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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

324.終電車の死美人

1955年6月 東映 製作 公開   監督 小林恒夫

終電車内で起こった強盗殺人事件の捜査過程を描いた、「警視庁物語」シリーズの出発点とも言える 刑事ものサスペンス映画です。

身元捜査で現れた恋人が 使い込んだ会社の金の穴埋の為 被害女性が作った金を、横取りする計画で起こった事件と踏んで 捜査する刑事たちの活躍を ドキュメンタリータッチで描いています。

冒頭のタイトルクレジットのバックで、雨の中 終電間近の薄暗い有楽町駅へ 急ぐ人々が映るシーンから事件を予感させています。

途中省略で 東京駅発29Aレ三鷹行終電車は、雨が降りつける中 そこそこの乗車率で坦々と走り吉祥寺駅へ到着します。
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ここで大半の乗客は降車し、最前部の車内は二人だけのガラガラとなりました。
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次の終点三鷹へ向けて発車すると、
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一人の男が 最前部の車輛へと移動して来ました。
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端に座る大工は寝込んでいます。男が中ほどに座る女性の所へ来ると、終電車は三鷹駅構内へ入り ゆっくりと停車します。
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ドアが開くと男は、改札口とは反対方向へ 歩いて行きました。
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車内点検に来た車掌が 殺されている女性を発見し
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警察へ通報すると、直ちに殺人事件担当の 捜査一課の面々が出動して三鷹駅へと向かいます。
真夜中の三鷹駅前に 一行が到着すると、所轄の三鷹警察署員や 国鉄駅員に案内されて 事件車輛が移動されている三鷹電車区へと向かいます。
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現場検証では ハンドバックが奪われた様で、有楽町から三鷹行 №3003の切符と 恋人らしき写真の入ったロケットだけが 身元に繋がりそうな所持品でした。
写真の公開から被害者の恋人 丸山守夫(朝比奈浩)が判明し、自分が使い込みした金の穴埋と 結婚資金にしようと 婚約者の湯浅とし子(大谷怜子)が不動産を売って 作ろうとした金だと分かりました。








PS.
  有楽町駅の出札口付近が映る頃 時計は 0:50 改札口を入って発車ベルが流れる時 時計は0:52で人々は急いで階段を上がって行きます。
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  あたかも有楽町発 三鷹行電車の様に 構内放送や走行映像が映る 29A電車ですが、当時の時刻表では 有楽町 0:54 ―(京浜線上り終電)― 0:56 東京 0:58 ―(中央本線下り終電)― 1:41 三鷹と 東京駅で乗換えたのが実態です。

三鷹行終電車から吉祥寺で 殆どの乗客が下車するとは、当時は未だ三鷹駅の乗降客が 今ほど多くはなかったのでしょうか。(元々住人が少なかったのか 信号場として開設され、1930年に駅として開業しました)

  作中のロケットとは ロケットペンダントのことで、当時はここに 恋人の写真を入れて 所持することが 流行りだった様です。その他 犯人を5尺5・6寸とか、円タクで帰ったとか 若い人には意味不明な言葉が出てきます。

  池袋の周旋屋 早川時次郎(東野英治郎)は有楽町駅で 22時頃三鷹までの切符二枚(№3003と3004)を買い、一枚を湯浅とし子に渡して もう一枚で 終電近くに新宿駅東口から出たことが 新宿駅で依頼した 回収切符の調査で判明しました。
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  新宿駅構内でも ロケが行われていて、界隈の映画館広告は 小生も見覚えがあります。
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構内の喫茶店で腹ごしらえした 長谷川部長刑事(堀雄二)は、女給(中原ひとみ)から 事件当夜 店内で何かの取引で とし子らしき女が 50万円程の札束を受け取っていた との情報を聞きます。
  当時は五千円札(1957年10月発行)も一万円札(1958年12月発行)も無く、千円札が最高額紙幣なので凄い札束だった様です。
本作では 三鷹や
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池袋での街頭ロケシーンが多数あり、再開発中の池袋東口では 西武百貨店の隣に東京丸物百貨店が建設中ですが、西口に建つ東横百貨店から 一歩裏道に入ると泥道ばかりです。
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前年に開業したばかりの 帝都高速度交通営団 丸ノ内線(池袋~御茶ノ水)池袋駅入口が有り、三越池袋店も建設中です。

 

  

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322.浮雲

1955年1月 東宝 製作 公開   監督 成瀬己喜男

戦争に翻弄された男女が 共に転落してゆく姿と、腐れ縁ながら 互いに依存する様子を 淡々と描いた恋愛映画です。

戦時中 富岡兼吾(森雅之)は 農林省技官として働いていた仏印で、タイピストとして赴任してきた 幸田ゆき子(高峰秀子)と恋仲となり、帰国したら妻と別れて 結婚する約束をします。
ところが敗戦で帰国すると 母親と共に待っていた妻への愛情が再燃し、遅れて帰国した ゆき子が訪ねても つれない返事で喧嘩別れします。

