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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

325.喜劇 各駅停車

1965年9月 東京映画 製作  東宝 配給 公開  カラー作品   監督 井上和男

ナポレオンに憧れる国鉄の 老機関士 寺山源吉(森繁久彌)は 退職勧告に耳を貸さず 煙たがられていましたが、自ら引退を決意するまでの過程を 機関士生活を通して描いた 人情喜劇映画です。

冒頭 高崎第一機関区の 給炭用ガントリークレーン横を D51形蒸機が走り、
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傍らの事務所内では 菊岡助役(山茶花究)の退職勧告を 寺山は断固拒否しています。
続いて C1246蒸機が 客車列車を牽いて走り、キャブでは 寺山が機関助士の竹尾(石井伊吉)に「ボヤボヤするな」などと叱っています。
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次に点検途中の 機関士 杉二郎(名古屋章)と組んでいる助士の丸山咲平(三木のり平)は、桐生駅へ入って来た 客レのデッキから手を振る女性に見とれています。
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その様子を見ていた杉と竹尾は、呆れています。やがてこの高崎行の列車は、デッキから手を振る女性と共に去り行くのでした。
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その後 交番編成が替わり、丸山は寺山と 組まされてしまいます。菊岡助役は 乗務して退職を説得してくれと願いますが、丸山は交換条件として 今の貨物列車乗務を続けさせてくれと要求します。
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いよいよ寺山と初乗務の日 貨物列車は順調に進みますが、
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丸山は前日に タコの食いすぎで腹痛を起こした影響で 大間々駅では早くもトイレに駆け込む始末です。
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その後も腹痛が酷くなる丸山は 上神梅に続いて 水沼でトイレに駆け込みますが、
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発車に間に合わず 丁度非番でホームにいた高橋(佐原健二)が 助士を引き受けてくれました。
漸くトイレから出て来た丸山は 動き出している列車に驚き駆け寄ると、700-13.jpg
最後部の無蓋車に 飛び付いて乗り込みます。すると貨車前方部には、高橋の新妻が座り込んでいたのでビックリです。
丸山は機関車迄 貨車を伝って移動し、
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キャブの天窓から戻るのでした。そして列車は無事 終点の足尾本山駅に到着し、
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高橋は無蓋車から新妻を降ろしてあげています。
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一方その頃 機関区では 寺山の後任にと転属して来た大田(南利明)が、いつまでも本乗務出来ない不満を 菊岡助役に訴えていました。
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台風が襲来した夜 高橋が乗務する C5016蒸機牽引列車が 脱線転覆し 寺山は救援列車を C11353蒸機で運転して現場へ向かいます。
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機関車と先頭の客車が転覆していて、高橋は機関車の下から救出されますが 亡くなっていました。
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それからある日 寺山は乗務中 蜂に刺されて 顔が腫れあがり、助役から休むように言われます。明け番後 寺山は目が気になっていたので、病院で検査を受けてから 急いで出勤します。
ところが機関区では 大田が寺山に代わって 勤務することになっていて、大田は始業点検をしています。そこへ到着した寺山は、周囲が止めるのも聞かずに
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大田を殴り降ろして 発進してしまいます。

長く組んで乗務する内 寺山を尊敬する様になった丸山は、寺山の行動を応援するのでした。
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寺山も仕事熱心で責任感が強い丸山のことを いつしか認めています。
この強引とも思える乗務を最後に 引退することを 折り返しの休憩時に 丸山に伝えた寺山は、万感の思いで帰りの仕業をこなして
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転車台から機関庫へカマを納めると
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長々と汽笛を鳴らして カマに別れを告げました。
そして菊岡助役や 取り巻く乗務員に、本日をもって職を辞することを告げて 一同を驚かせるのでした。
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PS.
  本作では高崎第一機関区所属の C12形蒸機が足尾線を走る姿を映していますが、ロケ当時 足尾線担当は桐生機関区でした。冒頭客レを牽く2枚目の画像では、運転する寺山の下部の 所属区札がこのシーンだけ(桐)となっています。

