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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

407.湖畔の人

1961年11月  ニュー東映 製作 公開   監督 佐伯清

12歳の時に 父親が情婦と駆落ちした 家庭に育った 深井三七子(佐久間良子)が 父の件で 婚約を破棄され、どん底の心境から 湖畔の様な やすらぎと落ち着ける相手を求め 流浪する姿を描いた 青春映画です。

序盤 ふしだらな父親の件で 親族に反対された 円山正吉(北山達也)は 三七子に婚約解消を宣告し、憔悴した三七子は 上司の緒方課長(鶴田浩二)に 励まされ 好意を持ち始めました。

翌日 スッキリした三七子が 通勤途上で 帝都高速度交通営団 銀座線に 渋谷駅から乗った様子を、
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車内で見ている 同僚の矢代孝雄(江原真二郎)の姿が 映りますが 出社すると 緒方が交通事故に遭って 入院していました。

矢代は三七子に 好意を伝えますが 叶わず、一方で 三七子の同僚 谷沢洋子(新井茂子)は 矢代が好きで 三七子は応援します。また緒方を バー鏡のマダム 宏子(久保菜穂子)が 狙っていて、三七子に 宣戦布告します。

その後 2号さんになって 深井家を支えている 三七子の姉 比佐子(故里やよい)が 本妻と揉めている さなかに、大阪に住む 出奔したままの父親が 危篤との電報が 届けられますが 三七子は断固拒絶します。

行く筈だった 姉の比佐子が行けなくなり、迷う三七子に チャンスと 矢代が強引に同行します。大阪行きの 夜行急行電車らしきに、後から同席した矢代は
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ビュッフェに三七子を誘いました。
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大阪に着くや
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タクシーで大阪城と 運河に近い下町風の 住居を訪ねると、既に父親は 前夜遅くに 亡くなっていました。背後を 4連の私鉄電車らしきが 通って行きます。
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矢代に背中を押され 亡き父親に 再会できた三七子は、妹関係になる 小さなアイコにも会うと、父を許す気持ちに 変わってゆくのでした。

遅れて葬儀に加わった 比佐子と共に 遺骨を抱いた三七子は、
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大阪駅から帰る電車の前で
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達子(利根はる恵)とアイコから 見送りを受けています。
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終始同行した矢代は 既に車内にいて、電車が動き出すと 皆で手を振り合うのでした。
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やがて夕刻 電車は東京駅 7番ホームに到着しました。
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その後 緒方は病室で 前に「三七子とは 結婚する可能性は無い」と宣言したことを 撤回すると話すと、退院して 山奥の温泉に 静養の旅に出かけました。

宏子から 裏磐梯の温泉に向かった 緒方の行き先を聞いた三七子は、東北本線の 急行列車らしき 電機の次位に暖房車+9連の 客車を連ねた列車で 郡山へ向かいます。
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続いて 磐越西線に乗り換えた様で
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裏磐梯温泉への下車駅 猪苗代へ向かうべく、
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蒸機が牽く列車は 中山宿辺りの 上り勾配を走っているのでしょうか。
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こうして 遥々緒方の所へ 飛び込んで行った 三七子でしたが、決心がつかないのか 緒方の態度は素っ気なく 布団も別部屋にされてしまいました。

翌朝 三七子は宿から 一人で散歩に出かけ、湖の畔で ハイヒールを脱ぐと・・・・と悪い結末を予感させる BGMが流れますが・・・





PS.
  最初の画像は 渋谷の東横百貨店西館(旧玉電ビル)から出発した 銀座線電車を、1956年完成の 東急文化会館の屋上から 撮影しているのでしょうか。

  2・3枚目の画像は セット撮影ですが、当時の夜行急行電車では 23時頃までビュッフェの営業をしていた様です。
  行程を想像すると 東京 21:20 ―(115レ急行第2なにわ)― 7:50 大阪 と思われ 一等車を挟んで4・7号車は、二等車とビュッフェ合造の サハシ153が2輌も連結されていました。

5枚目の画像に映る 私鉄電車らしきは 分かりませんね。京成電鉄車輌の様な 色合ですが 4枚目の画像の後で、阪急百貨店をバックに タクシーに乗るシーンがあるので 大阪ロケは実在したと思います。N.NIc33100様によると、南海電車だそうです。

  6枚目からの 大阪駅での見送りシーンは、大阪駅で行われたか 怪しいですね。更に11枚目の画像に映るのは(東海号)の様に見えます。東海号は準急で、東京~大垣で 運行されていました?!

  明るいうちに 東京駅に到着していることから 普通なら 大阪 8:30 ―(102レ急行六甲)― 16:00 東京 ですが、無理に東海号で東京に帰るには 大阪 7:30―(402レ準急第1伊吹)― 9:30 岐阜 9:59 ―(306レ準急東海3号)― 15:53 東京 

  12枚目の画像は 東北本線の急行列車 らしき姿ですが、電機の次位にある 暖房車はマヌ34でしょうか? 13・15枚目の画像は セット+スクリーン・プロセス なのでしょうが、本線の新しい客車から 郡山で旧型客車へ 乗り換えた様子を 表現している様です。
  73おやぢ様から 東北本線では暖房車は使われなかったので、中央本線多摩川橋梁での撮影だそうです。

  裏磐梯温泉への下車駅 猪苗代へ行くなら、上野 7:50 ―(2105レ準急ひばら1号)― 12:54 猪苗代と 直通列車があります。しかし遥々訪ねた感を 出すには、上野 8:38 ―(123レ普通列車)― 14:11 郡山 14:24 ―(225レ D50牽引?)― 15:40 猪苗代で 本編の映像に 合致しています。

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400.天国と地獄

1963年3月 東宝・黒沢プロ製作  東宝 配給公開   監督 黒澤明

 製靴会社の常務 権藤金吾(三船敏郎)が 自分の息子と運転手の息子を 間違えた誘拐犯に 苦悩の末に3千万円を渡した後、知能犯の男を追う 警察の 息詰まる捜査過程を描いた サスペンス映画です。

 権藤は 自宅を抵当に入れてまでして 工面した金で 自社株を買い集め、株主総会で 会社の実権を握ろうと 計画していた矢先に 専属運転手の息子 青木進一(島津雅彦)誘拐事件に巻き込まれます。
 権藤は一晩苦悩した末に 秘書の裏切りもあって 身代金要求に従う決心した後 犯人からの電話で、「3千万円を 厚さ7㎝のカバン2個に詰めて、明日の 特急第二こだま号に乗れ」と指令されるまで 55分弱が本作の前半部です。