孤立無援でバラックに暮らすゆき子に、ある日富岡から呼び出しがあります。待ち合わせの 中央本線千駄ヶ谷駅前に 先に着いた富岡の背後で、72系らしき国鉄下り電車が出発して行きます。
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失業中の富岡は、くたびれた靴と鞄の出で立ちで 昔の輝きは有りません。ゆき子が来ると「あんな別れ方をしたからね」などと言って歩くや、
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「どこか遠くへ行こうか」と呟き 伊香保温泉へ向かいます。


その後 またも喧嘩別れした後 妊娠が判明したゆき子は、話を付けようと富岡の家を訪ねると 既に家を引き払っていました。住んでいる人に転居先を聞いて、とある駅近くの アパートを目指します。
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ところがそこは 富岡が伊香保温泉で手を出した飲み屋の女将 おせい(岡田茉莉子)が、後を追って家出し 東京で住んでいる アパートでした。そこへ富岡が転がり込んで、住み付いていたのでした。

帰って来た富岡と喫茶店で話した帰り道 西武鉄道池袋線と山手線が交差する付近を 二人が歩く場面があります。西武鉄道351系4連電車が 夕暮れの中通過して行きます。
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富岡との関係を諦めたゆき子が「奥さんは胸が悪いの」と聞く時には、背後を311系電車らしきが通ります。
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それから おせいは追いかけて来た夫の 向井清吉(加東大介)に殺害されますが、富岡は行きつけの 中華屋の女にまで手を出す始末でした。

その後 新興宗教の 教祖となって羽振りの良い 姉の夫の弟 伊庭杉夫(山形勲)の金庫番となったゆき子は、病死した妻の葬式代を 借りに来た富岡に二万円を都合付けてあげます。
ある日ゆき子は 五十万円を持ち出し、温泉旅館に富岡を呼び出しました。そして屋久島で 農林省の仕事が決まった富岡に、連れて行ってと 懇願するのでした。

そして追いかける伊庭の手が 富岡のアパートまで迫ったので、富岡とゆき子は 急遽予定を繰り上げて 夜行列車で出掛けました。車内では漸く夢が実現して、幸せそうなゆき子です。
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続いて翌朝の姿でしょうか、牽引機が電機から 大型蒸機の替わっています。
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3輌目と4輌目の間の デッキでは、大人だけでなく子供も半分しゃがんで 沿線を眺めていますね。
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長い道中なので 寝ている富岡の隣で、ゆき子が蜜柑らしきを 食べてるシーンもあります。
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PS.
  歴代日本映画の名作投票をすると、必ずベスト5に入る名作映画です。女癖が悪い富岡に 粘り強い愛情を示すゆき子は、度々別れては よりを戻す 相互依存関係の二人ですね。

  最初の画像は 空襲で焼失した駅舎をバラック建てで仮復旧した 千駄ヶ谷駅舎が映っています。本作公開の翌年には、3代目の駅舎に建て替えられています。

  ゆき子が富岡の 転居先を探す場面で 立体交差する陸橋は 東京台東区言問通りの寛永寺橋と考えていましたが、グズグズ様からコメントが寄せられ 山手線の渋谷~恵比寿にある猿楽橋だそうです。映っている蒸機は、入替作業中の品川区の2120形と思われます。

  夕暮れの 山手線池袋~目白で 西武鉄道351系が交差する場面は、2012年1月30日発売の雑誌『アエラ』でも取り上げられていますね。(※1946年末頃の時代設定なのに、1954年製の351系は有り得ない)

  追いすがる伊庭から逃げる様に遠路はるばる屋久島へ向かう二人ですが、いつもの様に鹿児島までの旅程を妄想してみます。
  1948年に屋久島へ赴任したとすると 東京 19:00 ―(5レ急行門司行)― 20:10 門司 20:30 ―(101レ普通鹿児島行)― 8:54 鹿児島【二晩夜行で所要37時間54分】

  それが撮影当時の1954年10月ですと、東京 21:00 ―(39レ急行筑紫号)― 5:48 鹿児島【二晩夜行で所要32時間48分】乗り換えなしの全て急行運転の直通列車なので5時間程短くなっています。

  余談ですが車内シーンは全てセット撮影で、仏印は勿論のこと、屋久島でのロケも無いそうです。

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293.黒い画集 ある遭難

1961年6月 東京映画 製作 東宝 配給 公開   監督 杉江敏男

山で遭難死した岩瀬秀雄(児玉清)の姉真佐子(香川京子)が 弟の死に疑問を感じ、従兄の槙田二郎(土屋義男)に江田昌利(伊藤久哉)と 慰霊登山に同行調査を頼んで 遭難の真相に迫るサスペンス映画です。