高崎第一機関区は 基幹機関区だけに 大規模の給炭用ガントリークレーンや 最後から3枚目の様な 雄大な扇形機関庫等、協力する国鉄としては 平台から石炭を手積みする等 規模が小さい桐生機関区よりは 立派な機関区で撮影したもらいたかったのでしょう。
  なおロケの3年後には 桐生機関区は廃止されて、所属するC12形蒸機は 高崎第一機関区へ転属の上 足尾線無煙化の1970年9月末まで走りました。

  また冒頭で足尾線から 桐生で両毛線に乗り入れて 高崎まで走る客車列車が映っていますが、足尾線では 1960年に完全DC化されていますので ロケ用に編成の上 走行させたと思われます。

  腹痛の丸山に代わって 助士を引き受けた高橋は 振動が激しく過酷な 無蓋車に妻を乗せますが、作中では機関車の次位に 車掌用席が有る ワフ22000形緩急貨車が連結されているのに 利用しなかったのは不自然ですね。

  転覆事故場面の C5016蒸機は、当時相模線管理所で 第一種休車でした。ロケ協力として 相模線にて 旧型客車と共に横転させて、迫力ある事故シーンを撮影したそうです。でもC50の炭水車は 何処へ消えたのでしょうか。

  最初に寺山と組んでいる竹尾役の石井伊吉とは本名で、三年後に毒蝮三太夫と改名する男の若き時代の姿です。



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 67. 早射ち無頼 大平原の男

 1961年12月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 野口博志

宍戸錠主演の和製西部劇風アクション映画第4弾で、赤沢鉱山鉄道開通までを描くスケールの大きな映画です。

いきなりオープニングクレジットの最後に、きたおおの駅(架空駅:越美北線の北大野駅ではない)2番ホームに到着するD51631 蒸機が牽引する列車が映ります。左手の中線にはキハ17形DCらしきが停まっています。
そして客車から川崎錠次( 宍戸錠 )が降り、ホームの洗面台で顔を洗っている姿を柱の陰から青木信二( 青山恭二 )が付け狙っています。ロケ地は横川駅かな?

次に私鉄に乗り換えた様子で、古典的蒸機が小型客車2両+貨車1両を牽いて古びた駅に到着します。67-1.jpg
他の乗客に交じって川崎が降りてくる時、「白坂~」と駅名が聞こえています。
その次のカットでは、大き目の木造駅舎から砂利敷きの駅前広場へ人々が出て来ます。古典的蒸機と駅舎の様子から、東野鉄道の1号蒸機が大田原駅へ到着したところを映したものと思われます。

{ 11. 路傍の石 }で既述の様にこの機関車は 1896年米ボールドウィン社製の1号蒸気機関車で、ロケが行われた頃は既にその年購入したDLの予備機として在籍していました。
ですから撮影依頼によって火を入れ、同じく既に使われていなかった古典木造客車を牽いて走らせたものと思われます。カラーで1号機関車の雄姿を今に残す貴重なシーンでしょう。

映画の終盤 苦労の末 赤沢鉱山鉄道(架空)が完成し、祝賀列車がC12 型蒸機+無蓋車3両+客車の編成で出発します。C12には紅白のモールが取り付けられ、無蓋車にも開通の横断幕が付けられヘルメットを被った作業員が乗ってます。
祝賀列車が進む沿線には、開通を待ち望んだ住民が笑顔で出迎えています。67-2.jpg
その様子を川崎と松本紀子( 松原智恵子 )も馬の上から笑顔で見守っています。

そして祝賀列車は祝賀会場が準備され、関係者が待つ赤沢鉱山に到着します。67-3.jpg

花火が上がり華やいだムードの中 無蓋車から男たちが飛び降り、待ち受けた男たちと抱き合い喜びあいます。
祝賀会場に先回りした川崎と紀子も見る中 殉職者の遺影を抱えた3組の家族が降り立ち、列車の機関士・機関助手に花束が渡されます。

この様子を見ていた紀子が横を見ると、つい今しがた迄横にいた川崎がいません。見回しても主のいない馬が残るだけです。仕事が終わると消えるのは渡り鳥シリーズと同じなんですね。
さてこの赤沢鉱山鉄道開通式のロケが行われた場所は?  C12 が使われている点から足尾線の足尾本山(貨物駅)ではないでしょうか?


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