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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 161. おかあさん

1952年6月 新東宝 製作 公開   監督 成瀬巳喜男

戦災で焼失した洗濯屋を再建するため一家で頑張り、夫や息子を失いつつも 懸命に生きる母 福原正子(田中絹代)の姿をを娘 年子(香川京子)の視点で描くホームドラマです。

冒頭 2両編成の私鉄らしき電車が走り抜けて行きます。塗装の具合が不明ですが、京浜急行電鉄の 230系ではないかと思われます。
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しかしこの映画の殆どの部分はこの沿線で撮影された訳ではなく、オープンセットを組んで世田谷で撮影された様です。

中盤 再建した洗濯屋の配達を年子が自転車で行く途中、踏切で待つ向こう側にパン屋の平井信二郎(岡田英次)の姿が見え お互いに手を振ります。
二人の間を高速で、3両編成の電車が通過して行きました。先頭と最後部は東急の 3600系の様に見えますが、中間車は京急のデハ 150の様に見えるので判別出来かねます。
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終盤 次女の久子(榎並啓子)が親戚の家の養女となることになり、久子を迎えに来る前日に一家で遊園地へ行くことになりました。
続いて蓄電池式電機に牽かれた7両のオープン客車が映ります。遊園地内の遊覧鉄道の様ですが、これは小田急電鉄が稲田登戸(現 向ヶ丘遊園)~向ヶ丘遊園地 約1km.を結んでいた連絡鉄道です。
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軽便規格の 610ミリ軌道を東芝製の4t蓄電池式機関車が、7両のサイドステップの付いた簡易客車を牽いて遊園地への客を運んでいます。
子供達はこれから遊園地へ向かうので楽しそうですが、乗り物に酔い易い母 正子は早くも気持ち悪そうな暗い顔つきです。
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この鉄道は乗客誘致の為 小田原急行鉄道が 1927年に開園させた向ヶ丘遊園地へ、客を運ぶ目的で開園二か月後に開通させた豆汽車(米製ガソリン機関車)にルーツがあります。
戦時中は休止していましたが 1950年上記の方式で再開し、単線ながら途中交換所もあって2列車運行していました。電機は東芝製の他 日立製もあったとか。

1965年道路新設工事に伴い惜しくも廃線となり、新たにモノレールが翌年開通しましたが 2000年に休止 翌年廃止となり 今では有りません。
かつて西武鉄道山口線(おとぎ電車)で使っていた電機や客車が似ていますが、こちらの開通も 1950年です。軌間は 762ミリで、7t蓄電池機関車で開業していますのでひと回り大型ですね。

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 147. 胎動期 私たちは天使じゃない

1961年4月 新東宝 製作 公開  監督 三輪彰

封建的な看護学校寄宿舎生活に反発しながらも、次第に変わって成長してゆく看護学生たちの三年間を描く 青春映画です。

鉄道シーンとしては、序盤 主役の鈴元春子(高須賀夫至子)が秋田から上京する場面からあります。
汽笛と共に砂箱や蒸気溜が角型の戦時型 C11形蒸機が回転式火の粉止付煙突から黒煙を吹き上げ、スポーク式動輪が動き出します。
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客車の窓から春子が名残惜しそうに、ホームの祖父母を見ています。
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羽後西山(架空駅)と書かれた駅名板をバックに、祖父母二人で見送っています。
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やがて列車に乗る春子から祖父母は遠くなり、春子は懸命に手を振ります。客車の上には架線が有り、電化間近なのでしょうか。
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さて この駅舎 何処かで見覚えがあります。( 123. 汚れた肉体聖女 )でも登場した、五日市線 西秋留駅(現 秋川駅)を仕立てて撮影したと思われます。
当時 都内で蒸機牽引列車が走り 田舎風の駅舎の在るこの駅は各社のロケに使われましたが、映画公開前の2月中旬電化されたので直前に撮影したのでしょう。

次は小田急電鉄 西生田駅(現 読売ランド前)から笠原婦長(賀原夏子)ら二人と春子が降りて来て、春子の母 鈴元豊(三宅邦子)が出迎える場面があります。
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中盤 東海医大前駅?(不鮮明な架空駅名)の木造跨線橋から笠原婦長と春子が降りて来るところを、春子を疑う鹿川真砂子(山﨑左度子)が物陰から見ています。