そして 画面が切り替わり いきなり画面左から 151系電車 特別急行こだま号先頭車の、クロ151形パーラーカーが 飛び出すように登場します。
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4号車の一等車内では、権藤がカバンを抱えて 緊張した顔で座っています。後ろの方の席には、捜査を指揮する 神奈川県警の戸倉警部(仲代達也)も 座って権藤を見ています。
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後ろの車両から 中尾刑事が歩いてきて 戸倉の足にぶつかった ふりをして、謝ったタイミングで 戸倉にそっとメモを渡して去ります。メモには(子供は乗っていない)と 書かれてありました。
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暫くすると チャイムに続いて「ナショナルシューズの権藤様 お電話ですので ビュッフェの電話室まで お越しください」と車内放送が流れ、権藤初め 刑事達が色めき立ちます。
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権藤が6号車の ビュッフェへ向かうと、戸倉はとりあえず ボースンこと 田口部長刑事(石山健二郎)に「コーヒーでも飲んで来い」と命じました。
権藤は電話担当者に ことわって 電話室の受話器を取ると、「あと2,3分で 酒匂川の鉄橋なので、子どもは鉄橋の 畔で見せる。子どもを見たら 鉄橋を渡りきった所で カバンを窓から投げろ」と告げられます。
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電話が切れると権藤は二人に目配せして、7号車へ向かいます。
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権藤は急いで 戸倉・田口と共に 7号車の洗面所に行くと、
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二人に犯人からの 話を伝えます。
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特急の窓は開かないと 思い込んでいた田口が、換気窓を開けて確認すると「畜生それで7㎝か!」と思わず吠えました。

戸倉は 子どもの安全を考え 緊急停車を諦め、刑事達を 各所に配置させて 8ミリ撮影と 写真撮影を命じます。
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田口は先頭の運転室へ パーラーカー担当給仕に 案内されると、前方斜め左に向けて 8ミリ撮影機をセットします。
 運転室で 石山が頭を低くして 8ミリ撮影機を 橋の手前から始動させた後、
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僅か7㎝しか開かない 換気窓に顔を押し付けた権藤は 進一を確認すると 鉄橋を過ぎた地点で 2つのカバンを窓から投げました。
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そしてこだま号の 次の停車駅熱海で 降りた一行は警察車両で 酒匂川の横浜側の土手道へ急行し、見つけた権藤は 駆け寄って泣いている 進一を抱きしめたのでした。背後に貨物列車が映っています。

それからは 公開捜査とした 捜査本部では、多方面の手掛りから 手分けして 捜査した状況を 捜査会議で報告します。犯人が走行中の こだま号に電話を掛けたのは 神田の赤電話と判明した場面で、山手線の 101系電車の 走行場面があります。
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こだま号の 構造に詳しい点から 国鉄職員ではとの疑いから 田町電車区に 聞き込みに行った場面では、庫内に停まる 151系電車の前方で 153系電車らしきが移動しています。
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その後 犯人からの電話音声を 繰り返し聞いていた荒井刑事(木村功)は バックに電車らしき音が 入っているのに気付き、横浜駅の乗務員室で 聞いてもらうと ポール集電の特徴から 江ノ島鎌倉観光電鉄の 走行音と判明します。

翌日 田口と荒井は 進一を連れて沿線の捜査を 計画しますが不在で、腰越の魚市場から 犯人のアジトへ向かう時 江ノ電のポール集電式電車が 後ろから迫っています。
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その頃 監禁された場所を探す為 進一を乗せて車で走る 父親の青木(佐田豊)は、「ここ通ったよ」と 進一の言葉で停めたのは 江ノ電がトンネルに入るのが 見える地点でした。
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そして二人の刑事と 青木親子は合流し 進一の案内で 監禁された家が分かりますが、共犯者らしき二人は 既に死亡していました。しかし敷地の下には ポール集電特有の音で、江ノ電が走っているのを 確認します。
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PS.

55分間に及ぶ 殆ど権藤邸内での 静かな動きに続いて いきなり警笛音と共に クロ151形パーラーカーが登場する 迫力ある1枚目の画像シーンは、藤沢郊外の 工場の屋上を借りて ベテラン斎藤孝雄カメラマンが 距離100mで500ミリレンズを使い 一発撮りしたそうです。

黒澤監督は 当初から実物の 電車を借りての撮影を計画し 国鉄に協力を願い出、前代未聞の 151系12両のフル編成で 田町電車区~熱海(小田原までの説もアリ)貸し切りロケが 1962年10月22日に行われました。

因みに国鉄の請求額は 東京~熱海の定員分の片道 運賃・料金(帰りは回送扱い)で、黒澤監督が受けた報告では 撮影に掛かった各種経費と 総合計すると この1日で 2千万円掛かったそうです。

それに先立って10月13日 田町電車区に留置中の 151系電車で、スタッフによる 最初のリハーサルが行われ、翌14日 助監督・カメラマンが 東京駅から実車の 14:30発7レ特別急行第二こだま号に 熱海まで乗りました。

斎藤カメラマンは 特別に運転室に 添乗させてもらい、身代金受け渡しがある 酒匂川橋梁前後を中心に 予備撮影を行います。
この時 事前に国鉄から提供された 151系電車の設計図で 洗面所の通風窓が10㎝開くことを基に 神田の老舗 吉田鞄店で特注して製作されたカバンを持ち込んで 試しますが、現物の窓は 7㎝しか開かず 使えないことに 出目助監督は愕然とし 再度頼んで一週間で作り替えてもらいました。

更に 予備撮影したフィルムから 四切サイズに プリントした写真を 監督に渡すと 中井チーフカメラマンと 根津博製作主任が呼ばれ、写真を見ると 酒匂川橋梁左側 土手直前の家屋の 屋根が邪魔して 人間が映りそうにありません。

黒澤監督から「どうする これじゃあ撮れないよ」と 10月19日になって 言われた根津は 長年黒澤の元で 仕事してきた経験から(言い出したら聞かない)と悟り、明後日21日が 本番撮影日と迫っているので 翌20日に 大道具一個中隊を率いて 現地へ行って 撮影後直ぐに 現状復旧する約束で 許可をもらうと 二階部分を取り外し シートと押さえの角材で整え 土手には砂利山を作って 進一が映り易い様に 細工したそうです。
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昔からこの件は 黒澤監督が「撮影の邪魔だから、あの家をぶっ壊せ」と言ったという 噂話がありますが、長年完全主義者の元で働いたスタッフは 忖度と悟り・想像力を強いられ言われなくても動いた 黒澤組ならではの 苦労話ですね。

おそらくこの家の 二階部分は 子どもの勉強部屋 1室だけなので、高屋根平屋建ての 天井裏を ロフト風に 改造したものと 想像します。
 1日で復旧を想定した 改造工事を終えますが、元に戻す方は 建てた大工さんに 頼んだとか。

翌10月21日は 天候が悪く 22日に延期となりますが、国鉄では 特別ダイヤを組んでいるので 空列車を予定通り 熱海まで往復走らせた様です。
 そしていよいよ 22日朝8時前から スタッフは田町電車区に集合し、借り上げた 予備編成のこだま号で 照明・マイクの取付や最後のリハーサルです。

9時頃には 監督がエキストラとして要望した、成城の ハイクラスの奥様方が バスで到着して 乗り込みます。車内放送を使って 段取りの 確認事項を伝える中 10時過ぎに 特別列車は出発して行きますが、ビュッフェの時計は抜かりなく 14時半過ぎに変えてあります。

この日は 酒匂川橋梁前後の ビュッフェと 7号車洗面所でのやり取りと、各刑事が 犯人撮影の為に 列車内を前後に 走り回って撮影するシーンをメインに 東宝撮影所の他の映画撮影を 全て止めて 8人のカメラマンを動員してロケが行われました。

