fc2ブログ

日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

397.サザエさんの婚約旅行

1958年8月 宝塚映画 製作  東宝 配給 公開   監督 青柳信雄

九州での 法事出席に向かうサザエ(江利チエミ)カツオ(白田肇)の道中や、婚約者フグ田(小泉博)との 九州北部旅行の 珍道中を描いた コメディ映画です。

序盤 父親の名代で 若松の伯父さん宅での 法事に出席すべく 明日昼過ぎの若松到着予定で、東京駅からEF58型電機牽引の 急行列車らしきに乗って出発し 有楽町駅付近を走行する列車が映っています。
397-1.jpg

長い道中の列車が深夜に 上郡駅に着くと、
397-2.jpg
乗って来た老人(沢村いき雄)が サザエ達が座るボックス席の前で止まります。
そして 荷物が置いてある サザエの向かい席を見て「ここ空いてますか」と言うので「空いてます」と サザエが答えると、カツオの向かいに座る男(由利徹)は「塞がっている」と答えてサザエは呆れます。
397-3.jpg

サザエが言い返すと 男は漸く席を空け、足を伸ばしました。カツオがトイレに行くのに 男の下駄を履いて行き びしょ濡れにして戻ると、男が怒りますが 平然と「だって汽車が揺れるんだもの」と答える カツオでした。
397-4.jpg

翌日昼過ぎに 筑豊本線の終点 若松駅に到着しますが
397-5.jpg
 駅前からの市営バスに サザエが乗り間違えて
397-6.jpg
カツオと揉め、列で待つ 大阪の叔母さん 西野ちえ(浪花千栄子)に 衝突して 印象を悪くしてしまいます。

続いて 伯父さんの家に向かう 若松市営バスからの映像らしく、商店街のある 中川通りの 若松市営電気軌道上を進んでいます。
397-7.jpg

その後も サザエは法事後の席で 酒に酔って踊り出し、伯父さんから「大阪の叔母さんの旅館で 行儀作法を教えてもらいなさい」と 怒られてしまいます。

そこへ休暇をもらった フグ田が現れ、サザエとカツオを 九州北部旅行に 連れて行ってくれるのでした。先ず長崎へ向かう場面で 海沿い区間を走る、晩年の門デフ付き C51形蒸機牽引列車でしょうか。
397-9.jpg

長崎市内観光後に 雲仙・島原へ行き、佐世保駅から 西海橋行のバスに乗ります。
397-8.jpg
更に 唐津へ寄ってから 旅の最後に博多へ着いた場面で、西鉄福岡市内線の 路面電車が映っています。
397-10.jpg

フグ田から 帰りの切符を貰った サザエですが 夜行列車内で フグ田から「今度大阪へ転勤になる」と聞いた話を 思い出し、大阪で途中下車して 叔母さんの旅館で 行儀見習いとして 暫く滞在すると カツオに伝えました。
397-11.jpg






SP.
  当時 東京から若松へ行くのは、大変な旅でした。最初の画像は 日中に出発する 九州行の急行列車と思われます。
  ところが 山陽本線 上郡が 0:54発車との脚本ですが、そもそも上郡には 急行列車は停車しません。昼過ぎに 若松駅到着との脚本なら、該当するのは 東京13:30発39レ長崎行の 急行雲仙号が近いでしょう。

  39レは 午前1:00頃上郡を通過し、10:12に 鹿児島本線折尾駅に 到着します。階段を降りて 筑豊本線に乗り換えで、折尾発 11:09 → 11:30 若松と 昼前に着いてしまいます。この後 直通は 20:30発の 41レ筑紫号となり、若松着が夜になります。
  東京18:30発 7レ特別急行あさかぜ号を使えば、10:43門司着で 11:18発佐世保行 327レに乗り換え 折尾12:05着 12:40発722レに乗り換え 12:59に若松着と 脚本に合致しますが 実態に合いません。

  7枚目の画像に映る 若松市営電気軌道の線路は、1936年 埋め立て地に進出した工業地帯で使う 原料や製品輸送の為に 若松駅から敷設された 電化された貨物専用線で 1975年まで使われました。

  8枚目の画像は不鮮明ですが 給水温め器の後ろに 二つコブがあるので、門デフ仕様で 1960年頃まで走っていた C51形蒸機かもしれません。

  車内シーンは 勿論セット撮影ですが 宝塚映画製作の カラー映像で、北九州広域での ロケを行いました。しかし 唐津くんちの場面だけは 撮影だけで 現地に俳優は行かず、現地の祭り衆は 肩透かし喰らった様です。

  

