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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

369.朝の波紋

1952年5月 スタヂオ8プロ 製作   新東宝 配給 公開   監督 五所平之助

小さな貿易会社で 英語が堪能な上 事務処理能力の高い 瀧本篤子(高峰秀子)が、独断で取引を進めた契約が 突然難渋しますが 邪魔をされたと思われた 同業の男に助けられる 会社員系青春映画です。

序盤 篤子の家では 父親が戦死した親類の 賀川健一(岡本克政)を預かっていますが、健一を親友扱いしてくれる 伊能田二平太(池部良)と篤子は 飼い犬の件で知り合いとなります。
ある日 伊能田が音楽会の切符を持って 篤子が勤める三光商事へ訪ねて来ましたが、箱根に滞在している社長から 呼び出しの電話があって 音楽会を辞退して 箱根へ向かう場面があります。
小田急電鉄の 2連電車が橋梁を渡るシーンに続いて
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1700形特急電車らしき車内で、飲み終わったティーカップを ウエイトレスに渡した篤子は
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記念に伊能田から貰った 音楽会のチケットを にこやかに見直しています。
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中盤 篤子が社長不在の折に 独断で話を進めて契約した 取引品の製造会社の制作進行具合が 突然難渋し、引き渡し期限に 間に合わなくなる事態となりました。
電話では 埒が明かないので、篤子は神戸の製造会社に 直談判に向かいます。一方伊能田は 上司から瀬戸物の買い付けで 名古屋への出張を頼まれ、偶然 同じ列車に乗り合わせます。
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並ロ車内で 伊能田の隣席女性の 鏡に篤子の姿が映り、伊能田は歩いて 後部席に座る篤子に声を掛けましたが
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警戒顔の篤子です。

篤子がブラッドフォード商会と契約した取引は 元々富士商事の伊能田が 商談日を間違えて流れた件で、大会社の富士商事が 製品卸売会社の 南海商事に 横槍を入れたのだと 篤子は思っていました。 それ故 伊能田に会っても 微笑を浮かべる程度で、篤子は 至って不愛想な態度です。
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その時 食堂車のウエイトレス嬢が現れ、「只今よりお茶の時間となりましたので、お気軽にご利用下さいませ」と 呼び込み案内をしながら歩いて行き
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 そのタイミングで 篤子は「失礼」と告げて、食堂車へ向かうのか デッキの方へ 行ってしまいました。
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旅先で偶然再会したのに 話が弾まず 名古屋駅で 降車した伊能田は、
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同僚 浅間(稲葉義男)の さしがねと直感し 浮かない顔で列車を見送っています。
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篤子は 神戸の南海商事へ 社長を訪ねますが不在で 下請けの富神モール店の製造所へ行きますが、社長の松島(中村是好)は 富士商事の圧力を認めて 製品の出荷を頑として断るのでした。
ところが翌日 篤子が東京から呼んだ 同僚の梶五郎(岡田英次)と共に 再び松島の元へ出向くと、最初は渋る様子だった松島が イロを付けると言うと 5日で出荷すると 手のひら返しです。

その後帰京すると 篤子の母 綾子(瀧花久子)から 飼い犬のペケを棄てる様言われた健一が 家出していました。伊能田と浅草界隈を探していて、東武鉄道 隅田川橋梁の端で話す場面があります。
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翌朝 上京した松島が 三光商事を訪れ、実は伊能田から松島へ 浅間の指図を撤回するとの 電話があった 裏事情を 皆の前で話したのです。
そこへ伊能田から「品川児童相談所で保護した 犬連れの男の子を、今朝 国分寺のサレジオ学園で 引き取ってもらったそうです」と電話が有り、早速 篤子は伊能田と駆け付けます。

中央線の 63系らしき電車の走行シーンが映り、
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サレジオ学園へ行くと シスター(香川京子)から案内されて 無事 健一と再会することが出来ました。







PS.  
  2・3枚目の画像は、走行中の 1700形特急電車らしき車内で 撮影されています。3輌編成の中間車サハ1750形の 非常出口のある車端部席に座る高峰秀子を、隣車輌の車端部から 撮影している様です。

  この席は 座席中央から壁までが 反対側では700㎜なのに、非常出口がある為 1090㎜と かなり足元が広い席となっていて 撮影には好都合な席です。

  車輌中央部には喫茶コーナーがあり、日東紅茶(三井農林)のウエイトレスが飲み物類のシートサービスを行っている姿が映っています。

  当時の小田急ロマンスカー箱根湯本行は 平日3本の運行で、時間帯から 16:00新宿発の 乙女号と思われます。途中は小田原のみの停車で、所要1時間31分でした。

  中盤の 神戸・名古屋への出張 車内シーンは 留置中の実車での撮影としても 電車の並ロの様な車内に 該当する車輛が思いつきませんでしたが、73おやぢ様のコメントにより 80系湘南電車のサロ85形の様です。
車内シーンを田町電車区で、実物を借りてロケを行ったと思われます。

  名古屋駅で 池部良が見送る場面は、早朝にロケを行ったのでしょう。1937年に移転高架された 駅ホームで、本作公開の翌年に電化される前の スッキリとした空間が広がっています。

