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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

343. 続 六人姉妹

1962年 東映教育映画部 製作   監督 今泉善珠

前作より3年半後 葛西家の長女節子(大森暁美)が夏休みに帰省した間に吹き出した、各姉妹の進路や 夫婦の今後にまつわる問題を描いた ホームドラマ調 教育映画です。

冒頭 C58形蒸機牽引列車が 両毛線の栃木駅へ進入して来て到着し、
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葛西節子が降りてくると「オス!」と言って四女睦子(伊東正江)がホームで出迎えます。
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睦子は節子の荷物を一つ持ち 堂々たる駅舎にある 改札口へ向かうべく、前方の跨線橋の方へ 二人で話しながら 歩いて行きます。
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改札口では 五女敦子(小畑町子)が出迎え、節子が「敦ちゃんも来てたの」と言うと「二人で入っては10円損すると睦子姉ちゃんが言うから」と敦子は応えました。
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駅舎をバックに 駅前広場へ出た節子は 周りを見渡し、「いつ帰っても 変わらないなあ」などと呟いています。
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帰省するや 次女和子(島津千鶴子)の養女問題・五女敦子の歌手志望問題に始まり、節子自身東京での 就職希望や両親の老後問題等々 悩み事に尽きません。
その他 東京の女子大へ入った筈の節子の学友として、男の学生が二人で 山登りの帰りに泊まって 父 葛西順二(稲葉義男)が不機嫌になる等の出来事が起こります。

やがて東京へ戻る日 前作と違って 学校や仕事等各々の都合で別れの挨拶を交わし、栃木駅へ 節子の見送りに来たのは 母安子(不忍郷子)だけでした。
先ずC58形蒸機271号機が映り
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車内に座る節子と ホームの母親は 窓越しに見つめ合い、「白髪が増えたね おかあさん」と節子が言うと「そうかい」と言って 髪に手をやる母です。
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その後は 二人共言葉が出ず、発車ベルが鳴り出すと 見つめ合った後 俯きます。そして汽笛が鳴って 列車が動き出すと、
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節子は笑顔で「行ってきます」と言い
母は「体に気負付けてね」と 節子の腕を握りながら伝えます。
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そこからは お互い笑顔で、見えなくなるまで 手を振り合うのでした。
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手を振る母親の横の 荷物ホームには、小荷物が 山の様に積み上げられている様子に 時代を感じますね。
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PS.
  ロケ当時の両毛線では 蒸機牽引客レは 上下共に3本しかなく、節子は 栃木 15:26頃到着の 638レに乗って来たと思われます。

  当時の風格ある栃木駅舎は 1928年に改築された木造駅舎で、高架化工事に伴い 2002年迄使われ移転保存されています。

  5枚目の画像で 改札口を出る二人の背後には、東武鉄道日光線栃木駅に停車中の 電車が映っています。塗装は当時のオレンジに、イエロー帯の様に見えますね。

  7枚目画像の C58271号機は、当時小山区に所属していました。DC化が進み 蒸機の旅客列車は少なくなっていましたが、貨物列車は未だ 全て蒸機が牽いていた両毛線でした。

  ラストシーンで 節子が乗った列車は 栃木 8:44発の 623レと思われ、小山には 8:58到着し 9:03発の東北本線上り 550レに乗換えると 上野には 10:22に着きます。


PS.PS.
   千葉真一氏が亡くなりました。 当ブログでも(150.キーハンター 第 161話 ・ 334.ファンキーハットの快男児)他 244・251でも大活躍していました  ご冥福をお祈りいたします。



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333.六人姉妹

1959年10月 東映教育映画部 製作   監督 堀内甲

父母と六人姉妹が暮らす 地方都市家庭の日常と、長女が希望する進学に反対する父親との 葛藤を描いた教育映画です。

葛西家では 父母と高校三年生の長女節子(大森暁子)を頭に 六人姉妹が暮らしていて、絶えない姉妹喧嘩の合間に 各々将来の希望が芽生えていました。
節子は父順二(稲葉義男)に 大学進学を願い出ますが、下の子のことも考えて 却下されてしまいます。しかし叔母の説得もあって、考え直した父に節子は激励されるのでした。