遭難した3人のパーティでは初心者の浦橋吾一(和田孝)が遭難の詳細を書いた 追悼文が雑誌「岳人」に載り、前半はこの文をなぞる様に 浦橋の回想で遭難に至る過程が映ります。
その途中で寝静まった2等寝台車の通路を 巡回する列車給仕が映ります。
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そして3段式寝台中段左右に岩瀬と浦橋が横になりながら酒を飲み、下段の江田が「混雑を避けて睡眠をとる、全て初心者の君の為だ」と浦橋に告げます。
その後皆より先に寝た浦橋が 夜中に目が覚めてトイレに行くと、
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デッキで岩瀬がタバコを吸っていました。「酔ったので風に当たっているんだ」と言いますが、江田から知られたくない秘密を仄めかされたからでした。

真佐子から調査を依頼された登山家の槙田は 当初申出を一笑に付しますが、追悼文を読むと了承して 初冬に江田と共に鹿島槍を目指すことになりました。
新宿駅下り甲府・長野方面の長距離列車ホームに、
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22:45発準急穂高3号 長野行列車が発車を待っています。

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2等車の席取りの為先に来た槙田が、窓を開け顔を出して 江田を呼んで案内します。
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既に混み合っている車内へ入り窓側の席へ呼ばれると、
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座席には例の追悼文が掲載された「岳人」が置いてありました。やがて出発するとウイスキーを飲み交わしながら、槙田は「秀夫は寝台車に乗せて頂いたそうで」と礼を言いつつ江田を持ち上げてます。
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夜半に江田が目を覚ますと、向かい席の槙田がいません。網棚のリュックは有り、括られた生花が揺れています。江田は不安を感じてか、前方の寝台車の方へ行ってみます。
2等寝室と書かれた扉を開けると
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3段寝台の通路に槙田が立っており、江田の登場を予見していたかの様に「秀夫のやつ楽だったでしょうに 心遣いをして頂いたのにだらしのないヤツだ」と呟いています。
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その後 409レ準急穂高3号は早朝 4:57着の松本で下車し 5:08大糸線始発1レに乗り換えて 6:12信濃大町に到着し、大谷原までバスに乗り そこから鹿島槍を目指して登るのでした。 (現在では信濃大町駅~大谷原登山口の路線バスはありません)







PS.
 中央本線下り新宿22:45発 準急長野行(松本~長野は普通列車)の列車は、準急アルプス号時代から 寝台車とロ座が連結されていました。本作公開の前年1960年4月下旬より準急穂高3号と改称されています。
 当初は並ロ座だけの優等車が1956年11月よりナハネ10形寝台車が加えられ、1958年2月より車体中央にデッキを設けた 独特な形のナロハネ10形2等・3等合造寝台車へと変更されました。(1960年7月より 1等・2等合造寝台車)

 1枚目と最後の画像から留置中のナロハネ10に暗幕を掛けて ロケが行われた様です。
 何れにしろ給仕が巡回する寝静まった寝台で、酒盛りし談笑する様子は 寝台車と山男の印象を悪くしますね。

 6~8枚目の画像はエキストラを入れてのロケかセット撮影の様に見えます。走行中の場面では風を送って花を揺らしていますが、離れた席のリュックから垂れた紐は揺れていません。
 また準急穂高3号の3号車ナハ10形普通車に乗車したなら 江田が寝台車である1号車へ行くには2号車オロ36形1等車を通り抜ける必要があり、作中の様にチョット気軽に隣の車輌へといった 行動はとれないと思われます。

 寝台車の付いた中央本線夜行準急客車列車は その後 穂高・上高地と名称変更され、更に1966年3月より急行列車となりましたが 1968年のヨンサントウで消滅となりました。

本作は1960年8月17日~9月1日に前半の夏山現地ロケを行い 翌年3月24日~4月11日に天候に悩まされる早春現地ロケを 寒さと闘いながら行い、1961年の夏山シーズン直前に 迫力ある本格的山岳映画の公開に至ったそうです。

 


 


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286.黒い樹海

1960年12月 大映製作公開   監督 原田治夫

東北へ向かった姉が何故か浜松で事故死し 死因に疑問を感じた妹の笠原祥子(叶順子)が、週刊誌記者の吉井正己(藤巻潤)協力の元 死の真相に迫るサスペンス映画です。

姉がバス事故死した時に同乗していた斎藤常子(山川愛子)に会いに山梨県の波高島の実家まで行った祥子は、姉の同行者を割り出す首実検の為 上京してもらい新宿駅で待ち合わせする約束を交わします。
ところが約束の日 祥子と吉井は白馬号に乗って来る常子を新宿駅で出迎えますが、
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予定通り白馬号は到着したのに常子は現れません。
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もしやと広い新宿駅の南口・西口・東口を二人で捜しまわり、更に構内放送をしてもらいますが会うことができません。
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その後 殺された常子の遺体が南武線矢野口駅近くで発見され、警察で聞いてみると立川で途中下車した切符が見つかったそうです。
祥子が常子の実家から帰宅した時、吉井に常子が明後日 白馬号で来ると話しました。それをアパートの管理人が聞いて犯人に通報したので、先回りされ立川駅で降ろされて矢野口で殺されたと祥子達は推理しました。

