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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

349.新しい背広

1957年8月 東宝製作公開   監督 筧正典

両親を戦災で亡くし 設計事務所で働く齋藤隆太郎(小林桂樹)は 同僚女性と結婚を望むが、結婚退職の社内規則と 大学進学を望む弟の件で 悩む姿を描いた青春ホームドラマです。

冒頭 荒天の京王帝都電鉄 井の頭線 池ノ上駅へ
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到着した電車から 傘を持たない齋藤が降りて、車内の女性に手を振り 改札口へ走るのでした。
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翌朝 1900形らしき3連が池ノ上駅に到着し
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齋藤の恋人 吉崎綾子(八千草薫)が、前日借りた傘と 背広の生地を抱えて降りてきました。齋藤の下宿先へ行くと 既に出勤後なので、弟泰助(久保明)に渡しました。

土曜日なので昼に退勤し 四ツ谷駅前を歩く二人の背後には、都電11系統の電車と 聖イグナチオ教会の聖堂が映っています。
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続いて 井の頭線 1900形の走行シーンに続いて
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先頭車 1901での車内シーンが有り、齋藤の袖の擦り切れた背広を見た綾子が「今朝 下宿へ寄って 背広の生地を預けて来た」と言って背広を新調する様勧めます。
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そして「明日井の頭の駅で10:00で」と約束を確認して、池ノ上駅で 齋藤は先に降車します。

その後 井の頭線高井戸駅で到着した 吉祥寺行電車から、
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背広生地を抱えた斎藤が降り 構内踏切を渡って改札口へ向かいます。弟の大学進学の為倹約し、背広の新調を諦めたのでした。

綾子の家で再会した齋藤は、背広を断り 駅までの帰り道で求婚します。「弟の大学卒業まで4年待ってくれ」と願い、綾子に同意してもらいます。高井戸駅で
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明日は相模湖へ婚約旅行に出掛ける約束をして、朗らかな綾子の見送りを受ける齋藤です。
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池ノ上駅で 1760形らしきから降りて来た齋藤は
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帰宅後 泰助に向かって「大学に行け」と話しますが、叔父さん(北沢彪)宅で諭された泰助は アルバイトして夜学へ通うと 齋藤の申出を断りました。
翌朝 晴々とした気分の兄弟の前に 齋藤に進呈する亡父の背広と サンドウィッチ籠を持った綾子が現れ、家の前の井の頭線を 明るい1800形らしき3連が走り抜けて行く姿に続いて エンドマークとなります。
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PS.
  本作はプログラムピクチャー的短編で 青春映画らしき内容なれど、ラブシーンはおろか 手も繋がない二人を 描いています。また 全て善人ばかりが登場し、悪役や強面人は 一切出てきません。
  それ故 文部省特選で 母の会・主婦連合会も推薦の、教育上好ましい映画なのでしょう。 今 小生の様な 年代者が観ると ほっこり心温まる作品で、何より1957年当時の 京王帝都電鉄 井の頭線が随所に現れ 満足度が高い作品です。

  京王帝都電鉄全面協力で 撮影されたと思われますが、冒頭の荒天での 池ノ上駅場面のロケは 終電後に大勢のエキストラとロケ用電車を使い ポンプで大雨を降らし 風を送って撮影したのでしょう。
  でも全面協力に対し 当時最新型の1900形がやたらと登場します。当時は戦前からの使用車を含めて 旧型車両が多数在籍していましたが、京王帝都としては PRも兼ねているので 極力1900形を映してほしかったのでしょう。

  斎藤は 池ノ上駅近くに住んでいる設定ですが、最後の画像を見ると 車輛の後方に遠く見えるのが 旧高井戸駅の様にも思えます。
  また綾子の家の有る高井戸駅は、拙ブログでも(31.宇宙人東京に現わる)(49.結婚の條件))(61.女妖)(334.ファンキーハットの快男児)など度々 旧駅舎でロケが行われていました。

  当時の男性は勤務時は勿論、休日のデートにも背広で出かけていたんですね。そう言えば第一回ハワイツアーの集合写真を見た時、男性は全員背広だった様な記憶が有ります。

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232. 祈るひと

1959年2月 日活 製作 公開   監督 滝沢英輔

冷ややかな空気漂う家庭に育ち 父 三沢恭平(下元勉)の早死もあって 暖かい結婚生活に憧れる曉子(芦川いづみ)が、自立して生きる道を模索する過程を描く映画です。

冒頭 少女期の回想場面の後、京王帝都電鉄 井の頭線 1000形らしきの走行シーンがあります。
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続いて車内で考え込む曉子が映り、永福町駅ホームが映って下車した様です。
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未だ待避線が無い時代で、ホームには木造の駅名板が建っています。背後には空襲で焼かれ、木造で復旧したと思える車庫とホーム屋根が映っています。