  該当する列車は 東京10:00発の、33レ鹿児島行の急行きりしま号です。名古屋着は16:10で 脚本に合いますが、神戸着は21:24頃となるので 南海商事へ向かうのは翌日となります。



  戦災で荒廃した東京の様子 が随所に映っている作品ですが、冒頭では 小田急のボンネットバスが 六本木停留所(本物?)に停車して 高峰秀子が降りてくるシーンがあります。
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  サレジオ学園のシスター役で 香川京子がチョイ役出演していますが、上原謙も池部良の先輩役で チョイ役出演しています。
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368. めし

1951年11月 東宝 製作 公開   監督 成瀬己喜男

夫から妻への言葉が「めしは?」ばかりの 倦怠期夫婦所帯に 家出して来た奔放な姪が住み付き、心を乱された妻が 離縁も視野に実家へ戻りますが 冷却期間の末に 互いの大切さに気付く迄を描いた ホームドラマです。


冒頭 岡本三千代(原節子)のナレーションによる 岡本夫妻の住む 大阪市南部の説明場面で、「まるで郊外の様な 寂しい小さな停留所」として 南海電鉄阪堺線 天神ノ森停留所が映ります。
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中盤 三千代の姪 里子(島崎雪子)が 東京から家出して来て住み付き、近所の谷口芳太郎(大泉滉)に誘われて 歓楽街のある難波へ 出掛ける場面があります。
天神ノ森停留所で 二人が電車を待っていると、
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阪堺線の モ205形 モ231が到着しました。
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終点 恵美須町で下車した様で、二人で歩く横を 大阪市電の電車らしきが走っています。
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その後 夫 岡本初之輔(上原謙)の言動や 奔放な里子に 心を乱された三千代は、前夜に「私ね 疲れちゃったのよ」と呟くや 帰京する里子の付き添いを口実に 川崎の実家へ帰ることにします。
先ず 三代目の大阪駅舎が映り
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上りホームの出発を待つ列車に、
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三千代と里子が乗り込み 里子は岡本が見送りに来る筈と 窓からホームを見渡していますが現れません。
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発車して暫くすると 上京する親戚の 竹中一夫(二本柳寛)が現れ「座れたのですか」と声を掛けますが、
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三千代が迷惑そうな返事をしたので 前方の車輛へ行ってしまいました。
通路側に座っていた里子は 竹中に興味をもったのか、追い駆ける様に席を離れ
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竹中と三千代の関係を聞き出してきて 三千代を冷やかすのでした。

やがて列車は 関東エリアに入ったのか、10輌の車輛は 重連の EF53形電機に牽かれて 終着駅へと急いでいます。
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続いて 里子を実家へ送り届けた後か 横浜で別れて乗り換え 川崎から南武線に乗ったのか、夕刻の南武線 矢向駅頭へ 三千代は久しぶりに帰って来ました。
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その後 三千代はもう大阪へは帰らない決意で 就職を考え職安へ行きますが、大勢の行列に圧倒されているところで 子連れの山北けい子(中北千枝子)に再会します。
二人の背後には 櫓の様に角木材を組み上げた、川崎市営トロリーバスの 架線点検車らしきの姿が映っています。
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それから嵐の晩遅く、遊び歩いた里子が 三千代を頼って 泊めて欲しいと現れました。村田信三(小林桂樹)にイヤミを言われますが、三千代が執り成し 翌日付き添い 家へ送ります。
2連の小田急電鉄 1800形らしきが頭上を通る道を、三千代と里子は 世田谷の岡本家へ向かいます。
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三千代は 里子の母親から諭され 大阪へ帰るべきか思案しながら、南武線へ乗り換えるべく 小田急電鉄稲田多摩川駅から 多摩川方向へ歩いて行きます。
多摩川橋梁の端で 小田急線電車に会い、
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土手下の通路から 南部線登戸駅へ向かうと 小田急電鉄1200形らしき2連が 三千代の背後を通ります。
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すると駅前で 生活が苦しいと聞いていた 山北けい子が、新聞売りをしている姿に気付いて 立ち尽くす三千代です。
傍らの柵上には 幼い息子が座らされ 入れ替え作業の2120形蒸機を 見詰めている様子を見るや、
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己の境遇を考え 気まずくなったのか 後戻りする三千代でした。

この2120形蒸機は 73おやぢ様によると 砂箱が増設されていないことと、ランボード下に 配管がある特徴から 新鶴見機関区矢向支区所属の 2341号機と特定されるそうです。 また所有されている 貴重な画像も、提供して頂きました。
2120形


実家へ戻ると、大阪から岡本が迎えに来ていました。翌日 二人で帰る汽車の車中で 三千代は吹っ切れた様な微笑みを浮かべ、夫に書いたまま出さなかった 手紙を破り窓から飛ばします。
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そして 傍らで眠っている夫の顔を見ながら「毎日懸命に生きる夫に、寄り添い暮らす。 女の幸福とは、そんなものではないだろうか」と呟く三千代でした。
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PS.
  1・3枚目の画像に映る 英語表記の踏切標識は、戦後占領下時代では お馴染みでしたね。天神ノ森停留所は 現在でもあまり変わらず、単式ホームが踏切を挟んで 千鳥式に配置されています。

