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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 94. 青春の海

1967年1月  日活 製作 公開     監督 西村昭五郎

左遷されて伊豆下田へやって来た中学教師 三宅杏子(吉永小百合)がヤクザものの山﨑次郎(渡哲也)と知り合い、騒動となる青春映画です。

下田へ向かう杏子が東京駅 10番線に停車中の 80系湘南電車に乗り、発車を待っています。そこへ妹の千加(和泉雅子)が駆け付けるシーンから鉄道シーンが始まります。
千加はホームを歩きながら車内を捜し、
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杏子を見つけると強引に同行します。80系湘南電車の車内は席も壁も木製で落ち着いた感じです。

当時 東京駅発の東海道本線で 80系湘南電車は数少なくなっていて、10番線からの発車となると 10:31 入線 10:54発車の 333ㇾ富士行と思われます。
これに乗ると、13:00熱海着 乗換て 13:48伊東着 更に伊豆急に乗り継ぎ 13:55に発車の電車で 14:52に伊豆急下田へ到着なのですが・・・

説得を諦めた杏子の隣にチャッカリ座る千加のシーンに続いて、クモニ83 らしきを先頭に後ろに 113系が続く列車のカットがあります。
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そして伊東駅ホームで乗換待ちなのか立つ二人のバックに、横須賀線色の 113系電車らしきが走り抜けます。当時はその他 80系70系をはじめ153・155・157・159・165系など雑多な国鉄車両が乗り入れていました。

続いて伊豆急 100系の車内を歩く杏子と千加の二人。
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そして海岸沿いを走る 3両編成の 100系電車のカットもあります。この列車は3連なのに、なんと中間車にサシ190形スコールカーが付いています。
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態度の悪い山﨑次郎と乗り合わせた二人は、憤慨しながら下田へ到着します。改札口の上には(祝 開通五周年)の看板が掛り、ロケが 1966年晩秋に行われたことが想像されます。

徐々に下田の町に馴染んでゆく二人でしたが、京子の教え子が失踪したことから杏子と次郎の関係が町の噂となり 次郎は一人町を出て行くことに決めました。
杏子は次郎に付いて行く決意で妹の説得を振り切って、次郎が乗る伊豆急に乗ります。途中 橋の上では千加が見詰めていますが、手を振る杏子には無言で応えません。
乗車しているのは4連の3両目で、2・3両目が共に1・2等合造のサロハ 180形で2等車部分に乗っています。サロハ 180形は3両しかなく、撮影用に組んだのでしょうか。ちなみに杏子達が下田に着いた時も同じ編成でした。
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車内で次郎から町に残るよう諭された杏子は、次の駅で降りることにします。4連の2両目 サロハ 180 から砂利敷きのホームへ降りると、次郎は窓から明るく「バイバイ先生」と言いながら手を振って去り行きました。
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3両目はあのサシ 190形が連結されており、アップで杏子の横を通り過ぎます。定期列車だとすると一日に2往復しか運行されていないので、下田 10:44発か 13:25発の何れかでロケが行われたと思われます。
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私鉄唯一の食堂車であるサシ 190形は 1963年4月サントリーからの贈呈で1両だけ登場し、伊豆急冷房車第一号でもありました。国鉄の嫌がらせとも思われる方針から、伊東線乗り入れが不可となり自社線内のみの運行でした。
しかも普通列車に組み込む形で一日2往復 片道1時間では夏場以外売上は僅かで、数年で休車となり改造され 1974年 サハ 190形 普通車となってしまいました。残念なことに、この車内での飲食シーンはありません。

杏子が次郎と別れ 降りた駅は、蓮台寺ではなく6番ホームであることから伊豆高原駅と思われます。到着時 ホームの後ろ端では交代の車掌が待機していました。
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ホームの巾の半分は砂利敷きで狭く殺風景な印象で、その後の変わり様からは想像できません。またこの映画に映る開業時からの伊豆急 100系電車も、2002年4月引退となり現在ではクモハ 103が復活し、イベント用に残るのみです。

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