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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

280.海を渡る波止場の風

1960年5月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 山崎徳次郎

謎の現金輸送セスナ機遭難事件が起き 許婚者であるパイロットを求め鹿児島へ父と向かう塚越尚子(浅丘ルリ子)や、真相を求める野村浩次(小林旭)の活躍を描く「流れ者シリーズ第二弾」のアクション映画です。

冒頭 事故の一部始終が映った後 鹿児島へ向かう列車の二等席に向かい合って座る塚越親子ですが、尚子は事件を報じた新聞を読んでいます。
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父の塚越大作(山内明)は「そんなに思い詰めない方が良い」と諭します。
新聞を置いた尚子が「桜島へ行って光彦さんの墜落現場を見たい」と言うと、塚越は「そんなものを見ても何にもならんよ」とにべもありません。そして最後に蒸機の汽笛音が聞こえて来ます。
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鉄道シーンは最初と最後にしかありませんが、奥山五郎(宍戸錠)に襲われるピンチを尚子は何度も野村に助けられます。
事件が解決した最後に尚子は重傷の光彦(青山恭二)に会えますが、いつしか野村に心が傾いてきた様です。

最後 野村が鹿児島を離れる場面では、先ず今は使われていない鹿児島駅1番ホームに停まる列車に尚子が歩いて行きます。改札口から近いこの辺りでは、現存する2番ホーム側にしか屋根はありません。
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アフレコらしき放送が「まもなく1番線より13:20発 鹿児島本線・山陽線・東海道線周り、上り東京行 急行きりしま号が発車します」と流れる中、尚子は野村を捜してホームを歩きますが見つかりません。
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やがて発車ベルが鳴り響き、助役さんの合図で汽笛が鳴り
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蒸機の動輪が動き出します。
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尚子は小走りで更に野村を捜して、ホームを前方へ移動して行きます。
その時 客車最後部(最後部は荷物車)の、デッキに立つ白いスーツ姿の野村に気付きます。
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尚子は「浩次さん!」と声を掛けますが、野村は無言で手を振るだけです。
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更に尚子は列車を追い駆けながら「浩次さん!」と3回声を掛けますが、
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デッキから身を乗り出して手を振るだけで 最後は尚子に応えるかの様に2度汽笛が鳴って 涙する尚子を残して去り行くのでした。
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続いて 次の竜ヶ水駅との間にあるトンネルを抜けて来た、C556蒸機が牽く列車が映ります。現在の吉野町 花倉・上花倉バス停の中間にある短いトンネルと思われます。
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次に海越しに桜島を臨みながら走る区間で、ドアを開けたままのデッキで物思いにふける野村がいます。
その次には背後に桜島を臨みながら、C55 34蒸機が5両の客車を牽いて走り抜けて行きます。
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涙をハンケチで拭きつつ尚子は左手に鹿児島客車区を臨みながら、吹っ切れたかの様に改札口方向へゆっくり歩いて行きます。
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最後は 遠く桜島を背後に臨む、帖佐~錦江にある別府川橋梁らしきを渡る蒸機列車が映りながらエンドマークとなります。

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PS.

 東京から鹿児島へ塚越社長親子は列車で行くのですから、当時最速の9レ特別急行はやぶさ号(東京19:00発―鹿児島17:50着)に乗ったと思われます。
その二等座席車内シーンはセット撮影の様ですが(本物は肘掛の付いたスロ54かナロ10形)、寝台車から朝食後に9:40着の小郡で二等座席に乗り換えたと想像します。

本作の撮影期間(5月2日~5月21日)ならば鹿児島の日没が19時過ぎなので、是非17:50の特別急行はやぶさ鹿児島駅到着シーンを入れて欲しかったですね。
本作公開後2か月で特別急行はやぶさは旧型客車から20系ブルートレイン化され、それまで通過!していた西鹿児島駅発着と変更され 鹿児島駅まで来なくなっただけに残念です。

 鹿児島駅の1番線から鹿児島本線経由の東京行 急行きりしま号が発車していますが、今は無き1番線は日豊本線側にしか行き来できない行き止まり線の終端ホームでした。
どうやら撮影用に仕立てられた列車の様で急行札に東京行(博多経由)のサボを取り付け荷物車を含めて8両編成ですが、号車番号札は無く 帯付きの 二等車も連結されていません。

 撮影に際して大勢のエキストラを動員し、後部2両の客車に集中して乗せ 撮影した様です。アフレコと思われる構内放送は、1番線の事以外は急行きりしま号の正確な内容です。
1・2番線ホームを閉鎖して多くの駅員を配置して撮影が行われた様で、10枚目の画像で3番線停車中の列車の窓やデッキから多くの人が顔を出して1番線のロケを見ていて ちょっとした騒ぎです。

 普通の映画であれば、野村が手を振りながら尚子の前から去って行ったところでエンドマークでしょう。
しかしこの映画では、桜島をバックにした撮影名所で蒸機牽引列車のサービスカット?が続きます。鉄道ファンとしては嬉しいのですが、何れも急行きりしま号の走らない日豊本線での撮影です。
C55形蒸機は共に宮崎機関区所属で、西鹿児島(鹿児島)~宮崎の運用にあたっていた普通列車を撮影した模様です。

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 71. 太平洋のかつぎ屋

1961年1月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 松尾昭典

冤罪によって日新航空パイロットの職を失った立花哲次( 小林旭 )が、パシフィックポーターズ社でパイロットに復帰し冤罪も晴らす迄を描いた航空アクション映画です。

失業した立花を母校 航空大学校長の品田恭太郎(二本木寛)が教官として呼んでくれました。しかし禁を破って空を飛んだ立花はクビとなり、東京へ舞い戻ることになります。
この映画唯一の鉄道シーンが、宮崎駅で一日一本しかない東京直通急行 高千穂号に乗る立花を品田の娘 品田典子(浅丘ルリ子)が見送る場面であります。

まずホームの駅名板が映り、
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2番線に急行 高千穂号が立花と典子が並んで歩く中を DF50 555を先頭に71-2.jpg
次位に C55 の補機を従えて入線してきました。71-3.jpg

本来は DF50 の単独牽引のはずですが、調子が悪いので C55 を助っ人に繋いでいるのでしょうか? 。高千穂は宮崎で8分停車し、3等車2両を増結します。

別れ際 立花は「もっと悲しそうな顔をするかと思ったぜ」と言うのに典子は「思うことをやれる。こんな幸せな人をどうして悲しい顔で送らなきゃならないの」と笑顔です。71-4.jpg

そして典子が手を振る中、高千穂は加速して行きます。跨線橋の階段下には売店が有り、その横に雑誌や新聞を売る台車が有ります。高架駅となった現状からは想像できません。

急行高千穂は 1951年11月より宮崎県から初の東京直通急行たかちほ として、熊本行の急行と併結列車として東京~都城で運転開始。
1956年11月からは単独列車となり東京~西鹿児島(日豊本線経由)を走破する急行高千穂となり、所要31時間28分の国内最長距離運転列車として新幹線博多開業まで走りました。

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