立川駅ホームで祥子と吉井は、ベンチで列車を待ちながら相談します。
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「犯人は我々の動きに感付いている様だ」と吉井が言い、祥子は自分と同じブローチをお守りに着ける様に渡します。
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二人の背後には8620形らしき蒸機が停車しています。貨車の入換作業を担っている八王子区のカマでしょうか。
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列車が来たのでデッキから車内へ入ると、祥子達が臭いと疑う画家の鶴巻莞造が座っています。
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祥子が声を掛けると「珍しい所で会うもんだね」と、慌てた様子で応えています。
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PS.
 
 バス事故での目撃者 常子が上京した過程は、身延線 波高島駅を 12:10発 623レに乗り 13:16に甲府着 13:49発の新宿行 408レ準急白馬号に乗り換え 15:56立川で降ろされたと思われます。
 本来は 16:30着の終点新宿まで乗り、祥子と会う約束でした。

 ホームで白馬号のサボを架けたオハフ61形客車の前で祥子達は常子に会えなく慌てますが、準急白馬号は 1960年4月には既にDC化されていますのでこれは実在の姿ではないと思われます。
 またオハフ61は背ずりが板張りでシートピッチも狭く、限りなく普通列車用の客車でした。PC列車時代でもさすがにこの車輛を、準急白馬号には使わなかったと思います。

 立川駅と思われるホームにいる 8620形らしき蒸機は八王子機関区所属で、立川や国分寺などの中央線貨物取扱各駅で入換仕業を担っていたそうです。
 

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205.銀座の恋の物語

1962年3月 日活製作公開  カラー作品   監督 蔵原惟繕

映画公開の前年に大ヒットした歌謡曲(銀座の恋の物語)をモチーフとして、新進画家 伴次郎(石原裕次郎)と洋裁店のお針子 秋山久子(浅丘ルリ子)が困難な出来事を曲と愛情の力で乗り越えてゆく青春映画です。

理想を追い掛け なかなか芽の出ない画家の伴は、音楽家として世に出る夢を追う宮本修二(ジェリー藤尾)と安アパートの部屋をシェアして住んでいました。
その二人が詐欺被害に遭い 数寄屋橋から日劇方向を高い位置から見ながらお互いの夢を再確認して語るシーンでは、晴海通りと交差する国鉄の高架線上を横須賀線70系電車や黄色い山手線101系電車が走ります。
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このロケ地は 1959年東京高速道路が日本で初めて 土橋 → 城辺橋(一方通行)に開通した城辺橋出口手前の高速道路脇と思われます。

久子の願いを受け入れ現代美術社への入社を決意した伴は二人の新しい生活を始めるにあたって、「故郷の信州へ行ってオフクロに会ってくれ」と告げ新宿駅で待ち合わせることにします。
ところが銀座屋主任 須藤女史(新井麗子)から服の締め切りが明日になったので 今日中に仕上げてほしいと久子は依頼され、待ち合わせまで時間が無いのに急いで仕上げてから銀座屋を出ます。

その頃新宿駅3番ホームへ着いた伴は、長野行列車に沿って久子を捜しますが見つかりません。
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そこへ「まもなく3番線から20:30発 普通急行長野行が発車します」と放送が流れます。
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久子はタクシーで新宿駅へ向かいますが渋滞にハマり、運転手に「どこでも省線の近くで降ろして」と告げます。そしてタクシーを降りた久子が駅へ向かって走る頃 新宿駅ではベルが鳴り始めます。
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漸く千駄ヶ谷らしき駅の改札口前の信号が青になり走り出した久子は、
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横合いから走ってきたトラックに轢かれたかの様に悲鳴が上がります。
丁度その時 新宿駅3番ホームから汽笛と共に長野行 急行列車が発車して行き、
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伴は車内を見つつ 最後部の赤いテールランプを一人で呆然と見送るだけでした。
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この 20:30 発の長野行 普通急行列車は存在せず、架空列車です。この当時 中央本線では急行列車はDC化されていて、旧客列車は準急以下で使われていました。
客車には準急札も付いていないので、23:45 発 437ㇾ普通 長野行を使ってロケが行われた可能性があります。登山客に愛された列車で、ゆっくり走って終点長野には 10:41着でした。
または裕次郎登場ロケの混乱を考えれば、エキストラを動員して新宿 4:39着の普通 438ㇾ列車の回送列車を使ってロケが行われた可能性もあります。