PageTop

 146.昭和やくざ系図 長崎の顔

1969年10月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 野村孝

長崎市の縄張りを巡って強引に勢力を伸ばす新興の松井組に対して、先代の息子 高間慶二(渡哲也)が三代目を継ぎ 奮闘する姿を描く 任侠系映画です。

高岡が暴力事件で服役している間に、新興の松井組に押される一方の高間組。遂に高間が仮釈放となり4年ぶりに長崎へ戻って来る日、今や落ち目の高間組だが全員で出迎える冒頭に鉄道シーンがあります。
映画の冒頭 長崎本線 喜々津~東園のトンネルから DD51内燃機に牽引された 1ㇾ特急さくら号が登場します。
146-1.jpg
次位はカニ22ではなく簡易電源車マヤ20の様で、その後ろに 20系ブルートレインが続いています。

左手の美しい大村湾沿いに走る姿は、昔からの有名撮影地ならではと言えますね。この映画公開 3年後には長崎トンネル経由の新線が開通し、優等列車はこの区間を走らなくなったので貴重な映像です。
146-2.jpg

この映画のロケ時であれば、特急さくら号の長崎行は基本編成なので次位はカニ22電源荷物車の筈です。故障か検査でマヤ20に替ったか、この映像のみ 1965年10月~1966年9月に撮影されたものなのでしょうか。

長崎駅舎の映像に続いて、
146-3.jpg
さくらのヘッドマークを装着した DD51 576(鳥栖区)を先頭にさくら号が長崎駅2番ホームへ入って来ました。左手にもブルートレインの車両が見えますが、先着した新大阪発の特急あかつき号でしょうか。
146-4.jpg

ホームに勢揃いした高間組の面々をバックにタイトルが出ます。到着した列車から続々と乗客が降り、最後に3号車後部デッキから高間がスーツ姿で降りて来ました。
146-6.jpg

真っ先に近寄るのは、高間の おじき格 平田新吉(嵐寛寿郎)です。斎藤重作(水島道太郎)や弟分の小宮鉄男(郷エイ治)らがにこやかに出迎えています。
146-5.jpg

PageTop

 39、 風車のある街

 1966年6月  日活 配給 公開  カラー作品    監督 森永健次郎

 大学で保育学を学び保育園で働く 三浦まり子(吉永小百合)と二人の男性を巡る青春映画です。

 この映画の鉄道シーンは冒頭部分に集約されています。先ず車内から撮る 海辺を走るブルートレインのシーンから始まります。
 撮影地は何処でしょうか。その直後のまり子とおばあちゃん(北条民江)の会話から山陽本線 宇部~下関の様です。

 二人は特急さくら号長崎行に乗っていて、次の下関着 8:28 ですから寝台の解体も終わり向かいの席の二人も着替えを済ませています。
 「食事は駅弁に限る」と言う祖母の希望で下関に着くや まり子は駅弁を買いに降ります。まり子が車内へ戻ろうとすると祖母は「駅弁は要らないから酒が欲しい」と勝手な事を言います。

 発車後 まり子は食堂車へお酒を買いに行ったのか、おばあちゃん一人でいる所へ石倉力三(浜田光夫)が乗ってきます。39-1.jpg
向かいの席の二人は下関で降りたのでしょう。
 石倉は下関からヒルネ自由席特急券で乗ってきた様です。車内では口が悪く図々しいので、まり子は嫌がりますが下車後二人は急接近する展開となります。

 その後は走行シーンが無いまま、さくらのヘッドマークを付けた DD51 を先頭に長崎駅に到着するシーンへと続きます。39-2.jpg
当時のダイヤでは 13:06 の到着ですから昼食も食べたいくらいですね。
改札口で母親と弟に再会するまり子背後には DD51 が外れ カニ22ではなく20系ブルートレインと同色に塗られた簡易電源車マヤ20を先頭にした さくら号が映っています。39-3.jpg


 つまりこの編成は 1965年10月から佐世保行が併結されたことにより一年間だけ走った、個室付一等寝台車ナロネ22,一等車ナロ20,食堂車ナシ20が付いていない付属編成なのです。
 一等寝台車ナロネ21こそ付いていますが、本筋である長崎行から本編成を取り上げるとは・・・。さすがに一年後からは元の本編成に改められましたが、不思議な過去であり貴重なカットでもあります。

 特急さくら号は惜しくもこの映画が撮影された前年10月に C60形蒸機から DD51形DLに牽引機が替っています。
 1960年公開の東映々画(大いなる驀進  監督 関川秀雄)のラストに特急さくら号を牽引する蒸気機関車の映像 C61形蒸気機関車ではありますが長崎駅へ到着するシーンを並走させた車両から撮影するという迫力あるシーンがあります。
 





 PS.