しかし 極度の緊張感から 運転室担当の石山は チーフ助監督の森谷司郎からの 撮影開始を勘違いして 演技を始めてしまったり、最後部の運転席から 権藤が投げたカバンを 犯人が拾うところを 撮るはずの玉井カメラマンが フィルムを絡ませて 全損となってしまいました。

10月25日に 残る4号車での 最初のやり取りシーンと、最後部からの 身代金受け取り場面の撮影を 撮り直して終わり 前部運転室でのシーンは 黒澤監督が編集で 何とかしたそうです。

10枚目の画像に映っているのは 江ノ電106形(100形)の107であり 寒い時期のロケなのに 暑い9月初旬の設定なので、窓全開で 半袖白シャツの乗客役が 扇子まで使っている点は 完全主義者の 黒澤監督ならではですね。

 当ブログで7年前に取り上げた(209.悪魔の囁き)で、8年も早く 走る列車から 身代金を受け取る作品を 紹介しております。
 本文の検索コーナーに 作品名を入れて 検索し ごらんください。


惜しむらくは せっかくフル編成を借りたのに、1号車パーラーカーの 2m×1mサイズの 大窓を使って 荒井刑事がカメラ撮影を してほしかった!
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また次の画像の様に 田口が給仕に先導されて 区分室を通り抜けて 運転室へ向かう場面で、2Cのソファー席に エキストラの男性が 座っていることから 使用禁止と言われていない様です。
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   参考  :  映画撮影6号(1963年4月刊)  ・ 映画情報(1963年4月号)  ・ 週刊現代(1963年3月28日号)  ・ 黒澤明と「天国と地獄」(都築政昭著) ・ 黒澤明コレクション(キネマ旬報社)


急告 : 定時運転を信条としてきましたが、色々な出来事が重なり次回は計画運休させて頂きます 次回は11月第四週末です








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399.ブルートレインひとり旅

1982年6月 中山映画 製作  配給 映画センター全国連絡会議  カラー作品   監督 中山節夫

優秀な兄・姉の下で 成績がイマイチな 少学6年生 岩田たけし(上野郁巳)が、家出して 熱望する寝台特急はやぶさ号に乗って 西鹿児島を目指す 冒険ミステリータッチの前期青春映画です。

東京機関区を出区する 1000番代のEF65形電機は
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品川客車区へ移動し、
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寝台特急はやぶさ号の 24系25形編成を牽引して 始発駅東京へ向かいます。
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何度もブルートレイン乗車を 願い出た岩田ですが 仕事に忙しい父親は 応じてくれず、遂に貯金で切符を買うと 東京駅9番線へ来ました。

16:17 はやぶさが入線し
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16:30向かいの10番線から ブルトレ一番手 長崎・佐世保行の 1レ特急さくら号が出発して行くと、岩田は家に電話しようと 公衆電話を取りますが 迷った末に止めてしまいます。

そして 3レ特急はやぶさ号の 発車ベルが鳴りだすまで 乗るか迷っていた岩田は
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4号棟に飛び乗り発車です。
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指定された席に行くと 話好きの女性が向かいの席に到着し、後に 鳥栖へ一人で向かう 篠山あずさ(永浜三千子)も現れます。

18:14熱海を通過する頃
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岩田の家では家出が発覚し 19:14静岡で機関士交代の頃、父岩田隆介(川津祐介)と 母美樹(水野久美)は(はやぶさ)に乗ったと確信して 東京駅へ向かいますが 20:12発の最終新大阪行 ひかり185号に乗り遅れ 大阪で追い付く作戦は失敗です。
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車掌長(高城淳一)が 再度あずさの元へ検札に来た時、家出した「6歳の中村まさとし君(星野光司)愛称マー坊を捜している」と皆は聞きます。
20:30頃 岩田は食堂車で ハンバーグ定食を注文した時 ウエイトレス(青木菜々)と知り合いますが、食堂車内は 黒服3人組男も居て 何やら怪しい雰囲気も漂っています。
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そして4号車内では コート姿の男がダイヤを 黒服男に盗まれ、更に男のミスで ダイヤをマー坊の 紙袋に落としてしまいます。その一部を目撃した岩田は あずさに話しますが信じません。しかし下段の女性が「大型トランクが怪しい」と話すので、男の寝台へ二人で行き トランクを開けると マー坊が死んだ様に寝ていました。

そこへ怒った顔の 3人組の男達が現れ「紙袋に入ったダイヤはどこだ!」と迫りますが、岩田が男の手に噛み付き逃走し 空いていたA寝台個室に 二人は逃げ込み隠れます。
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しかし刑事風のコート姿の男(常田富士男)は マジシャンで 男達は弟子なのが分かり、騒がせたお詫びの マジックを披露してくれ マー坊も匿ってあげました。

その後 岩田とあずさは 閉店となった食堂車で ウエイトレスから、自作の{ブルートレインひとり旅}という歌を 聞かせてもらいます。
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一方その頃 一人で追いかける父親は 東京21:00発の名古屋行ひかり541号で 23:16に名古屋に到着し、23:20発 9レあさかぜ1号に乗り継ぎました。
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これに乗れば 翌朝6:28着の広島で、6:34発の始発こだま431号に乗り継ぎ 博多にて余裕で 追いつける目論見です。

そしてはやぶさ号は 下関に到着すると
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牽引機関車が EF81形電機に付け替えられますが、
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ここでマー坊は 鉄道公安官に保護されてしまいました。 
関門トンネルを抜けた はやぶさ号は、
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次の門司で更に ヘッドマーク無しの ED76形電機に交代して 九州路を走り出しました。
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博多到着が近付いた頃 あずさに「御言付が届いてますので、乗務員室へお越しください」と放送があります。博多ではマジシャン一行と 下段の女性が下車して、車内は寂しくなりました。
あずさが(門司→3レ)業務連絡書を受け取ると、家を出た母親が 鳥栖駅に 出迎えに行くと書いてあり 一安心です。
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DE10形内燃機に連結された 赤い50系客車が停まる 鳥栖駅に着くと、399-21.jpg
あずさの母親(長内美那子)が出迎え 二人は涙の再会を果たします。でもはやぶさ号が出発して行くと あずさは列車を追い掛け、大きく手を振り 岩田に別れを告げるのでした。
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岩田が席に戻ると、父親が座っていて 驚きます。当然叱られますが「あさかぜ1号から広島で 山陽新幹線こだま431号に乗り継ぐ筈が、寝過ごし徳山で こだま421号に乗り継ぎ 博多9:20着。急いで9:22発の はやぶさ号に、スレスレ乗り込んだ」と父親が話すと 二人の間が和みました。

そして父親は「熊本で降りて 熊本空港から大阪へ飛んで、午後2時からの 会議に間に合わせる」と言って、終着西鹿児島までの乗車を 許してくれました。熊本で切り離した後部編成を 移動する為、DD16形内燃機が 父親を追い抜いて行きます。
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ラストシーンでは 空撮によって、はやぶさ号が海沿い・鉄橋・牛ノ浜駅での 上下はやぶさ号のすれ違いシーンがあって 西鹿児島駅到着でエンドマークとなります。
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PS.
  国鉄のPR的作品でもあり 国鉄・国労・動労・鉄労・全動労の協力を受けて、通常撮影不可能な位置からの 見ごたえある映像が随所に見られます。

