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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

339.不滅の熱球

1955年3月 東宝 製作 配給 公開   監督 鈴木英夫

日本プロ野球 黎明期の ナンバーワン投手 澤村榮治(池部良)の、栄光と苦悩の 職業野球人生を描いた映画です。

澤村は大記録を打ち立てた日に 米井優子(司葉子)から花束と手紙を贈られ、二人の交際が始まりました。
後日 待ち合わせて 沢村が馴染みの豚カツ屋で昼食後 浅草へ行くと、二人の後方には 東京市電 吾妻橋線の電車らしきが走っています。
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新聞の号外で(盧溝橋事件)勃発を知った澤村は、召集される予感がして 顔色が暗くなります。隅田川を下る船に乗ると 東武鉄道浅草駅が入る松屋百貨店や、吾妻橋上を走る 市電が見えています。
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優子は「澤村さんは甲種合格でしたわね」などと言いますが、本人は「秋のシーズンで、野球とも当分お別れです」と出征を覚悟している様です。

学校の夏休みで帰省していた優子が 約束していた秋のシーズン開幕日に 姿を見せないからか、澤村は何時になく調子が悪く 敗戦の責任を負ってしまいます。
それは優子の父 米井徳造(清水将夫)が 東京で野球選手に夢中になっていることに怒り、帰省中に退学手続きをして 外出禁止としたからでした。

大阪遠征に向かう 夜行列車の三等車内で、
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澤村は相棒の内堀捕手(千秋実)に「大阪へ行ったら、優子さんの家を訪ねてみようかと思う」と打ち明けます。
眠れない様子の 澤村が気になった藤本監督(笠智衆)は 自分の席へ内堀を移動させ、澤村に二席分を与えて寝させて 自分は通路に新聞紙を敷いて座るのでした。

夜明けの平野を走る汽車の姿が映り、
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続いて 阪急電車芦屋川駅が映ります。
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反対側のホームで 出征兵士を見送る一団がいる中、到着した電車から 澤村が降りて来ました。
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仮設の様な駅舎の 改札口を出ると
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(支那事変国債 郵便局売り出し)と 大きな看板が立つ横を抜けて、
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芦屋の邸宅街にある 米井家を訪ねます。
丁度出て来た優子の叔父 米井光男(北沢彪)に「優子はここにはいない」と言われると、澤村は名も告げずに帰るのでした。

いよいよ入営前最後の登板となる 甲子園球場での阪神戦の試合前、内堀から「優子さんが来て、入口で待っている」と告げられます。
急いで行くと「父親に退学させられ、後楽園球場には行けなかったの」と謝られ、澤村は「除隊後に結婚しよう」とプロポーズします。

試合中に父 米井徳造は 甲子園の正面に 車を乗り付け、運転手に繰り返し 場内呼び出しをさせますが 優子は席を動きませんでした。
澤村が投げようとする時にも 呼び出し放送が流れ、気になったのか 阪神の伊賀上良平(武宮敏明)に 決勝ホームランを打たれてしまいます。

父親が 澤村からのハガキを全て隠していて 戦地で負傷したのを知った優子は、家出して 二等車に 思い詰めた顔で乗り
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夜行の船便に乗り継いでいます。
そして長躯 大連にある 米井貿易事務所に 叔父の米井光男を訪ね、
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澤村の入院先へ 行こうとしますが 叶いませんでした。

その後 帰還して除隊となった澤村ですが、手榴弾投げで肩を痛め
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腕の負傷の影響で 極度の不調です。でも妻となった 優子の励ましもあって復活し、優子も懐妊が判明します。
しかしそんな澤村に再度の召集令状が届き、フィリピン戦線で戦死したのでした。











PS.

  本作の撮影にあたって 野球経験ゼロの池部良を特訓して 伝説の投手澤村榮治らしく 足を高々と上げるフォームに 映る様に、
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野球技術指導を 内堀保・中島治康・藤村冨美男・御園生崇男の 錚々たる面々に依頼しています。

  後楽園球場部分のロケは 駒沢球場で行われたが、
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甲子園球場は本物で
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多数のエキストラを動員して 澤村のラスト登板場面を盛り上げていますね。
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  二人で 地下鉄浅草駅へ来た場面は カンカン帽に ユカタ姿の男や 新聞の号外売り等 1937年7月らしい雰囲気を出していますが、ロケ当時の都電 4000形4092が映っているのは仕方ないですね。
1937年当時は東京市電でしたが、1943年7月より東京都電になりました。

