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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

329.縮図

1953年4月 新東宝 配給 公開   製作 近代映画協会  監督 新藤兼人

東京佃島の 靴直しの貧困家庭に育った銀子(乙羽信子)は 千葉の芸者置屋に売られ、牡丹の名で働くが 虐待され 越後高田の置屋へ斡旋されたが 土地の旦那に裏切られ等々 悲しい女の一生を描いた映画です。

中盤千葉の置屋主 磯貝(菅井一郎)に 千葉医大の医師 栗栖(沼田曜一)との仲を裂かれた銀子は、周旋屋 桂庵の山田(殿山泰司)から 越後高田から迎えが来ると 斡旋されて 夜汽車で向かいます。
雪原の単線を 淡々と進む蒸機が牽く 客車列車が映り、
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続く車内シーンでは、眠れない銀子が、ぼんやりと 暗い窓の方に向いています。
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窓からは深く積った、雪景色が延々と続いています。
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すると夜汽車の車内シーンに再び戻り 迎えにきた女(清川玉枝)がミカンを渡し、
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「三・四か月大人しく働いていれば、きっと誰か 面倒を見てくれる人がみつかるよ」と話し「今頃町は選挙で大騒動さ」と続けます。

高田の町で 寿々龍と言う名で お座敷に出た銀子は 倉持(山内明)という 地元で一二の旦那に見初められ、前借を始末してくれて 月々の手当てまで付けて 当分は駅近くの鈴亭で会うことになります。
夜の高田駅を出発した D51 404 蒸機が牽く客車列車が
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轟音と共に通過して行くと、
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右手にある 鈴亭旅館二階の窓から 銀子が列車を見ていました。
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その後 倉持は結婚しようと、持ち出した 母親の指輪を渡したりします。しかし母親(英百合子)が乗り出し、「芸者を嫁に迎えることは出来ない」と通告されてしまいます。
尚も倉持は 銀子の気を引く様なことを 言いつつ、ある日の新聞で 名家令嬢との結婚を知ることとなる銀子でした。






PS.
 1枚目の画像は 雪原の単線を単機で進む 列車を映していますが、信越本線らしく 単線とはいえ ハエたたきの通信線の多いこと然りですね

 D51 404 蒸機は ロケ当時、直江津区に所属して、信越本線 長野迄の急勾配難所区間を 走っていた様です。
 
 本作公開後の 1953年5月に 長野工場で、重油併燃装置を取り付けて パワーアップしているので 改造直前の姿です。

 本作の時代設定は 大正末期とも考えられますが、1月21日に公示されて 投票日が 2月20日だった 第1回普通選挙とも言われた 第16回衆議院議員総選挙が行われた 1928年2月として銀子が乗った列車を推察します。
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 時間表 1930年版から見ると 夜行列車で行きましたので、上野 22:40 ― (米原行 603レ) ― 8:50 高田 が考えられます。(当時は 24時間制ではなく、午前細字・午後太字で表記)

夜間ロケで映した D51 404 蒸機が牽く列車は、上野始発の 315レ柏崎行が 高田19:27発なので想定されます。
 1953年当時は 意外にも 新井始発で 直江津行921レ(高田18:42)と 高田20:11始発の直江津行の923レが 前後して気動車キハ42000形・キサハ40800形(共に直江津区)で運行されています。


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311.高原の駅よ さようなら

1951年10月 新東宝 製作 公開   監督 中川信夫

恩師の娘との 結婚話から逃避する為 浅間山麓の友人の元へ来た 植物学者 野村俊雄(水島道太郎)が、療養所の看護婦 泉ユキ(香川京子)と愛し合うも 義理で悩む様を描いた青春映画です。

序盤 野村が浅間山麓にある 光ヶ丘高原療養所へ向かう場面や 恩師の娘 伊福部啓子(南條秋子)が 野村の負傷を聞いて 駆け付ける場面でも、期待に反して 長閑に浅間山麓を行く 馬車は映っても 鉄道は出てきません。

野村と恋仲となったユキは 野村の友人でもある 医師 池島良寛(柳永二郎)や 女医の三神梢(相馬千恵子)から、恩師の婿養子となる 野村の為 身を引く様に説得され 思い余って 入水しかかり 皆の同情を呼びます。
幼い頃からユキを好いていた 戸田直吉(田崎潤)も 梢にユキと野村の仲を応援する様 懇願しますが、野村は恩師の病状悪化を 啓子から告げられ 一緒に上京することになりました。