  なにより協力の度合いが凄いのは 東京~西鹿児島を実車の 寝台特急はやぶさ号で 連続2往復して、その間4号車を貸し切り スタッフ・俳優の全30人が 不眠不休に近い状態で撮影したそうです。

  途中駅ホームでの撮影も 大手作品の何倍も有り、国鉄挙げての協力の程が 見て取れます。

  食堂車の場面は 営業終了後の午前1時過ぎから借りて 機材セットから始まり リハーサル・本番と進め、NG・予期しない揺れや音で 撮り直しも数々・・朝食準備が始まるまでに 片付け清掃しなければと 忙しかったことでしょう。

  1970年代半ばから 九州内では 寝台特急 ヘッドマーク取付が省略されて、本作内でも 寂しい姿で映っています。本作製作の 2年後に復活しますが はやぶさ号は 1997年11月末から 熊本打切りとなり、最後は富士号との併結運行となって 2009年3月に廃止されました。

   (参照:鉄道ジャーナル1982年7月号)

  




  本作は 学校や公会堂での上映を前提に 教育的シナリオで製作され 一般映画館では 公開されなかったそうですが、1982年7月10日から 3週間に渡って 名古屋ミリオン座で 公開上映された記録があります。(併映作は → さよならは半分だけ)

  次回は 400回記念号なので 皆様からリクエストの多い アレではなく、あの作品を取り上げます。本作で ベテランの味で演じている 常田富士夫氏が、意外な役で出演するも クレジットに 名前が登場していない作品です。


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394.危険旅行

1959年8月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 中村登

才女と呼ばれる 松平千賀子(有馬稲子)は 忙殺される仕事から逃れ 失踪しますが、名古屋手前で 窮地を助けてくれた 雑誌カメラマンの 旗良平(高橋貞二)と 旅する道中を描いた コメディ映画です。

御礼に食事をご馳走した隙に 荷物ごと愛車を盗まれた千賀子は、旗と共に 無一文になってしまいました。旗は内山編集長(伊藤雄之助)に 泣き付くと、大阪中央郵便局々留で 三万円を取材費として 送ってもらいます。

その後 伊賀上野で知らない内に 二人でいる所をテレビに映され、それを見た編集長が 小谷編集部員(桂小金治)に大阪で 千賀子のスクープを狙えと命じます。

一方旗は 友人から借りた金を失い、大阪へ向かうべく 東海道本線の線路を 二人で歩いて行きます。三線区間の真ん中を歩く横を 下り特別急行列車 つばめ号らしきが、EF58形電機に牽かれ
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一等展望車を最後に 走り抜けて行きます。
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足の豆と疲れで へたり込んだ 千賀子の足下を、京阪電鉄京津線の 電車らしきが走っています。
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旗が千賀子の荷物を もってやり起こすと、反対側を 上り特別急行列車 第二こだま号らしきが 高速で走り抜けて行きます。
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漸く京都の一つ手前 山科駅へ到着すると、
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千賀子は 一人でジュースを買って 飲んでいます。お寺で子守りのバイトでもらった 二百円を全部使った 千賀子を見た旗は、「ここから一人120円あれば 大阪へ行けるのに」と怒ってます。

そして 京阪電鉄京津線 山科駅で 一人分の切符を買おうとして 止めた旗は、
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国鉄山科駅で 貨物列車に忍び込み 二人で首尾よく D52形蒸機が働く
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大阪近くの操車場で
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突放された有蓋車から降りました。
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ところがその姿を 操車場の職員に見つかり、C11形蒸機らしきが停車する横を 懸命に走って逃げる二人でした。
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大阪中央郵便局前で 小谷に会い 取材費を受領していると、千賀子は 地元のマスコミ連中に見つかり 二人はタクシーで 天保山桟橋へ向かいます。
そこから別府行の 関西汽船に乗る所で、小谷に それまで撮ったフィルムを 抜かれたことに 旗は気付きましたが時遅しでした。

船内でも 一騒動に巻き込まれた 二人でしたが、別府近郊の 城島高原牧場で 仲を深めた二人は 取材で福岡県の篠栗炭鉱へ行きます。
坑口から 上がって来る炭車や、
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仕事終わりの鉱夫達が乗る 人車を旗は撮っています。
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交換フィルムの購入を 頼まれた千賀子は、売店で 雑誌に載った 自分のスクープ写真を見て 旗との決別を宣言しますが・・・






PS.
  最初~4枚目の画像は 東海道本線山科~京都の、山科寄りの区間で 国鉄協力の元 職員立ち合いで ロケが行われたそうです。
  1944年に 輸送力増強の為 上り勾配である 上り線側を増線して 3線区間とした 場所でのロケで、現在では 到底許可にはならない 危険なロケでしょうね。

  先に通った 1レ特別急行列車 つばめ号は、現場を15:42頃に通過した様です。上り特別急行列車 第二こだま号は、現地を 16:44頃通過したと思われ 中線でのロケは 2㎞程移動しながら 2時間程掛かった様です。

  東海道本線を 京阪電鉄京津線が アンダークロスする地点は 山科から京都方向へ500m程行った所なので、作中では 方向的に矛盾しています。

  6番目の画像で旗は 京阪電鉄京津線 山科駅で「大阪」と言って 切符を買おうとしてますが、京阪本線経由で 京橋駅で城東線に乗り換え 大阪駅へ行こうとしたのでしょうか。(監督の手違い?)

  7~10番目の画像は 大阪駅近くの操車場なので、吹田操車場でしょうか。D52形蒸機は バック運転なので、入換作業中なのでしょう。二人が乗った有蓋車は、ワム23000形の ワム40165です。

  大阪天保山桟橋からの 別府航路は、関西汽船の大阪 16:30発 ⇒ 10:50 別府の便と思われ、予告があったので 別府港には 一万人以上の群衆が 到着を待ち構え密集し スリの被害者20人 総被害金額7万円との 騒ぎだったそうです。

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393.ダメおやじ

1973年11月 松竹 製作 公開  カラー作品   監督 野村芳太郎

万年平社員の 雨野大助(三波伸介)は 同期入社の南村不二夫(小山田宗徳)が 課長になったことから、出世を願う家族の 虐待に耐えながら 係長昇進を目指す コメディ映画です。

真面目で正直な 雨野に惚れこんだ本田冬子(倍賞美津子)は 結婚式・披露宴に続いて、東京駅らしき7番線から皆に見送られ グリーン車で二人は 新婚旅行に出発します。
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一同が見送りを終えて帰り際に 南村は冬子の短大の後輩 由美子(吉田日出子)に 声を掛けている背後には、9番線に停車中の 横須賀線電車が映っています。
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グリーン車内で雨野は「出世の為に 冬子さんには お尻をひっぱたいて欲しい」と願い出ると 冬子は承諾しますが、これが後々 悲惨な雨野の生活への 発端になるのでした。
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そんな未来が 来るとも知らず、二人を乗せた列車は 旅行先へと向かいます。
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10年後 雨野は相変わらずの平社員で、妻と 一人息子タコ坊(佐野伸寿)の 三人で団地住まいです。