  大阪遠征へ向かう 夜行列車シーンは、東宝映画製作にしては 若手製作の簡略・低予算セットに見えてしまいますね。

  阪急芦屋川駅舎は 当ブログ(50.若い瞳)でも 同様の戦後復興期の バラック姿で登場しています。その後 1957年に新しい駅舎に 建て替えされています。

  澤村からのハガキを隠されて 怒った優子が向かった 大連への道のりを 除隊した1940年の時間表で読んでみると
  神戸 11:24 ―(急行7レ下関行)― 21:05 下関 下関港 22:30 ―(7便)― 6:00 釜山港 釜山 7:18 ―(7レ急行のぞみ号)― 翌 7:05 奉天 7:18―(18レ急行)―13:30 大連 実に50時間6分の長旅でした。

  

    本作では 巨人の選手のまま 戦死した様に 描かれていますが 現実には、入団時の「一生面倒を見る」との 約束も守られず 1944年 2月にクビを言い渡されました。
澤村は失意の内に 三度目の召集となり、乗った輸送船が撃沈され 戦死となったそうです。

  この為 戦時中・戦後の澤村家・優 夫人の生活は苦しく、1947年制定された 沢村賞授賞式を始め 一切の行事に優 夫人は 参加することが無かったそうです。


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299. 細雪

1959年1月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 島耕二

大阪の旧家で育った四姉妹の内 未婚の三女雪子(山本富士子)と四女妙子(叶順子)の、青春期人生を中心に描いたホームドラマです。

冒頭 京阪神急行電鉄 神戸本線 芦屋川駅へ、920系の 975を先頭の4連が到着します。
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1957年完成した高架化工事に伴い改築した新しい駅舎から、
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雪子が降りてきて次女幸子(京マチ子)が住む分家へ向かいます。

幸子は音楽会へ向かう為、妙子に着物の着付を手伝ってもらっていました。大まかに出来上がった折に出掛けた妙子は 外に待たせた啓ボン(川崎敬三)の車に乗って、単線を走る京阪神急行電鉄の300形 2連電車とすれ違います。
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中盤 大水害の折に写真家の板倉(根上淳)に助けられた妙子は、彼と付き合い出しますが啓ボンとも手を切れません。とある第四種踏切で板倉を待ち伏せしている啓ボンの前を京阪神急行電鉄の電車らしきが通過して行きました。
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終盤 奥畑家から勘当された啓ボンは、幸子の婿 貞之助(山茶花究)の計理士事務所に現れます。窓から大阪市電が走る様子が見えています。
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そして妙子に貢いだ金銭を、少しは都合付けてほしいと集るのでした。

その後 板倉が急死して荒れた生活を送る妙子は、バーテンの三好(北原義郎)と結婚すると雪子に告げます。散々妙子に迷惑を被った雪子ですが、全てを許し全員が賛同する様に姉たちとの仲を取り持ってあげます。

分家で雪子が二人の姉を説得していると、長女鶴子(轟夕起子)を嫌う妙子は三好が待つ芦屋川駅へ行ってしまいます。
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三好と妙子が改札口から入場する頃、雪子は慌てて駅へ向かいます。
到着した電車に二人が乗ろうとする頃
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雪子はホームへの階段を上がり、ホームで二人を見つけて閉じられたドアへ近寄ると「東京の姉ちゃんも賛成してくれてる 部屋が決まったら直ぐ戻ってくるんやで わかった?」
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車内の二人は笑顔で、妙子は雪子に「わかった」とドア越しに伝えました。妙子に思いを伝えきった雪子は、笑顔で去り行く電車を見送るのでした。
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PS.
 