晴れて東京の 女子大に合格した節子が旅立つ日、先ず C50形らしき蒸機が映り、
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車窓の節子の元には 5人の妹を始め、父順二・母安子(不忍郷子)・叔母(内田礼子)が駆け付けました。
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三女紀子(本間千代子)が「夏休みには待っているわね」等 皆で見送りの言葉を交わす中、
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汽笛が鳴り響き
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列車が動き出すと
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5人の妹達は 姉の動きに合わせて移動して行きます。
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節子は窓から身を乗り出して 手を振り 別れを惜しみ 叫んでいる様です。
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四女睦子(伊東正江)は 泣いている五女敦子(小畑町子)を優しく抱きかかえています。
そして五人の姉妹は 仲良く手を繋いで 父母の方へ歩いて行く道中、次女知子(島津千鶴子)は「今度から私がお姉さんだから言うことを聞くのよ」と宣言しています。
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最後は 跨線橋からのカメラを引いて、栃木駅東方 構内全景を映しながら エンドマークとなります。
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PS.
 当ブログでは 異色の教育映画で、読売新聞つづり方コンクールで 文部大臣賞を受賞した葛西睦子の作品を原作として、東映教育映画部が製作した作品です。

 鉄道シーンは ラストの節子が旅立つ別れの場面 しかありませんが、今では見ることの出来ない 今時分の別離シーン として取り上げました。

(111.異母兄弟)でも登場した駅ですし、5人で引き上げる場面で 駅名板が映るので、今回は直ぐ栃木駅と分かりました。

 登場した蒸機は 小山区のC50形と思われ、乗降客の少ない昼時を狙ってのロケと思われ
 高崎9:45始発の 425レを使ったとすると、栃木 12:04発で終着の小山は 12:17です。
 節子がこの列車を使うと小山 12:26発の 534レに乗り換え、上野には 13:48着なので 下宿先へ向かうのにも適当でしょう。

10枚目の画像で、5人の姉妹が引き上げている時、背後には到着する東武鉄道の1700系2連の白帯特急が映っています。

 両毛線では1951年に 桐生~高崎方面からDC化が進み、1963年には蒸機牽引列車は3本となり 1968年10月に全線電化となりました。
 DC導入の1951年より 請願新駅が 11駅も誕生した両毛線ですが、電化時までに途中 28駅中11駅が休止となり後廃止(ロケ時も11駅全て停車するのは 13本中4本のみ)
両毛線は他線に比べて 同時期に異様な程新駅が作られた 稀有な路線ですが、政治陳情駅が多かったのか 停まる列車も少なく 国鉄のやる気の程が知れてて 当然利用客が少なく12~15年で休廃止でした。


本作製作の3年後に続編が製作されました。続編の方が鉄道シーンが多いので、夏休み時期に取り上げる予定です。

 

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111. 異母兄弟

1957年6月 独立映画 製作 公開   監督 家城巳代治

戦前戦中の封建的 家長制度での権威主義の塊の様な陸軍軍人 鬼頭範太郎(三國連太郎)が4人の子供を先妻の子か否かの理不尽な理由で極端に差別し虐げたが、戦後頼るべき当ても無くなり権威が崩壊する様までを描いた映画です。

先妻が病死し、不本意ながら女中 お利江(田中絹代)を後妻とした鬼頭は転任となり、夜汽車で移動するシーンがあります。
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二等車で踏ん反り返る鬼頭の対面には先妻の子である長男と次男が座り寝ています。
通路を挟んだ横の対面には、お利江が産んだ三男を抱いて居眠りしています。鬼頭には居眠りしているのが気に入らない様で、持っている杖でお利江の肩を突いて身を正すようさせます。
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1942年冬 三男 良利(南原伸二)は海軍士官となり、転任の為乗る列車が実家近くを通るので停車中に会いたい旨連絡をした。その車内でお利江を鬼頭家に女中として紹介した太田(島田屯)に偶然会い母親の過去を聞かされる。
やがて列車は C50140蒸機が牽いて故郷の駅に停車します。111-2.jpg
ホームでは四男の智秀(中村賀津雄)が待ち構えており、二等車に乗る良利に母親が作った良利の好物を窓越しに渡しました。
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この二等車は東オク スロフ301と表示していますので、尾久客車区所属のスロフ30形二等車です。1929年製 固定シートピッチ1920㎜で700㎜巾の窓が2枚1組で有り、窓越しの会話が狭そうに見えます。
智秀が実家の近況を話す内、汽車は汽笛と共に3番線ホームを発車して行きます。お互い敬礼し合い 最後は良利が窓から身を乗り出して帽子を振り、今生の別れを予感しているかの様です。
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さてこのロケが行われた駅は何処でしょうか? やや離れた向かいの 1.2番線は架線が張ってあり、電化・非電化の2路線の合流点にこの駅が在る様です。智秀の後方の 4.5番ホームには貨車が停めてあり、貨物ホームの様です。
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C50140がロケ時 小山区の所属なので良利の乗る列車は両毛線かな?と思われます。となると電化しているのは東武鉄道として、線路形状から伊勢崎駅か栃木駅?でも先行の国鉄が3番線というのもオカシイですね。
そうなると、当時東北本線宇都宮電化 完成前の小山駅ではないかと考えました。しかし(ぽいんと尺)様からのコメントで、この駅は両毛線 栃木駅であるとのことです。ロケ当時は両毛線内の上下両方向から朝夕に小山・高崎経由で上野へ二等車連結の快速列車が走っていたので、その列車で撮影が行われたのかもしれません。