ところが 後輩由美子の夫 南村が 課長に昇進したと聞いた冬子は、係長昇進の条件である 宅地建物取引主任者の 今年度試験合格を雨野に厳命し 一段と強く尻を叩きます。

この為雨野は 満員の通勤電車車内でも、連日対策本を 読んでいます。
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しかし試験ノイローゼと なってしまった雨野は、試験会場から 脱走する始末でした。

その後 北海道の土地開発を夢見て 本を出版する社長の 太田元蔵(豊島泰三)でしたが、会社が取得した 北端稚内の土地開発は 全く目途が立ちません。

そこで南村は 雨野に警備係長の 肩書を付けて、稚内事務所に転勤させることを 部長(田武謙三)に 進言するのでした。

そして雨野が旅立つ日 上野駅14番線には、
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南村始め会社の同僚が 見送りに来ていますが
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冬子とタコ坊はいません。
スピーカーから「22:00発 山形・秋田周り青森行 特急あけぼの号です」と 構内放送が流れています。

南村は「二三年経ったら 必ず呼び返すからな」などと、調子のいい事を言ってます。雨野がデッキから 車内へ移動して 通路のカーテンを上げると、皆が「栄転なんて言ったって 島流しだね」などと言ってます。
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皆の見送りを受けた雨野が乗る 特別急行あけぼの1号は、静かに上野駅から去り行きます。
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ところが 走る車内で 雨野が一人寂しく座っていると、突然冬子とタコ坊が 荷物を持って現れました。雨野は思わず「お前も一緒に?」と言うと「当たり前でしょ」と言って 転勤に同行するのでした・・・
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ラストシーンでは 20系特別急行列車 あけぼの号らしきが、暁の陸奥路を 走り去る姿で エンドマークとなります。
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PS.
  1970年から12年間に渡って 週刊少年サンデーに連載された 古谷三敏の漫画が原作で、長女雪子は登場しない 三人家族として描かれています。

  1・2枚目の画像の列車は 3枚目の画像で ホームの時計が11:21頃なので、東京駅11:20発 725м伊東行で ロケが行われたのでは? でも続く車内シーンは セット撮影の様です。

  6枚目の画像で映っている橋梁は、1980年代まであった 立場川橋梁に似てますね。

  9枚目の画像からの 上野駅・車内シーンは セット撮影と思われますが、作中で同僚が見送る部分では 実際に現地で撮影している様です。

  特別急行あけぼの号は 1970年奥羽本線(福島~秋田区間)初の 寝台特急として登場し、本作公開時までには 秋田行も増便され 特別急行列車にふさわしく 1号には食堂車が連結されていました。
  しかし上野発車が 22:00で秋田到着が 7:03・終着が10:22と 実質 朝食しか営業出来ない 不採算列車食堂でしたので、本作公開8日後をもって 食堂車は外されてしまったそうです。

  また雨野は何故か 秋田切り離しの11号車に 乗っています。青森行の 1号車~8号車が 取れなかったので、秋田から 青森行編成に移動して 立席特急券で 青森へ向かったのでしょうか。
  北海道連絡列車と言えば、東北本線か 常磐線から連絡船を使って 同じ列車番号で繋がった筋で 行くのがスムーズだったのです。

  22:24発 5M特急はくつる ― 7:10 青森 7:30 - 連絡船5便 - 11:50着 函館発 305D急行宗谷 - 稚内22:45着が 普通ですが、雨野は上野 22:00 - 1001レ 特急あけぼの1号 - 10:22着 青森 12:05発 - 青函連絡船21便 - 15:55着 函館 16:15発 21D特急北斗3号 - 20:28着 札幌 21:20発 - 317レ急行利尻 6:26稚内着

  つまり 北海道連絡を考慮していない 特急あけぼの1号を使うと 青森に到着する7分前の 10:15に 7便連絡船は出港してしまい、乗り継ぐ 21便に青森港で 1時間43分も 待つことになります。所要時間は 32時間26分と 8時間5分も余分に掛かった上に、特急北斗の特急料金と 急行利尻の 寝台料金が余分に掛かった?(雨野はテツ?)

  
  本作のタイトルは(126.やさぐれ刑事 18分)に次ぐ 12分40秒と長く、雨野が未だ平穏で幸せな時代と その後の分岐点に タイトルが置かれています。(300.張込み)は 11分15秒なので、当ブログ中 3位となりました。

  社長が自論の本を出版する時 ポスターの原案を 部長が提示するシーンで、懐かしい 田中角栄首相の(日本列島改造論)をモジった ソックリさんポスターが登場しています。
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390.あの橋の畔で 第一部

1962年7月 松竹 製作 公開   監督 野村芳太郎

数寄屋橋で将来を誓い合った 菅野光晴(園井啓介)と 新村葉子(桑野みゆき)が、過酷な運命に翻弄されながらも 魅かれ合う姿を描いた メロドラマの序章です。

父親の看護の為に 長崎へ帰郷した葉子を 菅野が大学を卒業し就職したら 迎えに行く約束でしたが、菅野は実権のある 葉子の兄 新村健二郎(南原宏冶)に 結婚を断られた矢先に 重症の交通事故に会ってしまいます。

その後 菅野と三ヶ月間 音信不通だった葉子は 上京を決意し、特別急行列車あさかぜ号に乗って 東京へ向かいました。
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思い出の 数寄屋橋畔の公園で 漸く菅野と 待ち合わせることができて、背後に都電が行き交う公園で 再会した菅野は 手足が未だ不自由な状態で 葉子は別れ話をされてしまいます。
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一方 葉子の兄夫婦の策略で 上司の沢野伸介(穂積孝信)と 政略結婚させられそうになった葉子は、菅野が転勤した 北海道夕張へ向かうべく 兄の家を飛び出し 上野駅へ向かいました。
上野駅 12番線で 急行北上号に乗った葉子は、菅野の親友 藤川俊春(山内明)と 柏村綾(千之赫子)から 見送りを受けています。
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藤川は葉子に 餞別を渡し、
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綾は「これで幸せになれるんだから」と励まします。
更に「お化粧道具持ってる?」と聞くと、葉子が否定したので バックを逆さに開けて 中身を 渡しました。
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葉子は 二人の親切心に涙し、二人は葉子と 菅野の幸せを祈り 手を振って見送ります。
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青森行急行北上号は ゆっくり加速して、12番線を離れて行くのでした。
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菅野が 飲み屋ひさごやの女給 のぶ(渡辺美佐子葉子)と 一夜を共にした頃、葉子を乗せた 蒸機牽引列車が 一路夕張を目指して 走行するシーンがあります。
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そして 遥々東京から到着した葉子と 菅野が 大夕張ダム湖畔で 抱擁する場面では、背後にダム湖を横断する 下夕張森林鉄道 夕張岳線 第一号橋梁が 映っています。
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更に この特徴ある 三弦トラス橋を渡る 森林鉄道列車の姿も、映像からは 僅かに見て取れます。
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しかし葉子は のぶから 自分と菅野が 深い関係にあることを 告げられると、D50形蒸機が牽く 運炭列車が近付く道で 汽笛を鳴らされると 絶望感にみまわれ しゃがみ込んでしまいます。
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のぶは 何とか菅野を 自分のものに しようとしますが 菅野に難く断られると 自殺を図り、止めようとした菅野と 共に崖から転落してしまいます。
のぶは重症ながらも 助かりますが 菅野は行方不明となり、帰京した葉子は 泣く泣く沢野との 結婚を承諾するのでした。

