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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

361.当りや大将

1962年 8月 日活 製作 公開   監督 中平康

大阪の釜ヶ崎地区で 自堕落 且つ 無軌道な生活を送る男が、自分の悪事の末に起こった悲劇に 良心の呵責からか 博打場に子供達の為のブランコ設置を目指す物語です。

冒頭 大阪駅舎が映り 
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西成警察署へ転任する署長(嵯峨善兵)が タクシーの運転手に「釜ヶ崎へ」と言うと、「当てられまっせ~」と嫌がる様子です。
タイトルバックに続いて 南海電鉄 阪堺線 今池~南霞町停留所を走る モ301形305を対象に
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番号当て博打をしている大将(長門裕之)の元へ「お客さんでっせ」と知らせが入り、大将は新署長の乗るタクシーに 当たり屋を仕掛けます。

西成警察署へ着いた新署長が 在任9年の山内刑事(浜村純)から 釜ヶ崎界隈の 説明を聞く過程で、町の一角を走る 阪堺線の今池停留所らしきが映っています。
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次に おばはん(轟夕起子)が営む ホルモン酒場に 皆が集うシーンに続いて 南海電鉄本線 今宮戎~萩ノ茶屋の高架線を 4連電車が高速で走り、
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下道の 屋台改造寝床で寝ていた大将が 南海と交差する関西本線を走る 10時の貨物列車の振動で起こされます。
向かいに住む ホルモン屋のおばはんに挨拶し 息子のカツオ(頭師佳孝)から 寝覚めの牛乳を注いでもらう場面で、背後の関西本線を 天王寺方面へ蒸機が単機回送で向かっています。
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釜ヶ崎地区の 南海電鉄本線沿いの広場は 博打場となっていて、大将達が 生き弁天のお初(中原早苗)達から巻き上げられた金を取り戻そうと 熱中する背後の高架線を 南海電鉄の旧型らしき3連電車が走っています。
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博打場を取り仕切る親分(山茶花究)に 有り金 全額巻き上げられた大将は、おばはんを騙して カツオの進学貯金を狙おうと ホルモン酒場の店仕舞いを手伝う背後に 南海電鉄天王寺支線を走る 凸型電機牽引貨物列車が通っています。
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大将は 父親が信用金庫の支店長だと偽り、まんまと貯金を手にして 放蕩の挙句 全て使い込んでしまいます。 それを聞いたおばはんは ショックで深酔いし、ひき逃げされて死亡します。
おばはんの兄(加藤武)が遺骨と カツオの引き取りに来た場面で、背後の築堤を 関西本線の気動車が走っています。
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しかし先方の家に 子供が8人もいたので、カツオは家出し 翌朝には大将の元へ舞い戻って来ました。

おばはんはカツオの為に ランドセル等入学用品を買い付け 支払いだけして 明日取りに来ると言って 帰った晩に死亡したそうで、家を探し当てた用品屋が 届けに来た場面で 煮炊きするカツオの背後には 前年に開通した大阪環状線の 101系電車が走っています。
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その後 大将は頻繁に 亡きおばはんの掛け声が 何度も聞こえる様になり 何もする気が無くなった様子で界隈を歩き 博打場で仲間から声を掛けられるシーンでは、南海電鉄天王寺支線を行く 1501形(国鉄63系)電車の姿があります。
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ある日 山内から おばはんが残した学資保険の 解約金を受け取った大将は、博打広場に 子供の為のブランコを作ろうと カツオと共に組み立てています。
しかし 親分が手下と共に現れ、たちまち破壊してしまいます。それでも大将はめげずに 何度もブランコを作ろうとしますが、その度に 親分一派に破壊し続けられます。

その様子を見ていた山内が 諦める様に説得する場面で、踏切を渡った大将を山内が追い駆け 右側の関西本線らしきを C58形蒸機牽引列車(次位客車は二重屋根)が通り 左手には大阪市電らしき軌道が見えています。
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大将は壊されない様に 鉄製のブランコならと 鍛冶屋へ製造依頼に行きますが、作った事はないが 前金ならばと言われてしまいます。
そこで手っとり早い策の 当り屋を思い出し、大通りで 車目がけて飛び込みますが失敗し 即死してしまいます。
そして 界隈の皆で大将の乗った 霊柩車を送り出す場面では、関西本線の築堤を走る キハ35系気動車らしき6連の列車が映っています。
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PS.
  この時代の釜ヶ崎地区を 取り囲む様に、南海電鉄の本線・天王寺支線・阪堺線・平野線の他に 関西本線・大阪環状線等が走っていました。国土地理院 旧版1970地図よりの 抜粋地図を加えます。
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  当時は南海電鉄阪堺線・平野線でしたが 平野線は1980年11月に廃止され、その3日後に 分社化によって 阪堺電軌 阪堺線となりました。

  4枚目の画像に映る蒸機は 浪速貨物駅へ貨車を運んだ後、関西本線を 竜華機関区へ戻る D51形蒸機の姿と思われます。

  5枚目の画像は 関西本線・大阪環状線と 南海電鉄本線との交差地点ですが、当時は新今宮駅は存在していなく 1964年3月に大阪環状線のみの停車駅として開業後 1966年に南海も駅を設置しています。(上の地図は1970年版なので、既に新今宮駅があります)
  すぎたま様から通過中の南海電車は、1521系ではないかとの御意見が寄せられています。

  7枚目の画像は 天王寺支線を走る 東芝製40t 凸型電機 ED5151形と思われ、天王寺で国鉄へ貨物の受け渡しを行っていましたが 1993年3月末をもって廃止されました。

  今回皆様より11枚目の画像での蒸機は C58形・ラストの気動車は 35系であろうとの御意見が多数寄せられましたので、訂正させて頂きました  今後も御意見を 歓迎致しますので 宜しくお願い致します。










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