終盤 療養所の皆から見送られ、啓子は野村と馬車に乗ります。別れを決意して 二階の窓越しに 涙顔で見送るユキの方向を、野村は未練が残りながらも 半ば諦め顔で見ています。
馬車が去った後 泣き暮れるユキを 梢が説得し、戸田が乗る馬にユキを乗せて 全力で馬車を追い駆けます。(ここからバックにテーマ曲「高原の駅よさようなら」が、ラストまで流れ 観客の涙を誘う!)

それでも 一足早く 駅に着いた野村と啓子は、信越本線 信濃追分駅の 駅名板付近で 汽車を待っています。
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野村は心残りな表情で 駅名板の前を行ったり来たり、ラセン形の通票受柱を触ったりして 落ち着かない様子です。
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やがて 汽車が駅に近付くと、戸田とユキが乗る馬も 駅が見えてきました。
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汽車が減速して構内へ入って行くと、遂に追い付きます。
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発車の汽笛が鳴る時
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改札口手前でユキは降り、ラッチを外してホームへ入ります。
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D50 形蒸機らしきの 動輪が動き始め、
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ユキは野村の姿を捜して ホーム前方へ進みます。
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その姿に気付いた野村は 向かい側の席に移動して、窓から顔を出して「泉クン」と呼びかけ
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ユキも「野村さん」と返します。
ユキは駆け寄り 野村と握手を交わし
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野村の「泉クン待っててくれ」の言葉を聞くと、ホーム端まで来たので「さようなら~」と今度は笑顔で手を振り 見送るのでした。
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PS.
 鉄道シーンとしては 最後の信濃追分駅での見送りシーンのみですが、バックに流れる 小畑実が歌う「高原の駅よさようなら」が実に印象深い作品に仕立てています。
 戸田がユキを乗せて 馬で馬車を追い駆け、汽車が信濃追分駅に近付いた時に 漸く駅が見えてきました。豪快な性格の 役どころが多い田崎潤さんですが、本作では珍しく爽やかな青年役を演じてますね。

 この当時の信濃追分駅舎は 無人駅の様に簡素で、馬で乗りつけても 直ぐに改札口からホームへ段差無しで入れるので ロケに選ばれたのでしょうね。
 当ブログ【243.あの丘越えて】でも同時期の信濃追分駅が登場していますが、どちらも1枚目の画像で駅名板の左に人物が立っています。本作の画像では後方に白樺の木がありますが、【243】では反対の下り線ホーム側に白樺の木があります。
 
 また本作では 駅名板の前に通票受柱がありますが、【243】では通票授柱が駅名板の前にあります。故に【243】は上りホームの前方の駅名板横であり、本作は後方の駅名板横でロケが行なわれたのです。
 3枚目の画像の様に D50形蒸機牽引列車の2輌目に 二等車が連結されていて、この二人なら当然 二等車に乗ると思われます。しかしそれでは 発進して直ぐに 車輛がホームから外れてしまい、感動的な ユキと野村の別離シーンにならないのです。

 
 
 最初は野村に「ここでは恋愛的感情は一切禁物」と宣言していた 三神梢女医が、戸田に頼まれると あっさりユキに「弱虫!幸せを自分から捨ててもいいの?女が一度逃した幸福は、二度と戻ってこないのよ 私が一番よく知っているわ」と説得する 見事な変身振りですね。
 1951年6月に発売された小畑実が歌う「高原の駅よさようなら」が大ヒットし、新東宝が同年10月に公開した歌謡映画です。 低予算で いささか安直な筋立てですが、短期間に撮影・編集せねば ならない事情から 片目を閉じましょう。

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243.あの丘越えて

1951年11月 松竹 製作 公開   監督 瑞穂春海

母の死去により信州の お婆 山口あや(飯田蝶子)の元で育てられ13歳になった白濱萬里子(美空ひばり)が、東京の父親の元に戻されることで生じる様々なドラマを描いた映画です。