 妙子が人形教室に待たせている生徒の処へ行くと嘘をついて乗り込んだ啓ボンのオープンカーが、すれ違った阪急の300形が走るロケ地が不明でした。単線なので嵐山線か甲陽線でしょうか。

 細雪に関するブログを書かれていた keyboar様のブログに依ると、甲陽線 苦楽園口駅から甲陽園に向けて出発した電車が夙川を渡り 踏切を越えた辺りだそうです。

 現在の地図では夙川を渡って最初の踏切で交差するのは夙川さくら道ですが、作中で交差するのは現在の県道82号線で 当時はここがT字路交差点だったと思われ 啓ボンの車はここで左折している様です。

 啓ボンが板倉を待ち伏せしていた踏切は、啓ボン背後に立つ信号柱の位置と 続いて夙川公園のシーンがあることから夙川駅を出発した甲陽園行の二つ目の踏切と思われます。

 啓ボンの背後に立つ信号柱は夙川駅へ向かう電車にとって最後の信号の様で、現在でも同じ位置にあります。
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そして甲陽園行は、この踏切から下り勾配なのも同じです。

 電車の走行音は現物ですが、出発時の警笛は後付けの気がします。(作中では警笛から電車登場まで12秒程ですが、現状では25秒程掛かっています)



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248.七つの宝石

1950年8月 松竹 製作 公開   監督 佐々木啓祐

元伯爵 東小路輝が殺害され それぞれに漢字一文字が入った七つの宝石が奪われます。しかしその行方が二転三転し、悪玉と善玉が競って 東小路家に伝わる秘宝にたどり着く過程を描く サスペンス映画です。

戦後復興期の京都を舞台に、街頭ロケが多い作品です。大規模な空襲はなかった京都だけに、古い街並みの中 ポール集電の市電が作中のあちこちで走っています。
強盗団の一人 ヤク中の五郎(大坂志郎)が強奪した七つの宝石を横領し その内6つを売りさばいたので、黒メガネのボスを筆頭にした一団が 宝石を捜して 再度強引に奪い取って集めるのでした。

その途上 地下区間を走る京阪神急行電鉄 100形の 102を先頭とする列車が映ります。
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その車内で一味の男の目が光り、立ち話をしている和装の女性から
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宝石付きの帯留を掏り取ります。
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続いて地下駅に 115を先頭とする列車が到着し、
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大勢の客が降りてきました。この電車の乗客には品川(佐田啓二)もいて、地上への階段の途中で一味の一人を見つけて追跡します。
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上がって来た階段の上部には、大阪・神戸・寶塚 方面と記された案内板があります。男に続いて品川は改札口を抜け、
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京都市電の後部側で大通りを渡って追い駆けます。
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改札口に「地下鉄のりば」と表示されているこの駅は、京阪神急行電鉄 京都本線 西院駅と思われます。1931年3月末に京都線 西院手前から大宮まで関西初の地下鉄として開通したので、地下鉄のりばと表示したのでしょう。
西院駅とすると京都市電の方は、西大路線 西大路四条電停手前で停止している 200形で 不鮮明だが 276の様です。昭和初期製の4輪単車で、この当時は皆ポール集電の様です。

黒メガネのボスが出入りしていた店でダンサーをしている艶子(日高澄子)の協力で、品川は宝石を取り戻します。しかし品川のミスから艶子はボスに襲われますが、なんとか逃げてバスに乗ります。
その車内で艶子は、五郎が渡した 宝石付の指輪を身につけた女を発見します。女は京都市電も走る 本町停留所で降りたので、艶子は後を追って降車して追い駆けるのでした。
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このバス停(架空名)の背後は京都第一赤十字病院の様で、市電は九条線 起点の東福寺電停の様です。女が振り返ったシーンで、右手の大きな橋は 1937年完成の九条跨線橋と思われます。
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京都市電 九条線は先の西大路線と共に京都市電 最終期まで残って、1978年9月末に他線と共に廃止されました。


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174.青春のお通り

1965年7月 日活 製作 公開  カラー作品   森永健次郎

南原桜子(吉永小百合)は短大卒業後 お手伝いさん業こそ要領のいい仕事と考え、芦屋住まいの放送作家 浪花秀介(藤村有弘)の元で住み込みお手伝いさんとなりる コメディ青春映画です。

