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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

310.どぶろくの辰

1962年4月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 稲垣浩

工事現場のタコ部屋へ来た 脱走の名人 やだむら(矢田村)辰五郎 通称 : どぶろくの辰(三船敏郎)と、管理役の舎熊(三橋達也)との対立を描いた 男くさいアクション映画です。

時代は1950年頃 東北地方のとある道路工事現場は、旧陸軍の演習場だった所で 不発弾が多数埋まっていたのです。発破を掛けると誘爆によって 多数の死傷者が出たことから、手掘り作業となって工事は遅れ気味です。
作業員補充の為 麓の町で前金と 日当を倍額支払うアメで集めた 一癖も二癖もある連中を、現場の最寄り駅まで送る D52形蒸機牽引 5連列車が汽笛の音と共に映ります。
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所々に板張りの窓が残る 三等車の車内では、どぶろくを飲みながら 一同は寛いでいる様ですが、デッキへの出口部分には 見張りの男が二人で 目を光らせています。
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沼尻(田島義文)や穴吹(田崎潤)が先輩風を吹かせて 向かい席の新人に「逃げたら逆さ吊りで火炙りにされる」などと冗談で脅かすと、通路越しに追分(有島一郎)が「そいつぁ古い話だ」と窘めます。
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鉄橋を渡り行く 列車が映った後 
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新人の一人がデッキの方へ行くと、たちまち見張りに 見つかって殴られて捕まります。その騒ぎのスキに 穴吹は反対側のデッキから逃げようとしますが、
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辰が捕まえて 席へ連れ戻します。
監督が戻った辰に「何処へ行った」と聞くと、「屁 ブッこいてきた」などと澄まし顔です。
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続いて上り勾配を進む D52形蒸機牽引列車が映り、
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いよいよ一行は 山奥の工事現場へと向かいます。

黒政組の道路工事現場では、トロッコへ土砂を 手積みして運んでいました。
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辰はあちこちの現場で"とびっちょ"(脱走)の名人と言われていたので、舎熊への対抗心からトロッコでの脱走を企てます。
ある日 馴染みの追分に決行を告げると、トロッコの車輪止を外して飛び乗ります。
加速の付いたトロッコは舎熊に見つかりますが、軽快に現場の中を突き進んで行きます。
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怪しい造りの橋梁を走り抜けて、このまま逃走が成功するかと思えた辰でしたが
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町で知り合った飲み屋の女将 梅子(淡島千景)が 遥々訪ねて来た姿を見て 脱走は取り止め、穴吹の脱走騒ぎに乗じて 何食わぬ顔で戻って仕事に加わるのでした。

飯場には飯炊き・風呂焚き等雑用係の しの(池内淳子)達女がいて、辰は宿舎横で洗濯する しのが気になっていました。何故か宿舎横まで トロッコのレールが敷かれています。
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辰は残土捨場であるトロッコ用のレール端で休憩中 追分に、しのに惚れてしまった様だと話します。
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その後も舎熊と辰は しのをモノにしようと決闘し、しのに辰は「俺とデキタふるをしろ」と告げます。

その後工期が迫るのに 中々工事が進まないので、舎熊は怪しげなレビュー団を招いて一同に恩を売り 危険な長時間労働を強制するのでした。その一方で黒政組親方には、監督の取り分まで 成功報酬として要求する舎熊でした。
黒政組親方は監督に 舎熊の殺害を指示し、暴力団らしきを手配します。一方 しのと現場に現れた亭主 木田(土屋嘉男)を脱走させる為、急きょ"とびっちょ"をした辰は 梅子の店に辿り着きます。梅子から会社の陰謀を聞くと、阻止する為 再び現場へ戻ることにします。

辰は梅子から金を借りると、休憩していたトラック運転手を雇って現場へ向かいます。続いて D52形蒸機牽引列車の力強い走行シーンが映り、
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車内では監督がスジ者連中にドスを配っています。
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次に線路沿いの道を高速で走る小型トラックが映り、辰が盛んに急がせています。
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やがて遥か先の築堤を行く、蒸機が5連の車輌を牽引する列車が見えてきました。
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しかし列車の方が先に最寄り駅へ到着し、下車した連中は黒政組のトラック荷台に続々と乗り込みます。
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遅れて到着した辰は駅員から、連中が車に乗換えて前方に行ったと聞きました。
途中で追いつくと、進路を妨害して先に現場へ行きます。
辰は舎熊に会社の陰謀を話し 組み伏せ、親方と仲裁させて 工事完成へ向けて 土方の筋を通すのでした。






PS.
 D52形蒸機牽引の客車列車が 走った路線は数少なく、単線ながらも沿線に並ぶ ハエたたきが本線規格となれば想像がつきます。
 7枚目の画像の一寸前で 72号機と分かり、4枚目と16枚目の画像で 元複線であった痕跡が見えます。となれば、もう御殿場線以外ありません。14枚目の蒸機も当時 国府津区の 403号機でした。