学生服の能代大助(鶴田浩二)が上高地の大正池を越えて萬里子の元を訪ねて来て、今度 萬里子の家庭教師となったので迎えに来たと告げます。お婆は泣く泣く、親元へ戻る方が幸せだと承諾するのでした。
翌日 信越本線 信濃追分駅のホームに一同が集まり、お婆と萬里子は別れを惜しんでいます。
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やがてD50形蒸機に牽かれた列車が到着し
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能代と萬里子は車内中央部に席を取って窓を開けます。
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そして窓越しに能代が荷物を受け取り あやと萬里子が手を取り合っていると、汽笛が鳴り響き 動輪が力強く動き出します。
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それでも二人は手を繋いでいて、あやは加速する列車に合わせて走り出します。
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高齢のあやにしては危険な程に走り、遂には手が離れて転んでしまいます。窓越しの離別シーンがある映画は数々あれど、ここまで老婆が走ったアクションシーンに近い作品は珍しいと思われます。

次に上野駅 高架第四ホーム らしきへ列車が入線する場面の後、
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到着した列車から続々と乗客が降りる最後の頃に萬里子と能代が現れました。乗って来たのは、二重屋根の普通列車用旧型二等車の様に見えます。
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萬里子と能代が周囲をキョロキョロ見ていると、父 白濱研一郎(新田實)と会うことができました。このシーンで列車が到着したのは、何故か 3番線であることが分かります。
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終盤 萬里子が実の孫ではないことが分かった祖父 倉橋伍平(河村黎吉)は怒り出し、それで家庭内が暗くなった責任を感じた萬里子は家出します。暗い中 上野駅北部にある両大師橋上から、夜汽車を見つめる萬里子の姿が映ります。
翌朝 萬里子が乗ったと思われる列車が、お婆のいる信州を目指して走っています。
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萬里子は知りませんでしたが、実は前日 白濱家に あやの危篤を伝える電報が届いていたのです。

偶然にも萬里子はお婆の臨終に間に合い 、お別れを言うことができました。そして一人 大正池へ向かう萬里子なのでした。一方 朝まだきの信濃追分駅を降りて来た能代は、足早に萬里子の後を追います。
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大好きな大正池へ入水した萬里子は能代に助けられ、元気を取り戻します。そこへ同級生母娘や両親に祖父 倉橋も笑顔で駆けつけて来てENDとなります。




 PS. 

 萬里子は浅間山が近い、北軽井沢の牧場で育った様です。最初と最後に離れた上高地の大正池でロケが行われていますが、信州という大きな括りで大目に見てください。

 萬里子が上京する場面で D50形蒸機らしきが登場しますが、発車する時の足回りはD51形蒸機らしきボックス形動輪です。当時の上田区・長野区では、客貨共D50形・D51形蒸機を使用していた様です。
 想像するに 最初 D50形蒸機牽引列車の客車中央部に乗車し、窓越しに別れを交わすシーンの撮影をします。一旦 降車し 次のD51形蒸機牽引列車で、機関車の足回りとデッキ隣の席で離別シーンのロケが行われたと思われます。
アクションシーンに近い 走るお婆を演じた飯田蝶子は、この時 54歳でした。長年老け役を演じていたので、もっと高齢かと思っていましたが意外ですね。

 当時の時刻表では 信越本線 信濃追分駅から上野行列車は、夜行1本を含んで一日7本設定されています。このうち 7:59発 322レと 9:49発 324レでロケが行われたと思われ、324レの上野着は 15:04なので後の展開に合致しています。
 そして上野駅 高架第四ホームの 7番線らしきに到着する姿を両大師橋から撮っている様です。当時は田端~田町で山手線と京浜線が線路を共用していたので、3番線ホームで長距離列車が到着するシーンのロケが行われた様です。

 お婆のいる故郷へ帰ろうとした萬里子が乗った列車は上野 23:50発の普通 米原行 611レと思われ、信濃追分駅に翌朝 5:35頃に着いて お婆の臨終に間に合ったのでした。
 また 連絡を受けて萬里子を探しに行った能代が使ったのは、翌日 上野 22:50発の普通 直江津行 327レと思われ 早朝 4:03頃の信濃追分着です。

