
1959年8月 松竹 製作 公開 カラー作品 監督 中村登
才女と呼ばれる 松平千賀子(有馬稲子)は 忙殺される仕事から逃れ 失踪しますが、名古屋手前で 窮地を助けてくれた 雑誌カメラマンの 旗良平(高橋貞二)と 旅する道中を描いた コメディ映画です。
御礼に食事をご馳走した隙に 荷物ごと愛車を盗まれた千賀子は、旗と共に 無一文になってしまいました。旗は内山編集長(伊藤雄之助)に 泣き付くと、大阪中央郵便局々留で 三万円を取材費として 送ってもらいます。
その後 伊賀上野で知らない内に 二人でいる所をテレビに映され、それを見た編集長が 小谷編集部員(桂小金治)に大阪で 千賀子のスクープを狙えと命じます。
一方旗は 友人から借りた金を失い、大阪へ向かうべく 東海道本線の線路を 二人で歩いて行きます。三線区間の真ん中を歩く横を 下り特別急行列車 つばめ号らしきが、EF58形電機に牽かれ

一等展望車を最後に 走り抜けて行きます。

足の豆と疲れで へたり込んだ 千賀子の足下を、京阪電鉄京津線の 電車らしきが走っています。

旗が千賀子の荷物を もってやり起こすと、反対側を 上り特別急行列車 第二こだま号らしきが 高速で走り抜けて行きます。

漸く京都の一つ手前 山科駅へ到着すると、

千賀子は 一人でジュースを買って 飲んでいます。お寺で子守りのバイトでもらった 二百円を全部使った 千賀子を見た旗は、「ここから一人120円あれば 大阪へ行けるのに」と怒ってます。
そして 京阪電鉄京津線 山科駅で 一人分の切符を買おうとして 止めた旗は、

国鉄山科駅で 貨物列車に忍び込み 二人で首尾よく D52形蒸機が働く

大阪近くの操車場で

突放された有蓋車から降りました。

ところがその姿を 操車場の職員に見つかり、C11形蒸機らしきが停車する横を 懸命に走って逃げる二人でした。

大阪中央郵便局前で 小谷に会い 取材費を受領していると、千賀子は 地元のマスコミ連中に見つかり 二人はタクシーで 天保山桟橋へ向かいます。
そこから別府行の 関西汽船に乗る所で、小谷に それまで撮ったフィルムを 抜かれたことに 旗は気付きましたが時遅しでした。
船内でも 一騒動に巻き込まれた 二人でしたが、別府近郊の 城島高原牧場で 仲を深めた二人は 取材で福岡県の篠栗炭鉱へ行きます。
坑口から 上がって来る炭車や、

仕事終わりの鉱夫達が乗る 人車を旗は撮っています。

交換フィルムの購入を 頼まれた千賀子は、売店で 雑誌に載った 自分のスクープ写真を見て 旗との決別を宣言しますが・・・
PS.
最初~4枚目の画像は 東海道本線山科~京都の、山科寄りの区間で 国鉄協力の元 職員立ち合いで ロケが行われたそうです。
1944年に 輸送力増強の為 上り勾配である 上り線側を増線して 3線区間とした 場所でのロケで、現在では 到底許可にはならない 危険なロケでしょうね。
先に通った 1レ特別急行列車 つばめ号は、現場を15:42頃に通過した様です。上り特別急行列車 第二こだま号は、現地を 16:44頃通過したと思われ 中線でのロケは 2㎞程移動しながら 2時間程掛かった様です。
東海道本線を 京阪電鉄京津線が アンダークロスする地点は 山科から京都方向へ500m程行った所なので、作中では 方向的に矛盾しています。
6番目の画像で旗は 京阪電鉄京津線 山科駅で「大阪」と言って 切符を買おうとしてますが、京阪本線経由で 京橋駅で城東線に乗り換え 大阪駅へ行こうとしたのでしょうか。(監督の手違い?)
7~10番目の画像は 大阪駅近くの操車場なので、吹田操車場でしょうか。D52形蒸機は バック運転なので、入換作業中なのでしょう。二人が乗った有蓋車は、ワム23000形の ワム40165です。
大阪天保山桟橋からの 別府航路は、関西汽船の大阪 16:30発 ⇒ 10:50 別府の便と思われ、予告があったので 別府港には 一万人以上の群衆が 到着を待ち構え密集し スリの被害者20人 総被害金額7万円との 騒ぎだったそうです。
才女と呼ばれる 松平千賀子(有馬稲子)は 忙殺される仕事から逃れ 失踪しますが、名古屋手前で 窮地を助けてくれた 雑誌カメラマンの 旗良平(高橋貞二)と 旅する道中を描いた コメディ映画です。
御礼に食事をご馳走した隙に 荷物ごと愛車を盗まれた千賀子は、旗と共に 無一文になってしまいました。旗は内山編集長(伊藤雄之助)に 泣き付くと、大阪中央郵便局々留で 三万円を取材費として 送ってもらいます。
その後 伊賀上野で知らない内に 二人でいる所をテレビに映され、それを見た編集長が 小谷編集部員(桂小金治)に大阪で 千賀子のスクープを狙えと命じます。
一方旗は 友人から借りた金を失い、大阪へ向かうべく 東海道本線の線路を 二人で歩いて行きます。三線区間の真ん中を歩く横を 下り特別急行列車 つばめ号らしきが、EF58形電機に牽かれ