 ロケ当時でも蒸機牽引の客レは 早朝と夕方・夜が多く、撮影に適しているのは沼津 9:22 → 11:18 国府津の 916レと国府津 12:41 → 14:38 沼津の 915レ の2本だけでした。
 御殿場線はその後 1968年に全線電化と同時に無煙化されますが、それまで4分程度の変化で 同じ状態のままこの2本の列車は 運行されていました。

 御殿場線は元々東海道線の一部分として1889年開業し、1934年12月の丹那トンネル開通によって支線の御殿場線となりました。
 1901年に複線化されましたが、1943年 ~ 1944年にかけて不要路線として 単線化されました。現在でも複線時代の 名残の施設が随所にあります。

車内シーンは全てセット撮影で、妙に座席の背ずりが低い様に思えてなりません。国鉄の協力を仰いだのは、18枚目の松田駅らしき構内での撮影時だけと思われます。

 本作は数多い三船敏郎主演のアクション映画ですが、追分役の有島一郎が 尺八を好み 不発弾処理を得意とする 土方役として 印象深く記憶に残りますね。


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267.牛乳屋フランキー

1956年12月 日活 製作 公開   監督 中平康

経営が傾いた親戚の牛乳店を救うべく上京した堺六平太(フランキー堺)が、顧客獲得の為 奮闘する姿を描いた ドタバタコメディ映画です。

冒頭 堺は地元の大日本鉄道 長州追分駅頭(架空鉄道&駅)で、鼓笛隊付きの盛大な見送りを受けています。
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祖父 堺小五郎(フランキー堺:二役)の長い挨拶の途中 蒸機の汽笛が鳴り響くと、「おぅ陸蒸気の出立じゃ」と時代掛かったことを言います。
続いて万歳の掛け声と共に
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8620形らしき蒸機が牽引する列車が、{ちょうしゅうおいわけ}と駅名板が掛かったホームを出発して行きタイトルとなります。
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親戚の杉香苗(坪内美詠子)が営む杉牛乳店を立て直すべく奮闘し 顧客を増やす堺ですが、杉家の借金返済に窮すると祖父 小五郎も上京して来ます。
頼りにならない祖父でしたが顧客の南郷隆盛(澤村國太郎)と旧知の仲であったことから返済の援助をしてもらい、堺は顧客の映画助監督 松原善吉(宍戸錠)と南郷の娘 英子(南寿美子)との仲を取り持ちます。
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東京駅 8番ホームで発車を待つ鹿児島行急行列車では、新婚旅行へ向かう松原・英子と共に帰宅する祖父 小五郎までが同じボックス席に座って南郷の見送りを受けています。
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列車が動き出したところへ、階段を駆け上がった映画女優の丹下キヨ子(実名)がやって来ます。
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そして列車と並走しながら小五郎に花束を押し付ける様に渡し、松原にケーキの箱を渡すのでした。
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やがて立ち止まると、晴れ晴れとした表情で見送っています。
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続いて田町の札ノ辻橋らしき上では、堺を始め杉牛乳店の面々が列車を待っています。やがて EF58形電機を先頭とした列車が現れ、
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皆が手を振ると英子・小五郎・松原の順で並ぶ3人も手を振り応えます。
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列車が橋の下に差し掛かると皆は橋の反対側へ走り寄り、去り行く3人に向かって叫んでいるのでした。
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PS.

  堺の盛大な見送り場面のロケが行われたのは、御殿場線の谷峨駅の様です。2000年に改築される迄 駅舎は変わることなく存在していた模様です。
  発車して行く蒸機は 8620形の様ですが、時代掛かった見送り場面に見合う様 当時沼津区に5年間だけ在籍したハチロクを使ったのでしょうか。

  東京駅から出る鹿児島行の列車と言えば、12:35発の急行きりしま号と 21:30発の急行 筑紫号の2本です。ですから当該列車は、35レ急行 きりしま号となります。
  しかし 8番線は主に普通列車や臨時列車の発着に使われ、きりしま号は、当時 14番線発車でした。想像するに回送引上げの列車に鹿児島行のサボを取り付け、ロケを行いながら品川客車区迄走らせたと思われます。


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198.花実のない森

1965年1月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 富本壮吉

セールスマン 梅木隆介(園井啓介)は若い人妻 江藤みゆき(若尾文子)を助けたことから近付こうとするが、彼女の周りで連続殺人事件が起こる サスペンスミステリー映画です。

みゆきの兄 楠尾英通(田村高廣)の策略で、山口県の半身不随の豪商 江藤と政略結婚した みゆき。しかし退屈して度々上京する内、みゆきの周りの男が次々に殺されます。
自分の暗い過去からの経緯を梅木に告白した みゆきは、山口の江藤の元へ帰ります。暫し迷った梅木ですが、彼女の後を追って山口へ向かう場面から鉄道シーンが始まります。

