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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

367.若者はゆく 【続若者たち】

1969年5月 公開  制作 俳優座映画放送  配給 松竹   監督 森川時久(フジテレビ)

東北の寒村で育った間崎ミツ(木村夏江)が 東京で 兄妹で暮らす佐藤家に転がり込み、懸命に生きる若者たちの 苦悩や生き様を 淡々と描いた青春映画です。

父親が出稼ぎに出たまま失踪し 母親と深い仲となった辰夫(福田豊土)を ミツは憎み、辰夫に包丁を突き付けた後 一人で東京へと向かう汽車に乗りました。
 先ず D51形蒸機に牽かれた列車が雪原を走る姿が映ります。
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車内は満席で トランプに興じるグループで
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席の無い男が騒ぎながら ミツの席の肘掛に座って来たので、
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ミツが男の尻を 抓り上げると 奇声を上げて離れたのでした。
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その後も夜汽車は淡々と、東京を目指して走ります。
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東京の製靴工場で働き出したミツですが 同僚を庇って退職となったので、仲間の佐藤オリエ(佐藤オリエ)の家に低額で移り 住まわせてもらうことになりました。
佐藤家の次男で トラック運転手の次郎(橋本功)と付き合う 町子(夏圭子)は、労組時代からの腐れ縁である 塚本(塚本信夫)の就職手伝いの為 次郎とのデートを断り その後に山手線日暮里駅で 別れるシーンがあります。
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佐藤家の三男で 大学生の三郎(山本圭)は 学生運動に熱中し、10.21国際反戦デーで 倒れた仲間を助け様として 機動隊に叩かれ負傷してしまいます。
この場面では全学連デモ隊が 新宿駅構内へなだれ込み 駅施設や電車への投石・破壊活動・放火を行い 規制しようとした機動隊と対決して、後に{新宿騒乱}と呼ばれた事件の 記録フィルムが始めに使われています。

9枚目の画像は 全学連のメンバーが線路のバラストを ホーム上の機動隊に向かって投げている様子で、
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続いての画像は機動隊に向かって 隣のホームから投石するシーンで 駅名板は既に破壊されています。
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11枚目の画像では 115系電車らしきの屋根に上った男が 発煙筒らしきを焚いていますが、
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当日は騒ぎに便乗した 大勢の野次馬が混在していて 全学連のメンバーでは無い可能性があります。

帰宅した三郎が オリエとミツから 傷の手当をしてもらいますが、長男太郎(田中邦衛)・次郎から 学生運動を批判され ミツからも気楽な身分だと非難されているところへ 辰夫が来訪します。
ミツは家を飛び出しますが 佐藤兄弟は、ミツが毎月仕送りをしていることや 4年も戻らない父親に代わって 間崎家を支える辰夫の話を聞いて 好意を持ちます。

続いて 上野駅 地平17番ホームには(常磐線経由 青森行)のサボを架けた 急行列車が停まっています。
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時間帯から 12:10発 201レ急行十和田1号と思われます。
ホームのベンチでは ミツと辰夫が無言のまま 並んで座っていましたが、
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「おかあちゃんとのこと ミッちゃんがどうしても イヤなら、北海道の兄貴の所で働いて 月に一万円程送るよ」と辰夫が切り出します。

すると ミツは取り出した お土産を辰夫に渡し、「頼むな!ウチ」と実家を託す様に 伝えます。辰夫は微笑みを浮かべ「元気でやれや」と答えるや、
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動き出した 急行列車のデッキに飛び乗りました。
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去る行く列車のデッキから
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辰夫はミツに向かって ずっと手を振り続けるますが、
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ミツは固い表情のままで 辰夫を見送るのでした。