そして卒業の年 西生田駅から降りて来る春子のバックで、出発して行く小田急電鉄 1800形が映っています。国鉄 63系と同型の小田急割り当て車両で、1981年まで走りました。
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卒業前 寄宿舎を抜け出したりして問題行動の多い 久米勢津(広村芳子)が、京王帝都電鉄 2000系らしき(すぎたま様コメントより)が通り過ぎた直後に踏切ではない所で線路を渡って男の所へ向かうシーンは印象的です。
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最後は東海医大前駅?で電話ボックスから出てきた笠原婦長が、通りかかった春子を見掛けて 伝言を頼むシーンがあります。
似た名前に 東海大学前駅が小田急電鉄にはありますが、この駅はこの映画公開の 26年後に大根 → 東海大学前と改称されたので (123.) 内の南島原駅 同様の偶然でしょうか?
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このロケ地は何処か?を考えると、特徴ある木造跨線橋がヒントの様です。該当するのは、戦前唯一の橋上駅舎化された成城学園前駅ではと思われます。(54.泉へのみち)のラスト画像もここです。

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137. 美しき抵抗

1960年12月 日活 製作 公開   監督 森永健次郎

大学医学部 助教授で研究室勤務だが、世渡り下手な父親 松波亮輔(北沢彪)と従順な母親 松波ゆき子(高野由美)に反発する三姉妹の家族ドラマを描く映画です。

小田急電鉄 喜多見駅近くに松波家が在る様で、小田急電車や喜多見駅が登場するシーンがいくつか有ります。
先ず 松波家から見える 小田急電鉄 1600形らしきの走行シーンが有ります。
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こげ茶色塗装で、未だ緑多き住宅街を爽快に走り抜けて行きます。

次に 三女の高校生 久美子(吉永小百合)と同級生 三川(浜田光昿→光夫)が、喜多見駅前の道で話している背後に下り電車が到着するシーンがあります。
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喜多見駅はこの映画ロケの翌年には開業以来の構内踏切が廃止され、跨線橋が設置されたので現在より二世代前の貴重な様子を映画の中に残しています。

父親が態度を改め、娘達も父親の生き方に納得して松波家は一件落着。元の平穏な生活に戻って、ラストはいつもの朝の松波家の様子が描かれています。
三姉妹が揃って楽しそうに 駅へ向かう様子を母 ゆき子が微笑みながら見送っています。駅への小道を行く三姉妹の前方には小田急電車が通過して行きます。
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そして駅間近の線路沿いの道を三姉妹が歩いていると、背後の築堤上を前面2枚窓の京王帝都電鉄 2000系(すぎたま様コメントより)が走り抜けていきます。他の電車より近代的な印象がありますね。
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次に次女 都紀子(沢阿由美)が「良雄さ~ん」と声を上げて前方を歩く良雄(沢本忠雄)の元に駆け寄りました。長女 智恵子(香月美奈子)と三女 久美子の背後に京王帝都電鉄井の頭線 1700系らしき(すぎたま様コメントより)の姿が。
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駅前まで来て智恵子がポストに手紙を投函していると、こげ茶色の上り電車の姿が見えたので二人は慌てて改札へ走って行きました。
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1927年の開業時から在る小田急標準型の趣ある三角屋根木造駅舎は、ロケの後も長らく存在し 1989年の高架複々線工事開始頃まで残っていた様です。

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 105. 妻と女記者

1950年4月 新東宝・藤本プロ 製作  東宝 配給公開   監督 千葉泰樹

復員し大学の研究室に通う 矢代宏司(伊豆肇)が、妻 孝子(山根寿子)と自分の両親が同居する家に知り合いの妹 吉崎文枝(角梨枝子)を下宿させたことから起る一騒動を描いたホームドラマ風の映画です。

先ず矢代が横須賀線で、鎌倉駅へ帰ってくるシーンがあります。四角錐の尖がり屋根の鎌倉駅が映りますが、この部分は1984年に現在の3代目駅舎に改築された際 西口広場へ保存されています。
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ホームへ 63系の電車が満員の乗客を乗せて到着し、矢代が降りて来ました。そして大きな荷物を持った客とホームから小競合いしながら、改札で待つ妻の元へ出てきました。