短大時代の同級生三人組はお互いを 桜子はチャッカリン 青柳久子(浜川智子→浜かおる)はケロリン 駒井中子(松原智恵子)はキドリン とアダ名で呼び合い、ケロリンと兄の青柳圭太(浜田光夫)の住む千里団地へ二人共転がり込む仲でした。
鉄道シーンは序盤 京阪神急行電鉄 千里山線 新千里山駅(現 阪急電鉄 千里線 南千里駅)を遠景で映すシーンから始まる。1600系4連が1番線に停車するホームに、梅田行 1600系電車が2番線に到着します。
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桜子が降りて来て階段へ向かうと、下から電車に乗ろうとする久子が上がって来てぶつかります。久子が何処へ行くのか答えない桜子に「お兄ちゃんを誘惑したら承知せんよ」と言い、桜子は「早よ行かんと乗り遅れるで」と返して久子を慌てさせます。
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1番線から発車寸前の梅田行電車に乗ろうとする久子ですが、車内が混んでいて乗れません。「チャッカリン 押して~」と久子が呼ぶと桜子は「よっしゃ」と答えて走り寄り、久子を押しますが他の乗客共々駅員に押されて乗せられてしまいます。
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続いて 1600系4連が走り抜けて行く姿を、陸橋上から捕らえた場面があります。1970年に開催された大阪万国博覧会で有名になった千里ですが、当時は新千里山駅まで部分延伸されたばかりで最長4連で運行されていた様です。
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桜子が住み込みで働く浪花家の妻で女優のユカリ(芳村真理)が映画出演の為 上京することになり、桜子が付き人として同行することになります。その折に結婚して国立に住む姉の瀬木梅香(長内美那子)に会いに行こうとします。
早朝 新宿駅から中央本線に乗り、アポ無しで国立を目指します。101系電車が高架線を走行している場面では 送電線の高い鉄塔が映っていますが、半分高架線が開通した翌年なので 高円寺付近でしょうか。
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そして三角屋根が特徴的な駅舎をバックに早朝の国立駅前に降り立ちます。
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この駅舎は 1926年の開業以来 2006年まで存在していましたが、高架線工事に伴い解体されました。
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新千里山駅で桜子が元に戻る方向の電車に乗せられてしまう場面は、ラッシュ時とはいえ開通間もない末端駅なので客も少なく京阪神電鉄としてもPRになり 撮影に協力したのでしょう。
それにしても久子は明らかに列に横入りだし このドアだけ3人も駅員がはりついて一般客を制限し、トラブルと危険防止を兼ねて撮影に協力していますね。コメディ映画として上出来でしょう。なお続編でも京阪神急行電鉄 芦屋川駅が登場します。








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90. 黒い海峡

1964年12月 日活 製作 公開   カラー作品    監督 江崎実生

ヤクザ組織の幹部 槇明夫(石原裕次郎)は組の為 懸命に働くが、親分の裏切りに遭い ヤクザ社会の嫌なカラクリを思い知らされる映画です。

組織を裏切った兄弟分の大貫哲次(中谷一郎)を追って神戸へ向かった槇は、大貫の女 香山知佐子(吉行和子)をつけて哲次を見付けようとします。
鉄道シーンとしては、先ず開通したばかりの0系新幹線の走行シーンが映り 関西行をアピール。
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続いて神戸市電をバックに、靴磨きを受けながら知佐子を見張る槇の姿が。

阪急神戸駅(現 神戸三宮駅)では知佐子を追い掛け、上りエスカレーターの左側を駆け上がります。関西ではこんな前から右側一列で乗り、左側は駆け上がる人用だったのでしょうか。
ホームへ上がると、知佐子が乗った阪急電車 2000系の2019に発車ギリギリで飛び乗りました。
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そして 1995年の阪神大震災で損壊してしまう駅ビル(神戸阪急ビル東館)から梅田方面へと出発して行く姿が映ります。
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次に知佐子は走行中の車内を前方へと移動し 大貫を見付けると、「槇さんが神戸に来ている」と告げました。つけられてることは分っている割には悠長な言葉の様ですが・・・
そして槇は遂に大貫を見付け 迫りますが、800系電車805を先頭で六甲駅に到着。大貫は一人でホームへ飛び降り、槇も後を追い掛けます。大貫は出口へ向かうと見せかけ向かいのホームを走り、発車寸前の元の電車に飛び乗ります。

追い駆けていた槇も再び元の電車に乗ろうとしますが、寸前でドアが閉まりホームに取り残されてしまいます。加速してゆく車内では大貫と知佐子がチャッカリ寄り添い、槇の前を通り過ぎて行きます。
六甲駅を去り行く電車のカットで、この列車最後部が 1950年製造 800系の 855であることが分かります。
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800系の中でも非貫通型で、この後本線から支線へと活躍の場を移し、1979年まで走りました。

