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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

372.我が家は楽し

1951年3月 松竹 製作 公開   監督 中村登

借家に6人で住む植村家で 画家志望の長女朋子(高峰秀子)を軸に、お互いの家族愛を描いた ホームドラマです。

冒頭 京王帝都電鉄 明大前駅らしきに 2連電車が到着し、
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駅舎から会社帰りの 植村孝作(笠智衆)が出て来ました。
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そこへ 次女信子(岸惠子)から「お父さ~ん」と声が掛かり、信子は「コーラスの発表会へ」と言って 出かけて行きました。そんな信子の背後の橋梁下を、井の頭線の電車が走っています。
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長女朋子には湘南の療養所に入っている内山三郎(佐田啓二)という、肺病を患っている恋人がいます。
この日は隣の洋館を画いた絵を朋子は持って、80系初期型湘南電車に乗り療養所の内山を訪ねました。
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その後植村は会社で勤続25周年の表彰と共に金一封三万円を頂き、帰りに妻なみ子(山田五十鈴)と待ち合わせて高島屋デパートへ買い物に出掛けます。
ここで高島屋日本橋店前の銀座通りを走る、大型の5000形らしき都電車輛が映ります。前後に集電ポールを付けた、ピューゲル化直前の姿です。
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子供達へ希望のプレゼントを買った帰りに 電車の中で残金を掏られてしまった植村は 
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元気なく帰宅しますが、子供達に勤続25周年のお祝い会をしてもらい 大いなる幸福を感じるのでした。

それから京都へ修学旅行に行った信子から絵葉書が届き、お寺が多くて驚いた感想と共に京阪四条駅付近を走る2連電車が3カット映ります。
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現在の京都四條南座とアサヒビールの建物以外は、木造建築物ばかりの京阪四条駅(現:祇園四条駅)付近ですね。遮断機の無い四条通り踏み切りを通る電車は、二重屋根の2連で時代を感じさせています。
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幸せそうな植村家でしたが 長男和男(岡本克政)が骨折して治療費が嵩み、大家さんが隣家の金沢に家屋を売却したので 引っ越しを余儀なくされます。
そんなところへ 内山が危篤との電報が届き、朋子は夜間にもかかわらず 湘南電車に乗って駆け付けます。
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車内では心配そうな表情の朋子です。
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その後 内山は亡くなり、形見代わりに 内山が植えたチューリップの鉢植えを 朋子は受け取りました。
植村家が住む家を 購入した金沢老人(高堂国典)は 下見に来た折に 朋子の絵を気に入り、引き続いて 住むことが出来る様になり いつしか チューリップの芽も出ていました。





PS.
  冒頭の 2連電車が停車する駅は(キネマ旬報社刊「東京映画地図」宮崎祐治)で、当時の京王帝都電鉄 明大前駅だそうです。

  駅舎の様子からも、この駅は全然分かりませんでした。最初の2連電車は 新しそうなので、2600系でしょうか?

  高島屋日本橋店前を走る 5000形らしき都電車輛は、三田車庫に少数が所属して 1系統限定で運用された内の 1輌と思われます。
  本作公開当時の 1951年2月~4月にかけて ポール集電から ピューゲルに改造されたそうなので、改造直前の姿と 思われます。

  京阪電鉄と四条通りが交差する踏切では、京都市電四条線 1・7・17・20系統 何れかの電車が待っています。
  この踏切では 市電が廃止された後の 1982年10月まで遮断機が無く、警報ベルと警戒誘導員で 対処していたそうで驚きです。


  大女優 岸惠子にとって 本作がデビュー作品だそうで、高峰秀子と姉妹役であり 後年に比べ 未だ少々ふっくらとした頃でした。
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 124. 学園広場