  7~9枚目と最後の車内シーン画像は セット撮影で、17枚目の画像は 上着だけ着たスタッフの女性が 窓から破いた紙を飛ばしていると思われます。

  10枚目の画像は 73おやぢ様・N.N.LC33100様のコメントにより、EF53形重連と判明いたしましたので修正させて頂きました。

  12枚目の画像は 架線下にレールが無いことから、トロリーバス路線と思われます。ロケ当時は 近くの横浜市営・東京都営共に 未だトロリーバスは 開業していないことから 川崎市営トロリーバスと思われます。

三千代と里子が東京へ向かう時 昼行の急行列車を使った様ですが、当時 大阪~東京に 始発の特別急行列車2本はありましたが 何故か急行列車はありませんでした。(北陸本線・上越線経由の上野行を除く)

  大阪始発の 夜行急行列車は 5本あったのですが、昼行は 午前中に大阪に停車する 九州~東京への直通急行列車3本を 利用するしかなかったのです。

  それで大阪発車後に 竹中一夫(二本柳寛)が三千代達の席に現れ、「よく座れましたね」という感じで話したのでしょう。(長時間並んでも 下り列車と違い、座席確保は 至難の業だった?!)

  想定される列車は 熊本18:00 ―(32レ)―9:57 大阪 10:05 ― 19:34 横浜 19:36 ― 19:56 品川
  岡本が勤務中で 見送りに来られないとすると、この列車しか ありえないのですが 夕刻に矢向駅着は不可能です。 長崎始発の36レなら 大阪6:10発で、品川16:11着なので 里子を送っても 夕刻に矢向へ着きます。(夏祭り時期なので)

  



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365.安藤昇のわが逃亡とSEXの記録

1976年9月 東映 製作 公開  カラー作品   監督 田中登

安藤興業社長 安藤昇(本人)は債券取り立てを 拒絶された 極東船舶 社長 早川哲司(近藤宏)を 子分に狙撃させ、愛人の所を転々と 移動して 逮捕されるまでの 34日間を描いた 好色系 アクション映画です。

子分の船橋一也(蟹江敬三)が 早川を撃った時、安藤はアリバイ作りなのか 熱海の旅館に居ました。そこへ襲撃成功の知らせが入り、翌日東京へ戻ることにします。
小田原から乗り換えたのでしょうか 小田急ロマンスカー上り列車の最後部で、安藤は古山広(石橋蓮司)・進藤英夫(内田勝正)と共に 前日の事件を報じる新聞を読んでいます。
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終着駅新宿へ到着する 特別急行あしがら号から
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降りて来た安藤の周囲を、ボディーガード役の 古山と進藤が警戒しながら 前方へ進んでいます。

ところが改札口付近に 私服の刑事らしきの姿があり、国鉄側のホームにも 警官がいたので、
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三人は途中でUターンして 普通電車に乗換えました。
車内で運転室直後の最前部へ移動し 後方を警戒して過ごし、
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タイトルクレジットが続く中 下北沢駅で下車して 改札口へと三人は向かいます。
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そして下北沢のアジトへ トップ屋の森裕彦(小松方正)を連れ込み 警察の捜査状況を聞くと、早川は全治二か月の重傷で 警察は下山事件以来の 大捜査網を敷いているそうです。
指名手配された安藤は 警察が存在を承知するも 住所氏名不詳の 最新の愛人としてノーマークである 山辺康子(荻野まゆみ)の所へ潜伏します。また警察に狙撃犯とみなされた 河原邦彦(滝波錦司)は、上野駅から東北へ向かいます。
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その後安藤は 警察が家宅捜索後も厳重に張っている 赤坂の山岸旗江(中島葵)の家に4日居た後、伏龍部隊時代の戦友 田所有二(小池朝雄)の家で 田所が連れて来た愛人 田代文子(ひろみ麻耶)と最も長く 10日間潜伏します。
そろそろヤバイと 古山が次の移動先を探した日、文子は安藤のワイシャツに 口紅で別れ文を書いて 京王帝都電鉄井の頭線 神泉駅前の
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公衆電話から 警察に通報するのでした。そして間一髪で 古山が運転する車に載り込み、安藤は脱出することが出来ました。

続いて 小田急電鉄ロマンスカー 3100形NSEらしき展望席で、前方の右カーブから現れた
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国鉄御殿場駅始発の連絡急行 3000形SSEあさぎり号とすれ違います。
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その展望席には、安藤と古山が並んで座っています。そして右下にチラリと 国鉄厚木駅が映りながら
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小田急の厚木駅を通過すると、
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5年前に架け替えられた 新しい相模川橋梁へ向かっています。
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そして 葉山の貸別荘を潜伏先としますが、最後はプール際で 警官隊に古山と共に逮捕されました。護送中に森とカメラマンがハコ乗りで並走する車から、果敢にインタビューを試むのでした。
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PS.
  1958年6月11日に 東洋船舶で起きた 横井英樹社長 銃撃事件の顛末を、当の本人の主演で 愛人達との交流と 逃亡の過程を 共に主体的に描いた 異色のセミドキュメンタリー映画で 当ブログでは2作目の成人映画です。