 冒頭の走行シーンですが、先頭はオレンジ色の機関車 撮影している車両を含めて映っているのは8両編成。そして架線が無く、非電化路線の様子。
 そうなるとこれは、DD51形DL牽引で長崎本線を走る姿なのでしょうか?。 初夏のこの時期広島 5:13 ~ 徳山 6:47 の山陽本線海沿いを走る区間でも撮影可能だと思いますが・・。

 石倉は下関から乗り込んできましたが、この頃のさくら号は佐世保編成のみ博多~佐世保で一.二等車の自由席特急券が発売されています。
 長崎行の方が終点まで乗る人が多かったのか、博多までに下車する客を佐世保編成に集中して発券した様です。公式には存在しなくとも管理局判断で下関からのヒルネ特急券を発売したのかもしれません。

しかし金は無いけど暇はある石倉は何故 特急さくら号に乗ったのでしょうか?普通なら急行に乗った時代でした。 下関から長崎へ行くのに 6:54発の急行玄海なら長崎着 12:08です。上記の特急さくらは 8:32発で長崎着 13:06。
 映画のスジから走っていたと思われる臨時急行第2玄海なら下関 8:48発で 14:11に長崎着です。更に 8:39発の普通列車に乗り門司で博多行普通に乗り継ぎ、博多から急行西九州に乗り替えても 14:29に長崎に着けます。
 石倉とまり子の出会いの為の場面ですが、時刻表を眺めれば少々不自然な感は否めません。でもこんなに細かく検証すればの話で、突っ込み過ぎかな。 この映画を見ているとこの間 普通の人にはごく自然な流れで描かれています。
 

PageTop

 38、 とべない沈黙

 1966年2月公開  日映新社 製作  ATG配給    監督 黒木和雄

  人や汽車などの手を借りて、各地を移動して行くナガサキアゲハの幼虫から見たオムニバス映画です。

 鉄道シーンは長崎での話にあります。 枝葉の付いたザボンを持った女性が長崎駅で発車間際の急行雲仙へと急ぎ、デッキでザボンを手渡した様に見えます。
 ホームには「急行雲仙 発車します 次の停車駅は諫早です」と放送が響きます。続いて C6025 が豪快にドレーンを切りながら牽引し、長崎駅を発車して行くシーンがあります。38-1.jpg


 上り急行雲仙はこの映画公開時 長崎~鳥栖は DD51 牽引でしたが、この映画は難解な内容からか完成から一年以上経て配給も東宝からATGとなって公開されたそうです。
 ですから撮影は 1964年夏らしく、まだ長崎本線も蒸機牽引の列車が多く残っていました。

急行雲仙は戦後無名急行時代から長崎、佐世保と東京を結び、撮影時は肥前山口から佐世保発の西海号と併結列車となる為僅か5両編成でした。
 その後 1968年10月からは長崎、佐世保と大阪や京都を結ぶ急行列車となりましたが、寝台特急あかつき号の人気に押され 1980年9月末をもって廃止となりました。

 その次に横からの機関車力行シーンがありますが、なぜか C58 の様です。
 車内では大柄な男がザボンの皮を剥き始め、ナガサキアゲハの幼虫の姿を見るや開いている窓から大袈裟な悲鳴と共に放り投げました。

 そしてその幼虫がレールの上を這っていると、C58289 牽引の列車が通過して行きました。しかしその直前、幼虫はレール側面に移動していたのでした。
 2本のレール中央にカメラを設置し、遠くから近付く列車が最後は頭上を通過して行く伝統の撮影方で迫力あるシーンであります。
38-2.jpg





 PS,
 
 急行雲仙の発車シーンで C6025 が牽いているのが 20系ブルトレの様です。7両編成の大型客車の次の最後尾はカニ22電源荷物車の様です。
 つまりこの列車は 15:02 発の東京行急行雲仙ではなく、15:20 発の特急さくら号か?車両、編成数はピッタリ。でもヘッドマークがありません。

 思うに下り特急さくら号長崎到着後の回送引き揚げ列車を撮った映像ではないかな・・・でもこの映画には急行雲仙でないと合いません。
 特急さくら号は撮影翌年の 1965年9月末まで C60 蒸気機関車牽引で長崎本線を走り、DL・EL牽引となり 2005年春まで長崎と東京を結んでいました。

 C58 機関車が登場する場面がありますが、C58は九州では大分区所属で豊肥本線での活躍が主で長崎本線ではこの頃 使用されてなかったのでは?
 特に C58289 機関車はこの頃 佐倉区所属で総武本線、成田線を走っていたのでは・・・

 監督さん 編集段階になってから幼虫の生命力の強さを強調する場面を加えたくなって、急遽手近の路線で追加撮影したのでは?と勘ぐってしまいます。
しかして 構内の端から望遠で追い続けた C6025 の発車シーン。C58289 が迫り来るシーンなどは素晴らしい映像で、監督は並々ならぬ蒸機好きかと推察します。
 

PageTop