PS.
  ミツが乗った列車を牽く蒸気はD51型の762号機でロケ当時は青森区所属でしたので、ヨンサントオ後の奥羽本線を走る姿を捉えた映像ではと想像します。

  6枚目の画像は妙にリアルな車内シーンですが、客車区で車輌を借りてエキストラを乗せての撮影かと思われます。

  7・8枚目の画像に映る山手線・京浜東北線・常磐線の日暮里駅舎は、1974年頃迄あった歴史ある西口の駅舎と思われます。

  急行十和田1号は当時上野~青森を走り通す、唯一の昼行急行列車でした。先頭で牽引するのは、交直両用のEF80形電機です。

  特別急行列車は未だ敷居が高い時代なのか、12枚目の画像では修学旅行の高校生らしきの一団が先頭車両に乗っています。

  失踪した父親に代わって乗り込んできた辰夫を憎んでいたミツでしたが、急行列車の発車ベルが鳴りだすと実家を支えてくれてる事実もあって母親との仲を認め・許します。

  ミツの顔に笑顔こそありませんが、急に流れ出したBGMと共に新しい父親を見送る場面は印象深いものがあります。

  本作には 山本圭とは考えが違う全学連のまとめ役小川に江守徹・就職試験場で全学連寄りの意見を言う本間に原田芳雄の様に、その後に有名俳優となった人が数多く出演しています。 特に学生服姿の原田芳雄は、貴重な映像でしょう。

  

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319. 若い狼

1961年2月 東宝 製作 公開   監督 恩地日出夫

故郷に絶望した 少年院帰りの 川本信夫(夏木陽介)は 上京した恋人を追って 東京へ行きますが、真っ当な仕事に付けず ヤクザ組織に入り 暗い結末へ向かってしまう青春映画です

少年院を出た川本が 故郷へ戻ると、地元の基幹産業である 炭鉱は既に閉山し廃墟となっていたのでした。
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付き合っていた 広瀬道子(星由里子)の弟三郎(小林政忠)から 道子の手紙を受け取り上京する場面で、本作鉄道シーンの殆どがあります。

大形蒸機の 動輪が映り、
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客車列車が発車して行きます。二輌目には スロハ31形らしき ロ座ハ座合造車が 連結されているので、仙台~上野を直通する 長距離普通列車でしょうか。
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続いて 常磐線の内郷駅らしきから 出発して行く蒸機牽引列車が映ります。右側には石炭をバラ積した 貨車が並ぶ多くの側線があります。
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そして C60102 蒸機の牽引列車が映り、319-6.jpg
車内では 川本が東京で再会する道子や 今後の事を考えている様子です。
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そして夕暮れのラッシュ時に 友人の福井桂一郎(鈴木和夫)に案内されて 上野駅改札口を出た川本は、
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出札口の横で 久し振りに道子と再会します。
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ところが爆発した様な チリチリパーマ頭で厚化粧の道子を見た川本は、「何だか薄汚い感じだ」と本音を吐いてしまいます。

その後 今度こそと更生すべく 真面目な仕事を探す川本ですが、少年院帰りで 米穀通帳も無いとなると 真面な仕事に就けないことを 思い知らされます。

そんな川本を心配する道子は、柏会幹部 田波一家の有澤芳男(飯田紀美夫)に 組員入りを依頼しますが断られてしまいます。

背後に都電 14系統杉並線の 新宿駅前電停らしきが映り、2000形電車が ピューゲルの先からスパークさせながら 荻窪方面へと去り行く姿があります。
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PS.

 父親は出稼ぎに行ったまま行方不明で 頼りの地元企業 常磐炭鉱は閉山となり 上京しても仕事に就けず、まるで 日活貧困もの青春映画の様な話です。

 当時 内郷駅からロ座を連結した日中の 上野直通普通列車は、仙台始発が 2本と原ノ町始発が1本ありました。
 川本が乗った列車は 上野到着時刻から 仙台 9:30発の 228レが推定され、内郷 13:56発 ~ 上野 19:05着で所要5時間強の長旅でした。

 C60 102号機はロケ当時 C59形から改造したばかりで、水戸区に所属して常磐線の客車列車を牽いていました。

 道子が有澤に頼み事をする場面は 現在の新宿大ガード西交差点前で、今パチンコ屋がある辺りから 都電14系統新宿駅前電停が映っています。
 青梅街道から 靖国通りへと続く大通りなので、当時も数多くの車が行き交っています。西新宿の高層ビル群も無く、空が広いですね。


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246.今日に生きる

1959年3月 日活 製作 公開   監督 舛田利雄

鉱山で栄える町でダンプの運転手として働き出した 城俊次(石原裕次郎)が、社長の死からライバル会社の陰謀を暴き 捜しに来た 従妹 矢代ユミ(北原三枝)と帰京に至るアクション映画です。