次に夜の鎌倉駅ホームで矢代と文枝が話すシーンがあります。文枝が借家から立ち退きを迫られ 矢代が自家への下宿を思いつく場面ですが、背景からセット撮影の様にも見えます。
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ホームの柱には、「躍進する小田急 ニュールックロマンスカー毎日運転」の文字と共に 1910形特急の姿が描かれたポスターが貼ってあります。
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騒動が一件落着し、矢代と妻 孝子はあらためて新婚旅行へ出掛けることになります。そして上記のポスターと同じ多摩川の鉄橋を渡る 1910形(後の 2000形)ロマンスカー3連の姿が映ります。
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続いて車内のシーンがあり、二人が先頭車両最後部にある白布が掛けられたロングシート部分に座っています。セミクロスシート3連なので、画面では続く中間車のクロスシート部分が見えています。
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矢代は足を組んでいますが、ロングシート部分故に足元はゆったりとしています。傍らには床に固定した灰皿が設置してあり、妻が持つライターで煙草を吸って寛いでいる様子です。
この 1910形は初代ロマンスカーとも呼ばれ、戦後初の新車として登場 現在に至る小田急電鉄のシンボルとなりました。また中間車に喫茶スタンドが設置され、飲み物のシートサービスも行われたそうです。

1949年9月17日に毎日運転のノンストップ特急として登場した 1910形ですが、1951年2月1日には二人掛け転換クロスシート装備の本格的ロマンスカー 1700形が投入され短命に終わりました。
その後 特急予備車を経て3扉化され一般車として活躍した 1910形なので、本編に映っている華やかな車内シーンは貴重な記録と言えるでしょう。

ラストシーンでは、鎌倉駅ホームから矢代達が 63系電車に乗って行く場面で終わっています。
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 103. 密会

1959年 11月 日活 製作 公開   監督 中平康

大学教授の妻 宮原紀久子(桂木洋子)は夫の教え子である川島郁夫(伊藤孝雄)と不倫関係ですが、密会中に偶然 殺人事件を目撃したことから破滅への道を辿るサスペンスドラマです。

宮原教授(宮口精二)の家は小田急沿線に在る様で、2100形らしき急行列車が何故かミュージックホーンと共に高速で走り抜けるシーンが先ずあります。
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小田急のミュージックホーンは 1957年登場した 3000形SE車から搭載された特急用の補助警報機なので、アフレコとはいえ一般車両に付け加えたのでは不自然な感じがしますね。

川島は良心の呵責に耐えかねて、事件を目撃したことを警察へ告白しに行く決意を紀久子に伝えます。だがそれは紀久子にとって、川島との不倫関係が公になり身の破滅に繋がります。
二人は話し合いますが遂に川島は警察へ向かうべく紀久子を振り切り、小田急線 梅ヶ丘駅の改札を入ります。和服姿の紀久子も後を追い、入場券を買って改札を入る姿を高位置から撮影しています。

この頃の梅ヶ丘駅は2面4線を構内踏切で繋ぐ構造で、二人は構内踏切を渡って上り線ホームへと上がります。一足早くホームへ上がった川島は紀久子が近付いても視線を変えず、前方を凝視しています。
紀久子も語り掛けず、この後川島の告白によって世間の好奇の目にさらされる自分の姿をを想像します。紀久子の視線を感じてか 川島の首筋には汗が光っていますが、微動だにしません。

「3番線を新宿行 急行電車が通過します」と構内放送があり、豪徳寺方面からあのミュージックホーンと共に小さく上り電車が見えてきました。二人共変わらず、思い込んでいる表情でいます。
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急行電車がなおも近付いた時、紀久子はチラと電車の方を見て川島の背をポンと押してしまいます。川島は一瞬 紀久子の方を振り向いた様子ですが、線路に転落 非常制動音と共に轢断されてしまいます。
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急行電車は非常制動なれど、最後部が構内踏切の中程の位置で漸く停止します。ホームにいた客が一斉に川島の転落場所に集まり、「飛び込みだ」「自殺だ」などと話しながら覗き込んでいます。
新宿行上り急行は当時新型の2200形で、突然の非常停止に乗客は皆窓を開けて後方を見ています。構内踏切は閉まったままですが、駅員が次々に駆け付け野次馬も遮断機を潜って集まってきます。
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そんな騒ぎの中、紀久子は平然と落ち着いた顔で遮断機を潜り無人の改札を抜けて現場を去って行きます。
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こうして紀久子の思い切った行動は、成功したかにみえました。
小田急電鉄の全面協力の元、休日の早朝にロケが行われたと思われます。しかし下り電車のことを考えていないのか、降りている構内踏切の遮断棒を指差呼称もせずに駅員が潜って現場に駆け付ける行動には?