先ずは東海道新幹線 0系の走行シーンがあります。ロケ当時は新幹線開業直後であり、超特急ひかり号でも東京~新大阪を4時間運転でした。
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続いて乗換たであろう山陽本線は省略らしく、D52形蒸機 D52236 が5両の旧型客車を牽引して単線非電化の線路を走り抜けて行きます。
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そして到着した駅で降車した人々は、構内踏切を渡って改札口へと向かっています。
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梅木は漸く着いたか!といった顔で、周りを見ながらホームを歩いています。
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最後に改札口を出た梅木は、
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駅舎内を見回してから腕時計を見ています。壁に吊られた大時計には周防山田驛と文字が入り、入り口横の壁には瀬戸内海の観光ポスターが貼ってあります。
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山口県を始め全国に周防山田駅は無く、架空駅です。ではロケの行われたこの路線と駅は何処なのでしょうか?最初の蒸機 D52236 号機は、当時 国府津区所属で御殿場線を走っていました。
では到着した構内踏切の在る駅は、足柄駅? 否 その前に画像を見ると停車している蒸機がD52 形ではなく 9600 形でしょうか?替っています。当時 御殿場線に 9600 形は居なかったのでは?

どうやら梅木が下車した場面は東京近郊の別線でロケが行われた?と想像すると、川越線が思い浮かびます。川越線内で構内踏切が在った駅は、指扇・的場・武蔵高萩だったでしょうか?
この内 画像の雰囲気に近いのは的場駅と思われますが、指扇駅も有力です。ホームに立っている駅名板や、駅舎内の時計・ポスターは美術さんのお手製でしょう。

しかし梅木が改札口を出てくる場面で、上部に当時 関東地方にのみ店舗があった(大生相互銀行)の広告板も映ってしまっているのは残念ですね。
また川越線だとすると撮影可能な旅客列車が早朝の上り大宮行 822ㇾしか無いので、画像の様に貨物列車の機関車部分のみ映してエキストラを動員したのでは?と思われます。。

正体のバレた江藤とみゆきが悲しい結末を迎え、一人空しく帰京する梅木を乗せたD52 牽引の列車が走り去る場面でエンドマークとなります。
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この場面は最初に蒸機が登場した場面と同じ場所で撮影されており、左側の道は国道246号線でしょうか。

客車列車の走行シーンを川越線や成田線などで行わず、御殿場線のD52 に拘った監督の意図は分りませんが映画公開から3年後に電化されています。




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82. 空想天国

1968年8月 東宝 製作 公開  カラー作品    監督 松森健

冴えない空想家の建設会社員である田丸圭太郎(谷啓)が空想から本当の大活躍を見せるアクション風コメディ映画です。

海東で地震が起き、田丸が勤める山水建設が施工した海東高校が倒壊した。田丸は原因調査を託され、海東駅へ向かったのです。
山間部をD52 蒸機が3両の客車を牽いて走る姿が映った後、(かいとう)と柱に札が付いた駅へD52 70 機関車が牽く列車が到着します。
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続いて(海東)と看板が屋根に載る木造駅舎から田丸が出てきます。
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右手を向くと山村宏子(酒井和歌子)が来て、高校倒壊で父親が死亡したことから田丸を引っ叩きました。
当時 東京近郊で蒸機牽引列車が走っていた御殿場線がロケ地に選ばれました。海東駅は松田駅と思われます。D52 70 は国府津区所属で現在は山北駅横の公園に静態保存されています。

高校倒壊の原因を突き止めた田丸が帰京する時、宏子が見送りに来ます。田丸が乗った列車は5番線に停車していて、前方では蒸機が煙を上げています。
宏子は前方から圭太郎の名を呼び、車内を捜してホームを歩きます。
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そこで汽笛が鳴り列車は動き出します。田丸が声を掛け、宏子はデッキで待つ田丸のもとへ飛び乗りました。

ホーム前方へ宏子が現れた時、ホームの時計は 12:25 でした。そして5番線。とするとこの列車は日中唯一の下り蒸機牽引列車 国府津 12:37 発の沼津行 927ㇾと思われます。
つまり駅舎前でのロケは松田で行い ホームへの到着や発車のシーンは山間の駅ではなく、東海道本線の駅でもある起点の国府津駅でまさかの撮影が行われたと推察します。

その後空想ではない場面では最初と同じ山間部をDC列車が走り、海東駅へキハ51 形DC列車が到着します。
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そして同じ海東駅舎を右に出ると、現れた女性は・・・
最初はこの映画のロケが 1968年4月27日の御殿場線前半電化直前に行われたので、海東駅には既に架線が張られているのかと思いましたが国府津でロケされたとすると納得です。

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