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162.薔薇の標的

1972年4月 東京映画製作 東宝配給公開  カラー作品   監督 西村潔

射撃の元オリンピック選手 日野昭(加山雄三)は不運にも誤解を受けて失職してしまう。失意の中 悪の組織からスカウトされ スパイナーとして仕立てられるが、自ら目が覚める迄を描くアクション映画です。

香港から東京へ来た李玲玲(チェン・チェン)が都電に乗り、運転手横から対向して来る都電 32系統の 7500形 7503を撮るシーンがあります。
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この映画のロケ当時、都心の日本橋にも 28系統が残っていました。当時 32系統は荒川車庫~早稲田で運行されていて、1974年10月より現行の荒川線として走っています。なお 7500形は 2011年迄に廃車となりました。

敵対していた日野と玲玲はいつしか惹かれあう様になり、二人で蒸機撮影に出掛けます。カーブの先から D51形蒸機でも初期型の D512が牽く列車が架線下を走って来ました。
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続いて廃車となってナンバープレートを外されナンバーがペンキ書きの C50181や C58263が置かれた横を、日野と玲玲が歩きながら日野が解体待ちの機関車になぞらえ自らの心情を吐露します。
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次にまたまた D512が牽く列車を車で追っかけ撮影する場面があります。
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これは稲沢第一区から長野区へ貸し出され 1971年7月24日~8月22日に信越本線 長野~黒姫で運転された、ファミリーD51号と思われます。
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客車の窓から顔を出している人が妙に多いのが、如何にもイベント列車らしいです。終了後 このD51 2号機はその年の 12月13日付けで廃車されましたが、大阪の交通科学博物館で静態保存されていました。

そして二人でカメラを持って構えている所へ、右手より C56125が牽く短い貨物列車が登場します。
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続いて左手カーブの先より、C56159が緩急車のみ繋いで現れました。
今度は二人共 カメラに三脚を付けていて、日野は更にオープンリールの録音機までセットしています。貨物の少ない時期の様で、この部分は小海線でロケが行われたと思われます。
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それから今度は、蒸機を実際に解体している現場のシーンがあります。先ずナンバープレートを付けた錆びの浮いた D51468が映った後、ペンキ書きの姿で解体されていきます。
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二人は解体されてバラバラになり車輪だけになってゆく姿を見ながら、日野は自らに準えて自分自身を見ている様だと呟きます。
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レンガ庫も有るここは、国鉄長野工場の裏手と思われます。

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 149. 千曲川絶唱

1967年2月 東京映画 製作  東宝 配給 公開   監督 豊田四郎

難病である白血病に罹ったトラック運転手 五所川肇(北大路欣也)と病院看護婦 浮田奈美(星由里子)の純愛映画です。

五所川が白血病の疑いが濃いので医師の岩倉秀(平幹二郎)は、 奈美に好意を持ってる五所川を受診させる為 奈美に一役かってくれと頼みます。
デートの後受診する約束で会い 柏崎駅の改札口を一緒に通ろうとすると、五所川は帰ってしまい 奈美は怒って列車に向かって行きます。
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その後病状が進行する中で、二人は患者と看護婦の関係から共に愛情を抱く様になります。しかし奈美には以前からの許婚がいるので、親に話す為実家へ向かいます。
奈美が柏崎駅のホームで列車を待つ頃
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五所川は病院で実家へ向かったことを聞き、誤解してトラックで駅へ急行し ホームまで駆け付けますが既に発車後で間に合いませんでした。
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ヒートアップした五所川は、列車を追い掛けようと トラックを猛然と走らせます。DD51形ディーゼル機関車が牽引する旧型客車を日本海沿いの国道で見つけると、グングン追い上げます。
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やがて追い付くと、奈美は扉が開いたデッキで立ってアイスを食べている様です。五所川はクラクションを連打して呼びかけますが、なかなか奈美は気付いてくれません。
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タオルを振りながら必死で呼びかける五所川に奈美が漸く気付きますが、奈美の「危ないから」の声も「次で降りるから」の声も騒音でなかなか通じません。
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そして列車と並走できる区間が終わる頃 漸く意図が通じた様ですが、今度は五所川の様子がオカシクなり 奈美は気が気ではありません。
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奈美がハラハラする内、列車は次の柿崎駅に滑り込みました。奈美は急いで改札を抜け 駅前に停車しているトラックに駆け寄りますが、五所川の意識は無い様です。
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奈美を追い掛け 並走しながら呼びかける 切迫感あるこのシーンは、信越本線 米山~柿崎の日本海沿いの国道8号線と並走する区間で撮影されました。
この映画のロケが行われた頃 普通旅客列車は新潟運転所から分離独立した東新潟機関区のDD51ディーゼル機関車牽引とDC列車 貨物はD51形蒸機中心でした。