終盤 智秀は長く鬼頭家で働いたマス(飯田蝶子)に替って働く若い女中ハル(高千穂ひづる)と仲良くなったところを鬼頭に見つかり、勘当されマスの実家が有る高知へ追いやられます。
病み上がりの智秀は船や汽車を乗り継ぎ、C58らしきカマが牽く混合列車でマスが出迎える駅に到着します。
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マスは大歓迎ですが、先に帰っていると思っていたハルが身を売られ南方へ行ったことを聞きガッカリします。

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 68. ここに泉あり

 1955年2月 独立映画ー松竹 配給 公開   中央映画 製作    監督 今井正

群馬交響楽団 創設期の苦闘を描いた音楽映画で、高崎市民オーケストラがプロとして成り立つまでの物語です。

舞台は 1947年の高崎。冒頭 C5097 が牽引する客車4両+有蓋車1両の混合列車が機関車の前部・テンダー・客車の屋根まで人が乗る超満員状態で走る姿が映ります。両毛線での撮影と思われます。
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当時は終戦直後の混乱期で、復員兵・買い出し人で乗車希望者が増えたのに石炭不足から運休列車続出でどの列車も超満員でした。そんな当時の再現ロケで、現在ではとても撮影許可とはならないでしょう。
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続いて木造時代の高崎駅舎が映り、タイトルが出ます。駅入り口には大勢の人が押しかけ、改札を通るにも大変な様子です。そんな改札を工藤( 加藤大介 )が大太鼓を担ぎながら通ろうとして駅員に止められています。
「8:57 分発 小山行発車です」と構内放送が聞こえてきます。そこへ後ろからマネージャーの井田亀夫( 小林桂樹 )が来て駅員に話し掛け、その隙に工藤がホームへ入り列車に近寄ります。
尚も駅員が追い駆けて来ますが、大太鼓はリレーして車内へ。そして動き出した列車のデッキへ最後に井田が飛び乗り、「どうもどうも」と駅員に半分謝る感じで去って行きます。

次に井田が東京から呼んだコンサートマスターの速水明( 岡田英次 )が、練習場の階下の喫茶店に名刺を残し井田に会わずに帰ってしまったことを店員から告げられ井田は駅へ急行します。
高崎駅の3番ホームには既に上野行上り列車が停車中で、発車ベルが鳴り始めます。列車は超満員で速水をどうやって探そうか考えた井田は、「速水さん 急用です。」と叫びながら前方に進みますが汽笛が鳴り響きます。
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その時 半分板貼りの窓の隙間から顔が出て、「何ですか」と声がしました。振り向き動き出した列車に近寄った井田は、窓の外にハコ乗り状態の男の手を引きます。その横の男が「速水は僕です」スカサズ井田は「急用です早く降りて下さ」
速水のバイオリンと荷物を受け取り、窓から足を先にホームへ無理やり降りようとします。すでに列車はかなりスピードが出ているので、後ろから近寄った駅員が「危ない 止めて止めて」と叫んでいます。
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 よく走り出した列車のデッキに飛び乗るシーンは( 1958年 松竹 張込み )など有りますが、この映画のロケほど過酷な超満員列車や無茶な降車シーン( ホームに着地するまでは映っていません )は他では見当たりません。

映画の後半 EF53 電機に牽引された急行白山らしき車内。スロ53 特ロの座席に音楽家 山田耕筰(本人)と立石( 伊沢一郎 )が座っています。通路では車掌が「次は高崎です渋川・伊香保方面乗換」と告げています。
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高崎と聞いた山田は楽団のことが気になり、途中下車します。そして練習を指揮したことから再び合同演奏会が開かれ、苦労した時代の回想シーンで草軽電鉄の無蓋車でメンバーが移動する映像が入ります。
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アメリカ・ジェフリー社製L形EL+無蓋車1両+客車1両の編成です。鉄道青年様のブログ(火山山麓のレモンイエロー:草軽電鉄の記憶)によりますと、23号電機+ホト70か75+ホハ30客車だそうです。
そしてロケ地は草津温泉~谷所の通称一の谷の手前のカーブとのこと。無蓋車の上で日傘をさしているのは紅一点ピアニストの佐川かの子( 岸恵子 )です。勿体ない程短い草軽電鉄登場のシーンであります。

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