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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

354.恋は異なもの味なもの

1958年4月 東京映画 製作 東宝 配給公開   監督 瑞穂春海

寄席小屋を営む 仙介(日守新一)は モダンな娘 光子(雪村いづみ)と 鰻屋の主人 繁三(森繫久彌)の甥 新太郎(藤木悠)を 結婚させようとしますが、すれ違いとなる 下町人情調の 喜劇映画です。

冒頭 華やかな東京の中心部に対して ガタゴト走る1系統と
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30系統の都電と
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寄席小屋寿亭を、斜陽な存在として光子が紹介しています。

続いて 寿亭で お茶子として働く咲子(津島恵子)を フランスへ留学中の兄 幸介の許嫁で、やがては 義理の姉となる存在と 紹介します。

ある日 咲子は 母親の墓参りの帰りに、上野の科学博物館近くで 新太郎とバッタリ会います。

上野駅が見下ろせるベンチに 新太郎は座りますが 着物姿の咲子は座らず、
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仙台への転勤を聞いた咲子は 両大師橋へ向かって走る汽車を見て
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「あの汽車が仙台へ行くのね」と呟きます。

光子と新太郎を 結び付けようと 繁三が張り切ると、二人共 満更でもない様子で 話を進めるのでした。

ところが フランス帰りの水島陽子(木村俊恵)から「フランス女性と結婚した」との 幸介からの伝言を聞いた光子は 咲子に伝え、咲子の本心が 新太郎に向いている事を 聞き出します。

光子は新太郎に 咲子の気持ちを伝え、二人の仲を 取り持つ事にしました。

いよいよ二人が 仙台へ旅立つ日 上野駅では「まもなく 17:20発 常磐線周りの 急行青森行が発車します」と構内放送が流れ、
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C61形蒸機に牽かれた 列車が動き出しました。
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並ロの車内に 並んで座る二人の内 咲子が「みっちゃん 見送りに来てくれなかったわね」と言うと、新太郎は「みっちゃんのことだから 何処かで 我々の幸せを祈ってくれているよ」と応えます。
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一方光子は 両大師橋の上から 二人の乗った列車を見ていました。汽車の爆煙が 光子に迫り来たので、
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橋の反対側に走ると 煙を避けながら 去り行く列車を見送るのでした。
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上野駅西側の 線路沿いの坂道を 元気なく歩いている光子に、354-15.jpg
公園口から 見送りして出て来たらしい繫三が 後ろから「おーい みっちゃんも 見送りに来たのか」と声を掛けます。

光子は 曖昧な顔で否定するでもなく、しゃがんで 靴の紐を直すのでした。繫三が「そうか 本当はみっちゃん 新太郎のことを・・・」と呟くと、背後を 京浜東北線北行電車が通ります。
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PS.
  1・2枚目の画像で 都電1・30系統の電車が 映っていますが、同じ線路を走っているので 中央通りの須田町~上野駅前の何処かでしょうか。

  (306.女中ッ子)でもロケが行われた 上野駅が見下ろせる線路端で、明確な列車は映っていませんが 本作でもロケが行われました。

  ロケ当時は 東北本線の大宮から先が 未だ非電化なので、東北本線・常磐線の長距離列車の大半が 蒸機牽引列車でした。本作公開月に 宇都宮迄電化されて、上野へ乗り入れる蒸機が グッと減ります。

  17:20発の 急行青森行との放送ですが これは架空列車で、常磐線では 16:05発 203レ急行北上と 19:15発 205レ急行十和田の 真ん中辺りの設定で 脚本が書かれています。

  しかし 転勤地の仙台着が 203レを使っても 22:08なので、架空列車の到着は 23:23頃と計画が不自然です。9:50発 201レ急行みちのく青森行の仙台着が 15:47なので、常磐線周りなら 現実的には 201レを使うと思われます。

  C61形蒸機に牽かれた列車は 当時の地平11番線から発車していますが、上野駅の配線状況から 当時の常磐線周りの 急行青森行5本(201レ・203レ・205レ・207レ北斗・209レおいらせ)の全てが 高架6~8番線からの発車でした。

  映っている列車が 急行だとすると C6119号機が 当時白河区所属であったことからも 11番線から 13:30発 103レ急行松島 仙台行と思われ、仙台に 20:18到着と 転勤利用には現実的ですね。11枚目の画像からも東北本線への、長距離 長編成の急行列車と思われます。

当時の常磐線は 日暮里~平(現 いわき)が複線化され 勾配も最大10‰と 蒸機には好条件で、上野~青森の直通急行は 5本全てが上野~仙台を常磐線周りで運転していたので 架空放送の様な内容となったのでしょう。
  
