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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

352.竜虎一代

1964年9月 東映 製作 公開   監督 小林恒夫

明治中期 九州筑豊地区の鉄道工事を請け負った松橋建設と 川船に依る石炭輸送業務の打ち切りを恐れた石岡組の 紛争を描いた任侠系アクション映画です。

冒頭 機関庫から動き出す7号機関車が映り、
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タイトルクレジットの間 走行シーンが次々と映ります。
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石岡組による 妨害行為に会いながらも進む 鉄道工事現場では、代表の松橋雪子(富司純子)が 図面を広げ 松橋新一(千葉真一)が 水準儀を覗き その後方には 資材運搬用に7号機関車が働いています。
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また警察に追われて 東京から逃亡して来た 草刈信次郎(鶴田浩二)も、大陸逃亡資金稼ぎの為 鉄道工事に参加して働いています。
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中盤 順調に鉄道線路建設が進む中 資材を積んだ無蓋車に 上乗りした草刈達は、
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前方の線路上に 女子供達が座り込んでいるのを目にします。
機関士が キャブから身を乗り出して前方の様子を見て驚き
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おにぎりを食べている連中の 直前に停止すると、
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母親らしきが「鉄道工事を中止するまで此処を一歩も動かん」と息巻いています。
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工事が終盤を迎えた頃 「線路爆破工作の企みがある」とのタレコミが 松橋建設へあります。直ちに松橋を先頭に 全員で捜索に出掛け、草刈を東京から追い駆けて来た 三杉誠刑事(加藤武)も 草刈と共に捜索します。
一方 鉄橋爆破を企む 般若の松三(大村文武)は 手下とダイナマイトを仕掛けると、導火線に点火して 逃走する途中で 草刈・三杉に見つかり 草刈と格闘している間に 橋は爆破されてしまいます。
7号機関車に 組員と乗り込んだ松橋は、
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前方の鉄橋が 無くなっているので 停車させます。
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すると 線路脇に潜んでいた 石岡組の一団が、機関車の乗員に 襲い掛かり格闘となりました。
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しかし多勢に無勢で 松橋が健闘しても負傷し、機関士にまで危機が迫り 脅迫されて 動かす羽目になります。
松橋は 動き出した機関車にしがみつき
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何とか運転室へ 乗り込みますが、黒田の角助(潮健児)に刺されてしまいます。
そこへ馬で追い駆けて来た 繩手清治(天知茂)が乗り込み、黒田の角助を追い出しますが 崩落した鉄橋が迫ったので松橋と共に飛び降りました。

哀れ 7号機関車は 橋台から先のレールが無いので、鉄橋の残骸が落ちてる 川の中へ転落したのでした。

堪忍袋の緒が切れた草刈は 慕っている北島きみ(佐久間良子)の願いも聞かず 単身石岡組へ殴り込み 暴れ廻って、縄手との 一騎打ちにも勝ち 最後は石岡組親分の 石岡利三郎(山本礼三郎)が責任を取って自決します。

やがて 若松~直方を結ぶ 筑豊鉄道の開通式の日を迎えました。
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祝賀列車には 招待客の一員として 松橋建設代表の 松橋雪子も乗り、
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亡き父 松橋玄一郎・弟 新一が眠る 墓の近くを走り抜けて行くのでした。
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PS.
  古典的機関車には珍しく テンダー型蒸機が、冒頭から登場する本作。英国ピーコック製の ピーテンらしき蒸機よりも、何故か 大谷石壁の倉庫群をバックに走行する 蒸機の姿に 微かな記憶がありました。

  幼少期の小生は 毎年の様に母親に連れられ 実家の多々良へ向かい、浅草から 東武鉄道に乗って行きました。そして 準急停車駅の館林へ 到着する直前に、倉庫の前で休む 蒸気機関車を見るのが 毎年楽しみでした。