山一運送で働く城が鉱石を積んだダンプで線路沿いの道を走ると、半車二等を二両目に繋いだ 蒸機牽引列車と並走して行きます。
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舞台設定は北関東の鉱山町宇山という架空町ですが、茨城県日立でロケが行われた様です。長い編成からして常磐線の普通旅客列車の様です。

続いて 鉱山の製錬所の門からダンプが次々と出発して行くシーンでは、バックに日立鉱山鉄道の電機が貨車を牽いて来る姿がチラリと映ります。
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その後もこの専用線沿いの道路をダンプが走るシーンが度々ありますが、残念なことに列車がアップで映っている場面はありません。

城達が運んだ荷を日立セメント日立工場横で国鉄の貨車に積み替えるシーンでは、横をD51形蒸機が牽く貨物列車が黒煙を噴き上げながら通り過ぎて行きます。
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ここでは山一運送とライバルの三国運輸との間で度々揉め事が起きます。山一の西岡茂(武藤章生)の車が三国のダンプにワザとぶつけられ 喧嘩が始まると、背後をC57形蒸機牽引列車が通ります。

助けに駆け付けた城と三国の頭 安西勇(宍戸錠)が対峙した場面では、背後を当時 東北で唯一の特別急行 はつかり号が高速で走り抜けて行く姿が映っています。
C62形蒸機を先頭に スハニ35・スハ44と続く客車は、一目で特急と分かる青地にクリーム色の二本線が特徴です。上り 2レの様で、平~水戸がノンストップなので通過時刻は 15:00少し前でしょう。
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次に C5744蒸機が牽く急行列車が宇山駅に到着します。アフレコらしき放送で「宇山・宇山」と連呼しますが、北関東地方なのに冒頭「青森行が到着します」と日立駅らしく加えているのは・・・
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二・三等合造車の二等車側デッキから車内で知り合ったらしい、宇山鉱業総務部長 杉野(清水将夫)と城の従妹 矢代ユミが降りてきました。ユミは杉野の口添えで、鉱山会社の厚生施設で働けることになります。
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三国運輸に依る運転手の引き抜きや妨害から輸送量の減った山一運送は、宇山鉱業交運課長 佐野(高原駿雄)から遠隔地で地獄谷と呼ばれるセメント山での仕事への変更を命じられます。
山一社長 山田一郎(二谷英明)と城は地獄谷で渋々働きますが、山田は過酷さにキレて夜中に索道を使って町へ行き 三国一派に殺されてしまいます。この索道は大平田鉱山から4㎞あり、専用線に繋がっていました。

城は警察署で殺人事件として捜査を願いますが、単なる事故として処理されてしまいます。署内で佐野課長を見かけたので、迫り来る鉱石列車の前を横切り 追いかけて詰問しますが否定するばかりです。
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この鉄道は索道終点から日立セメントの工場まで3㎞を結んで、1963年のベルコン化まで働いていた軽便専用鉄道です。加藤製作所の4トン級らしき内燃機が、汽笛を鳴らしながら木造鉱車を牽いて ゆっくり走っています。

その後 城の活躍で事件は解決し、山田の残された家族が安心して暮らせる目途が立ったので城は東京へ帰ることにします。日立駅横の日立鉱山鉄道 助川荷扱所へ至る引込線の踏切を、
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城が車に山田未亡人と息子を乗せて渡ります。
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そこで新しくできた宇山運輸のトラックに乗る西岡に会い停車します。背後には国鉄の貨車に比べて明らかに小さい、日立鉱山鉄道の軌間762ミリ軽便鉄道貨車が並んでいます。
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ラストシーンでは西岡のトラックの荷台に、城とユミが便乗して東京へ向かうのでした。その横をC57形蒸機らしきが、半車二等を含む11両も長々と牽く旅客列車とすれ違いエンドマークとなります。
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 PS.

