fc2ブログ

日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

328.猛吹雪の死闘

1959年4月 新東宝 製作 公開   監督 石井輝男

山形蔵王で山岳ガイドをしている 粕谷五郎(宇津井健)が 宝石強盗団に逃走案内を強要され、雪山で困難な事態に立ち向かう姿を描いた 山岳アクション映画です。

軽装で 屛風岩を越えて宮城側へ下山するガイドを希望する 4人組を断った粕谷でしたが、山小屋へ桂千春(星輝美)と帰る時に 4人は無理やり後を付いて来てしまいます。
山小屋迄の約束で 案内して泊めましたが、翌朝一団の女だけが 姿を消していました。 そこで本性を現した男達は 千春を人質にして、11時までに女を連れ戻す様に 粕谷に強要します。
元オリンピック選手の粕谷が追いかけると 転倒して気絶している女を見付け、避難小屋へ運んで介抱すると 双見昭子(三原葉子)と名乗って経緯を話します。

昭子が働くクラブの上客で ヤマト製鉄社長の息子という触れ込みの 菅野欣也(菅原文太)が、得意先の大平剛(大友純)と 峰山浩三(宗片祐二)を 北海道工場へ招待する視察旅行の 接待役に同行を頼まれたのです。
暗フィルターが掛けられた中 準戦時型のD52形蒸機らしきが牽く 客レが進行し、駅が近いのか 機関士がタブレットキャリアーを外側に持っています。
328-21.jpg

続いて新東宝お馴染みのセットでの 二等客車内では、仮眠していた昭子から 新聞を菅野が取り上げ「一寸借りますよ 急だったので寝台が取れなくって」と言うと 3人でヒソヒソ話し込んでいます。
328-5.jpg
そのうち新聞を丸めて 捨ててしまいました。「それで読まれたくない記事が出ているのでは?と思い、ある駅で新聞を買い直して読むと、三人組の宝石強盗の 記事があってピンときたの」

すると三人は移動して来て 昭子を取り囲み、「感付かれたんじゃあ仕方ない 逃げ延びるまで 大人しく付いて来るんだ」と年長者に言われて宝石強盗団と確信します。
328-7.jpg
翌朝 大きな駅に C51形蒸機牽引列車が停車と同時に
328-25.jpg
昭子は降りて改札口へ急ぐと、
328-30.jpg

328-27.jpg
そこには三人が並んで 待ち構えていました。
328-28.jpg
そして三人に囲まれて 改札を抜けた昭子は、
328-12.jpg
逃げ様にも 拳銃に狙われていて言いなりでした。
そして警察の眼をくらます為、スキー客の扮装に着かえて 山へ来たそうです。
328-14.jpg







PS.

 戦時中に集中製造された D52形蒸機は、デフやランボード・炭水車の上部の木製化を始め 重要部分を含めて各部を 簡略化して製造されました。
 その為ボイラーの破損を始め 故障が頻発したので 戦後に順次改装されましたが、何故か最後まで重要部分以外は 簡単な改装だけで使われたカマが 僅かにありました。

 東京から近くて架線の無い線で 大型蒸機が客車列車を牽いている様子を撮影をするには 御殿場線が適当で、当ブログの(カテゴリ:御殿場線)でも4本紹介しています。
 そして御殿場線担当の国府津区には、最後まで準改装車の D52 460号機がいました。1枚目の画像はこの時代には珍しい 準改装のD52なので、或はこの460号機かもしれません。

 4枚目の画像は 当ブログでも珍しく C51形蒸機で、(306.女中ッ子)以来二度目ですね。当時 奥羽本線の新庄区所属で、山形駅 1番線へ上り列車を牽いて到着します。
 続いて作中に合わせて 奥羽本線下り列車用の 2番線への到着場面が 短く映り、ホーム上部には(FOR AKITA AOMORI)と案内板があります。
328-29.jpg

 続いて6枚目の画像では 一転1番線の列車から昭子が 後ろを気にしながら降りて来て、前方の改札口方向を見ると 3人が待っています。ホームの案内板は(米沢 福島 上野 方面)ですね。
 ホームの時計は早朝 6:18で、「やまがた~ 乗り換えの仙山線は6:25」と放送が聞こえます。しかし当時の時刻表では 奥羽本線上下線と 仙山線に該当する列車は存在しません。

