日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

 146.昭和やくざ系図 長崎の顔

1969年10月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 野村孝

長崎市の縄張りを巡って強引に勢力を伸ばす新興の松井組に対して、先代の息子 高間慶二(渡哲也)が三代目を継ぎ 奮闘する姿を描く 任侠系映画です。

高岡が暴力事件で服役している間に、新興の松井組に押される一方の高間組。遂に高間が仮釈放となり4年ぶりに長崎へ戻って来る日、今や落ち目の高間組だが全員で出迎える冒頭に鉄道シーンがあります。
映画の冒頭 長崎本線 喜々津~東園のトンネルから DD51内燃機に牽引された 1ㇾ特急さくら号が登場します。
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次位はカニ22ではなく簡易電源車マヤ20の様で、その後ろに 20系ブルートレインが続いています。

左手の美しい大村湾沿いに走る姿は、昔からの有名撮影地ならではと言えますね。この映画公開 3年後には長崎トンネル経由の新線が開通し、優等列車はこの区間を走らなくなったので貴重な映像です。
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この映画のロケ時であれば、特急さくら号の長崎行は基本編成なので次位はカニ22電源荷物車の筈です。故障か検査でマヤ20に替ったか、この映像のみ 1965年10月~1966年9月に撮影されたものなのでしょうか。

長崎駅舎の映像に続いて、
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さくらのヘッドマークを装着した DD51 576(鳥栖区)を先頭にさくら号が長崎駅2番ホームへ入って来ました。左手にもブルートレインの車両が見えますが、先着した新大阪発の特急あかつき号でしょうか。
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ホームに勢揃いした高間組の面々をバックにタイトルが出ます。到着した列車から続々と乗客が降り、最後に3号車後部デッキから高間がスーツ姿で降りて来ました。
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真っ先に近寄るのは、高間の おじき格 平田新吉(嵐寛寿郎)です。斎藤重作(水島道太郎)や弟分の小宮鉄男(郷エイ治)らがにこやかに出迎えています。
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 39、 風車のある街

 1966年6月  日活 配給 公開  カラー作品    監督 森永健次郎

 大学で保育学を学び保育園で働く 三浦まり子(吉永小百合)と二人の男性を巡る青春映画です。

 この映画の鉄道シーンは冒頭部分に集約されています。先ず車内から撮る 海辺を走るブルートレインのシーンから始まります。
 撮影地は何処でしょうか。その直後のまり子とおばあちゃん(北条民江)の会話から山陽本線 宇部~下関の様です。

 二人は特急さくら号長崎行に乗っていて、次の下関着 8:28 ですから寝台の解体も終わり向かいの席の二人も着替えを済ませています。
 「食事は駅弁に限る」と言う祖母の希望で下関に着くや まり子は駅弁を買いに降ります。まり子が車内へ戻ろうとすると祖母は「駅弁は要らないから酒が欲しい」と勝手な事を言います。

 発車後 まり子は食堂車へお酒を買いに行ったのか、おばあちゃん一人でいる所へ石倉力三(浜田光夫)が乗ってきます。39-1.jpg
向かいの席の二人は下関で降りたのでしょう。
 石倉は下関からヒルネ自由席特急券で乗ってきた様です。車内では口が悪く図々しいので、まり子は嫌がりますが下車後二人は急接近する展開となります。

 その後は走行シーンが無いまま、さくらのヘッドマークを付けた DD51 を先頭に長崎駅に到着するシーンへと続きます。39-2.jpg
当時のダイヤでは 13:06 の到着ですから昼食も食べたいくらいですね。
改札口で母親と弟に再会するまり子背後には DD51 が外れ カニ22ではなく20系ブルートレインと同色に塗られた簡易電源車マヤ20を先頭にした さくら号が映っています。39-3.jpg


 つまりこの編成は 1965年10月から佐世保行が併結されたことにより一年間だけ走った、個室付一等寝台車ナロネ22,一等車ナロ20,食堂車ナシ20が付いていない付属編成なのです。
 一等寝台車ナロネ21こそ付いていますが、本筋である長崎行から本編成を取り上げるとは・・・。さすがに一年後からは元の本編成に改められましたが、不思議な過去であり貴重なカットでもあります。

 特急さくら号は惜しくもこの映画が撮影された前年10月に C60形蒸機から DD51形DLに牽引機が替っています。
 1960年公開の東映々画(大いなる驀進  監督 関川秀雄)のラストに特急さくら号を牽引する蒸気機関車の映像 C61形蒸気機関車ではありますが長崎駅へ到着するシーンを並走させた車両から撮影するという迫力あるシーンがあります。
 





 PS.