ロケ当時撮影可能な旧型客車列車は朝方5本・日中1本夕方2本ありました。柿崎駅到着時 ホームの電柱の陰が短いことから、11:57柏崎発 12:37柿崎到着の長岡始発 334ㇾ高崎行と思われます。
五所川の一途な思いとそれを受け止める奈美の心 その舞台に旧型客車はハマりますね。その後 1969年10月には信越本線最後のこの区間(宮内~直江津)も、電化・近代化され旧型客車も徐々に少なくなってゆきました。

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93. 風立ちぬ

 1954年5月 東京映画、大雅社 提携製作  東宝 配給 公開    監督 島耕二

堀辰雄 原作を製作時の時代背景で映画化したので、少々話は変わっています。伏見節子(久我美子)と坂井弘(石浜朗)は軽井沢でめぐり会います。
胸の病を抱える節子は迎えに来た、画家の父 伏見荘太郎(山村聡)と東京へ帰ることになり ここでこの映画の鉄道シーンが登場します。

先ず 信越本線 沓掛駅(現 中軽井沢駅)へ入線して来る D51 型蒸機牽引の列車が映りますが、ナンバー・客車共に不鮮明で優等列車かどうかも不明です。
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続いて車が沓掛駅と思われる駅舎前に到着し、鞄を持った伏見と節子が降りました。節子は父親が切符を買ってる間 坂井の姿を捜すかの様に、駅前を見回しています。

次に山の斜面で寝転ぶ坂井の姿があります。やがて遥か下の方を汽笛を鳴らしながら列車が通り過ぎて行きます。立ち上がった坂井は、じっと去り行く列車を見詰めています。
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その後 浅間山をバックに D51 501 蒸機らしきが牽引する列車が走り去るシーンがあります。当時 長野区所属で、長野工場式集煙装置装着前のスッキリとした姿で現れます。
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撮影当時 信越本線 沓掛からの上り上野方面は普通列車のみで、2本ある準急列車の高原と白樺は通過でした。夏場から11月10日までのシーズン中は優等列車も停車するようになり、更に翌年からは通年停車となりました。なお沓掛駅は 1956年4月に現在の中軽井沢に改称されています。

軽井沢~上野の所要時間は普通列車で4時間20分程 準急で3時間10分位掛かり、現在 70分程度で走る長野新幹線とは隔世の感があります。

都電 19 系統 東大赤門前停留所近くに立つ医学生 福山良一(池部良)のバックに到着する都電が映るシーンも僅かですがあります。6000形かなと思われ、緑と白のツートンカラー時代の姿です。
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 69. 男が命を賭ける時

1959年12月 日活 製作 公開    カラー作品    監督 松尾昭典

医者である小室丈太郎( 石原裕次郎 )が殺人事件に巻き込まれながらも、被害者の息子である医大生 谷口雅夫( 川地民夫 )と組んで活躍するアクション映画です。

鉄道シーンの最初はEF13 30 電機がマヌ34 暖房車+3等車+2等車と従えて、颯爽と右から左へ駆け抜けて行きます。69-1.jpg

この電機は当時 甲府機関区所属でしたので、新宿~甲府を準急 穂高か白馬を牽く姿を映したものと思われます。中央本線は戦前に甲府まで電化されたので、SG非搭載の電機が配置され暖房車が活躍していました。

小室の幼馴染である手納順一( 二谷英明 )が湯沢俊二( 神山繁 )に追われ、新潟にいる姉の元へ逃げた。小室と雅夫は手納を助けるべく動いたが、手納が乗るかもしれない新潟行きの準急列車は出た後で間に合わなかった。
30分後に出る新潟行きの急行列車に二人は乗り込み車内を見まわしたが、手納 湯沢の姿は無く「手納は30分前の準急に乗ったんだ。この列車同様混んでる筈だから、湯沢も車内では手を出さないだろう。」と自分に言い聞かせます。