  当ブログでは 過去小田急ロマンスカーが登場していますが、NSEを初めとする展望席でのロケ映画は初めてです。

  最初の画像が撮影された列車を想像すると 小田原8:44発の 特別急行さがみ2号 ⇒ 10:08新宿着で 車内ロケを行い、新宿駅ホームでのロケ後に続いて 10:19着のあしがら50号で 到着シーンの撮影。

  12枚目の画像以後の下り先頭展望席でのロケでは、途中で 3000形SSEとすれ違います。こちらもロケ当時の時刻表から想像すると 有力なのは、新宿12:00発の 特別急行はこね19号に乗り 海老名~厚木で連絡急行あさぎり2号とすれ違った様です。

  一応時代設定は1958年6月で、逃亡途中に賭場で遊ぶ時は聖徳太子の千円札束を使っています。
  しかし小田急ロマンスカーを初め、車もロケ当時の車を使って、特に時代設定に気を使っている様子はありません。


  安藤と田所は各種あった特攻戦法の中でも 成功の可能性がゼロに近く 訓練中に事故死者が復数出た 悲惨な伏龍部隊の戦友という設定で、安藤が伏龍部隊で訓練を受けて 事故死者を目撃したのも事実だった様で 作品内で語られた稀な映画です。

  


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295.東京は恋する

1965年9月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 柳瀬観

美大入学を目指す 塚口明夫(舟木一夫)が一目惚れした緒方ミチコ(伊藤るり子)の恋人が、高校時代の悪友 三村健次(和田浩治)だったことから 苦悩する様を描いた青春映画です。

高校の同級生三村と 再会して飲んだ塚口が、翌朝バイト先へ向かう場面で 先ず小田急電鉄 2400形4連の急行列車らしき走行シーンが入ります。
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続いて 銀座で雨宿りしていた時に一目惚れした女性が 東北沢駅ホーム横の店で働いているのを偶然見かけ
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仕事帰りにミチコの落とし物を届けたことから 知り合いになれます。

ミチコから御礼に靴下をもらった塚口が にやけ顔で改札口横を通ると、三村に丁度会います。東北沢駅の北口で、階段を8段上がると改札口になっています。
翌日塚口が仕事帰りに ミチコのいる店の前をウロウロしている背後で、小田急電鉄 1900形らしきが発車して行く姿があります。
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終盤 ミチコが実家へ戻る話に 三村が同意したので 荷物を持って東北沢駅へ来ると、降りて来た塚口が
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ミチコに気付いて駆け寄り
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線路端で翻意する様に説得する場面があります。
二人の背後に到着したのは、ぶどう色(茶色)の 1400形でしょうか。
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結局彼女の意思は変わらず、見送りに行くことにした塚口でした。
続いては 見送り後や仕事中に考え込むシーンの中で、列車の窓から手を振りながら 去り行くミチコの姿を
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思い出す様な場面があります。

ところが 実家へ帰ったと思っていたミチコが途中から戻り、東京には恋人がいるのでと 見合い話を断ったそうです。
そして実家の祖父母が上京して来るので、塚口に三村健次として 一日恋人を演じて祖父母に会ってほしいと頼まれます。
その当日 今となっては懐かしい三角屋根の 東京駅丸の内口駅舎が先ず映り、
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はとバス乗り場で三人と待ち合わせた 緊張顔の塚口でした。
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PS.
 本作の舞台となり 度々登場する小田急電鉄東北沢駅ですが、2005年10月~2018年3月にかけての大工事で地下化されて 現在ではロケ地の面影は全くありません。

 1927年の開業当時から停車する上下線の間に通過上下線のある4線構造で 通過待ち停車時間が長いので、塚口がミチコを発見しても ゆっくりホームから様子を見ることが出来たと思います。

 5枚目の画像で踏切待ちをしているバスが停車している都道の先に 本作公開時頃まで貨物取扱所があって、相模川等から輸送してきた砂利の置き場とトラックに積換え業務を行っていたとか。

 6枚目の画像にチョコッと映っている茶色の 1400形電車は1930年の江ノ島線開業期に作られ、通勤車輛が全て濃黄色と濃紺の2色塗となっても 茶色のまま残っていたのも旧型のHB車だったからの様で この後 2年程で廃車となりました。

 

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270.喜劇 駅前団地

1961年8月 東京映画 製作  東宝 配給 公開  カラー作品   監督 久松静児

東京近郊の団地造成地に新しい駅が予定され、そこへ病院を建てようとする女医と地元の開業医とのやり取りを喜劇仕立てで描いた映画です。

タイトルバックで東京駅・代々木付近の国電・多摩川を渡る小田急電鉄が映った他、小田急 2200形らしき正面二枚窓の電車の走行場面があります。
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冒頭 小田急電鉄 西生田(現 読売ランド前)駅近くの第三種踏切で、洗濯屋の九作(坂本九)が鳴っている警報を無視して渡ったのを山上巡査(千葉信男)に説諭されます。

