
1953年4月 東宝 製作 公開 監督 滝沢英輔
侠客志望の中山安五郎(森繁久彌)が 軽便鉄道の車内で知り合った小万(越路吹雪)との縁で降りた西浜村で、水道工事完成に貢献し 村の厄介者も倒す活躍を描いた コメディ・アクション映画です。
タイトルクレジットの最後に 3輌の客車を牽いた蒸機が 橋梁を渡る場面があり、

客車内で浪花節を唸る中山に 小万が酒を勧めます。

小万が西浜名物に挙げた最後の「般若の暴れん坊」に 般若の哲(小杉義男)が反応しますが、小万がサラリと躱す中 西浜へと汽車は到着します。


ムショ帰りの般若が帰って来ると聞いた村人が 村長(林幹)を先頭に駅頭で出迎えると、歓迎ラッパに反応した サカリ馬が暴れ来て 般若は倒されますが 中山の顔を見て 馬は笑い出し 鎮まったのでした。
その後 村の水道工事に参加した中山は 般若が黒幕で起こった ストライキ騒動中に、寄宿している寺の小僧 唖太(加藤大介)の協力で 工事を完成へと導き 村人に侠客の親分として認められました。
水道工事完成祝賀花興行として 旅役者一団の公演が行われた日 一座の女団員が急病で動けず 中山は小万に代役依頼に行くと、東京での結婚話が決まり 上京することになったと 中山は別れを伝えられます。
侠客の親分になった暁には 結婚する約束だっただけに 中山はガッカリして戻り、唖太の発案から 中山が代役の女方を演ずることになりました。 しかし着替えをしている所へ 木戸銭を般若に奪われ、2時の軽便で逃げられたと 一報が入ります。
更に村役場の金庫まで 破られていたと伝えられ、中山は侠客の親分として 女方の扮装のままで サカリ馬に乗って 逃走した般若が乗る軽便を追い駆けます。
先ず 小型蒸機牽引の 軽便列車走行シーンが映り、

砂利道と線路が並走する道を 中山はサカリ馬で懸命に追い掛けるのでした。

車内から 馬に乗って追い駆けて来る中山に 気付いた小万は誤解した様で、ドアの無いデッキから 身を乗り出して 手持ちのハンケチを振っています。


サカリ馬は遂に、軽便を追い越してしまう場面もあります。


やがて列車は橋梁を渡ると

踏切の先にある駅に停車します。

そこで追いついた中山は 馬から降りて 客車の窓辺で「般若はいるか」と叫ぶと、

窓から顔を出していた子分の[闇の弁慶]に気付いて 車内へ上がります。

般若と目が合うと 般若達は、

鞄を持ってデッキから降り 逃走を図ります。

追い駆ける中山と 般若が決闘を始めると、列車から降りた小万も 中山に声援を送ります。


そして苦闘の末に 持ち出した小道具の刀で、般若の額をカチ割ったのでした。 そこで気絶した中山は 般若を殺したと思い込んでいましたが、当然 刀は竹光で 般若は タンコブだけで捕まっていました。
その顛末を 警察署の窓から見届けた小万は、再度乗った軽便列車の中で「安五郎親分・乾杯!」と手酌で ウィスキーを飲んでいます。