 このロケの様子を 例によって想像してみると、先ず作中の筋に合う2番線に 上野発の青森行 411レ普通列車が 6:06に到着する場面を撮ります。
 続いて1番線に 6:31山形始発の仙山線313レ仙台行が 6:17頃入線するのに合わせて、到着した回送列車から 昭子が降りて 改札口へ向かう場面を 撮影したと思われます。
 冬の早朝で青森行 411レは 6:15に出発して行きましたし、奥羽本線の上り列車は 7:25着の 436レまで無いので 改札口は混んでいません。

(327.樹氷のよろめき)は ニセコロケなので 樹氷は無く、むしろこちらの作品こそ(樹氷原の死闘)と変えたいくらいですね。
 石井監督は真冬の山形蔵王で本格的なアクションシーンや岩登り場面等を撮って、山映画に強い面を買われて 後に東宝で(293. 黒い画集 ある遭難)の脚本を担当したり 東映で冬山アクションシーンのある(48.網走番外地)を撮りました。







PageTop

306. 女中ッ子

1955年6月 日活製作公開   監督 田坂具隆

秋田から加治木家へ女中として入る為 上京した織元初(左幸子)が、悪戯っ子で家族から浮いている 勝美(伊庭輝夫)に寄り添い 慕われる過程を描いたファミリー映画です。

冒頭 単身上京した初が、上野駅中央改札口前の 広場を歩くところで タイトルが入ります。306-1.jpg
この場所は 上野駅の象徴的な所なので、しばしば映画の ロケ地となっています。
続いて 1番線ホームへ上がった初は、山手線・京浜線の共用ホームへ 丁度 到着した山手線へ乗ります。
306-2.jpg
車窓の丸の内・飯田橋付近・更に横須賀線用 70系電車が憩う 田町電車区等がタイトルクレジットのバックに映ります。

中盤 同級生の家で 模型機関車を見せびらかされて 欲しがる勝美に、初は「本物が見えます」と木に登らせて 遠く過ぎ去る汽車を共に見るのでした。
306-4.jpg
また学校帰りに 標識だけの 第四種踏切を渡るシーンでは、西武鉄道の 311系らしき2連が通過直後に走って家に急いで帰ります。
306-28.jpg


初が初めての旧正月に 帰省する場面では、勝美は 友達の良一(渋沢準)と近くの高台から 初が乗る列車を見送ります。汽笛が聞こえ 駅の方を見ると、C57形蒸機に牽かれた列車が近付いて来ました。
306-7.jpg
二人が「ハッチャ~ン」と叫びながら手を振ると、
306-8.jpg
3輌目中央で 窓を開けてハンカチを盛んに振る初がいました。
306-9.jpg

その後 勝美が飼っていた犬を 捨てられたことから 学校へ登校せずに家出した勝美は、帰省した初を追って 秋田へ向かったのでした。しかし車内で眠り込んでしまい 車掌さん(高品格)に起こされた時には、下車駅の形ノ館(架空駅)から3つ先の羽後院内でした。
306-11.jpg

306-13.jpg

急いでランドセルを背負わせてもらい降りると、C51形蒸機 185号機牽引列車は出発して行きます。
306-15.jpg
勝美と共に出発確認を行った川村助役(阪井一郎)は、勝美を駅長室へ案内します。
306-17.jpg

勝美がウドンを食べさせてもらっていると、助役さんは 通票閉塞器を操作して 隣の駅に「412列車10分遅れ」と連絡しました。
306-18.jpg
「今夜はもう戻る列車が無いので、明日一番の列車に乗せてあげるから心配いらない」と話してくれます。
そこへ入って来た山田としお(光沢でん助)に「織元初はお前と同郷でないか」と助役さんが聞くと、「初の実家は形ノ館よりもこの駅からバスで行った方が良い」と行き順を教えてくれました。

翌朝 形ノ館駅に C5140号機牽引列車が到着し、
306-19.jpg
初は幼馴染(大倉節美)に見送られて帰路につきます。
306-20.jpg
ところが車掌をしている同郷の山田から「今朝 勝美一人で、羽後院内からバスで初の実家へ向かった」と聞きます。
306-21.jpg
バス停から実家まで 深い雪道を4㎞も歩くので 心配になった初は、駅まで馬ソリに乗せてもらった八小父(天草四郎)に 走行中のデッキから「待って~」と声を掛けると 汽車から飛び降りて 勝美の後を追ったのでした。
306-22.jpg

遭難しかけた勝美は 雑貨屋の親父に助けられ 一晩 初の実家で過ごし、更に夜には 秋田の伝統行事を体験します。翌日 初と一緒に帰ろうとすると、心配した父の加治木恭平(佐野周二)と母 梅子(轟夕起子)が迎えに来てくれました。
こうして一件落着となり、行方不明の犬も見つかって 万事良しの結末と思いきや・・・    ラストは暇を出された初が 乗っているらしい汽車が、故郷へ向かって去り行くシーンで エンドマークとなります。
306-26.jpg






PS.

