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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

282.ひかげの娘(こ)

1957年6月 東京映画 製作  東宝 配給 公開   監督 松林宗恵

母も祖母も芸者上がりの芸者屋で自らを日陰の子と劣等感をもって育った房子(香川京子)が、理想の男性を求めてさまよう長い旅路を描いた映画です。

序盤 房子の回想シーンとして 房子の母である妻に情夫と駆け落ちされた父 繁雄(東野英治郎)が、二人を追い駆けて修善寺駅へ駆け付ける場面があります。
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撮影時点では駿豆鉄道 修善寺駅へ繁雄が駆け込んで行くのですが、この頃の駅前は砂利敷きでボンネットバスが2台程のんびり停車しています。
慌てて降車口からホームを見渡す繁雄ですが、電車は直前に発車した後で遥か先へ過ぎ去って行くところでした。この当時は貨物営業も行われていて、広い構内には貨車の姿もあります。
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その後 父と上京した房子は、伯母 お絹(山田五十鈴)が営む芸者置屋 小浜で帳場を預かる様になります。そしてこの店を通して色々なタイプの男と知り合う房子でした。
ある日 店で働く芸者 政代(淡路恵子)が男と駆け落ちします。お絹は修善寺の綾子(塩沢登代路)の所へ行ったに違いないと、房子に捜し出して連れ帰る様に頼みます。

東海道本線 三島駅まで来た房子は、駿豆線に乗り換える前に駅前から綾子の所へ探りの電話をします。続いて公衆電話から出た房子が、三島駅へ戻る姿が映ります。
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早春の富士山をバックに伊豆箱根鉄道 駿豆線のモハ50形(先頭はモハ54?)らしき2連電車の走行シーンの後、
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車内で座る房子の対面には賑やかに談笑する洋装の芸者らしき3人組がいます。
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政代は修善寺にいませんでしたが、数日後に湯河原の旅館にいる政代から助けてほしい旨の連絡が入ります。そこで再び房子が湯河原へ、政代引き取りの為派遣されるのでした。
房子は湯河原に高校の同級生 高野弘(佐原健二)がいるのを思い出し、序に会おうとして電報を打ちます。80系電車が到着する東海道本線 湯河原駅ホームには、高野が出迎えています。
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房子が何処から降りてくるかとキョロキョロ捜していると、二等車から洋装で降りて高野を捜しています。
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それを見付けた高野が「ふさチャン」と駆け寄れば、房子も「ひろチャン」と笑顔で応えます。
しかし話す内に高野も体目当ての他の男と同類に思えた房子は、政代を連れてさっさと帰ってしまいます。

後日 高野から商用で上京したのでと連絡が入り、苺のお土産をもらいます。お礼に房子が東京駅まで、高野の見送りに行く場面があります。
湘南電車の案内板が映った後 80系電車の窓越しに「未だお嫁さんになってくれる見込みあるね」と高野が笑顔で聞くと、房子はドライな微笑で「ばかね」と一言です。
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電車が動き出し 手を振る高野に「さよなら」と一言呟いた後は、更に手を振る高野にすまし顔で黙礼をするだけの房子です。
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12番線から去り行く 80系電車の最後部が映ると、3枚窓が特徴の初期型でした。
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高野を見送った房子は、八重洲口からタクシーで鶯谷のホテルに泊まる山岸(中村伸郎)の処へ向かうのでした。







PS.

 本作の公開4日前に駿豆鉄道から伊豆箱根鉄道へと改称したので、category は伊豆箱根鉄道 駿豆線としましたが、撮影は駿豆鉄道時代に行われたものです。

 湯河原駅で房子は二等車である 5号車のから降りて来ますが6号車も二等なので、放送はありませんがこの列車は 14:21着の 801レ準急伊豆号 伊東・修善寺行の模様です。

 東京駅での見送り場面は、流れる構内放送で同じく 801レ準急伊豆号の様です。高野は房子と違って、三等車で湯河原まで帰るのですね。
 準急伊豆号は加速の良い電車なので 13:00発の急行霧島号より 5分早く出発しますが、熱海到着は 19分も早く到着します。つまり熱海までの所要時間が 14分も短いのです。停車駅数は同じでも小田原が 30秒停車の様な、発着共に同時刻表示と停車時間も短いのでした。


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