PS.
最後から6枚目の画像で、顔を出している[闇の弁慶]の 下部に描かれている社紋から、この車輛は 遠州鉄道奥山線のハ1154です。

これこそ DRFC68様・米田作市様から(353.黒帯三国志)のコメントを頂いた時、「冒頭部分は遠州鉄道奥山線の車輛」と言うコメントの 証拠と思われます。
両氏からの御意見通り 作中で走っている小型蒸機は、遠州鉄道奥山線の C1907(1951年の改番前はキ9形9号機関車)です。
1924年5月コッペル製 9.7tC形タンク機関車で、宇和島鉄道で働いた後 1933年国有化・改軌で ケ220形224として 松浦線・世知原線で使われましたが 改軌により 1944年に廃車後 佐々区で保存され 1948年9月に遠州鉄道に譲渡されました。
遠州鉄道奥山線では 1950年4月に 東田町~曳馬野8.2㎞が電化され、以北の曳馬野~奥山は 1951年8月にDC・DL化で無煙化されました。
翌年 殆どの蒸機は廃車・DL改造されましたが、C1907は予備機として 休車保存されていたので 本作のロケで活躍したと思われます。その後1956年6月に 廃車解体される迄 残された様です。
最初の画像は 祝田(ほうだ)駅を出て 短い橋梁を渡り、次の都田川に架かる祝田橋梁を渡り始めた所で 車内シーンへ続いています。
おそらく この列車の1輌目に ハ1154が連結されていて、進行右側から映して オクラ入したフィルムを裏焼して(353.黒帯三国志)の冒頭部分に使った?と想像すると謎のナロー蒸機列車の件は落着?
作中の西浜駅?に到着する 3枚目の画像は、電化・非電化区間境目の 曳馬野駅で撮影されています。しかし何故か 電化区間側の 追分駅方向から、3輌の客車を伴い やって来ました。
中山安五郎が般若を追い駆け 並走する砂利道は 国道257号線で、今度は最後尾に ハ1154を連結して 金指~祝田を 上り列車として快走し 祝田駅に到着します。
祝田駅のホームは 反対側の一面しかないので映らず、中山安五郎の活躍に応えて 臨時停車したかの様な 映像となっています。
遠州鉄道奥山線は 1914年に 濱松軽便鉄道として 元城~金指の開通からスタートし、1924年に 板屋町~奥山の全線が開通しています。
1947年に遠州鉄道と合併し 遠州鉄道奥山線となり、近代化を図るべく 曳馬野まで電化し 以北区間を無煙化しましたが 客足が伸びず 1964年10月末をもって 全線廃止となってしまいました。
参考文献 : 鉄道ピクトリアル1952年12月号 RMライブラリィ №10「追憶の遠州鉄道奥山線」 遠州鉄道40年史
侠客志望の中山安五郎(森繁久彌)が 軽便鉄道の車内で知り合った小万(越路吹雪)との縁で降りた西浜村で、水道工事完成に貢献し 村の厄介者も倒す活躍を描いた コメディ・アクション映画です。
タイトルクレジットの最後に 3輌の客車を牽いた蒸機が 橋梁を渡る場面があり、

客車内で浪花節を唸る中山に 小万が酒を勧めます。

小万が西浜名物に挙げた最後の「般若の暴れん坊」に 般若の哲(小杉義男)が反応しますが、小万がサラリと躱す中 西浜へと汽車は到着します。


ムショ帰りの般若が帰って来ると聞いた村人が 村長(林幹)を先頭に駅頭で出迎えると、歓迎ラッパに反応した サカリ馬が暴れ来て 般若は倒されますが 中山の顔を見て 馬は笑い出し 鎮まったのでした。
その後 村の水道工事に参加した中山は 般若が黒幕で起こった ストライキ騒動中に、寄宿している寺の小僧 唖太(加藤大介)の協力で 工事を完成へと導き 村人に侠客の親分として認められました。
水道工事完成祝賀花興行として 旅役者一団の公演が行われた日 一座の女団員が急病で動けず 中山は小万に代役依頼に行くと、東京での結婚話が決まり 上京することになったと 中山は別れを伝えられます。
侠客の親分になった暁には 結婚する約束だっただけに 中山はガッカリして戻り、唖太の発案から 中山が代役の女方を演ずることになりました。 しかし着替えをしている所へ 木戸銭を般若に奪われ、2時の軽便で逃げられたと 一報が入ります。
更に村役場の金庫まで 破られていたと伝えられ、中山は侠客の親分として 女方の扮装のままで サカリ馬に乗って 逃走した般若が乗る軽便を追い駆けます。
先ず 小型蒸機牽引の 軽便列車走行シーンが映り、