当時 常磐線の優等列車は日中 気動車準急ときわ1~3号が主体で、下りの急行列車は 201レみちのく号しかありません。みちのく号は二等車を3両も連結した名列車でしたから、普通列車に急行札を刺してロケが行われたと思われます。
みちのく号は時刻表では盛岡行となっていましたが、殆どの期間 青森までの延長運転をしていた様です。

1958年10月から運行開始した特別急行はつかり号ですから、開始から僅か4か月後の姿です。40分前に通過している下り 1レを入れて映してほしかったですね。(ヘッドマークが映ったので、架空町に拘わって撮り直したか)
常磐線の蒸機が度々登場する作品ですが、映画公開の3年後 1962年10月に勝田~高萩が電化され消えていきました。

日立鉱山鉄道は助川荷扱所から製錬所のある大雄院まで5.35㎞を結んでいました。貨物だけでなく人も途中に芝内・杉本停留場も設けて、明治期より無料で末期でも毎日6500人も運んでいました。
しかしこの映画で描かれている様に 輸送の近代化と施設の老朽化の為、映画公開の翌年 1960年10月をもって廃止されました。人員輸送は5ヶ月早く終了していますが、本編に登場していないのが残念ですね。


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187. 人間の壁

1959年10月 新東宝 配給 公開  企画 大東映画  製作 山本プロダクション  監督 山本薩夫

佐賀県内の小さな炭鉱町の小学校を舞台に 教職員の退職勧告撤回闘争や、児童に対する体罰から起こった父母による教師の辞職要求運動等の教育現場を描いた映画です。

序盤 新しく五年三組の担任となった志野田ふみ子(香川京子)は、問題を抱える浅井宅を家庭訪問することにした。先ず D51形蒸機が貨車を押して左方向へ通過後、ふみ子が踏切を渡って来ました。
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その直ぐ後ろを 9600形蒸機が後退運転で逆方向へと通過して行きます。ふみ子とすれ違った自転車に乗る男は、このキューロクの鼻先を横断して行きます。現在では考えられない日常がそこには在ります。
画像は一般型とは違って前部に給水温め器が取り付けられた珍しい 9600形蒸機です。操車場らしきを横断する踏切には「危険 無人踏切につき注意 津田山駅長」と看板が立てられています。

D51形蒸機が入換作業をしている横をふみ子が歩いて行くと、地面に石で絵を描いている浅井吉男(伊藤宗高)を見かけて微笑む ふみ子でした。
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次にふみ子の夫で県教祖の執行委員である志野田健一郎(南原伸二)が通勤する場面で鉄道シーンがあります。先ず津田山駅舎(横浜線の実在駅ではなく架空駅)が映ります。
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「間もなく 7:45発 下り佐世保行」の放送がある中、志野田が駅員に挨拶しながら改札を通過してホームへと向かいます。構内は通学生や会社員でかなり混んでいます。
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そして跨線橋を渡ってきた人々で込み合い「つだやま」と駅名板が表示されたホームへ、C61形らしき蒸機に牽引された普通列車が入って来ました。志野田も学生に混じって現れ、乗り込むデッキを選んでいる様です。
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客車のサボを見ると、不明瞭ですが (上野⇔平) と見えます。常磐線沿線で 上の津田山駅舎の画像に当てはまる駅を探すと、若干改装されていますが駅舎が現存する高萩駅ではなかろうかと思われます。

この映画は佐賀県が舞台として描かれていますが、海辺の洞窟を住居としている児童の家庭訪問場面等 撮影は高萩周辺の茨城県内で殆ど行われた様です。
故に 1,2 番目の画像は、高萩炭鉱等への専用線を抱えた広い側線群のある 高萩駅構内でロケが行われたのでは?と思われます。入換作業が忙しく行われ、大規模な操車場の様にも見えます。

続いて 込み合った車内で、志野田と県教祖 婦人部長の庄司春子(沢村貞子)が並んで座っています。志野田は「教師の指名退職勧告撤回闘争に励もうにも、辞めてしまう人が多いのではマイルな~」などとグチっています。
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また東京での中央大会に行った帰りの夜汽車内の場面では、志野田は吉沢県委員長(永田靖)に 中央委員の悪口をクドクド言うので「君のような存在が組織にとって一番困る」と鼻を折られてしまいます。
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中盤 激しく雨が降る日に 例の無人踏切を渡って3円安いノートを買いに行った浅井が、入換作業中の貨車と接触事故にあった旨の通報が学校に入ります。
知らせを聞いた ふみ子は駅へ駆け付け 駅長にケガの程度を尋ねますが、「とんだことになりまして、傘を差していたので貨車が見えなかったのでは」と言われ亡くなったことを告げられました。
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173. 黒い潮