1963年12月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 山﨑徳次郎

舟木一夫のシングル曲(学園広場)のタイアップ歌謡映画で、とある男子校に代々受け継がれてきた学校一勇敢な者が被れる「勇者の帽子」を巡るコミカル学園ドラマです。

今年の持ち主 古山(植頭実)が帽子を紛失し、巡り巡って街の公金横領を図る隅田興業社長の子分 奥山(由利徹)が変装用に使ったことから高校生達に追われます。
鉄道シーンは映画後半のここから始まります。学ランを着て高校生に変装した奥山が公金を抱えて国鉄 八王子駅北口らしき広場に現れ、後ろから高校生の集団が追い駆けて来ます。
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改札口からホームへ行くと、何故かグリーン塗装の京王電鉄車両が。あわてて飛び乗った車両から前方へと奥山は移動して行きますが、高校生達も後を追い掛けて進みます。
続いてのカットでは、京王電鉄 2000系と 2700系 共に急行同士のすれ違いシーンがあります。2000系の改良形で同様な 2010系が、京王れーるランドに静態保存されています。
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奥山は先頭車両まで来ると、よろけて女性三人組のヒザに乗ったりニワトリが入った箱をひっくり返すなど騒ぎを起こして次の駅で飛び降りました。
降りた駅が島式ホームで、丁度反対側へ到着した電車に乗り移りました。この島式ホームの駅は、上北沢駅の様にも見えます。京王電鉄の島式ホーム駅は案外少ないのです。
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ところが集団で追い掛けていた高校生達は、奥山が降りたのに気づくのが遅れて一人も降りることができずに窓から顔を出して悔しがるだけです。

この一連の動きを見ると、奥山が降りようとした駅は相対式ホームです。両側に電車が停車している画像の場面は島式ホームですが、奥山の姿はありません。
続いて奥山が対面の電車に乗り込むシーンはアップで撮っているのと、ホーム屋根の形が違うことから別の島式ホーム2面4線の追い越し駅での撮影かもしれません。

追い駆けてくる高校生達を撒いた奥山は、車内で「勇者の帽子」の先輩(ミッキー安川)に出会ってしまいます。奥山としてはそんな大事な帽子とは知らず、聞かれてもシドロモドロです。
先輩に付き合えと強引に降ろされた駅の地下通路で、二人は又も追い駆ける高校生の一団と遭遇。その騒ぎで奥山は双方から逃げられました。この駅は高幡不動でしょうか。

この様に国鉄八王子駅や京王電鉄各駅でドタバタの追跡シーン撮影が行われましたが、続くシーンでは何故か遠く青梅鉄道公園へ飛んでいます。
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ここまで苦労して逃げて来た奥山は、2120形蒸機のキャブに座り 公金の包みを開けますが中身はバナナというオチでした。まだ開園から一年なので後ろの 8620形1号機も綺麗です。
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 92. 花と果実

1967年8月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 森永健次郎

原作は石坂洋次郎  淡路島出身の女子大生 村上のぶ子(和泉雅子)と大学生 中畑五郎(杉良太郎)が織り成す、山あり谷ありの青春映画です。

先ずは京王帝都電鉄 調布駅ホームから上り 5000系通勤快速新宿行に乗る、のぶ子の姿を遠距離からズームアップで捉えるカットがあります。
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隣のホームには各停でしょうか、緑色の 2000系らしき車体が見えます。調布駅は昨年地下化され、現在では様子が一変しています。

続いて中畑がこの電車を追い掛ける様にバイクで走る様子を丹念に数カット入れていますが、
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代田橋近くの井ノ頭通りと並走する所らしきでのカットでは 2000系になっています。
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京王の 5000系は 1963年に登場した名車で、1964年のローレル賞を前年の 3000系に続けて同社が受賞しています。1968年製造車から通勤型電車としては日本初の冷房車となりました。

母親の見舞いに帰省した のぶ子が帰る時、父の村上兵三(有島一郎)が新大阪駅で見送るシーンが中盤にあります。
新大阪駅3番ホーム 16:30発 超特急ひかり36号 東京行の横で、のぶ子は父親の 女道楽を攻めたてチャッカリ小遣いをセシメ6号車に乗り込みます。
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当時 超特急ひかり号は 12両編成で、全車指定席 内1等車が2両 半車ビュッフェが2両付いていました。早朝と昼前後以外は毎正時と半に 30分間隔でひかり号が走り、間にこだま号が1本あるスッキリとしたダイヤでした。
中間停車駅も名古屋と京都のみで超特急にふさわしく、値段も新大阪~東京で運賃 1730円+超特急料金が 1600円で所要3時間10分でした。ちなみに こだま号を使うと特急料金は 1300円(自由席は 1200円)で、所要4時間でした。

中畑が既婚者である田川光子(小山明子)の誘惑のノッテしまった後のある日、のぶ子とデート中に京王線の車内で偶然男の子を連れたに光子に会ってしまいます。
のぶ子が男の子を可愛がると光子も「あなた将来きっといい奥さんになるわよ」などと褒め、傍らで聞いている中畑は光子の方を見るわけにもいかずうつむいたままです。
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走行シーンでは 5000系の様でしたが、車内は板張りの床なので かなり前の旧型車でのロケでしょう。

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