呼び止められた久作に山上が話す背後を、小田急電鉄 1600形らしき電車が走り抜けて行きます。当時は茶色塗装と濃黄・紺色のツートンカラー塗装が混在していました。
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九作は山上の御機嫌を取りつつ何とか誤魔化して、その場から逃げて行きます。この場面で西生田駅の駅舎が映り、左側には「日本住宅公団 百合ヶ丘団地入口」と書かれた看板があります。
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それ故 1960年3月に百合丘第一団地用に開業した百合ヶ丘駅は開業前の時代設定ながら、百合ヶ丘団地は存在して 西生田が最寄り駅であるとのアピール看板の様です。

中盤 不動産屋の桜井平太(フランキー堺)が地元の土地ブローカー(田辺元)に案内されて、車で新駅予定地へやって来ました。線路端へ到着すると、小田急 2400形らしき電車が通ります。
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終盤 数々の騒動が収まった頃 新設された百合ヶ丘駅を、小田急電鉄のフラッグシップ 3000形 SE車がミュージックホーンを響かせながら走り抜けて行くシーンがあります。
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そして百合ヶ丘駅前に「バー・ベーロ」を開店させた桜井は、妻 君江(淡路恵子)の具合が悪く戸倉病院へ往診願いの電話をします。背後は開業間もない設定の、百合ヶ丘駅舎です。
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 PS.
   小田急電鉄 西生田駅は( 147.胎動期 私たちは天使じゃない )でも登場しましたが、趣ある駅舎も 1995年8月に現在の駅舎へ改築されています。当時は駅前でも遮断棒の無い 第三種踏切が主流だった様です。
   西生田駅は 1964年3月に現在の読売ランド前に改称され、同時に隣の東生田駅は生田へ改称されました。

   百合ヶ丘駅を颯爽と走り抜ける 3000形特急ロマンスカーは 1957年10月から運用された車輛で、特徴ある外観は車体と車体の間に台車を配置して重量軽減や低重心化に繋がっています。
   当ブログ( 72.南郷次郎探偵帖 影なき殺人者 )で登場し、( 75.100発100中 黄金の眼 )では改造後の姿が映っています。

   一枚目の画像に記された久保賢とは後に日活映画でスターとなる山内賢です。実の兄が久保明の名で活躍していたので、久保賢の名で東宝映画に出演した様です。その後 日活と契約して芸名を山内賢と変えたのでした。



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240.サザエさんの青春

1957年12月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 青柳信雄

サザエさん(江利チエミ)とフグ田(小泉博)は婚約しますが、フグ田の一年間九州転勤により結婚延期となったので 花嫁修業を始めます。その間の数々の失敗・ドタバタを描く、シリーズ3作目のコメディ映画です。

前半 サザエさん一家がピクニックに出掛けることになりますが、父親の磯野松太郎(藤原釜足)を始め 次々と忘れ物を思い出しては取りに帰る始末です。
サザエさん・父親・母親(清川虹子)・カツオ(白田肇)・ワカメ(松島トモ子)・ノリオ君(藤木悠)の一行6人が漸く駅に到着すると
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(本日スト決行中)の立て看板があり 改札口前に机が置かれて駅員らしき男が来た人に説明しています。
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駅舎に掲げられている筈の駅名は、映らないように撮影されています。でも周囲の様子と看板等から、この駅は小田急電鉄 喜多見駅と思われます。
直前の商店街シーンは東宝撮影所最寄りの成城学園前駅付近と思われるのに、何故かしら駅前のシーンでは喜多見駅を使っている様です。その後 フグ田がタクシーで現れ、サザエは母親から弁当の入ったバックを渡され(6人分?)出掛けます。

中盤 花嫁修業の一つとして家計管理を担うサザエですが 保険屋の口車に乗せられてしまい、赤字となった家計の穴埋めにデパートでアルバイトすることになります。
いよいよ初出勤の日 スーツにハイヒール姿で、軽やかに歌い踊りながら喜多見駅へやって来ます。折しも小田急電鉄の茶色い4連電車が、出発して行くところです。3扉の車両ですが、形式は不明です。
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サザエが駅舎直前に来た時 一瞬 駅舎上部の駅名板の一部分が映り、「ENOKI-ZAKA」と書かれた部分が見えます。作中 カツオが通っている学校が、「榎坂学園」らしいので、この地を榎坂という架空名に設定している様です。
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改札口を入って 上り線ホームへ階段を上がると、小田急電鉄標準形三角屋根駅舎や下りホームへの構内踏切が映っています。この頃は未だ跨線橋がありませんし、ホームも4連用の様です。
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サザエは更にホームを進むと、ベンチに置かれた帽子の上にいきなり座ってしまいます。
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持ち主の男はそっと取り返そうとしますが、怪しい動きにサザエは怒り出します。
でもお尻で潰した帽子を見て、慌てて逃げるように到着した電車の前方に乗り込むサザエなのでした。
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ベンチの後方に「大和学園」の看板がありますが、これは現在 駅の東に在る( 聖セシリア喜多見幼稚園 )と思われます。

続いて 72系らしき山手線内回り電車が、新橋~有楽町を走行する姿が映ります。山手線と分離運転化されて一年後の、南行 京浜東北線電車も映っています。
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そしてカメラが左へ回ると、建設中の東京高速道路の高架線が晴海通りとクロスする所で止まっている部分が映っています。東京初の高速道路で、この映画公開の1年半後に開通します。
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サザエは銀座三越で働く様なので、小田急電鉄で新宿へ出て 山手線か中央線+京浜東北線で有楽町まで来ていたのでしょう。