一等展望車を最後に 走り抜けて行きます。

足の豆と疲れで へたり込んだ 千賀子の足下を、京阪電鉄京津線の 電車らしきが走っています。

旗が千賀子の荷物を もってやり起こすと、反対側を 上り特別急行列車 第二こだま号らしきが 高速で走り抜けて行きます。

漸く京都の一つ手前 山科駅へ到着すると、

千賀子は 一人でジュースを買って 飲んでいます。お寺で子守りのバイトでもらった 二百円を全部使った 千賀子を見た旗は、「ここから一人120円あれば 大阪へ行けるのに」と怒ってます。
そして 京阪電鉄京津線 山科駅で 一人分の切符を買おうとして 止めた旗は、

国鉄山科駅で 貨物列車に忍び込み 二人で首尾よく D52形蒸機が働く

大阪近くの操車場で

突放された有蓋車から降りました。

ところがその姿を 操車場の職員に見つかり、C11形蒸機らしきが停車する横を 懸命に走って逃げる二人でした。

大阪中央郵便局前で 小谷に会い 取材費を受領していると、千賀子は 地元のマスコミ連中に見つかり 二人はタクシーで 天保山桟橋へ向かいます。
そこから別府行の 関西汽船に乗る所で、小谷に それまで撮ったフィルムを 抜かれたことに 旗は気付きましたが時遅しでした。
船内でも 一騒動に巻き込まれた 二人でしたが、別府近郊の 城島高原牧場で 仲を深めた二人は 取材で福岡県の篠栗炭鉱へ行きます。
坑口から 上がって来る炭車や、

仕事終わりの鉱夫達が乗る 人車を旗は撮っています。

交換フィルムの購入を 頼まれた千賀子は、売店で 雑誌に載った 自分のスクープ写真を見て 旗との決別を宣言しますが・・・
PS.
最初~4枚目の画像は 東海道本線山科~京都の、山科寄りの区間で 国鉄協力の元 職員立ち合いで ロケが行われたそうです。
1944年に 輸送力増強の為 上り勾配である 上り線側を増線して 3線区間とした 場所でのロケで、現在では 到底許可にはならない 危険なロケでしょうね。
先に通った 1レ特別急行列車 つばめ号は、現場を15:42頃に通過した様です。上り特別急行列車 第二こだま号は、現地を 16:44頃通過したと思われ 中線でのロケは 2㎞程移動しながら 2時間程掛かった様です。
東海道本線を 京阪電鉄京津線が アンダークロスする地点は 山科から京都方向へ500m程行った所なので、作中では 方向的に矛盾しています。
6番目の画像で旗は 京阪電鉄京津線 山科駅で「大阪」と言って 切符を買おうとしてますが、京阪本線経由で 京橋駅で城東線に乗り換え 大阪駅へ行こうとしたのでしょうか。(監督の手違い?)
7~10番目の画像は 大阪駅近くの操車場なので、吹田操車場でしょうか。D52形蒸機は バック運転なので、入換作業中なのでしょう。二人が乗った有蓋車は、ワム23000形の ワム40165です。
大阪天保山桟橋からの 別府航路は、関西汽船の大阪 16:30発 ⇒ 10:50 別府の便と思われ、予告があったので 別府港には 一万人以上の群衆が 到着を待ち構え密集し スリの被害者20人 総被害金額7万円との 騒ぎだったそうです。