砂利道と線路が並走する道を 中山はサカリ馬で懸命に追い掛けるのでした。

車内から 馬に乗って追い駆けて来る中山に 気付いた小万は誤解した様で、ドアの無いデッキから 身を乗り出して 手持ちのハンケチを振っています。


サカリ馬は遂に、軽便を追い越してしまう場面もあります。


やがて列車は橋梁を渡ると

踏切の先にある駅に停車します。

そこで追いついた中山は 馬から降りて 客車の窓辺で「般若はいるか」と叫ぶと、

窓から顔を出していた子分の[闇の弁慶]に気付いて 車内へ上がります。

般若と目が合うと 般若達は、

鞄を持ってデッキから降り 逃走を図ります。

追い駆ける中山と 般若が決闘を始めると、列車から降りた小万も 中山に声援を送ります。


そして苦闘の末に 持ち出した小道具の刀で、般若の額をカチ割ったのでした。 そこで気絶した中山は 般若を殺したと思い込んでいましたが、当然 刀は竹光で 般若は タンコブだけで捕まっていました。
その顛末を 警察署の窓から見届けた小万は、再度乗った軽便列車の中で「安五郎親分・乾杯!」と手酌で ウィスキーを飲んでいます。

PS.
最後から6枚目の画像で、顔を出している[闇の弁慶]の 下部に描かれている社紋から、この車輛は 遠州鉄道奥山線のハ1154です。

これこそ DRFC68様・米田作市様から(353.黒帯三国志)のコメントを頂いた時、「冒頭部分は遠州鉄道奥山線の車輛」と言うコメントの 証拠と思われます。
両氏からの御意見通り 作中で走っている小型蒸機は、遠州鉄道奥山線の C1907(1951年の改番前はキ9形9号機関車)です。
1924年5月コッペル製 9.7tC形タンク機関車で、宇和島鉄道で働いた後 1933年国有化・改軌で ケ220形224として 松浦線・世知原線で使われましたが 改軌により 1944年に廃車後 佐々区で保存され 1948年9月に遠州鉄道に譲渡されました。
遠州鉄道奥山線では 1950年4月に 東田町~曳馬野8.2㎞が電化され、以北の曳馬野~奥山は 1951年8月にDC・DL化で無煙化されました。
翌年 殆どの蒸機は廃車・DL改造されましたが、C1907は予備機として 休車保存されていたので 本作のロケで活躍したと思われます。その後1956年6月に 廃車解体される迄 残された様です。
最初の画像は 祝田(ほうだ)駅を出て 短い橋梁を渡り、次の都田川に架かる祝田橋梁を渡り始めた所で 車内シーンへ続いています。
おそらく この列車の1輌目に ハ1154が連結されていて、進行右側から映して オクラ入したフィルムを裏焼して(353.黒帯三国志)の冒頭部分に使った?と想像すると謎のナロー蒸機列車の件は落着?
作中の西浜駅?に到着する 3枚目の画像は、電化・非電化区間境目の 曳馬野駅で撮影されています。しかし何故か 電化区間側の 追分駅方向から、3輌の客車を伴い やって来ました。
中山安五郎が般若を追い駆け 並走する砂利道は 国道257号線で、今度は最後尾に ハ1154を連結して 金指~祝田を 上り列車として快走し 祝田駅に到着します。
祝田駅のホームは 反対側の一面しかないので映らず、中山安五郎の活躍に応えて 臨時停車したかの様な 映像となっています。
遠州鉄道奥山線は 1914年に 濱松軽便鉄道として 元城~金指の開通からスタートし、1924年に 板屋町~奥山の全線が開通しています。
1947年に遠州鉄道と合併し 遠州鉄道奥山線となり、近代化を図るべく 曳馬野まで電化し 以北区間を無煙化しましたが 客足が伸びず 1964年10月末をもって 全線廃止となってしまいました。
参考文献 : 鉄道ピクトリアル1952年12月号 RMライブラリィ №10「追憶の遠州鉄道奥山線」 遠州鉄道40年史