その後行方不明の久子を捜しつつ ある日銀座松屋の屋上で仕事の打ち合わせをしていた伴は、銀座中央道りを歩く久子らしき髪形の女性を見掛け 地上まで駆け下り 追い掛けます。
裏口から出て松屋通りから4番系統の都電が走る中央通りへ出た所で、その女性に追いつき腕を掴むと振り返った顔は全くの別人でした。背後には1番系統らしき都電6000形電車が停まっています。
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当時 銀座中央通りには、都電1・4・22・40番と4系統の路線が走っていました。しかし渋滞の原因とされ、1967年12月9日をもって銀座中央通りから消えてしまいました。


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199. 眼の壁

1958年10月 松竹 製作 公開   監督 大庭秀雄

昭和電業 社員の萩崎竜雄(佐田啓二)が上司を自殺に追い込んだ手形詐欺事件の黒幕を、友人の東毎新聞記者 田村満吉(高野真二)と追い掛けるサスペンス ミステリー映画です。

序盤 会社幹部から金策を依頼された会計課長 関野徳一郎(織田政雄)は手形詐欺に遭い、失意のうちに東海道本線 根府川橋梁の袂からEF58形電機牽引の上り列車へ飛び込み自殺してしまいます。
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萩崎は関野から事の顚末を書いた最後の手紙を受け取ると、会社幹部が世間体から泣き寝入りを決めたことから 休暇を取って一人 関野の敵討ちをすべく手形詐欺の犯人捜しを始めます。

先ず 実行犯を関野に紹介した山杉商事の上崎絵津子(鳳八千代)の行動を探るべく、
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総武本線 御茶ノ水~秋葉原に架かる 松住町架道橋を潜る外堀通り沿いの山杉商事を見張れる喫茶店に入ります。
窓際の席に座ると、眼下の外堀通りを都電 13番(水天宮前~新宿駅前)の 4000形と8000形がすれ違っています。この辺りは都電 19番(王子駅前~通り三丁目)も走っています。
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中盤 萩崎と田村を先頭とした記者達で黒幕を追う中 田村が広告部の永井章子(朝丘雪路)と結婚し、式の後 東京駅から新婚旅行に出発するべく同僚から見送りを受けています。
そこへ階段を駆け上がって、
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田村の部下が警察発表のニュースを知らせに来ました。発車して暫くすると、デッキから萩崎が旅行鞄を持って現れ 名古屋へ向かうのだと言います。
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会社の顧問弁護士の部下を射殺した犯人であるバーテンダーの山本一夫(渡辺文雄)が空路 名古屋へ飛び、22時10分発の列車に乗り継げるかを気にしていたという情報を萩崎は掴んで来たのです。
そして時刻表で名古屋駅 22:10発の列車は中央本線 下り瑞浪行 627ㇾが該当し「春日井・神領までは時間的にこの列車を使うまでもないので、高蔵寺~瑞浪の何れかの駅で降りたと思う」と推理します。

ところが時刻表では 1950年10月よりこの瑞浪行列車が各停の終列車であり、この列車の後は定期では名古屋 22:40発 準急長野行 807ㇾ・不定期では 23:35発 準急長野行 1809ㇾが在るのみです。
停車駅は共に千種・小曾根・多治見・中津川・・・であり 作中では神領行の終列車が有るかの様な萩崎の発言ですが、627ㇾを逃がすと春日井・神領へはもう行けず タクシーでも使うしかないのです。

伊東行の湘南電車が熱海駅へ近付くと 田村が犯人を追いたいのを察した新妻 章子は、岐阜の叔母の所へ一人で行くと言い出し 三人は夜行列車に乗り換えます。急行では到着が早すぎるので鈍行で行ったのでしょう。
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そして名古屋駅に到着すると萩崎と田村は降車して、5号車デッキから手を振る章子を見送るのでした。
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推測すると東京 20:51-(721ㇾ)-22:55 熱海 0:08-(129ㇾ)-5:29 名古屋 5:40 - 6:21 岐阜  

名古屋支局を基点に田村と手分けして、萩崎は中央本線 高蔵寺~瑞浪での山本の足取を各駅で追い掛けます。渓谷沿いを走るD51形蒸機牽引列車の姿は、古虎渓駅 付近でしょうか。
多治見駅構内には、キハ17形らしき気動車が多数留置されています。
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中央本線 名古屋口の短距離列車や太多線・越美南線用の車両と思われます。

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そして土岐津駅(現 土岐市駅)の改札駅員から、当夜 その様な人が下車して駅前からタクシーに乗った。
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との話が聞けて そのタクシーを捜し出し、山本の足取を再現してもらうと瑞浪駅で降りたとのことです。
山本達は瑞浪に関連があると踏んだ萩崎は、この街に宿を取ります。会社の専務に手紙を書き 郵便局へ行くと、田舎の局なのに明日 十万円の普通為替を受け取る話を聞きつけ山本の逃走資金では?と考えます。