それから一年後 立野という名の 記憶喪失症の男が 東京に現れ、付き添っている チカ坊(中山千夏)の話から 男は死んだと思っていた菅野であると 皆が確信します。

葉子は 何とか菅野の 記憶を取り戻そうと 奔走しますが、それが 沢野や 同居する姑(沢村貞子)との 関係悪化に繋がるのでした    第二部へ続く・・・





PS.
  1枚目画像の EF58形電機牽引 特別急行あさかぜ号は、電源荷物車を含め 牽引定数いっぱいの 20系14輌フル編成です。

  長崎県平戸の 生月島からの 上京を考えると、生月島―(連絡船)・・・平戸口 11:39 ―(621レ)― 13:08 佐世保 13:27 ―(2308レ準急第一弓張)― 15:49 博多 16:30 ―(4レ特別急行あさかぜ)― 9:30東京

  4枚目画像からの 上野駅見送りシーンでは、青森行 急行北上に乗る葉子が 映っています。しかし当時のダイヤで 急行北上は7番線から、16:30発と 明るい内の出発です。

  このシーンの撮影は 12番線で 夜間に行われているので 国鉄の協力の元、20:50発113レ 青森行普通列車に 北上の札を付けてもらい ロケが行われたのでは?と推察します。

  11枚目の画像に映っている 下夕張森林鉄道 夕張岳線 第一号橋梁は、作中でも登場する 大夕張ダム建設の為 1958年に完成した 珍しい 三弦トラス形式の鉄橋です。
  大夕張ダムは 本作公開と同じ 1962年の完成ですが、下夕張森林鉄道 夕張岳線は 翌年の1963年に廃止されてしまい 森林鉄道の橋梁として使われたのは 僅か5年間でした。 本作中には 貴重な走行映像の片鱗が 映っております。

  その後 レールだけ撤去されましたが、美しい姿は 地域のシンボルとして 残されました。しかし 大夕張ダムの下流側に より規模の大きい 夕張シューパロダムが 2015年に完成し、現在では 渇水期に姿を現すだけで 通常期は水没しています。

  本作は メロドラマの大御所 菊田一夫氏の原作で、当時は TBSテレビで連続ドラマとして 放送中に製作されました。
テレビでは 新村葉子役は 島倉千代子ですが、菅野光晴役は 園井啓介が映画と掛け持ちで 出演したそうです。(当時の本人は 本業がテレビ俳優で、映画はアルバイトだそうです)


まもなく迎える №400号を記念して、№400号の前後 №390~410を カラー作品特集と致します。今回の(390.あの橋の畔で)は 全4作の長編なので、前半2作と後半2作に分けて 取り上げる予定です。










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388.自分の穴の中で

1955年9月 日活 製作 公開   監督 内田吐夢

40代の未亡人 志賀伸子(月丘夢路)は 利己的な義理の息子・娘と三人暮らしだが、亡夫の遺産生活の為 苦労の末に 一家崩壊へと突き進む過程を 描いたホームドラマです。

学生時代 志賀家で世話になった 小松鉄太郎(宇野重吉)は 銃器会社を退職し、立川基地界隈を歩いた後 新宿のキャバレーへ向かう時 セットの電車内シーンがあります。
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伸子は 義理の娘 志賀多美子(北原三枝)と 出入りしている医師の 伊原章之介(三國連太郎)の 結婚を望んでいますが、当人は 伊原と伸子の仲を怪しんで 乗り気になれません。

ある日 京都に残っている 志賀家の土地売却の件で 多美子が現地へ向かう時、多美子は途中から 伊原に「話があるので横浜まで送ってほしい」と電話して 品川から列車に乗り合わせます。

白いカバーが掛かった 並ロらしき車内で 二人は向かい合って座っていますが、
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多美子は一向に 話をしないので 伊原は小松から聞いた 会社を辞めた話しをしました。
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やがて 列車が横浜駅へ 到着しそうになったので 伊原は立ち上がって「それじゃあ」と言いながら 多美子の手を取り 別れの握手すると、多美子は 手を引き寄せて 離しませんでした。
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一方小松は 四日市の海軍燃料廠跡・白浜三段壁・奈良・京都を 旅する場面に続き、EF58形電機に牽かれた 特別急行列車はと号の 走行シーンが映ります。
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続いて 食堂車内へ小松が入って来て
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近くの席に座り ウエイトレスに「ジュース」と注文すると、先に向かいの席に 座っていた多美子が気付いて 小松に声を掛けました。
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旅先での偶然に、普段と違って小松も饒舌です。
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その後 二等車席に二人が並んで座り、多美子は寝込んで 小松の肩にもたれ込んでいます。小松は膝に乗っている 多美子の手を、そっと持ち上げて お腹の上に置きました。
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すると多美子は 眠りから覚めて「今何処」と小松に聞くと、「やがて大垣」と答えます。 東京へは「あと6時間程」と話すと、「長いわね~」と 気だるけな返事をする 多美子でした。
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やがて 夜の有楽町駅界隈を走る はと号らしきの姿が映り、車内では 東京駅到着前から 網棚の荷物を降ろして デッキの方へ移動する 客の姿があります。
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小松が「渋谷まで送りましょうか」と言うと「もう大丈夫」と多美子は断り、東京駅構内から 伊原の家に電話します が不在と聞いて落胆しています。







PS.
  車内シーンは 全てセット撮影で 2枚目からの 東海道本線車内の画像は、伊原と多美子が向かい合って座るシーンですが スクリーン・プロセスの出来が少々・・・ですね。

  特別急行列車はと号の 走行シーンは素晴らしく、先頭部分のヘッドマークも ハッキリと映っています。
  ロケ地は不明ですが 1955年夏頃の撮影だとすると 上りの米原から大垣手前は電化されていますから、残る米原~京都の未電化区間を C62形蒸機に牽かれた姿を 撮影してほしかったです。

  EF58形電機の次位は スハニ35形{半車荷物車・半車三等車}でしょうか、かなりの高速で 通り過ぎる姿に ピントを合わせ続けているのは 流石 峰カメラマンですね。

  当時の4レ 特別急行列車はと号は 大阪発12:30で、京都・米原(SL⇒EL)・名古屋・豊橋・静岡・熱海・横浜に停車して 20:30東京到着のダイヤでした。

  一等展望車・二等車5輌・食堂車・三等車4輌(ハニ1輌含む)の11輌編成と、二等車(現在のグリーン車)が 一番多いのに 乗車率82%と 盛況でした。(1955年7月上旬平均値)