PS.
   本作からカラー作品となり、東宝としても当たり作として長いシリーズ作品に決めた様な筋立てになっています。 鉄道シーンとしては短いのですが、現在とは隔世の感がある喜多見駅周辺・ホーム等 印象深い作品です。
  喜多見の名が入った看板を映しておいて、何故 駅名を架空名にしたのか不思議ですね。また表札の父親名が磯野波平ではなく 松太郎となっていたのは、原作でもこの頃は表記が無いので 脚本家が付けたのかもしれません。
  作中で松太郎は女房を長年「おい」とか「お前」と呼んでいたので 名前を忘れてしまい、サザエから「フネ」であると教えてもらい 当人から呆れられる場面があります。原作者もここから母親の名を「フネ」としたのかも・・・

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204.若い人たち

1954年11月 新東宝配給公開 近代映画協会製作   監督 吉村公三郎

都市銀行に勤務するベテラン女子行員 小宮阿佐子(乙羽信子)が、同僚や部外の人間との交流から自分の歩むべき道筋を見定める過程を描いた映画です。

冒頭 京浜線沿線らしきから都心に通勤する場面から鉄道シーンがあります。阿佐子が父 小宮良介(御橋公)と踏切で待つ前を横須賀線 70系電車と京浜線電車が高速で通過して行きます。
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そして京浜線・山手線の分離運転直前でホームだけ完成している新橋駅へ向かう電車から、対向する 40系らしき電車が向かって来る姿が見えます。
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風格ある新橋駅駅舎をバックに小宮が歩き、
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有楽町駅中央口からは阿佐子が出て来ます。
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従業員組合の集会後 戸川健一(金子信雄)と山本久子(木村三津子)は帝都高速度交通営団地下鉄 銀座線の銀座駅へと入ります。この当時東京の地下鉄は銀座線以外では丸ノ内線の池袋~御茶ノ水だけです。
ホームへの階段を降りて 暫し話していると、渋谷行の 1000形 1018号電車を先頭に到着しました。この車両は 1929年 汽車製造東京支店製の東京地下鉄開通当初から走る車両と同じ初期型です。
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それから下宿へ帰った戸川が二階の自室へ入ると、窓越しにD51形蒸機重連牽引の貨物列車が右から左へと走り抜ける様子が見えました。山手貨物線か品鶴線の列車と思われます。
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中盤 支店の慰安旅行で箱根に行った阿佐子は、父親がケガをして自宅に居るので泊らず宴会を中座して帰ろうとします。戸川も妹が田舎から来ているから帰ると言うので、同行することにします。
続いて帰路の小田急電鉄特急車内の中央にある喫茶カウンターでは、アイスティらしきが作られ
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二人が座る席まで運びます。これは三井農林(現 日東紅茶)が営業を担当した「走る喫茶室」で、接客員はスチューワーデスと呼んでいました。
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二人で話す内に、酒匂川橋梁らしきを渡って行きます。続いて小田急 1700形特急が、橋梁を渡る走行シーンがあります。前面が非貫通二枚窓の有名な3次編成ではなく、初期型なので特徴が薄いですね。
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この 1700形は小田急戦後初の本格的特急ロマンスカーで、オール転換クロスシートに喫茶カウンター・トイレを装備しています。 1951年2月より 1957年のSE車置き換えまで特急運用につき、後に通勤型へ更新されました。

終盤 組合活動で目立つ存在の戸川は、静岡への転勤辞令を受けます。いよいよ移動の当日、戸川は開店前に皆に挨拶して店を後にします。慰安旅行を阿佐子と二人で中座したことから、噂になったことを気にする久子は見送りに行きません。
そんな久子の姿を見た阿佐子は、「上司には伝えておくから戸川の見送りに行きなさい」と送り出すのでした。そして久子は階段を駆け上がって東京駅8番ホームへ行くと、発車待ちの急行列車沿いに車内の戸川を捜します。
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案内放送が「 10時発 急行げんかい 博多・都城行でございます」と流れるホームを前後に捜す久子へ、ホームのワゴン販売で買い物をしている戸川が声を掛けます。
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暫し別れの挨拶を交わした後、久子は「いつか貴方に付いて行ける様になりますわ」と伝えます。そこで発車ベルが鳴り 戸川はデッキへ乗って握手を交わし、列車は動き出します。
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なおも久子が「静岡へ遊びに行きますわ」と言えば、「いらっしゃい」。 そして去り行く戸川に「本当に静岡まで行くの良くって?」と問えば、「待ってま~す」と明るい未来を思わせるエンドシーンであります。
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PS このラストシーンは東京駅8番線でロケされています。10:00発 33ㇾ急行げんかい号の設定なので、時刻表では長距離優等列車用の 15番線発車の筈です。
   想像するに本物では混んでいて混乱を招くので、東京駅8番線到着普通列車の回送便を使って、急行札のみ付けてエキストラを乗せてロケを行ったのでは?と思われます。
   アフレコの案内放送がバックで何度も「 15番線お後へ願います 10時発 急行げんかい 博多・都城行です。」と、流れていますので せめて(15番線) の部分をカットしてほしかったと思います。