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 50. 若い瞳

  1954年2月 宝塚映画 製作  東宝 配給 公開     監督 鈴木英夫

 勝気で純情な高校3年生 松川ひろ子(八千草薫)を中心とした青春映画です。50回記念に思い入れのあるこの作品を取り上げました。

 ひろ子が京阪神急行電鉄(現 阪急電鉄)六甲駅を降り、学校へ向かう朝の風景から鉄道シーンが始まります。
 改札は木製のラッチで、そこを覆う小さな木造駅舎は仮設のバラック風です。1973年に現在の阪急電鉄に改称しますが、この頃も略称 阪急で通用していたそうです。

 元々隣に住んでいた大学生の中山治夫(太刀川洋一)と付き合い始めたひろ子だが、中山が就職試験に連敗したことから冷たくなり自殺をも考えるようになる。
 暗い顔で阪急神戸駅(1968年より現 三宮駅)のホームに上がるひろ子。大阪行最終電車ですと放送していますが停車している 920系966に乗ろうとせず、ホームのベンチに座り込みます。
 阪急神戸駅は当時阪急の神戸方終着駅で櫛型ホームでした。その後改造され 1968年神戸高速鉄道、山陽電鉄との相互乗り入れ開始時に通過駅となり駅名が三宮に改称されました。

 それでもなんとか ひろ子は900形 918 に乗車します。下車駅である芦屋川駅に920系 956 で着いた時にはすっかり笑顔に変わっています。
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 当時の時刻表によれば、この終電は阪急神戸 23:30 発で 23:44 芦屋川ですから今より終電が早いですね。改札には弟の松川保(井上大助)が迎えに来ていました。

 この芦屋川駅舎も木造の小さなバラック風で、本作の翌 1955年公開の東宝製作「不滅の熱球(監督 鈴木英夫)」でも同じ姿で映っています。
 また 1959年 大映製作「細雪(監督 島耕二)」や 1966年 日活製作「青春のお通り 愛して泣いて突走れ!(監督 斎藤武市)」でも各時代の駅の姿を見ることができます。

 そして東京で就職口が見つかった中山は別れを告げるべく六甲駅でひろ子を待ちます。ホームで話す内 961 を含む3連が到着しますが見送ります。
 遠ざかる 920系3連 構内の外れでは踏切警手が白旗を振っています。50-2.jpg
この頃六甲駅は構内踏切付の島式2面4線構造であったんですね。
 この 920系は 1934年より製造された2扉の名車でした。本作中では2連か3連で登場しますが、特急では4連で走っていました。

 続いて二人は国鉄神戸駅に着きます。やや迷った様子の中山は意を決した感じで 17:20 ホームへ向かいます。ホームへ上がると同時にC59129蒸機が牽引する神戸 17:35発の急行列車が到着します。50-3.jpg

 中山は席に荷物を置いて再び降りてきます。ホーム中央で別れの言葉を交わす内、遂に汽笛が響き渡ります。
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デッキに乗り込み尚も手紙の約束などする内、加速する列車は二人を引き離します。
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 悲しい BGM が流れる中、煙を残して中山の乗る列車はひろ子の視界から消え去って行くのでした。このC59129機関車はお召列車の先頭を牽いたこともある優良機で当時岡山区に所属していました。

 中山が乗った急行 アフレコと思われる構内放送では 17:35発の急行東京行らしいのですが、語尾がハッキリ聞こえず急行何号?か分りません。
 1953年は3月と11月に時刻改正がありました。ロケが行われたと思われる 11月以後も以前も17時台に上りの急行列車はありません。
 たぶん ひろ子の下校時刻に会い、神戸駅まで来て明るい内に別れのシーンなので架空の 17時台半ば発車とのシナリオになったと思われます。

 当時の時刻表では 17時台は姫路発各停 928ㇾ三宮行が 17:17 これだけです。その後は 18:28 に佐世保発の 1006ㇾ東京行の特殊急行列車(後の急行早鞆)があり東京には 6:40 到着です。
 その前は熊本発の 32ㇾ東京行急行阿蘇であり神戸 9:16発で終着東京は 20:08です。つまり 17時台では東京着が早すぎるので東京行の急行が存在しないのです。
 できれば急行券の発売枚数制限の付いた豪華編成の特殊列車 1006ㇾで撮影してほしかったものです。当時の山陽本線は西明石以西が非電化で、電化区間もC59はじめ全線で蒸機天国でした。

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