 ロケ時は未だ 山手線と京浜線が分離運転されていなかったので、二枚目の画像でホームの柱には 大宮・池袋・新宿・渋谷方面と書いてあります。
 加治木家は世田谷区南部の 尾山台辺りを想定している様なので、三枚目の画像の前に 多摩川を渡る東横線らしきが映ります。しかし三枚目の画像は画質が変わり、明らかに地方路線の映像を繋げています。

 六枚目の画像で 勝美と良一の二人がいるのは 国立科学博物館裏の線路端と思われ、絶好の位置から上野駅高架ホームを発車する列車を見事に捉えています。

 帰省した初を追って 勝美は朝 登校するふりをして家出して、秋田の形ノ館(架空駅)を目指します。その行程を想像すると、上野 9:00 ―(101レ急行青葉)― 14:01 福島で4輌分離 14:17 ―(427レ・新庄から普通列車)― 19:12 院内 (仮に上野をもっと早朝の列車に乗っても、接続列車は無く 到着時刻は同じです)

 院内駅は実在しますが 1904年の開業以来 院内だけで、頭に 羽後は付きませんので 架空駅とも言えます。なお 勝美が寝込んでしまい 車掌に起こされるシーンや、後の初が車内で山田車掌と 会うシーン等の車内シーンは 全てセット撮影です。

川村助役が「今夜はもう戻る列車が無い」と言ったのは、奥羽本線 院内からの上り列車は 18:34発 414レ上野行が普通列車の最終で 20:18発 402レ急行鳥海上野行では 3駅戻る釜淵駅には停まりません。

翌朝 初が形ノ館駅から乗車しますが、この駅は釜淵ではなく 難読駅名として有名な 及位(のぞき)駅の昔の様子に似ています。院内の隣駅である 及位だとしても 前日に戻れないことは同じです。

 初が加治木家へ戻ろうと乗ったのは、及位 7:03発 438レ普通列車福島行と思われます。この列車は 12:29福島着で、12:49発の 128レ上野行普通列車に乗り継げば 19:56に上野到着です。


 初は 勝美が密かに犬を飼っていたのを取り持ったり 何かと家族から浮いた存在だった 勝美を諭して 家族がまとまる手助けをしていただけに、切なさと やるせなさを感じさせる ラストの納まり方が 悲し気な蒸機の汽笛の音と共に より印象深い作品となっています。

PageTop

296.喜劇 逆転旅行

1969年8月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 瀬川昌治

国鉄の専務車掌 長谷川吾一(フランキー堺)が乗務する急行列車で遭遇するトラブルや、三角関係のロマンスを描いた 歌謡コメディ映画です。

冒頭 早朝の米沢駅をEF71形電機に牽かれて出発した列車内で
296-1.jpg
長谷川がB寝台車の乗客に挨拶していると、
296-2.jpg
女性からガーターベルトの修理を 腕章の安全ピンで頼まれます。
3段式寝台の下段に座った女性の横で修理を始めると、上段の男が覗いてきました。
296-3.jpg
男が女性の連れ合いなので断り通路を進むと、寝台解体中の乗務掛木下信作(森田健作)がいます。
296-4.jpg

続いて 開店準備中の食堂車へ進む長谷川ですが、
296-29.jpg
あれこれ指図するので

296-31.jpg

ウエイトレス嬢やチーフの矢代大吉(伴淳三郎)と揉めてしまうのでした。
296-31-3.jpg

列車は山形・秋田都停車して、DD51形内燃機で弘前へと到着します。
296-9.jpg
ここで乗務終了となった様で、ラッセル車が並ぶ構内を抜けて車掌区へと帰り タイトルクレジットとなります。
296-10.jpg