その後 曉子は公務員の蓮池弘志(小高雄二)と見合いし、銀座の喫茶店に移動します。その際 旧塗装時代の 6000形が映って、場所が銀座であると示唆しています。
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その日は余りに自己チューな蓮池に呆れる曉子ですが、帰路の電車内で去年の暮の回想場面が入ります。友人の赤木・佐々木と映画を観る約束で、待ち合わせの新宿駅の改札口で待っていました。

すると母 三沢吉枝(月丘夢路)と知り合いの庫木申一郎(金子信雄)が、連れだって改札口を通って行く姿を見てしまい 思わずホームまで後を付けて行きます。
ホームの売店で吉枝は新聞を買っています。その背後ではDD11形らしきDLとC12形らしきSLが停車して、C12 から蒸気が上がっています。
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吉枝は反対側に停車している準急列車の二等車に乗る庫木に、「あなた これ」と言って新聞を渡します。それを階段際から見ていた曉子は、「あなた」と母親が発した言葉にショックを受けたのでした。
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それから蓮池が一方的に告げたデート予定をスッポカし、見合い話を断った曉子でした。次に 朝の井の頭線 下北沢駅2番線に 1000形電車が進入して来る場面があります。
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先頭車両から曉子が下車し 小田急電鉄 上りホームへ向かう階段を降りようとした時、突然 蓮池が現れ「ちょっと」と言って曉子の腕を掴んで呼び止めます。
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曉子は「失礼な人ね」と睨みますが、蓮池は「 ヤッパリ君に会いたくなった」と言って同行を求め 何故か小田急下り線ホームへの乗り換え階段へ向かいます。
蓮池は競馬場へ連れて行ってハシャイでみせたりして 意外に明るい一面を見せるので、あらためて暫く付き合うことにする曉子でした。

終盤 井の頭線 1800形らしき電車が夕暮れの中 走行するシーンがあります。
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セットらしき車内では、佐々木の婚約者 村上理津子(坂口美奈子)と曉子が並んで座っています。
そして理津子から女性の生き方についての持論を聞き、同感する曉子です。永福町で下車後 車庫の脇道を歩きながら、蓮池の件を最終的に断り 家を出て自立した生き方を決意するのでした。
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PS.

この映画は過去の回想シーンがやたらと多く、話がしょっちゅう前後して気の抜けない映画です。

京王帝都電鉄 井の頭線が緑一色で、旧型車もゴロゴロいた時代の作品です。下北沢の駅も小田急が地下化されて大きく変わっていますね。

中盤 新宿駅ホームで母親の秘密を見てしまった場面での、DL+SLは東京区の DD11と飯田町区の C12が入換作業中なのでしょうか。
反対側で庫木が乗車した準急列車は、定期列車とすると 22:45発 409ㇾ準急アルプス 長野行が唯一です。曉子の方は仕事帰りの待ち合わせなので、午後6~7時でしょうから現実的ではないですね。
ロケ当時の中央本線 新宿口は 特急・急行列車がゼロで、準急列車が定期3本・臨時1本と 現在とは隔世の感があります。


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31. 宇宙人東京に現わる

 1956年1月  大映 配給 公開  カラー作品    監督 島耕二

 宇宙の彼方からやって来たパイラ星人と日本の科学者が共同で地球の危機を脱する日本初のカラーSF特撮映画です。

 冒頭 京王帝都電鉄 井の頭線 高井戸駅にデハ1900形の1910を先頭とする渋谷行が到着します。
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当時デハ1900  形 は登場2年の新型で1984年迄走っていました。
 駅名は新町と架空名ですが、帝都電鉄時代の様子と思しき質素な駅舎です。築堤上に駅は有り、見渡せる両方向共田園が広がり家は駅近くだけで現在とは隔世の感があります。
 今の環八通りに当る道が有るが巾3m程しかなく、立体交差しているのでかろうじてそれと分かります。
 この駅で撮影された映画はその後( 1960年大映公開の「女妖」監督 三隅研次)や(1963年日活公開の「結婚の條件」監督 斎藤武市)などがあり、昔の姿を伝えています。

 日光中禅寺湖で記憶喪失の女 天野銀子(苅田とよみ)を助け上げた磯辺徹(川崎敬三)たちは C58 牽引の列車で帰路につきます。
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続いてはセット撮影らしき2等車内でのシーンです。
 当時 未電化の日光線での場面らしいが2等車に乗っているので、上野直通の快速列車なのでしょう。
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しかし当時日光線では D51 が担当しているので、成田線辺りでの撮影でしょうか。

 新天体Rの衝突という地球の危機が近付いた時、サイレンが鳴り響き C11 牽引の列車が
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停止しきれない内から続々と乗客がデッキから窓から飛び降りるシーンもあります。
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 でもこれは空襲の危機が迫った時の場面の様で、(1962年松竹公開の「秋津温泉」監督 吉田喜重)のなかに相応しいシーンがあります。
 

 

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