翌日 この郵便局へ行くと一足早く女性が受け取ったと言われ、駅へ急ぐと D514蒸機牽引列車が発車しました。
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萩崎は改札駅員に「その人なら たった今の列車に乗りましたよ」と言われ、ホームへ出ました。
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列車は既にかなりのスピードに達しており、薄煙を残して最後部がホームを離れるところでした。
萩崎が空しく見送る列車の二等車には、からくも追っ手をかわした絵津子が乗っているのでした。
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D514号機はD51形のなかでも通称なめくじ型と呼ばれた初期型で、当時は中津川区に所属して中央本線の客貨列車牽引の任務についていました。
中央本線 名古屋~塩尻は 1966年5月に名古屋~多治見が電化されたのを皮切りに、同年5月には瑞浪迄・1968年には中津川 そして 1973年5月 遂に塩尻迄電化され中央本線全線電化が完成しました。


PS.山本が羽田から名古屋へ空路 逃亡したのだが、この便は日本ヘリコプター輸送時代から運行していた路線で全日本空輸 羽田 19:30発 25便 名古屋小牧空港 21:20着の飛行機に搭乗したのです。
そして空港から連絡バスに乗り、名古屋駅へは 21:55に到着したので 22:10発瑞浪行には間に合ったのです。しかし飛行機は片道 4,000円掛かり、急行二等車の 2,560円よりかなり高額です。
そこまでして当日中に急ぎ、土岐津へ向かった山本の行動は不明です。

次回は通算200回記念作なので、誰でも思い浮かべる有名作を取り上げる予定です。




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194.愛のきずな

1969年2月 渡辺プロ・東宝製作 東宝配給公開  カラー作品  監督 坪島孝

勤める会社の専務の娘と結婚した為 妻に頭の上がらない鈴木良平(藤田まこと)が、清楚な平井雪子(園まり)と知り合い深みにハマり破滅へと向かうサスペンス映画です。

雪子に服役中の夫 平井健次(佐藤允)がいることが分かり、しかも夫に離婚をきりだすと雪子はききません。そんな展開になれば、逆上した夫に殺されると心配する小心な鈴木です。
そして中盤 鈴木は信州へ雪子を誘い出すのです。雪子は現地でおち合おうという鈴木の指示で中央本線 特急あずさ号に乗り岡谷駅に到着し、更にバスに乗って賽の河原停留場で降りました。

1966年末に登場した中央本線 初の特別急行あずさ号はこの当時 定期2往復で新宿~松本を結び、181系 10連で一等車2両に食堂車も連結して堂々たる編成でした。
作中の様子から岡谷を通過する新宿 8:00発の 1M あずさ1号に乗車したと思われるので、10:53着の上諏訪で各停 1228M に乗り換え 11:11 に岡谷へ到着したのでしょう。

雪子を山中で始末した鈴木は、出所して会社に押し掛けて来た平井の追及もかわして一安心していました。ところが会社のCM映像に、雪子が映っているのを発見して慌てます。
鈴木は岡谷駅に降り立ち、
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聞き込みで記憶喪失の雪子(ここでは明美)が働いている喫茶店を尋ねます。雪子を確認した鈴木は、思わせ振りの書置きで岡谷駅上りホームに呼び出すのです。

鈴木がホームで待っていると、雪子が地下通路の階段を上って来ました。疑い半分で不安気な顔の雪子ですが、
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発車ベルが鳴っているので鈴木は強引に旧客のデッキへ乗せます。
この頃は旧客を使った列車がまだ有って、時間帯から岡谷 12:15発の 444ㇾ甲府行か、13:51発の 446ㇾ甲府行のどちらかに乗ったと思われます。でもこの映画の車内シーンは全てセット撮影です。
鈴木は「思い出の場所に行けば記憶を取り戻せる」などと言って連れ回しますが、都合の良いことに記憶は戻らずに鈴木に好意をもつ様になり東京に同行します。

新宿駅に 8:00松本発の2M 特急あずさ2号が到着します。
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二人が先頭車から降りて来ました。ホームに立つ探偵らしき男が、鈴木の顔写真と照合している様です。
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新宿駅への到着時刻は 11:45で、現在より1時間以上掛かっています。二人は早速 投宿しますが探偵からの通報からか鈴木の妻 早苗(原知佐子)が現れ、鈴木はグウの音も出ません。

早苗は怒って実家に帰ってしまいますが、義父である専務は気にするなと言ってくれます。そして以前同様に政治家へのワイロ運びを依頼されます。
途中までは指示通りに車で運んでいた鈴木ですが、岡谷に戻る雪子が気になり迷ったあげく新宿駅へと向かったのです。