序盤 朝日をバックに DD51形内燃機に牽かれた 10系客車列車が橋梁を渡り、
296-11.jpg
食堂車内では現在地表示板が映り
296-30.jpg
矢代の娘綾子(早瀬久美)が今日からここで働くのでと張り切っています。
296-32.jpg
そして上野駅 14番線らしきに電機に牽かれて到着します。
296-13.jpg
続いて出発列車案内板がずらりと並ぶ 6:32頃の中央改札口が映ります。
296-14.jpg
戻りの夜行列車内でしょうか、食堂車では怪しい言葉を話す三井高治(藤村有弘)やハエが気になる夫婦(京唄子・鳳啓介)が絡んだドタバタ劇が入ります。
296-16.jpg

中盤 食堂車では県議の荒尾徳三郎(由利徹)が注文した品を忘れるトラブルが起こり、更に幼なじみの芸者さくら(倍賞千恵子)から求婚もされて先行きを悩む長谷川です。
そのさくらから団体旅行への参加を誘われますが 長谷川は法事があるからと断り、惚れ込んだ原かおり(佐藤友美)を秋田の竿灯祭り見物に誘うのでした。

当日 弘前駅ホームの売店で買い物をしていると、秋田行お座敷列車による団体旅行の一員として さくらも乗り込みます。車内では発車直後から、酒も入って賑やかな様子です。
296-18.jpg
隣の普通車の席では、かおりと並んで笑顔の長谷川です。
296-19.jpg
お座敷列車内では、都はるみの歌もあって更に盛り上がっています。列車は矢立峠越えがあるので、D51形蒸機が重連で牽いているのでしょう。
296-20.jpg
そして何故か最後にC11形蒸機が 10輛程の客車を牽いている走行シーンが入って、秋田駅に到着し 観光地巡りが始まるのでした。
296-21.jpg

その後 かおりにプロポーズする長谷川ですが、国鉄を辞めて婿入りするのが条件だと言われてしまいます。28622が入換作業を行う構内を、どう返事するか悩みながら歩く場面へと続きます。
296-22.jpg

結局 体よく振られた長谷川ですが、強引なさくらに押し切られ 結婚することになりました。 DD51形内燃機が牽く急行列車が映り、296-23.jpg
長谷川が勤務する車掌室に乗客掛・食堂車の面々がお祝いに駆け付けます。
既に解体されたB寝台車の通路で掃除中の木下に「お前か 皆に言いふらかしたのは」と聞くと、
296-24.jpg
さくらが勤務姿が見たいと乗客として乗っていて 長谷川に絡むのでした。
さくらに付けられたキスマークに気付かずに 女性グループに笑われながら、内燃機に牽引された列車の 後部が去り行くシーンでエンドマークとなります。
296-26.jpg







PS.
 冒頭の長谷川が乗務する列車は 早朝 米沢を出て山形・秋田を通り弘前へ着くので、上野 22:22発405レ急行津軽2号 奥羽本線廻り青森行が思い浮かびます。当時は山形まで前年に電化され、奥羽本線全線電化される 1975年まで DD51形内燃機が活躍していました。
 しかし当時この列車を含む 上野発の奥羽本線夜行列車にはには、板谷峠越えの関係か 食堂車は連結されていませんので架空列車です。本作では寝台車と共に食堂車での出来事が重要な要素なので、この様な設定となったのでしょう。

 上野発の奥羽線廻り青森行夜行列車に 戦前は和食堂車が連結されていましたが戦中に外され、戦後寝台車が復活しても そのまま食堂車は復活せず 本作公開時には1本もありませんでした。
 秋田~青森で当時食堂車を連結していたのは 昼行の特急白鳥と夜行の特急日本海・急行きたぐに号で、いずれも大阪~青森を結ぶ 日本海裏縦貫列車3本だけでした。
 1970年7月20系の特急あけぼの号が新設されて 漸く食堂車が付きましたが、5年と続きませんでした 営業的には厳しい状況だったのでしょうか。

 寝台車での撮影はセット撮影に見えないので、津軽2号の秋田で切り離す予定の寝台車を 1輌残してもらいロケを行ったのかもしれません。食堂車内の映像は、セット撮影の様です。
 機関区構内でのロケは、弘前機関区で行われた様です。またお座敷列車が登場しますが 当時盛岡局に2輌しか存在せず 、秋田局で借りた車輌を使用後に 客車区で清掃前に借りて撮影したと思われます。
 C11形蒸機が 10輛程の客車を牽いている走行シーンは、男鹿線で毎朝走っていた 通勤通学用の列車と思われます。比較的平坦線なので、小型蒸機のC11形でもなんとか牽いていた様です。 