当時 小田急電鉄のイメージリーダーである 3000形SE車は作中で登場しませんが、象徴であるミュージックホーンをあえて急行電車にアフレコで加えたのは撮影協力への御礼なのでしょうか?
小生 昔の梅ヶ丘駅を知らないので ここまで書いてきましたが、3枚目の画像に映っている広い構内配線には引っかかるものがあります。 2枚目の画像をよく見れば、相模大野駅へ進入して来る下り列車の構図では?

そうなんです。梅ヶ丘の駅名板に惑わされましたがロケは相模大野駅で番線表示板まで交換し、下り線の電車に上り新宿行の標示までして撮影したと思われます。
2枚目の画像を見ると電車の後方でオーバークロスしているのは、相模大野駅 新宿方にある国道16号線です。3枚目の画像で左方向へ離れていく線路は、この先で本線をオーバークロスする江ノ島線の上り線であります。

相模大野駅の小田原方に留置線があったので、そこで撮影用の列車を仕立て 構内でロケが行われたのでしょう。でも何故ここまで手の込んだ演出をして、相模大野駅を使って梅ヶ丘駅に仕立てて撮影したのか小生には思いつきません。1996年に現在地に移転した現状からは想像できない 1959年の相模大野駅の姿は価値あるものですね。

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75. 100発100中 黄金の眼

1968年3月 東宝 製作 公開   カラー作品    監督 福田純

世界に一枚しかないサマンタ・ゴールドという希少金貨を、知らずにペンダントにして持つ斎藤ミツコ( 沢知美 )が箱根に向かうラリーに参加 出発しました。
国際刑事警察のアンドリュー星野( 宝田明 )と手塚竜太( 佐藤充 )は女殺し屋のルビー( 前田美波里 )と手を組み、悪漢ハッサン一味とこの金貨を手に入れようと競うアクション映画です。

手塚とルビーはミツコを追って、小田急ロマンスカーに乗り箱根を目指します。先ずミュージックホーンを鳴らしながら多摩川鉄橋を渡る NSE 3100形はこね号の姿が映ります。75-1.jpg

続いて車内では手塚とルビーが並んで座っていて、手塚がサマンタ・ゴールド金貨の謂われをルビーに説明しています。

その後ハッサン一味が車内に現れ、二人は脅され拘束されてしまいます。ルビーはトイレに行かせてほしいと頼み、トイレの中でチャンスをうかがいます。
列車が新松田駅に到着し発車寸前 ルビーは勢いよくトイレのドアを開け、見張りの男をはね飛ばしてホームへ降ります。その時ドアが閉まり、悔しがる一味を乗せたロマンスカーは発車して行きました。

このシーンを見ると、新松田駅へ到着するのは{さがみ}の看板を付けた改造後の SE 3000形ロマンスカーです。上りホームには大勢の人が待っていますので、平日の朝方の撮影と思われます。75-2.jpg

この頃 新松田に停車する特急は さがみ号だけで、平日午前中は 7:56 の第1さがみ号と 11:09 の第5さがみ号だけです。上りホームの様子からして、到着シーンは第1さがみ号の姿と思われます。

この SE 車は 1967年から1968年にかけて改造され、この時先頭形が所謂モスラの幼虫型となりました。それ故撮影されたのは、改造後間もない姿の SE車と思われます。
しかし車内でのシーンは NSE車であり、ルビーが飛び降りた後悪漢一味が車内から悔しがるシーンも NSE車です。更に遠ざかる特急の最後部は NSE車で{はこね号}なのです。

思うに 車内シーンは はこね号を使って行い、発進して行く NSE車内の一味が悔しがるシーンは小田原駅で撮り 更に新松田駅で去り行く はこね号に手を振るシーンを撮ったのでは?75-3.jpg