  小松は 四日市から 白浜へ向かいましたが 当時の紀勢線は、紀勢東線の尾鷲 ~ 紀勢西線の 紀伊木本(現:熊野市)34.3㎞が 未開通でした。

  あえて 当時の紀伊半島を 南下する経路で 妄想すると、四日市 6:59 ―(203レ急行伊勢)― 8:02 松阪 8:23 ―(15レ)― 11:21 尾鷲 12:30 ―(国鉄バス紀南線)― 15:15 紀伊木本 16:25 ―(145レ)― 18:49 串本 19:06 ―(171レ)― 21:22 白浜口

普通の人なら四日市6:29 ―(201レ急行大和)― 9:00 天王寺 9:30 ―(106レ)― 10:41 東和歌山 10:45 ―(6レ準急熊野)― 13:02 白浜口 ですが、作中で あちこち ぶらぶら旅した 小松ですから 上記の経路かもしれませんね。


本作は 盛夏時期に 撮影されていますが この頃日活は 他社に先駆けて 撮影所に 冷房設備を導入したので、食堂車や二等車場面を始め 志賀家内で 着物姿のシーンが多い 月丘夢路は 気持ち良く 演じられた様です。


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387.心と肉体の旅

1958年1月 日活製作公開   監督舛田利雄

女優を目指して 九州から上京した 稲村直美(南田洋子)と 立花ルリ子(中原早苗)の内 落選したルリ子が 転落しながらも、友情から お互いに助け合う メロドラマ調の青春映画です。

冒頭 東京駅7番線ホームで列車を待つ 新井双葉(楠田薫)の耳に
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「あさかぜ号は25分の延着です」との放送が入った時、店の客 五十嵐(二谷英明)に声を掛けられたので 軽くあしらいます。
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双葉が一旦ホーム下の通路へ降りると 慌てる志賀甲太郎(葉山良二)に出くわしたので、「汽車は25分遅れよ」と声を掛けて お茶に誘います。

続いて EF58形電機に牽かれた 上り東京行8レ 特別急行あさかぜ号の 走行シーンが映り、
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二等車内で 直美とルリ子が
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近付く東京での コンテストへの夢を語っています。
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やがて 特別急行あさかぜ号は 東京駅へ到着し、
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直美とルリ子の二人は 出迎えてる筈の 志賀を捜しますが いませんでした。
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直美はルリ子に 動かないで待つように伝え、ホーム下へ 志賀を捜しに行きました。すると 遅れて志賀が現れ ルリ子が直美の状況を話すと、志賀は再びホーム下へ 直美を捜しに行きました。
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そして 東洋映画ニューフェイス審査会の後 ルリ子が銀座にある 双葉の店を尋ねる時、銀座四丁目交差点を行き交う 都電が映り 鳩居堂ビル屋上にある 星形のナショナル広告塔が 目立っています。
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その後 直美の父 稲村雄三(深見泰三)と 母信子(新井麗子)が上京しますが、体調がすぐれず 箱根へ静養に行くことになりました。
ニューフェイスに合格したのは直美だけで 悲しむルリ子を ホテルの部屋に残して、直美は父母を見送る為 小田急電鉄新宿駅へと向かいます。

新宿駅 10番線で発車を待つ 3000形特別急行列車が映り、
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竹内産業の社長である 竹内(安井昌二)が 稲村夫妻を見送っている所へ 駆け付けました。
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信子は離れた席に移動すると直美に、「昨夜竹内が結婚の申し込みに来た」と話して直美を驚かせます。
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その足で向かったらしく 直美と竹内が、古風な常盤橋らしき上で 話す場面があります。二人の背後に走るのは、都電17系統(池袋~数寄屋橋)でしょうか。
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それから 映画界に顔が利くと言う 五十嵐に騙されたルリ子は 転落して行きますが、女癖の悪い竹内の本性を直美に伝え 被害者の島崎マミ子(南寿美子)から話を聞いた直美は 結婚話を解消します。

そして直美も 自分に気の有る志賀から身を引いて、志賀に思いを寄せるルリ子に譲ります。
更に東洋映画の正宗監督が 直美主演で映画製作を望んだので、一度は諦めた映画界に 直美は復帰するのでした。







PS.
  特別急行列車あさかぜ号は 1956年11月に、戦後初の 夜行寝台特別急行列車として(東京~博多)に登場しました。
  2年後 20系ブルートレインに 置き換えられた後の姿が有名ですが、本作では 寄せ集め旧型客車で 僅か二年間編成された姿の 走行シーンが映っています。

  4~6枚目の画像は 日活特有の 特別二等車セットで 撮影されていますが、登場から 1957年9月末まで 二等車はスロ54形が使われていたので 本物に近いと思われます。

  12枚目の画像では 当時の小田急電鉄新宿駅 10番線に停車している デハ3000形SE車が映っています。
  当時の新宿駅は 国鉄の番線から 通し番号だったので、小田急電鉄は 9~12番線・京王帝都電鉄は 13~16番線でした。

  デハ3000形は 小田急電鉄で初めて 一般車への格下げを想定しない 特急専用車で、連接台車方式を採用して 両端車16m弱・中間車12,7mの 8両編成でした。
  また 日本の鉄道車両としては初めて、ディスクブレーキや シールドビーム前照灯を使った 先進的な車両で 1957年7月から運行開始されました。

  作中でルリ子が「10時の新宿発」と言ってますが ホームの時計は 9:12頃なので、9:30発の 4009レ箱根湯本行と 思われます。終点まで運賃が 195円で、特急料金は 130円でした。

  15枚目の画像では 珍しく700角サイズの窓を 開けて話す様子が、アップで映されているので 窓の状況が よく分かります。
  当初は冷房設備が無く 1962年に設置されるまで 暑い時期は、画像の様に 窓を開けて 走行したことでしょう。 







 

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383.銀座二十四帖

1955年9月 日活 製作 公開   監督 川島雄三

銀座で花屋を営む コニーこと 三室戸完(三橋達也)と知り合った 京極和歌子(月丘夢路)が、少女時代に描いてもらった 絵の作者を巡る謎解きと 薬物撲滅を目指す 三室戸の活躍を描いた青春映画です。

序盤 世田谷砧の花畑で収穫された花を 芝生花市場へ運ぶ三輪トラックに 途中で三室戸が便乗し 仕入れに行く場面で、大きく右カーブする登坂へ向かう 都電とすれ違うシーンがあります。
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登場人物の紹介を兼ねた やり取りの終盤に、銀座中央通りを行きかう 都電を捉えた映像が流れます。京橋付近でしょうか、1系統の他 19・22・40系統の電車が 次々と走っています。
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軽妙な 森繁久彌のナレーションで 銀座の玄関口として、新橋駅汐留側に 1914年から1970年頃まであった 風格ある駅舎が紹介されます。
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続いて 有楽町駅を通過する 特別急行列車2レ つばめ号東京行が、牽引するEF58形電機から
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最後部の一等展望車まで映ります。
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そして 東京駅10番線に到着した つばめ号の
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8号車から 和歌子の姪 仲町雪乃(北原三枝)が降り立ち、
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カバン持ちをさせた プロ野球投手赤石峰男(岡田眞澄)を 和歌子に紹介します。