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197. 恋人

1951年3月 新東宝 配給 公開   製作 新東宝・昭映プロ   監督 市川崑

結婚式を翌日に控えた 小田切京子(久慈あさみ)が従兄弟の遠藤誠一(池部良)とデートするも、お互いの気持ちを言い出せないまま経過してゆく 独身最後の一日を描く青春映画です。

結婚式前日なんて案外暇なの。などと遠藤を誘った京子は、父親 小田切恵介(千田是也)から小遣いを調達して待ち合わせの銀座へと出掛けるのです。
水田沿いを小田急電鉄の 1800形2連が走り来ると、
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雑木林を横目に第4種踏切を通過して行きました。戦災復興用の国鉄63系そのままの姿で、オデコの通風口が特徴的です。
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ロケ地は不明ですが当時 豪徳寺~経堂で これに似た風景の場所があったそうで、あるいはそこかもしれません。何れにしても現在とは隔世の感があります。
また標識だけの簡易的な第4種踏切が経堂付近にあったとすると驚きですが、1955年時点で小田急線内にはこの簡易踏切が390ヶ所もあったそうで不思議ではない様です。

その後の近代化で第4種踏切は 1973年中には全廃されたそうで、今では全て第1種甲踏切です。なお当時は占領下だったので、標識の表面は英語表記と思われます。
意外と思えるのが鋼製の架線柱で、小田急では 1927年の開業時から高価ですが強度と耐久性が高い近代的な鋼製架線柱を使っていたそうです。

小田急 1800形は大東急時代の 1946年 20両導入され、小田急初の20m車として活躍後 1957年から車体更新されて 1981年迄使われました。
2連で運行されているので各停と思われますが、新宿発の2連は 1960年代になっても見られました。

銀座の喫茶店で待ち合わせた二人は映画・スケート・天ぷら屋・ダンスホールと渡り歩き 京子の独身最後の一日を共に楽しむのですが、気が付くと腕時計は止まっており終電車が気になります。
その頃 小田急線新宿駅では 1800形電車が停まっており、次々と駆け込む人が続いています。駅の時計は 24:48を指しており、
構内放送は「まもなく24時50分発経堂行が発車します。この電車は小田急線 本日の最終電車であります」と告げています。
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二人は国鉄からの中央地下通路を走って、小田急線乗り場へと急ぎます。しかし小田急線新宿駅11番線からは、ふらふらしている酔っ払いを置いて終電車が警笛を鳴らして出発して行きます。
そこへ遠藤と京子が到着しますが、終電車はホームを離れるところで間に合いませんでした。
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その様子を見て笑っていた改札口の駅員は、二人が引き返して来ると顔を正して見送ります。
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改札口から出てくると京子が寒いと言い出したので、
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再び地下通路へ降りて行きます。京子を残してタクシーを捜しに行った遠藤ですが、見付からずに戻って来ると二人はお互いの気持ちに関して口論となります。
地下通路の壁には小田急線の案内が書いてありますが、代表的な行先が進駐軍基地に関連した相模大塚・相武台前と書いてあるのが時代を反映してます。しかも相模大塚は海老名で相模鉄道に乗り換えた先の駅なのにアバウトです。
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1927年の小田急線開業時以来の姿を保つ新宿駅ですが、この映画の4年後に公開された前出 (57.泉へのみち 東宝) でもほぼ同様でした。
その後利用客増加から列車本数増加計画に伴い、1960年から大改造工事にかかり 1964年2月に完成させて現在に至っています。

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193. 夫婦百景

1958年3月 日活 製作 公開   監督 井上梅次

売れない童話作家 大川蒼馬(大阪志郎)と女性誌の編集長 みはる(月丘夢路)夫婦を中心に、様々な夫婦の形態を描くコメディ映画です。

みはるの従姉で電気屋店主の妻 誉田松江(山根寿子)が店員に惚れた挙句 冷たい夫に呆れて家出し、みはるの勤務先を尋ねて来ます。そして経緯を話す中で、最初の鉄道シーンが有ります。
先ず国府津区所属の D52形蒸機 D52 70 が牽引する旅客列車が、豪快な汽笛と共に走り来るシーンがあります。
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続いて松江が乗車している車内場面があるので、御殿場線沿線の嫁ぎ先を出て来たのでしょうか。

座席で松江がぼんやりと車窓を眺めていると電気屋の店員 河内明(青山恭二)が現れ、「女将さんに付いて行きます」と言うのでデッキへ連れ出し 店に帰る様に諭します。
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松江は後に「河内とは東京駅で別れた」と言ってるので、当時 日中に御殿場線内を蒸機牽引で走り東京駅迄直通で 9:27着の914ㇾか 13:11着の 916ㇾを想定してのセット撮影と思われます。