  60年以上前の 微かな記憶から 本作の舞台である九州ではなく 東武鉄道に在籍した蒸機では?と思い 調べてみると、正に 英国ベイヤー・ピーコック社へ 東武鉄道が発注した 1907年製のB1形7号機でした。

  1枚目の画像は、やはり館林機関区でした。最盛期は 60輛以上の蒸機が在籍した 東武鉄道ですが、1960年以後は 佐野線と葛生から先の貨物線で 最後の活躍をして 全線電化した後の 1966年6月をもって 全機廃車となりました。

最後の祝賀列車は 8号機関車が牽いていますが 当機は公開の前年 1963年11月に 一足早く廃車となっているので、この場面を先行で ロケしたのか №プレートを付け替えたのかは不明です。

ロケが行われたのは、葛生駅の先 会沢貨物線でも田園地帯である 葛生~築地の区間で行われたと思われます。(筑豊本線の遠賀川橋梁らしきでのロケ部分を除く)
  勿論機関車が転落するシーンはミニチュア特撮映像で、転落直前の様子は
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  筑豊興業鉄道の建設会社と 川船運搬組の争いを描いた映画は 他にも有り、特に 1969年東映製作の(緋牡丹博徒・二代目襲名)では より古典的な 加悦鉄道 1261号機の カラー映像での 走行シーンが有ります。


参考 : 鉄道ピクトリアル 1961年2月号(№115)



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320.無鉄砲大将

1961年4月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 鈴木清純

喫茶ボンヌで働く 津山雪代(芦川いづみ)を 姉の様に慕う高校生 海津英次(和田浩治)が、暴力団 新界組を壊滅させて 雪代と堅気になりたい恋人の五郎(葉山良二)を 応援する青春映画です。

池袋の再開発途上地区らしきで 雪代と話す五郎に 敵愾心を見せた海津は、池袋電車区らしきに架かる跨線橋上で 雪代に組員である五郎と別れる様に話します。
海津の背後では、西隣の東武東上線を 7800・7300系らしき赤い電車が走っています。
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雪代から人間性の良い五郎を 何故嫌うのかと反論されて、
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海津は東側へ走り 雪代は西側へと去り行きます。
東側から西側を臨むカットでは 三段窓の国鉄73系電車が映り、上を西側へ雪代が歩く跨線橋の 構造がよく分かります。
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海津は東端の階段を降りたら 同級生の堀本京子(清水まゆみ)が スポーツカーに乗って待ち伏せしていたので、逃げる様に再度橋上に戻ります。
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その後も 海津がこの跨線橋上で、物思いにふけるシーンがあります。戦時中の金属供出らしきで 手摺り中段の鉄パイプを抜かれたままの橋は、全体に経年劣化が進んでいる様子です。
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そして 雪代をモノにしたい 新界組々長の新界(富田仲次郎)が、ニセの手紙で手下を使って 雪代を拉致する場面を京子が目撃します。
話を聞いた海津は 空手部員や同級生達と 雪代が監禁されている新界組へ乗り込もうと 気勢を上げる場面は、中央本線快速線・緩行線が走る東中野~中野沿いの道路と思われます。
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事件が解決し 神戸へ行って友人が営む会社で 再起を図る五郎に 付いて行く雪代を、京子の発案で 海津達一同は見送ろうと 発車目前の駅へ急ぎます。
連絡地下道から 9番線へ上がると、大阪行のサボを架けた 普通列車らしきが停車しています。
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列車前方の窓から 手招きする雪代達の所へ 一同は駆け寄り、お祝いと別れの言葉を交わしているのを
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海津は少し離れて見ています。
背後の 11番線から東京駅発の 下り普通列車が出発して行きます。デッキから こちらの様子を見ている男が目立っていますね。
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やがて二人が乗る列車が動き出すと、
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双方が手を振って 別れを惜しんでいます。
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その時になって 漸く手を振る海津です。
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列車が去り行くと、海津は一団と離れて 一人Uターンしてその場から離れて行くのでした。
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PS.