1954年8月 日活 製作 公開   監督 山村聡

井上靖の同名小説をベースに、毎朝新聞記者 速水卓夫(山村聡)が国鉄総裁 秋山(高島敏郎 )死亡の真相を 仲間と共に逆風にもめげずに追う ドキュメンタリー風の社会派映画です。

冒頭 土砂降り雨の深夜に、 フラつきながら近付くD51形蒸機牽引の貨物列車に誰かが飛び込みました。
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その様子を目撃していた初老の男 栗原(小笠原章二朗)は頭が少々弱く、後に警察の目撃対象から除外されます。
続いて常磐線 綾瀬駅 
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激しく雨が降る中 松戸行終電が到着し、最後部はクモハ 60形の様です。常磐線は事件のあった 1949年 7月の前月に松戸~取手が電化延長され、時刻改正されたばかりですので 0:23が定時の終電でしょう。

ホームにいた駅員が運転手から通告された様で、「おい 官舎のそばにマグロだとさ」と改札の駅員に告げます。「前の貨物が轢いたかも」と改札員「女かもしれんと」と追加情報も告げられます。
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当時 電車の最後部は改札口の直ぐ前で、終電は松戸行であることが分かります。数人の客が降りてくると、電車は僅かな停車時間で出発して行きました。

次に 事件現場を 9600形蒸機の 29614が牽く短編成の貨物列車が走り抜けた後、
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速水が線路際に立って謎の多いこの事件の真相究明を決意するのです。
29614は撮影当時 田端区の所属で、デフレクターを外して操車場入換業務が主な運用の他 常磐線貨物列車の短区間も担当していた様です。

また速水の部下 東野村(信欣三)と筧(河野秋武)が事件現場周辺で秋山の足取を調べているシーンでは、常磐線下り線路内を二人で話しながら歩いています。綾瀬方面は遠くまで直線区間で、線路の左右には未だ殆ど家がありません。
そこへ突然 背後から汽笛が鳴り響き、驚いた二人が
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慌てて線路外に退避して貨物列車をやり過ごします。幹線の枕木の上を歩くなど 現在の感覚では言語道断ですが、当時はよく見かけた様でそれ故事故も多かった様です。

画像で二人の前方に小さな橋が有り、下を小川が流れています。作中ではそこにいた地元の人に聞き込みをしますが、現在では五反野親水緑道となっている所で激変しています。
また画像の右手には 1929年完成の小菅刑務所(当時は東京拘置所も同居)があり、ロケ当時 鉄筋コンクリート造りの立派な建物は作中でも人物の背後で威容を誇っています。
本作は連合国占領解除後 間もない時期に製作されたので、鉄道施設を始め 事件現場となった場所もまだそれ程変化してなく 再現するには好機であったと思います。



史実では 1949年 7月 6日 午前 0:20頃 常磐線 北千住~綾瀬の東武鉄道と立体交差する地点付近で、8分遅れで通過したD51 651蒸機(水戸区)牽引の貨物 869列車が誰かを轢いて 後続の電車運転手が発見したそうです。
869列車遅延の影響か、この電車は現場を 0:25頃通過したので綾瀬発車は4分遅れの 0:27頃と思われます。
遺体が国鉄総裁 下山定則であったことから いろいろ憶測を呼び、当時の時代背景から当初自殺と思われた死因が他殺説優勢の状況となります。最終的には自殺説に傾いた警察の捜査が、高次元の圧力でボヤケ 迷宮入りとなりました。




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 117. 麗春花

1951年4月 銀座プロ・新東宝 製作  新東宝 配給 公開    監督 島耕二

作家 芳田弦三(島耕二)の娘 英子(島崎雪子)は修学旅行に出掛けている間に母 さだえ(花井蘭子)が急死します。更に母が残した文面から家族の複雑な人間関係を知り、家庭の幸福とはを考えさせるドラマです。