続いて 小田急電鉄 世田谷代田~梅ヶ丘らしきの線路沿いの道を みはると鞄を持った松江が並んで歩く横を、開業時以来走る 1100形らしき4連の上り列車が通過して行きます。
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更に歩いて行くと反対側の下り線を、1400形らしき2ドアの3連が通過して行きます。この辺りは近年 複々線化・地下化工事が続いており、沿線の様子は激変しています。
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みはるが松江を家に連れて行くと、大川が姪の倉田ノリ子(浅丘ルリ子)・倉田達夫(岡田眞澄)の学生夫婦を勝手に同居させています。これに怒ったみはるは家出しますが、泰然自若の大川です。
主夫兼 自宅勤務作家の大川が毎日落ち着いた様子で外出するのを不審に思い、浮気をしているのではと倉田夫婦が後を付ける場面でも小田急電鉄が登場します。

ロングシートで大川が居眠りするシーンでは、逢引と違ったのかと倉田が言います。窓外には貨車が映っているので、経堂駅辺りでしょうか。更に進んで大川は停車した駅で、突然跳ね起きて下車します。
慌てて倉田夫婦も後を追い、ホームに直結している改札口から大川に続いて外へ出ます。
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小振りな木造駅舎で向かいのホームの先に{当駅前 みや古ホテル}の広告看板があることから、この駅は参宮橋駅と思われます。

そして倉田夫婦の誤解からひと騒動となり 大川宅から引越すことにした倉田夫婦が、倉田のバイト仲間 楢井詮造(長門裕之)の隣部屋を紹介されて尋ねる場面が後半にあります。
72系らしき7連 国電の走行シーンに続いて、車内ではドア付近に立つ倉田夫婦が楢井夫婦のことをあれこれ話しています。
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そして非電化線路の築堤が横にある広い道路の歩道を、二人は歩いて行きます。
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その背後を都電 6000形らしきが追い抜いて行きます。目印となる店を沿道の人に聞いて二人が大通りを反対側に横断すると、築堤の先の線路はこちら側に大通りを斜めにオーバークロスしています。
この架道橋の形態と都電から この線は前作(192.恋人)でも登場した総武本線貨物支線であり、亀戸駅を出て併走する総武本線上り線から分岐した直後の地点と思われます。

したがって都電は須田町へ向かう 29系統か、錦糸堀車庫前へ向かう 38系統の車両と思われます。架道橋脇の空き地では紙芝居屋が営業中で、時代を感じさせます。
その後二人は、総武本線 72系電車が窓から見える楢井夫婦の部屋に上がります。最後は8つの都電系統が行き交う日比谷交差点の姿が映りながらエンドマークとなります。
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188.妻という名の女たち

1963年5月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 筧正典

主婦 魚住雪子(司葉子)は夫 浩三(小泉博)の浮気発覚後も相手のバーのマダム 八杉夏代(左幸子)と別れられない夫の帰りを待つ雪子であったが、やがて自立に目覚める過程を描く映画です。

小田急電鉄 代々木上原駅上りホームをNSE 3100形特急ロマンスカーが通過して行く場面からこの映画の鉄道シーンが始まります。下りホーム沿いの道を魚住の息子 一郎(田中伸司)が走って来ました。
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魚住が到着した 2400形らしき電車に乗りドアが閉まりかけた時 一郎に気付きますが
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閉まったので近くの窓を開けて息子を呼ぶと「パパ~」と応えます。
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残念ながら、窓から手を振り 去り行く魚住でした。
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この当時の代々木上原駅ホームはコンクリート平板舗装で、先端2両分程は砂利敷きの様です。その後地下鉄千代田線との相互乗り入れ工事の為、東北沢方向に移転 高架化され 1977年10月現在の駅舎となりました。
かつての代々木上原駅は現在の東口を出て、右に曲がった先に出入り口がありました。またホームの新宿寄りはカーブしていましたが、移転したので現在は直線状です

魚住夫婦の仲は家庭裁判所での調停にもちこまれ 最後は魚住が夏代と別れることにし、来訪した夏代も雪子の前で別れることを告げます。しかしこれを聞いて雪子は、魚住と別れる決心がついたのでした。
最後 別れの場面に鉄道シーンがあります。代々木上原駅ホームで雪子が一郎を連れて、電車を待っています。そこへ 2400形らしき普通電車がカーブの先から到着し、雪子と一郎は乗車しました。
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その直後 階段を駆け上がって魚住がホームに現れます。そして雪子と一郎を捜して停車中の車内やホームに目をやります。一方 座席についた二人は、一郎が「窓を開けて」と言うので雪子は開けてあげます。
外へ顔を出した一郎が「アッ パパだ!」と叫ぶと、魚住が窓際に駆け寄りました。魚住と雪子は至近距離で顔を合わせますが、お互い一言も発しません。
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直に電車が動き出すと、魚住は電車に合わせて移動しながら一郎に「気を付けて行くんだよ」とだけ告げます。この窓越しの場面はセット撮影の様で、背景を後から合成した感じです。
続いてのカットでは、代々木上原駅ホームに一人残された魚住の姿が哀れです。反対側の上りホームからは、一時代前のこげ茶色塗装の 2100形らしきが発車して行きます。
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車内では窓から風が穏やかに吹き込み、雪子は「あ~いい風」と呟き すべてが終わったからか サッパリとした表情です。
ラストは代々木上原~東北沢の井ノ頭通りらしき道路と斜め交差する踏切を通過する 2400形らしき電車の走行シーンでエンドマークとなります。
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