 高校生の海津や京子が 軽乗用車(1968年まで16歳で取得できる軽自動車免許があった)とは思えないオープンスポーツカーを乗り回したり、拳銃を所持する暴力団へ 高校生だけで殴り込みを掛ける等々 破天荒なシナリオですね。

 東武鉄道の7300系電車は 戦災による車輛不足対策で 1947年に運輸省から 国鉄63系同様車を割り当てられて導入したもので、国鉄73系同様に改造して 7300系となった電車です。
 その後 1959年~1964年に順次 7800系同様の車体に 載せ替える更新改造され、1984年迄、活躍していました。

 池袋電車区は 1925年に設置され、作中では多くの 73系国電が眠っていますね。跨線人道橋は 戦前からある様で、老朽化から 20世紀末頃に撤去された様です。
 東側の階段下には「職員以外立入禁止」の看板が立ってますが、階段を嫌って潜り込み 近道しようとする者がいた様です。

国電車庫といえば、当ブログでは「165.本日休診」以来の登場でしょうか。車庫の跨線人道橋といえば、年期の入った橋が 三鷹車両センターに現存していますね。

 品川駅の 9番線がある第5ホームは 長い間臨時列車用ホームとして存在し、修学旅行用列車や お盆時期の東北方面臨時列車用として 第4ホームと共に使われていました。
 関西へ向かう五郎と雪代を 見送る場面は 東京駅では許可が下りず、品川客車区の オハ35客車等を 入換用のDD13形内燃機が 構内を牽いてロケしたと思われます。

 13枚目の画像で 海津の背後に入換作業中の DD13形内燃機が、初期の塗装色で映っています。新開発された DD13形内燃機が 1958年から品川機関区へ最初に導入され、翌年には 品川駅構内が無煙化されました。

 本作では 先日閉園となった豊島園で ロケがあり、海津がローラースケート場でバイトしたり 池の畔での立回りシーンがあります。


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 128. 最高殊勲夫人

1959年2月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 増村保造

三原商事で働く三原家の長男と野々宮家の長女に続いて、次男と次女が結婚した。長女は三男 三原三郎(川口浩)と三女 野々宮杏子(若尾文子)も結婚させようと、画策するラブ・コメディー映画です。

鉄道シーンのトップは東京の代表的交通風景として、お茶ノ水駅を秋葉原側から俯瞰したシーンがあります。神田川に架かる橋を帝都高速度交通営団(現 東京地下鉄)丸ノ内線 300形らしき3連が渡っています。
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交差する総武本線上り線を 72系らしき茶電が御茶ノ水駅へ向かっています。更に神田川を挟んで交差する上部の外堀通り昌平坂を都電 13系統(新宿駅前~水天宮前)の車両が松住町→御茶ノ水へと進んでいます。

次に昼休み 会社の屋上で三原三郎と杏子が話しています。一段高い位置から俯瞰する先には、東京駅丸の内駅舎(近年迄の八角形トップ)が隣に建っています。横では女子社員がバトミントンに興じています。
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この角度の構図からすると、当時の国鉄本社ビル屋上でロケが行われたと思われます。新館建築前で、国鉄に勢いのある時代です。国鉄の象徴たる本社ビルも、国鉄解体後の平成10年解体されました。