二人は車内が混んでいるので、デッキに居ることにします。そして車掌が周って来たので、新潟への到着時刻を尋ねます。「明朝 10:45 です」「前の準急より先に着きますね」と小室「そうですね」と車掌は言い、行こうとします。69-3.jpg

しかし一歩踏み出した所で立ち止まり、手持ちの時刻表を開きジッと見ると「たいへん失礼しました。準急の方が4分早く着きます」 「こっちは急行なのに追い付けないのか」と雅夫が言い寄ります。
すかさず車掌は「そんなこと言ったって上野発が遅いんだから」と言い、デッキのドアを開けて車内に入って行きました。

続く場面は新潟駅3番ホーム。DF50 540 内燃機に牽かれた急行列車らしきが入ってきます。69-2.jpg
停止を待たずにナハ10 らしき3等車から小室と雅夫が飛び降り、隣の4番ホームに停まってる列車を見て「あれに乗ってきたんだな」
二人は猟銃を担いで跨線橋の階段を駆け上がります。その時駅前からタクシーが発進して行きます。そのあと二人が臨時改札口らしきから急いで出てきた時には、手納の姿は既にありませんでした。

撮影当時 上野~新潟の直通優等列車は4本 普通列車5本です(信越本線経由を含む)。本編にあるような夜行優等列車が間隔30分で続行なんてことがあるのかな? あるんです が・・・
22:30 709ㇾ準急 越後 新潟行(上越線経由) 続く 23:00 309ㇾ準急 妙高 新潟行(信越本線経由)と確かに間隔30分で続行していますが、越後の新潟到着が 5:56 なのに妙高の新潟到着は信越本線経由なので 10:34 です。
本編で小室が乗る急行の新潟到着が 10:35 なのでほぼ準急 妙高と重なります。一方 手納が乗る準急の様に新潟着 10:31 の列車はありません。709ㇾと309ㇾが共に新潟行で間隔30分で出発するのでこの様な脚本を考えたのでしょう。

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 45. 今日もまたかくてありなん  

 1959年9月 松竹 配給 公開   カラー作品     監督 木下恵介

 家のローン返済の一助にとひと夏 会社の上司に湘南の家を貸した佐藤正一(高橋貞二)と妻 保子(久我美子)のサラリーマン一家の夏を描いた作品です。

 朝 佐藤が最寄りの東海道本線 辻堂駅から通勤する様子から鉄道シーンが始まります。 7:31 駅に到着します。程なく 80系湘南電車が入線、小田原発東京行上り 828ㇾでしょう。45-0.jpg

 辻堂を 7:36 に発車し、終着東京には 8:38に着きます。向かいの下りホームからは客車列車が出発して行きます。少々遅れた大阪行 123ㇾと思われます。定時なら大阪着は 19:30 です。

 続いて、有楽町駅を通過して行く様子が映ります。東側から撮影しているので、日劇やその前を走る都電 11 系統も映っています。
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そして東京中央郵便局をバックに東京駅へ到着します。45-3.jpg


 次に家を貸したことから保子は実家に滞在し、最寄りの信越本線 中軽井沢駅へD51牽引の下り列車が到着するシーンがあります。
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当時も今の様にホームが二面ですが、跨線橋など無く端に構内踏切があります。
 その後D51牽引の上り列車が到着します。この列車は7両編成で3両目が二三等合造車となっています。この頃の信越本線は普通列車も長距離列車が多く、11本中 7本に二等車が連結されていました。

 森五郎(小坂一也)が小諸の工場へ勤めているので、中軽井沢から通勤に信越本線を使うシーンがその後にもあります。D51牽引の上り列車で帰ってくるシーンは夏なのでまだ日が高い。45-5.jpg

 この列車は4両目に二三等合造車が連結されています。中軽井沢駅は元は沓掛駅でしたが、撮影の三年前の 1956年4月より中軽井沢と改称し今に至り 1997年10月よりしなの鉄道の駅となっています。