序盤 英子が通う女子校の修学旅行で北海道へ向かう場面から鉄道シーンが始まります。先ず列車内で女学生が歌を歌っているところへ通りかかった車掌が、歌の続きをノリノリで歌う場面があります。
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そして蒸気機関車が木造客車らしきを牽いて鉄橋を渡り雄大な景色の中へ進んで行く姿が映ります。
続く札幌の宿で寝ている場面では、窓の前を走る蒸機の振動で急須が倒れる様子をセットで撮影しています。

戦後復興期の時代に東京の女学校の修学旅行先が北海道とは・・・いかなるお嬢様学校なのか。時代設定が 1935年頃かもしれませんが、公開当時見た人々はさぞや驚いたのではと思われます。
続いて帰路の車内シーンでは、英子が熊の木彫りのお土産を手にしています。次にD50形蒸機を先頭に往路と同じ鉄橋を逆向きに渡ります。中央本線旧立場川橋梁に似た感じの橋ですが、ロケ地は不明です。
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その次に京成電鉄が日暮里駅手前で国鉄線路をオーバークロスする地点へ、国鉄の蒸機牽引列車が向かう場面があります。この映像で英子の乗る列車が東京へ戻ってきたことを表している様です。
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撮影は鶯谷駅北側にある言問通り上の寛永寺橋から行われたと思われます。つまりこの列車は右端側を走っているので、常磐線下り列車です。42系らしき対向する常磐線上野行近郊電車も近付いて来ました。

そして上野駅近くの線路を見下ろす高台を難しい顔の芳田の後ろを英子が歩いています。遠く数多い国鉄の線路越に、都電 21系統 坂本二丁目電停付近を走る車両が見て取れます。
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立ち止まった芳田は振り向き、妻 さだえが英子の旅行中に急死したことを告げます。この場所は現在とは大きく違い、本覚院東側に当時あった戦災死者合葬墓地の辺りから現在のバス駐車場までの間と思われます。

芳田が執筆に伊豆の漁港へ出掛けた時、母 さだえの書置きから英子は芳田の実子でないことや父に柳路子(三宅邦子)という愛人がいることを知り父の元へ向かいます。
トンネルの中から伊東線を走る 32系電車らしきが、熱海~伊東の行先表示板を前面に掲げて飛び出して来ました。横須賀線時代の塗装でそのまま移籍し、使っている様です。
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続く車内シーンでは英子が背もたれにクッションが無く、壁も同じ部材の木製内装の列車に乗っています。そして「お父さんの子じゃない」と繰り返し、思いつめている様です。
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英子は東京から熱海まで東海道本線で来て、乗り換えたのでしょう。当時の伊東線は東京から二等車連結の直通列車が 21往復中 4本有りましたが、全て普通列車でした。なお上の画像では列車番号 716とありますので、伊東発 13:11熱海到着 13:43の上り列車で撮影しています。

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 109. 首

1968年6月 東宝 製作 公開   監督 森谷司郎

戦時中 警察での取り調べ中起こった不審死事件に挑む正木弁護士(小林桂樹)の姿を追うサスペンスドラマです。

1943年 茨城県青倉村の滝田炭鉱の先山[現場主任] 奥村登(宇留木康二)
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が賭博容疑で取り調べ中に病死した。不審に思った炭鉱主の滝田静江(南風洋子)が正木弁護士に調査依頼したことから話は始まる。
先ず滝田炭鉱の様子が映し出される。小規模鉱らしく坑口から木製炭車を手押しで出し、
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木造高架線路の端まで移動すると留め金を外して石炭を排出させます。

次に C58と思われる機関車が牽引する列車の走行シーンの後、茨城へ向かう正木と静江が乗る車内シーンへと続きます。静江は前夜「奥村の解剖は既に終わった」との電報が届いたことを告げます。
帰京した正木は解剖学の権威 南教授に相談すると「遺体の首があればよい」との言葉。そこで正木は帝大の雇員 中原(大久保正信)を紹介してもらい、静江と三人で再度茨城へ行くことにします。