15:10 諦め顔の雪子が乗った電車が新宿駅を出発するところです。
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ところが走行音の中 デッキのドアが開き、ワイロが入った漬物樽を持った鈴木が現れたのです。
そして「二人で新しい生活を築こう」などと、雪子を喜ばせます。15:10 新宿発の列車は当時ありませんので、14:14 入線して 15:53 発の急行アルプス6号に発車ベルのアフレコを付けたのでしょう。

二人は信州方面へと駆け落ちを図った様で、続いては D51らしきが牽引する列車の夜間走行シーンがあり 旧客車内ではクロスシートに二人が向かい合って座っています。
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そして列車が(やまわき)という駅に停車すると、鈴木は飲み物を売店へ買いに行きます。ところがこの駅のベンチには平井が座っていて、
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目の前の車内に座る雪子を発見して叫びながら窓を叩くのです。
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やがて発車すると、鈴木が瓶入りファンタオレンジとコップを持って戻ります。怯えた様子の雪子を見て、鈴木には彼女がどうして豹変したのか分かりません。
雪子はショックで、鈴木に襲われた記憶も甦った様です。そこへ最後部のデッキから鬼の様な形相の平井が現れ、鈴木はデッキに連れ出されます。
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鈴木は二千万円の入った漬物樽を差し出しますが、平井は線路に投げ捨ててしまいます。更に鈴木は腹部を刺され、揉み合いの末に二人共走行中のデッキから転落してしまいます。
一人残った雪子は次の終着駅 和泉で降りたのでした。この駅は架空駅ですがアルプス6号に乗ったとすると、塩尻発 21:20 D51牽引の旧客列車中津川行 840ㇾに乗り継げるので このルートを想定しての脚本でしょうか。。

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145.真白き富士の嶺

1963年11月  日活 製作 公開   監督 森永健次郎

白血病を病む 18歳の磯村梓(吉永小百合)が文通する謎の恋人とを成就させようと姉の梢(芦川いづみ)が奮闘する内、病が進み事の真相が明らかとなる悲恋映画です。

梓の姉 梢は東京 新宿の洋裁学校の教師。窓から地下化工事中の京王線の線路が見え、屋上から淀橋浄水場が見えるので文化服装学院でロケが行われた様です。
妻を亡くした父 磯村修平(宮口精二)は新橋近くの高校の教頭で、梓の療養の為 逗子に引っ越したので父と姉は長距離通勤となっている。

鉄道シーンは磯村の帰路から始まる。新橋駅 東海道本線ホームで磯村がベンチで電車を待っていると、横須賀線下り電車が到着します。
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横須賀線は当時 東京~大船が東海道本線と線路が共用で、増発は 1980年 10月に別線が完成するまで待たねばならない状況でした。

ロケ当時は長年主力で活躍した 70系電車から 111系へと置き換えが進んでいた頃で、新橋駅に到着した上り電車は 111系と思われます。
続いて、横須賀線 逗子駅から磯村が降りて来ました。そこへ療養中の梓が小走りで駆け寄り、磯村を心配させてしまいます。
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姉の梢は梓宛てのラブレターを見てしまってから、イニシャルだけの謎の恋人をつきとめ成就させようと思います。
この事を恋人の山上裕(小高雄二)に市ヶ谷~飯田橋の土手斜面で、相談する場面があります。総武・中央緩行線の 101系電車が行きかう線路端まで二人は降りて話しています。
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梢と山上で M.Tに該当する人物を捜すも、見つからず江ノ電 藤沢駅ホームで相談するシーンがあります。
当時の江ノ電 藤沢駅は小田急 藤沢駅に近く、両社の先端が斜めに近付く形で国鉄への乗り換えも現在より便利だった気がします。構内は2面3線構造でした。
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木造駅舎ホームのベンチに二人で座って話している前の1番線に、300形らしき1両の電車が到着します。
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江ノ電はこの頃利用者が減り、1965年には廃止も検討されています。その後交通渋滞から利用者が増え、藤沢駅南口再開発で 1974年現在の高架駅へと移転しました。

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 142. 高原のお嬢さん

1965年12月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 柳瀬観

信州 蓼科で牧草を研究しながら牧場で働く北川和夫(舟木一夫)と、東京から遊びに来た小泉淳子(和泉雅子)の悲恋映画です。

この映画の鉄道シーンは全て新宿駅です。北川が研究成果の報告に中央本線で上京し、終着 新宿駅ホームに降り立つシーンがあります。
先ず EF13形らしき電機が牽く客車列車が次位に煙を噴出しているマヌ 34 らしき暖房車を従え、新宿駅へ進入して行く姿を西側から捉えています。
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そして新宿駅3番ホームへ EF13形らしきを先頭に到着し、北川が降りて来ました。
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ロケ当時の中央本線上り時刻表では、岡谷始発の 422ㇾが茅野 5:53発で新宿駅には 11:05着。後続の松本始発の 424ㇾでは、茅野 6:32発・新宿 11:54着です。
この 1965年 5月には新宿~松本の電化が完成し、PC列車は大幅削減 日中新宿着の PC列車はこの2本だけになりました。