 冒頭の走行シーンですが、先頭はオレンジ色の機関車 撮影している車両を含めて映っているのは8両編成。そして架線が無く、非電化路線の様子。
 そうなるとこれは、DD51形DL牽引で長崎本線を走る姿なのでしょうか?。 初夏のこの時期広島 5:13 ~ 徳山 6:47 の山陽本線海沿いを走る区間でも撮影可能だと思いますが・・。

 石倉は下関から乗り込んできましたが、この頃のさくら号は佐世保編成のみ博多~佐世保で一.二等車の自由席特急券が発売されています。
 長崎行の方が終点まで乗る人が多かったのか、博多までに下車する客を佐世保編成に集中して発券した様です。公式には存在しなくとも管理局判断で下関からのヒルネ特急券を発売したのかもしれません。

しかし金は無いけど暇はある石倉は何故 特急さくら号に乗ったのでしょうか?普通なら急行に乗った時代でした。 下関から長崎へ行くのに 6:54発の急行玄海なら長崎着 12:08です。上記の特急さくらは 8:32発で長崎着 13:06。
 映画のスジから走っていたと思われる臨時急行第2玄海なら下関 8:48発で 14:11に長崎着です。更に 8:39発の普通列車に乗り門司で博多行普通に乗り継ぎ、博多から急行西九州に乗り替えても 14:29に長崎に着けます。
 石倉とまり子の出会いの為の場面ですが、時刻表を眺めれば少々不自然な感は否めません。でもこんなに細かく検証すればの話で、突っ込み過ぎかな。 この映画を見ているとこの間 普通の人にはごく自然な流れで描かれています。
 

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 38、 とべない沈黙

 1966年2月公開  日映新社 製作  ATG配給    監督 黒木和雄

  人や汽車などの手を借りて、各地を移動して行くナガサキアゲハの幼虫から見たオムニバス映画です。

 鉄道シーンは長崎での話にあります。 枝葉の付いたザボンを持った女性が長崎駅で発車間際の急行雲仙へと急ぎ、デッキでザボンを手渡した様に見えます。
 ホームには「急行雲仙 発車します 次の停車駅は諫早です」と放送が響きます。続いて C6025 が豪快にドレーンを切りながら牽引し、長崎駅を発車して行くシーンがあります。38-1.jpg


 上り急行雲仙はこの映画公開時 長崎~鳥栖は DD51 牽引でしたが、この映画は難解な内容からか完成から一年以上経て配給も東宝からATGとなって公開されたそうです。
 ですから撮影は 1964年夏らしく、まだ長崎本線も蒸機牽引の列車が多く残っていました。

急行雲仙は戦後無名急行時代から長崎、佐世保と東京を結び、撮影時は肥前山口から佐世保発の西海号と併結列車となる為僅か5両編成でした。
 その後 1968年10月からは長崎、佐世保と大阪や京都を結ぶ急行列車となりましたが、寝台特急あかつき号の人気に押され 1980年9月末をもって廃止となりました。

 その次に横からの機関車力行シーンがありますが、なぜか C58 の様です。
 車内では大柄な男がザボンの皮を剥き始め、ナガサキアゲハの幼虫の姿を見るや開いている窓から大袈裟な悲鳴と共に放り投げました。

 そしてその幼虫がレールの上を這っていると、C58289 牽引の列車が通過して行きました。しかしその直前、幼虫はレール側面に移動していたのでした。
 2本のレール中央にカメラを設置し、遠くから近付く列車が最後は頭上を通過して行く伝統の撮影方で迫力あるシーンであります。
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 PS,
 
 急行雲仙の発車シーンで C6025 が牽いているのが 20系ブルトレの様です。7両編成の大型客車の次の最後尾はカニ22電源荷物車の様です。
 つまりこの列車は 15:02 発の東京行急行雲仙ではなく、15:20 発の特急さくら号か?車両、編成数はピッタリ。でもヘッドマークがありません。

 思うに下り特急さくら号長崎到着後の回送引き揚げ列車を撮った映像ではないかな・・・でもこの映画には急行雲仙でないと合いません。
 特急さくら号は撮影翌年の 1965年9月末まで C60 蒸気機関車牽引で長崎本線を走り、DL・EL牽引となり 2005年春まで長崎と東京を結んでいました。

 C58 機関車が登場する場面がありますが、C58は九州では大分区所属で豊肥本線での活躍が主で長崎本線ではこの頃 使用されてなかったのでは?
 特に C58289 機関車はこの頃 佐倉区所属で総武本線、成田線を走っていたのでは・・・

 監督さん 編集段階になってから幼虫の生命力の強さを強調する場面を加えたくなって、急遽手近の路線で追加撮影したのでは?と勘ぐってしまいます。
しかして 構内の端から望遠で追い続けた C6025 の発車シーン。C58289 が迫り来るシーンなどは素晴らしい映像で、監督は並々ならぬ蒸機好きかと推察します。
 

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