強風の中を走る C5813牽引の列車の姿が続いて映ります。
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煙突には回転噴火止めが取り付けられたこの C58は、ロケ時 佐倉機関区の所属ですから総武本線での走行姿を撮影したのでしょうか。
警察と検察の共同阻止行動をかわして奥村の首を手に入れ 蓋付のバケツに入れて風呂敷に包んで正木らは水戸駅へ向いますが、車がパンクしたので汽車に間に合う様 上野に近い赤塚駅へ行きました。
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大雨の中 ギリギリで赤塚駅に到着した一行は、D51781が牽いてデッキからハミ出す程混んだ上野行列車に乗り込みました。
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しかし持ち込んだ荷物が荷物だけに満員の車内では苦労します。
そして当局の目も気にしながら漸く汽車は上野に到着します。ホームから階段を降りると、ヤハリ警察が張り込んでいました。しかし荷物は一駅前の日暮里で中原が持って降りたのでした。

ロケ当時 常磐線も水戸線も既に全線電化されていますので、この赤塚駅でのシーンは何処で行われたのでしょうか。D51781は当時 木曽福島機関区にいましたので、中央西線の何処かでしょうか。
画面では架線の下を D51が走っています。中央西線では 1968年8月に瑞浪~中津川が電化完成していますので、この区間の駅でロケが行われたと思われます。
 しかし戦時中の時代設定なのに監督は何故架線が張ってある駅でロケしたのでしょうか?中央西線ならば中津川~塩尻でロケに向いた駅がありそうですが・・・近場でも川越線とか何処かあったと思うのですが。

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 52. 裸女と殺人迷路

 1959年1月 新東宝 配給 公開     監督 小野田嘉幹

 気弱なチョイ悪 矢代五郎(和田桂之助)のプロ野球々場売上金強盗にからむ犯罪ドラマです。矢代のことを心配する恋人 ユリを若き日の三ツ矢歌子さんが演じています。
 なお 刺激的なタイトルが付いていますが、お約束の肩すかしです。

 最初の鉄道シーンは女の土左衛門が川で見つかり、野次馬が集まって橋から見ているシーン。背後の鉄橋をツートンカラーの東急 3000系車両らしきが通過している。
 池上線の五反田駅に到着直前の目黒川を渡る所かと思えたが、支流と合流している川の様子からして東横線の中目黒~代官山で目黒川を渡る地点かと思われる。

 次に矢代と逃亡する為上野駅に来たユリ。パタパタ案内板が映り、13:30 発急行越路 上越線経由新潟行きの案内放送をしています。
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 矢代は現れず、ハイカーの女性グループが持つトランジスターラジオから「強盗犯の矢代が上野方面へ逃走している」と流れています。

 ユリは矢代を捜しに行きます。次のシーンでは警官に腹を撃たれた矢代が上野駅地平ホームへ向かう線路をフラつきながら逃げようとしています。
 ユリは都電 21 系統(千住四丁目~水天宮前)3000 形が走る坂本二丁目電停で道路を横断し、線路に近付きます。

 そしてELが後方から警笛を鳴らしながら近付いて来る線路内をハイヒールで走り、矢代を探し周ります。背後の一段高い常磐線線路を 72 系らしき国電が走っています。
 矢代の方は一段と腹が痛むのか遂に線路内に倒れ込みます。同じく背後の線路を上野へ向かう、C62 蒸機+荷物車3両+帯付客車・・・が通って行きます。52-2.jpg


 常磐線はこの当時 取手までしか電化されず、取手までの国電以外の長距離列車はDF90 などを使った一部列車以外C62をはじめ蒸機牽引で運行されていました。
 C62の次位に3両も荷物車が連結され日中上野へ向かう急行列車。この当時の時刻表で見ると、上野 10:10 着の青森発急行十和田号と思われます。4両目は二等寝台車のもようです。

 その直後 倒れている矢代を遂にユリが発見し、話し込む内に警官隊に発見され捕まってしまいます。この様子を野次馬に混じって見ていたのが、事件の首謀者 安斎(清水将夫)です。
 それから何食わぬ顔で立ち去ろうとする安斎を、カンの鋭い稲村刑事(倉橋宏明)が見つけ検挙したのであります。

 

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