終盤 北川と淳子はお互い好意を寄せているのに、北川が三島進(山内賢)に譲る形で淳子に嘘を付いて身を引いてしまいます。
北川が蓼科へ帰る日、新宿駅には淳子が見送りに来ました。5番ホームの列車前に北川と淳子が向き合っていますが、お互い何も言葉を発しません。
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「この列車は22:30発 長野行 本日の最終列車です。次の停車駅は立川」と放送が聞こえると、長野行のサボが掛ったオハ 35のデッキへ北川は乗ります。
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そして無言のまま淳子が握手の手を指し延ばしますが、北川は応じません。
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ならばと、淳子が手作りの人形を渡すと受け取りました。

この時にはお互い涙がこぼれています。ホームのベルが鳴り終わり、電機のホイッスルが聞こえると列車は動き出しました。それでもお互い無言です。
しばらく淳子は小走りで追い掛けますが、列車の赤いテールランプは5番ホームから闇へと消えて行きました。
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列車の消えた5番ホームに一人淳子が立ち尽くす姿を、カメラはホーム下の線路から捉えています。ホームの時計には故障中の貼り紙が・・・
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続いてのカットでは車内に入った北川が、入口からすぐのボックス席に寂しそうに座るところで終わっています。
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北川が乗ったのは、山屋御用達の有名な長野夜行 437ㇾドン行列車ですね。当時は 23:45発で、茅野には 5:52で都合が良い筈です。
何故 脚本家が架空の列車を設定したのか?です。22:30発に近いのは 22:35発 長野行 411ㇾ準急上高地で、茅野 3:11と真夜中なんです。

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125. からたち日記

1959年4月 松竹 配給 公開   監督 五所平之助

信州の貧しい農家に生まれた つる(高千穂ひづる)は地主の家で子守し、売られた芸者置屋では下働きから半玉へと苦労するも幸せを掴みきれない女の半生を戦前から戦後へと描いた映画です。

半玉のつるは軍需会社のロンパリ(山形勲)に水揚げされ、3号さんになった。一転 余裕のある生活となったが、時節柄 勤労動員に工場へと働きにでて本山(田村高廣)という軍人といい仲となる。
一時療養から部隊復帰となった本山が、上諏訪駅から出発する日に見送る約束をつるはしていました。夜の上諏訪駅ホーム 時計は 19:27 で本山・妹の民子(島倉千代子)・母親(吉川満子)がいます。
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ホームは出征兵士を見送る一団が送る歌を歌って賑やかな中、本山は つるの姿を捜して目を泳がしています。そんな本山に母と妹は言葉を挟めず、母はオロオロ 民子は不機嫌な様子です。
ところが つる はその夜に限ってロンパリが居座り、駅へ行くことができません。汽車の発車時刻が迫り、つる は落ち着かず 不自然な様子にロンパリは疑い 外出を阻みます。

そうこうするうち、20:07 発 新宿行上り列車の到着を知らせる放送があり、D51 587 蒸機牽引の列車が入って来ました。
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つる は遂にロンパリを振り切って家を飛び出します。
踏切へ近付くと手動式遮断機が下り、汽笛を鳴らしながらスノープロウ付 D51 牽引の列車が つる の前を通過して行きます。つる は「本山さ~ん」と4回叫ぶしかありませんでした。
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この上諏訪駅でのロケを考察してみます。最初のシーンで時計は 19:27 を指しています。ロケ当時 19:17 に下り 417ㇾ長野行・19:22 に上り大月行 420ㇾが上諏訪駅を出発して行きます。
そこで乗降客が居なくなったホームで夜の出征シーンの撮影が行われたと思われます。次に 21:30 到着の長野発上諏訪止まりの 516ㇾを新宿行上り列車として撮影したと思われます。
20:07 発新宿行という放送はアフレコで、戦時中のダイヤでは 長野発 404ㇾで20:57 に上諏訪を発車 翌朝 5:00 新宿に到着します。ロケ当時は 22:36 発 418ㇾが該当し、4:30 新宿着でした。

本山との関係がバレた つるは 諏訪に居られなくなり、芸者時代仲良しだった かるた(水原真知子)を頼って千葉へ弟 忠夫(柴田昭雄)と向かいました。しかし空襲で かるたは死んでしまいます。
戦後 つるは生活苦の中で朝鮮人の松村(殿山泰司)の下で石鹸売りをして、弟を進学させることを希望に頑張っていました。だが弟は病気を苦にして自殺してしまい、諏訪に戻ることにします。
最後の鉄道シーンは、松村達の見送りを受け千葉を離れる時です。ロケ地は不明ですが架線が張られた駅から蒸機に牽かれた列車で、想い出多い地に別れを告げ 諏訪を目指して出立して行きます。
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