新松田駅停車の特急が SE3000形だけなので、この様な苦しい編集になってしまったのかもしれません。

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72. 南郷次郎探偵帳 影なき殺人者

1961年4月 新東宝 製作 公開     監督 石川義寛

弁護士ながら私立探偵もどきの捜査で、麻薬事件の黒幕に迫る南郷次郎( 天知茂 )の活躍を描くアクション映画です。

麻薬界の大物 神崎( 晴海勇三 )が殺され、弁護担当の南郷は情婦の東野文江( 吉田昌代 )からの急を告げる電話で駆け付けるも既に殺されていた。
文江が遺した鍵から麻薬の入った鞄と小田急ロマンスカーの切符を手に入れた南郷は、事件の黒幕に迫るべく鞄を持ってその列車に乗ることにします。

ここから鉄道シーンが有り、まず多摩川の鉄橋を渡る 3000形SE ロマンスカーが映ります。続いて車内のシーン 南郷は鞄を網棚へ上げ、座っていると怪しい男が鞄を見ていたが関係無かった。
日東紅茶走る喫茶室の喫茶ガールが白い三角巾を被って飲み物を届ける姿も映っています。72-1.jpg
前から2列目に座るサングラスの女は南郷の方をチラチラ見てこれも怪しい感じです。

その後見知らぬ若い男が隣に座り、南郷が置いた鞄の横に似たような鞄を置いた。文江に鞄を託された様に装った南郷は、事情を承知している風に調子を合わせた。
次に高速でカーブを走り抜ける 3000形SE 8連の場面があります。72-2.jpg
場所は渋沢~新松田でしょうか。

そして終点箱根湯本駅に 3000形SE が到着します。列車名は湯坂とあります。72-8.jpg
この列車は新宿 14:21 発2503ㇾ週末準特急 湯坂で料金は特急が 150円なのに対して 100円です。
所要時間は特急80分に対して98分と急行同等で、停車駅は小田原のみと良く分からない列車です。この当時は特急ごとに名前が付けられていたので、箱根湯本到着時刻は 15:59です。

次の場面では、車内で南郷が持ち込んだ鞄と取り換えた若い男と箱根湯本駅の改札を出る南郷ら二人を先に降りたサングラスの女が見張っている姿があります。72-6.jpg

3000形SE は改装前の初期の姿で映っていて、車内でのカットや喫茶ガールも登場するなど当時のロマンスカーの様子が良く分かる貴重なシーンであると思われます。

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 66. あにいもうと

 1953年8月 大映 製作 公開      監督 成瀬巳喜男

戦前の室生犀星原作々品の再映画化で、戦後の開放的な空気を背景として家族愛をテーマにして成瀬巳喜男 監督の描く映画です。

鉄道シーンは一つしかありませんが、印象的なので取り上げます。多摩川近くに住む 赤座さん( 久我美子 )は豆腐屋で働く鯛一( 堀雄二 )と恋仲で、鯛一は結婚も考えています。
ある日勤務先から鯛一は他の女との縁組を迫られ、さんと駆け落ちを計ります。しかし さんは姉の助けで看護学校へ通う身であり、悩みます。

鯛一は下駄履き姿で さんとバスに乗り、小田急電鉄 菅間駅(架空駅)に到着します。戦前に製造されたと思われる小型のボンネット型バスですが、小田急バスカラーに塗装されています。
駅舎は小田急電鉄の標準的な形ですが、喜多見や西生田(現 読売ランド前)ではなく駅舎右の売店と背後の大型架線柱・線路に直角方向の入口である点から鶴川駅で撮影されたと思われます。66-1.jpg

何れにしても、砂利敷きの駅前といい現在の鶴川駅とは隔世の感があります。

バスから降りた二人が駅へ歩き出すと、同じバスから降りてきた学生に さんは挨拶されます。すかさず鯛一が「知ってる人?」に頷くさん。「誰かに見られるといけないから」と鯛一に隠れるよう指示します。
さんは一人で切符を買いに行き、運送屋のトラックの陰で待つ鯛一のもとに行きます。66-2.jpg
そして二人が勇気を持っていれば駆け落ちまでしなくとも大丈夫とたしなめ、説得し一人で学校へ行くことにします。

そしてデハ1400形の1418を先頭とした新宿行3連が到着します。鯛一が追いすがるのを振り切り、さんは改札を抜け砂利敷きのホームへ駆け上がり最後部のクハ1450形1458へ乗り込みます。
鯛一が改札口で呆然と見送る中、新宿行上り電車はタイフォンを鳴らして出発して行きました。66-3.jpg