※ 300回記念号を前に、296~299回をカラー作品特集とします。 300回記念号は あの有名作をとりあげ、その後に1970年代以後の少し昔の作品特集を行います。

 50回記念号(若い瞳)等で登場した八千草薫さんが亡くなりました ご冥福をお祈り申し上げます。

PageTop

 73. 風と樹と空と

1964年7月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 松尾昭典

石坂洋二郎の同名小説が原作で、集団就職の一員として同級生と上京した沢田多喜子( 吉永小百合 )がお手伝いさんとして成長する姿や仲間との交流 別れを描いた青春映画です。

鉄道シーンは冒頭 津軽太田駅(架空駅)73-1.jpg
から両親に見送られ、発車寸前の汽車に乗り込むシーンがあります。切符も買わず強引に改札を抜け、最後部がスユニ60 郵便荷物合造車なので73-2.jpg
仲間のいる先頭の客車に乗り込みます。73-3.jpg

サボは大館行の標示です。多喜子の同級生達は先頭車両の前方に乗っていて見送りを受けています。次のカットでは D51 機関車の上部がアップで映ります。砂箱と蒸気溜を覆うドームがカマボコ形の戦時型ですね。73-4.jpg


その後車内でのシーンがありますが、背ずりがクッション無しの木製なので古いオハ61形あたりの様です。大館行といえば奥羽本線と花輪線下り列車がありますが、花輪線大館行客車列車は早朝2本のみで津軽地区でもないので圏外ですね。
話しの後半で仲間の手塚新二郎( 浜田光夫 )が帰郷時に東北本線経由青森行を使ったので、多喜子らが乗車した津軽太田駅(架空駅)は奥羽本線青森~弘前の設定であろうと思われます。

津軽地区から上京する際、当時は上野直行の急行津軽を使うのが定番でした。多喜子らは大館行に乗り、急行に乗り換えた様なので当時の時刻表を見ると上り大館行普通列車は青森 17:32 発の 626ㇾだけです。
この列車に途中駅から乗ると、18:32 に弘前到着です。ここで 18:49 発の急行津軽に乗り換え、翌朝 9:29 上野に着きます。この様な設定をしたのでしょうが、時間帯が合わないのとロケ地の関係から架空駅としたのでしょう。

EF級電気機関車に牽かれる走行シーンの後、上野駅に到着直前のシーンがあります。73-6.jpg
近くの両大師橋からの撮影と思われますが、キハ58系DCなどが停車する当時の上野駅地平ホームの様子がわかります。
続いて上野駅ホームでの下車シーンがあり、アフレコと思われる「青森からの急行列車津軽号 11番線に到着しました」と聞こえます。多喜子は4号車から降り、隣の3号車も2等車です。

この頃の上野駅発着客車急行は殆ど3号車がロザか寝台車であり、津軽も3号車が自由席1等車 4号車が2等寝台車でした。混雑度の高い急行津軽で撮影すれば混乱するので他で代用したと思われます。
それに該当するのが、上野 11:25 発の1401ㇾ臨時急行第2ざおう・ばんだいです。この列車は第1,3が定期 DC急行なのに臨時PC急行と人気薄で11番線入線が 10:57 と早く、エキストラと共に入線時に手早く撮影したのではと思われます。

仲間の手塚が帰郷する知らせを聞いた多喜子が、上野駅へ駆け付けるシーンが後半にあります。広小路口の方から駆け込んだ多喜子は中央改札の駅員に「青森行の北斗出ましたか」と聞き、「出ちゃった」の答えにガッカリします。
改札上に発車案内板がズラリと並ぶ様子を更に上から撮影しています。73-7.jpg
22:00発上越線回り普通列車秋田行(到着は翌日15:43) 22:30発急行越後 新潟行・・・案内板自体が懐かしいですね。

多喜子は列車のいないホームを涙顔でトボトボ歩き、手塚に詫びている様子です。傍らには積み終わったのか空の台車を押す赤帽さんがいます。隣の線には湘南カラーの 115系電車が留置されています。73-8.jpg

次に急行北斗ハザに乗る手塚の車内シーンがありますが、セット撮影です。急行北斗は1950年登場以来上野~青森を結ぶ夜行急行の代表格で、撮影時には全車寝台の急行となり2等車は連結されていませんでした。
脚本家の方には夜行青森行といえば、急行北斗 夜行列車といえばハザとの思い入れが強かったのだと思われます。もちろん映画の中で1964年の話とは出てきません。

PageTop