 この頃の中軽井沢を通る信越本線は唯一の急行 白山号(上野~金沢)をはじめ準急 妙高(上野~新潟),高原(上野~長野),白樺(上野~長野) 各停 11本全て蒸機牽引で走っていました。
蒸機天国信越本線もこの映画撮影の4年後 1963年6月 軽井沢~長野が電化 。翌 7月には横川~軽井沢の碓井峠が通常の粘着運転新線として完成、前年の高崎~横川の電化と繋がり近代化が進みました。

 この映画は電化前の長閑な様にも見える夏の軽井沢一帯の賑わいを、 7両編成が満員鈴なりの普通列車から感じとれる作品であります。
 

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14. その壁を砕け

 1959年6月  日活 製作 公開    監督 中平康

 新しい生活が待つ新潟へ向かう渡辺三郎(小高雄二)が冤罪事件に巻き込まれるが、恋人 道田とし江(芦川いづみ)の支えもあり裁判で冤罪を晴らすまでを描く社会派映画

 鉄道シーンとしては渡辺逮捕に疑問をもつ相生警察の署長(清水将夫)が とし江と話す場面 操車場であろうか背後で9600形と初期型のD51(通称なめくじ型)が盛んに行き来しています。14-2.jpg


 また渡辺を直接逮捕した森山竜夫(長門裕之)も次第に疑問を感じ、怪しい富永清美(沢井保男)を新潟の鉢木駅(架空駅)から上野まで延々尾行する場面がハイライトです。バスで鉢木駅に着いた富永は69636蒸機牽引の列車に乗ります。
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 富永を追いかけて鉢木駅を発車 加速している列車に危うく飛び乗った森山。
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車内の様子から普通列車と思われます。9600形牽引からD51へ 更にC57へと機関車は交代し、長岡駅に到着します。
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 長岡ではEL(EF57か)に機関車が替り、煙から解放されホッとします。それゆえか富永はサンドウィッチとビールを売り子から買い、落ち着いた様なのでここから森山も席に座り上野まで尾行は続きました。
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 上越線は山岳区間が長い為、建設当初から電化された区間も有り 終戦直後の1947年10月全線電化。更に高崎線も東海道本線よりも早く、1952年4月には全線電化となりこの時点で上野~長岡まで電化されました。

 この頃 新潟方面から信越本線で上京すると長岡まではSLの煙に悩まされるが、ここから上越線に乗り入れると上野まで快適なEL列車の旅となる。本編ではこの辺を強調しています。
 



 PS.  鉢木から乗った列車は 69636牽引だが、この機関車は昭和30~40年代一貫して大宮機関区の所属で川越線を走り 昭和44年9月30日には川越線SLさよなら列車の先頭に立っている。
 また 車内中吊り広告には湯檜曽温泉の旅館ユビソ本家があるが足利競馬 前橋競輪 那須,塩原が有り 察するに森山が乗った列車の撮影は東京から程近い川越線で行われたのかなとも思われる。
 そしてC57が長岡駅に到着し、EL牽引で出発して行く場面は俳優抜きの別撮りとも思う。

   それから9600形から替ったD51は山線用集煙装置を付けたD51388号機です。本機は昭和30年代のこの時期 松本機関区所属で篠ノ井線を主に走り、新潟県にはゆかりが無い。
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 本編のD51走行シーンを見ると、冠着超えの様にも見える。 新潟~長岡に山岳区間は無いことから 他線で撮影した煙の多い山越えの走行シーンを入れて森山がデッキで煙に咳き込むシーンを強調している。
 それがまた長岡でのSLからELへの変換でホッとする車内の雰囲気を印象的にしている。

   この当時 新潟から上野へ日中走る上越線経由直通の普通列車は朝6:50新潟を出発し15:52上野着の1本しかない。昼行の急行も、午前発の佐渡 午後発の越路の2本しかない。
 架空のダイヤでの話とも思うがもし本当なら本編では日中走り、夜上野に到着していることから この普通列車で信越本線 上越線と乗り通し、何処かで途中下車し急行越路に乗り19:00上野に到着という過程ではなかろうか。
 まだまだ複線化が進んでいなかったこの時代 意外な程 新潟~上野を走り通す列車は少なく、夜行を含めても上下急行3本 普通2本しかありません。 


PS-2. 川本三郎氏の著作(あの映画にこの鉄道)から、1~3枚目の画像が撮影された鉢木駅は高麗川駅だそうです。

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