デハ1400形は1929年 江ノ島線開通時にクハ501形として製造され、改番されデハ1400形となりました。クハ1450形も同時期クハ551形として川崎車両で製造され、後にクハ1450形となりました。
戦前戦後の長い間 小田急線で活躍し、1968年までに廃車や新潟交通などに譲渡され小田急電鉄線路上から消えてゆきました。


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 54.泉へのみち

 1955年3月 東宝 配給 公開     監督 筧正典

 雑誌記者 波多野京子(有馬稲子)は今では母 つね子(高峰三枝子)と平穏に暮らしているが、昔 母娘を捨てた父 笹川欣一(宮口精二)との確執にからむドラマです。

 最初の鉄道シーンは京王帝都電鉄 井の頭線 井の頭公園駅付近で、京子の昔なじみの高倉克磨(藤木悠)と父 笹川が会い 家に寄るように誘う場面があります。二人は共に明和大で教えています。
 二人が歩き出すと、鉄橋上をデハ1700形らしき3連が渋谷方面へ通過して行きます。54-1.jpg
神田川と井の頭線が交差するこの辺りはしばしば映画やTVドラマのロケが行われる場所で、川幅が狭くなった程度で現在とあまり変化はありません。

 次に京子、高倉、京子の同僚の金沢幸三郎(根上淳)が山手線に乗っているシーンがあります。やがて目白駅に到着すると、かなり酔った様子の金沢が降りていきます。
 たぶん72系電車と思われますが、ドアが完全に開いてから閉まりはじめるまで4秒弱とはビックリですね。

 そして小田急電鉄 新宿駅改札前が続いてのシーンです。54-2.jpg
別れの挨拶をして京子が改札へ向かおうとするのを高倉が呼び止め、笹川先生から「京子の写真を手に入れてほしい」と頼まれたことを告げられます。
 京子は父との経緯もありキッパリ断り、足早に 11 番線から発車間際の各停 成城学園前 行に乗ります。54-3.jpg
1954年製の 2100形と思われる電車が遠ざかるのを改札前から高倉はぼんやりと見ています。

 この頃は国鉄、小田急、京王が通しの番線で付けられていました。それで小田急の各停 電車が 11 番線からの発車なのです。地上線だけの旧新宿駅の姿ですが 1951年公開の新東宝映画(恋人) 監督 市川崑 の中でもこの改札が登場します。
 やがて乗降客も増え手狭になったことから小田急デパートの建設とも合わせて大改造工事を行い、1964年2月より現在の地上3線 地下2線の二階建て構造となりました。
 
 そのあと車内で京子は昔 父から捨てられた母が幼い京子の手を引き、線路内を歩いて無理心中を図って未遂に終わったことを思い出し父のことはやはり許せないとの思いを新たにします。
 夜 幼い京子の手を引き思いつめた顔で線路内を歩く母 つね子の姿には鬼気迫るものがあります。やがて前方のトンネルの奥が明るくなり 2100形らしきが現れますが、寸前でつね子は線路外に逃れます。

 続いて場面は成城学園前駅出口。
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構内時計から新宿駅 22:42発車らしいので、成城学園前駅には 23:04 頃の到着と思われます。
 木造の階段を降りてきた京子に犬を連れた母 つね子が遅いので迎えに来たよと声を掛けます。 出口横の売店は 23時過ぎなのに開いているのは驚きですが、電話の看板があることから公衆電話の役割を担っていたのでしょう。

 それから暫し 次の鉄道シーンに京子が新宿駅の階段から山手線ホームへ上がる場面があります。 バックにED15 と思しき電機が牽く貨物列車が映っています。
 そしてホーム中程で高倉と母 つね子が会っているのを発見 驚きます。横のホームから 40系国電が走り去って行きます。最後部の行先表示板には 浅川 と読めます。

 ED15 電機だとすると 1924年国産初の本線用電機で、八王子区に所属し中央線で貨物を牽き 1960年頃まで活躍していました。
 また 浅川 とは現在の中央線 高尾のことで、1961年 浅川 → 高尾 に改称されました。最後部はクモハ 41形と思われます。

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