その後全国に257か所有ると言う 何々銀座を紹介する中で、雪景色の 札幌市電の様子が映ります。
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雪乃は両親に内緒で ミス平凡コンテストに応募し、東京本選で入選します。和歌子は雪乃の両親に ファッションモデルとなる了承を 取り付けるべく大阪へ行き、和歌子の監視付きを条件に 話を纏めると 大阪球場で雪乃に伝えます。

赤石が投げてる大阪球場には 絵描きの振りをしている 望月三太郎(大坂志郎)も来ていて、南海電鉄難波駅をバックに 和歌子が所有する絵画の作者について 雪乃と話しています。
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また 高島屋の屋上へ 和歌子が向かった場面では、御堂筋から 南海電鉄難波駅が入る 1932年に完成した 高島屋百貨店が映ります。
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その後 三室戸は銀座の街からの 薬物撲滅を目指して、元締めである 銀座のGMを捜して 和歌子の夫である 京極克己(河津清三郎)に行き着きます。
その時 かねてより内偵捜査をしていた 望月刑事の指揮で 警官隊による一斉摘発が行われ、和歌子の絵を描いた作者は 京極の親友で 三室戸の兄 三室戸五郎であると告げた後に 逮捕を拒んで 拳銃自殺してしまいます。

一時は 三室戸の花屋で働いていた 和歌子でしたが、鵠沼で別れて住む 娘珠代(江川美栄子)の元へ帰るべく 新橋駅へ向かいます。
ルリちゃん達に「見送りに行かなくちゃ」と 花束を渡された三室戸は、新橋駅1番線 東海道本線下りホームへ行きます。

折りしも 海上自衛隊員の 壮行会が行われていて、ホームが混んでいる中 三室戸は和歌子を捜します。
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和歌子を見付けた 三室戸が「奥さん」と声を掛けると、花束を受け取った和歌子は「コニーさん・・・」と潤んだ眼で 呟いただけで言葉が続きません。
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そこへ 16:24発の833レ小田原行 80系初期型湘南電車が、二人を覆い隠す様に 到着したのでした。
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PS.
  森繁久彌のナレーションで つばめ号は朝9時に大阪を出発し、時速90kmで走って 夕方5時に東京駅へと到着しますと 紹介されています。

  ところが続いて「1等は無くなりましたが、偉い人は特急券無でも 乗れるという噂もあります」と続いています。脚本家は 本作公開2か月前に無くなった、1等寝台車と間違えたのでしょう。

  7枚目の画像で 雪乃は二等の8号車から降りてきましたが、隣の7号車は 帯無しでも3等車ではなく食堂車です。

  当時の食堂車は 普通急行列車と特別急行列車では 一品料理や飲み物のメニューが違い、定食も 普通急行が朝定食は150円昼・夕定食は240円に対して 特別急行列車では定食が300円・350円・500円の3種類でした。

  三室戸の花屋で働くルリちゃん(浅丘ルリ子)は 当時中央区立 今川中学校3年生で、(緑はるかに)でデビューしてから 本作が2作目でした。




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379.三等重役

1952年5月 東宝 製作 公開   監督 春原正久

地方では大きな会社である 南海商事の社長桑原(河村惣吉)が 会社内外の諸問題を、腹心の浦島人事課長(森繁久彌)と共に 抜群の感覚で明るく乗り切る コメディ調の人情ドラマです。

前社長の 奈良庄右衛門(小川虎之助)が 戦後公職追放となり、総務部長だった桑原が 急きょサラリーマン社長の様に 繰り上がったのでした。
本作のメイン鉄道シーンは 東京出張に出掛ける 場面にあります。地元の南海駅へ 桑原と浦島がやって来て、
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東京には 今晩8時半の到着ですと浦島が伝えています。

桑原は「今回は 出張所へ予告せずに、出し抜けに行く」と言い、ありのままの姿を 見たいそうです。 
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そして 前方へ進むと 東京へ同行することになっていた 顔見知りの藤山(進藤英太郎)が、なんと愛人の 芸者おこま(藤間紫)を連れていたのでした。
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そこへ C58形蒸機牽引列車が 到着したので、
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一同は 二等車へ乗車します。二等寝台車の 日中状態らしく、ゆったりしているだけが 良点の様です。
端の席で 藤山はおこまと宜しく やっているところへ、浦島が食堂車から 飲み物を桑原に 運んできました。
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浦島は桑原に「車内から夫人に 電報を打って、東京へ呼びましょうか」と言うと、「お鶴を呼ぶならまだしも・・」と言って 直ぐに取り消す 桑原です。
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その後 電機に牽かれた列車が 淡々と東京へ向かうシーンに続いて
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車内では 桑原と藤山が相席し、「帰りは箱根に 寄りたいが、同行しませんか」と藤山が誘いますが 辞退する桑原でありました。
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東京駅へ到着し 一行が降車口改札を抜けた所で、
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「あなた」と 藤山に向けて 呼び掛ける声がしました。藤山が驚いて 立ち止まると、「急にあなたと旅行がしたくなって、飛行機で来たんです」と藤山の京子夫人(岡村京子)です。
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藤山はまさか 夫人が先回りしているとは驚き おこまから離れると、「えらいものが 飛ぶようになったもんだ」と呟くのでした。

更に「ところでそちらの ご婦人はどなた?」と詰め寄ると、藤山は「こちらは要するに 桑原夫人だ」とドモリ声で 逃げます。それを聞いて桑原は「要するに家内です」と、冷や汗顔で 調子を合わせざるを得ませんでした。
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翌朝 8時半の鐘が鳴る 銀座四丁目交差点の 様子に続いて、
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横須賀線の 新旧形式の電車が混ざった姿で 走る傍らにある出張所に 二人はやって来ました。
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東京出張所 視察業務が終わり、帰りも二人は 九州直通急行列車に乗った様です。
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車内で旧知の 加藤さんに 偶然乗り合わせますが、
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「ちょっとヤボ用で 来た帰りです」と語った後で 話しに花が咲いています。
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PS.
  東宝サラリーマンシリーズでは(89.ホープさん サラリーマン虎の巻)と双璧の 先駆的作品で、好評だったので 続編が数本製作されています。

  1~4枚目の画像で ロケが行われた駅は、73おやぢ様のコメントから総武本線両国駅と思われます。

  車内シーンは全て セット撮影ですが、二等車は東京~九州各地を結んだ 直通急行に連結された 寝台車のヒルネを 意識していると思われます。(テーブルは・・・)

浦島は東京到着が 晩の8時半と言ってますが、20:30到着は 当時大阪発の 4レ特別急行列車はと号でした。
近いのは 20:08着の急行阿蘇号ですが、寝台車はゼロなので対象外です。
  本作の設定に合う 二等寝台車を連結していたのは、18:55に到着する 急行きりしま号でした。

  一方飛行機の方は 日本航空の 大阪伊丹空港15:50発の便が、東京羽田空港着17:30でしたので この便を京子夫人は使ったのでしょう。
但し特急はと号は一等車を使っても4580円に対し、飛行機は6000円もしました。さすがは社長夫人ですね。

  こうして夫の行動を怪しんだ 藤山夫人は、高額の飛行機で先回りして 東京駅で待ち構えていました。
  この場面は 実際の東京駅丸の内降車改札口で 行われた様ですが、現在では到底 不可能と思われます。


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