活 製作 公開   監督 浦山桐郎

シミズ自動車営業主任の吉岡努(河原崎長一郎)は 60年安保学生運動での挫折から女工 森田ミツ(小林トシエ)の肉体に溺れるも逃げ棄ててしまいます。出世の為 社長の姪との結婚を画策するもミツが忘れられない男で、その生き様を描く映画です。

吉岡は狙った社長の姪 三浦マリ子(浅丘ルリ子)とつきあい始めますが、マリ子は社長から縁談を持ち込まれます。上司の奥さんの見送りに東京駅 13番線 横須賀線ホームに来た吉岡は、売店で買い物をしているマリ子に明日の縁談をスッポカす様告げます。
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しかしマリ子は「今はお芝居しているしかない」と言い、「明日は来いよ」と言いながらマリ子が後ろを付いて来ると思った吉岡に反し乗車。ドアの閉まった久里浜行の一等車デッキから手を振り怒る吉岡をホームに残して走り去って行きました。
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この映画公開年の 5月10日から国鉄は長年続いた等級制からモノクラス制となり、従来の一等車はグリーン車で二等車は普通車となりました。ロケはこの改定後に行われたと思われますが、未だ一等車表示でグリーンマークではありません。
特急・急行列車の標示改訂を優先して、普通列車は後回しだったのかもしれません。この頃 横須賀線は朝夕以外全て横須賀行で、久里浜へは横須賀乗換でした。故に構内放送は、12:41発の部分も含め架空のアフレコと思われます。
ちなみに同時に運賃値上げもあって東京~横須賀での支払額を比較すると、改定前は二等 230円・一等 430円だったのが改定後は普通 280円・グリーン車 530円でした。現在では普通 1080円・グリーン 2060円(平日・事前料金)

次に五反田駅近くで、偶然吉岡とミツが再会します。ミツは吉岡から棄てられた後、色々な仕事で生き延び 荒んだ様子です。ミツが住むアパート前での短い会話ですが、背後の高架線上を池上線の3連が五反田駅へと到着します。
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3000系3連ですが、1928年完成とは思えぬ高さで高架の山手線を乗り越える様に池上線五反田駅ホームがあります。二人がいる目黒川沿いの場所は、現在ホテル・ロイヤルオーク五反田が建っている所です。

中盤 回想シーンですが逗子海岸の小屋にミツを置き去りにして、逗子駅1番線から一人横須賀線の東京行に乗ろうとする吉岡の姿をグリーンフィルター越で映した様な映像があります。
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逗子駅1番線 上りホームで待つ吉岡の前に 113系横須賀線電車が到着します。この映画はパートカラー作品であり、ミツが故郷を回想する場面では相馬野馬追等をカラー画面で映っています。

ミツが転がり込んで住む家の 森田キネ(岸輝子)が鉄道自殺しようとする姿を、ミツが跨線橋上から見かける場面があります。線路上に座り込むキネを近所の奥さん方が線路外に出そうとしています。
そこへEF13型電機+EH10型電機が牽引する貨物列車がホイッスル音と共に近付いて来ます。それを見た奥さん方に続いてキネも自分で、線路外へ退去しました。
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ここは東海道新幹線の高架下を走る品鶴貨物線(現在は横須賀線等も走行)で、次位のEH10電機は二両一組の当時最大最強の電気機関車でした。


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 143. 波止場の王者

 1956年11月 新東宝製作公開   監督 内川清一郎

 中小企業 島造船所が開発中のガス・タービンエンジンAZの設計図を狙う国際ギャング団と、技師 水野三郎(宇津井健)達の対決を巡るアクション映画です。

船舶局が認めないAZを優秀なエンジンだと思う水野は、島造船所の山本博士とAZエンジンの研究を進める為 役所を辞めて島造船所へ移籍します。
ある時 田浦へ戻る為、水野は横須賀線に乗りました。品川を出た 70系電車が京浜急行 八ツ山橋へ向かって来る姿が先ず映ります。
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車内で設計図らしきが入った鞄を網棚へ上げて座席へ座りました。周りには水野の様子を窺うギャング団の連中が乗っています。
電車は坦々と進み、大森辺りを過ぎた頃 水野は居眠りを始めてしまいます。最初はうつらうつら・その内本格的に寝てしまいます。
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水野の後ろの席に居たギャング団の志水重吉(丹波哲郎)が立ち上がり、頃合いを見て網棚の鞄を自分の持ち物の如く盗み取って前方へ移動して行きます。
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続いては、10:54到着の田浦駅へ鞄を持った志水が降りました。2等車のドアから下車したので、隣の車両へ移っていたのでしょう。
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志水は素早く跨線橋を渡り 改札を出ると合図して、待機させていた仲間の車に乗って行きました。
一方 水野はかなり遅れて改札に現れ、鞄を盗まれた旨伝えると駅員は「遺失物係の方へ行ってくれ」と間の抜けた返事です。実は鞄の中は・・・

ロケ当時 水野が乗ったと思われるのは、東京 9:42発 909ㇾ横須賀線 久里浜行電車です。
909ㇾは田浦 10:53発ですから、2分程遅れての到着の様です。

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 97. 西城家の饗宴

1951年6月 大映 製作 公開    監督 鈴木英夫

逗子に住む元海軍大佐で求職中の西城晋作(菅井一郎)と妻 銀行員の長男 浩太郎(千秋実)と妻と子供 二男の妻 次女 敦子(若山セツ子)三男 泰三郎(井上大輔)の8人家族が織り成すホームドラマです。

鉄道シーンは朝の逗子駅から三男の見送りを受けながら東京へ向かう父と長男の姿から始まり、朝鮮戦争特需もあり復興期に入った横須賀線電車が随所に登場します。
今は無き二代目木造駅舎の逗子駅ホームへ入る二人。知り合いと挨拶をしているところへこの年新造されたばかりのクハ 76形を先頭に 42系を中間車とした上り東京行が入線 乗車します。

次に足場を組んで修繕工事中の東京駅丸の内駅舎をバックに、街頭新聞売りから夕刊紙を買う為に並んでいる息子に頼んで買ってもらう父の姿があります。
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売り出したばかりの時間帯なので、並んでいるのでしょうか?当時は駅の売店では売っていなかったのでしょうか。丸の内駅舎の復旧工事は三段階工事の最終工程で、天然スレート屋根工事中の姿と思われます。

続いては多摩川でしょうか橋を渡る クハ 76形が両端に付いた横須賀線列車のシーンがあります。3両目には2等車が連結され、更に6両目には2等車表示ながら白帯に「ALLIED FORCES SECTION」と記された進駐軍専用車。
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車両は 40系でしょうか、この車両だけは混むこともなくゆったりとしていることでしょう。颯爽と登場した 70系ですが、この様に初期はクハ 76形を多く製造し両端のみ新型 中間車は旧型の形でお茶を濁したそうです。

また北鎌倉付近でしょうか、前にスカ色 70系7連 後ろに増結の 42系旧塗装車という編成の列車が走り行くシーンもあります。
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最後に次女 敦子が逗子駅改札前で
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つれあいになった加取義樹(小林桂樹)から声を掛けられ一瞬立ち止まるが、到着した 70系電車に手を引き乗り込み発車して行くシーンがあります。
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