社長 三原一郎(船越英二)は芸者のポン吉(八潮悠子)と鬼怒川温泉へ一泊旅行を目論み、この話を社長室で耳にした杏子は三郎にこの計画阻止を頼みました。先ず東武鉄道 1700系白帯特急 4連が映ります。
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現地で落ち合うべく一郎は出張を装い、一人で窓側にハンカチを顔に被せてリクライニングシートを倒して座っています。車内は行楽へ向かう人や商用の人々で満席の様子です。
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一郎は検札を受けた後再びハンカチを被り「風呂は一緒に入ろう その方が気分が出る」「なーに桃子に分かる訳がない」などと調子に乗っている様子で、隣の男は呆れた感じです。
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1700系は 1956年登場の戦後二代目ロマンス特急で、国鉄の二等車に準ずるシートピッチ 1000㎜で 14と26度の二段階リクライニング機構付の回転シートですが幅が 432㎜と狭いのが少々玉に瑕です。
オール電動車で、浅草~日光を 1時間59分と初めて二時間を切りました。更にこの映画公開の年から冷房化され、国鉄車両に決定的な差を付け旅客獲得勝負に決着をつけました。
しかしこの翌年には新型のデラックスロマンスカー 1720系が登場し、脇役となり DRCを補完する立場となった。そして 1971年までに運用停止となり、1720系へと車体更新されたのです。

当時の時刻表によると更にスピードアップし、特急は浅草~日光 1時間55分で 3往復 浅草~鬼怒川温泉 2時間16分で平日 3往復 土日 4往復運転しており、鬼怒川温泉までの運賃 290円+特急料金 200円でした。
一郎は 浅草 13:40 → 15:56 鬼怒川温泉の 109ㇾ か土日運転の 107ㇾ 浅草 12:40 → 14:56 鬼怒川温泉のどちらかで夢を抱いて向かったと思われますが・・・

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78. 自由学校

1951年5月  大映 製作 公開  監督 吉村公三郎

獅子文六の原作を松竹と競作し、主役を一般公募で決め5月5日に同時公開した変り種映画です。

些細な事から会社を辞め、妻になじられた南村五百助( 小野文春 )は家を飛び出し最寄りの武蔵間駅(架空駅)の改札を入ります。
この駅はオーク様のブログ「板橋ハ晴天ナリ」によりますと、東武東上線下赤塚駅だそうです。改札の位置といい構内は隔世の感があります。

妻の駒子( 木暮実千代 )が後を追い、駅へ駆け付けますが
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南村の乗った6300系電車(最後部はクハ300形かな)は走り去って行きます。
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この電車は国鉄63系電車と同じタイプで戦災復旧用に量産された車両です。踏切警手が白旗を振る中、加速してゆきます。

次に東海道本線 大磯駅へ80系湘南電車が進入、停車する場面があります。ホーム駅名板の表記は(おほいそ)となっています。
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80系湘南電車は この映画公開の前年1950年3月より運用が開始された、この当時最新型の電車でした。

そして南村がルンペン集落に開放感と自由を感じる場面で、この当時のお茶の水界隈が映っています。
まず南村がお茶の水橋の上を案内されながら渡る時、1932年建築の国鉄お茶の水駅舎や1927年完成の優美な聖橋が映っています。

ルンペン集落はお茶の水橋の下に在り、神田川の畔に立った南村は聖橋方向を眺めながら「あ~良い所だ」などと呟きます。
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お茶の水駅のホームから続く跨線橋 聖橋 その先に中央本線を跨ぐ総武本線の神田川橋梁と松住町架道橋が見え、現在とあまり変わりません。
しかし神田川から左側は1956年延伸開業の地下鉄丸ノ内線(御茶ノ水~淡路町)の橋も未だ工事が始まっていない様で、川岸も樹木が自然な感じです。

映画の後半 南村が多摩川の川辺でユリ( 京マチ子 )と隆文( 大泉滉 )を諭す場面があります。現在の大田区鵜の木3丁目辺りでしょうか。
多摩川の上流側には品鶴貨物線の多摩川橋梁があり、やがて鶴見側からD51型蒸機が40両の貨物を牽引して渡って行きます。
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品鶴貨物線は戦前に電化されていますが、山手貨物線が未電化(1954年電化)なのでD51 が牽引していたのでしょう。
品鶴線の先には初代丸子橋が映っていて、現在ではこの間に東海道新幹線多摩川橋梁があります。今では横須賀線等の旅客線の印象が強い品鶴線です。

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