  東北本線の方は 複線化が東京~宇都宮だけと 常磐線の半分以下で 勾配も25‰区間があるので 補機が必要となり、青森・秋田行と標示している 101レ急行青葉も 仙台へ着いた7輌中2輌だけを 201レ急行みちのくへ併結して青森へ向かったのが実態です。

  こうした事情から 本作公開の半年後に誕生した 東北地方初の1レ特別急行はつかり号(上野~青森)も、上野~仙台の区間は常磐線(日暮里~岩沼)を1968年9月末まで走っていたのでした。

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337.風ふたゝび

1952年2月 東宝 製作 公開   監督 豊田四郎

大学時代 恩師の娘に魅かれながらも 戦争の嵐で離れ離れになった二人が再会しますが、お互いに自身の現状から 言い出すことが出来ない 女性好みの 典型的なメロドラマ映画です。

序盤 セットらしき夜行列車の並ロ客車内で 資産家の道原敬良(山村 聰)は、財布を洗面所に置き忘れたまま 席に戻る途中 知り合いの書店主 川並陽子(浜田百合子)と通路で偶然すれ違い 挨拶します。
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席に戻ると 同行の友人達から「どこへ行っても女に不自由しないな」などと 冷かされますが、
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直ぐに置き忘れた財布に気付いて 男とすれ違いながら戻りますが
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既に財布の中身は抜き取られていました。
友人に話すと あの男は仙台大学の教授だと教えられますが、確証もないので公安官を呼ぶのを断りました。一人で乗る男は、仙台大学教授の久松精二郎(三津田健)でした。
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やがて汽車は都内を進行し、
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上野駅へ ゆっくりと到着しました。
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久松はホームを歩いて進みましたが
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下り階段で転倒し、持参していた手紙を伝手に教え子の宮下孝(池部良)の家に運ばれます。

戦後 某家へ嫁いだ 久松の娘 香菜子(原節子)は離縁して、渋谷の叔父(龍岡晋)の家に 居候していましたが、この件で二人は再会し 互いに意識が再燃する様になります。

宮下の家で父の看病をする間、夜勤となった宮下の働く市場へ 外套と腕時計を届ける場面があります。ここで二人が歩く前を、小型蒸機が4輌程の貨車を牽いて通過して行くシーンもあります。
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その後道原の口利きで 東京放送に就職した香菜子は、明るく溌剌と仕事に打ち込みます。一方北海道に出張していた宮下が、年明けに帰京する時 車中で隣席の女性にリンゴをあげるカットもあります。
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1月5日に帰京した宮下は 道原の家に向かう様に 伝えられて向かうと、そこで立ち働く香菜子の姿を見て 北海道の友人の元で働く決意をします。その後道原は香菜子に、後妻に入ってほしいと願い出ます。

道原の亡妻7回忌の 手伝いを頼まれて働く日、宮下は陽子に「今夜の北斗で立つ」と告げて香菜子への手紙を託して去ります。

7回忌後の会席に到着した陽子は 香菜子に手紙を渡し、「宮下さんは今夜の北斗で立つのよ もう帰って来ないのよ!」と告げると、香菜子は慌てて和装を着替えます。

陽子から経緯を聞いた道原は 香菜子の行動を察知して 自分の車を用意させると、 玄関で香菜子を待ち受け「車を使いなさい」と便宜を図り 穏やかに見送るのでした。

急いで走る香菜子を乗せた道原の車が 上野駅へ到着すると、C57形蒸機101号機に牽かれた列車が
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汽笛と共に荷物車を最後に出発して行きます。
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デッキから車内へ入った香菜子は、通路を進んで宮下を捜しますがいません。
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次の車輌でも 次の車輌でも見つからず その先のデッキへ行くと、漸く宮下に会うことが叶い お互い万事了解した笑顔で 見つめ合うのでした。
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PS.
  車内シーンは 全てセット撮影と思われますが、車内の細かい造り様から 二等車シーンは 実車を借りての撮影かもしれませんね。

  6枚目の画像は 日暮里駅方向から上野へ向かう C57形蒸機47号機牽引列車で、当時水戸区所属であることから常磐線を上って来た列車と思われます。

  7枚目の画像は上野駅高架 7番ホームへ到着する C5756号機牽引列車の方は、当時高崎第一区所属であることから 高崎線を上って来た列車と思われます。
  続く画像で 久松精二郎が下車して ホームを歩く時 時計は9:18頃を指しています。高崎 6:20発 738レが 8:58に上野へ到着した後 エキストラと共に ロケを行ったと推理しましたが 7枚目画像とは別の所【両国駅?】でのロケの様です。

  青果市場で二人が歩く前を 2120形らしき小型蒸機が通りますが、当時の青果市場と言うと 秋葉原にあった神田青果市場を思い出します。しかし隣接した 秋葉原貨物駅は高架線上にあり、当時地平線路は存在しなかった筈です。
  築地市場にも 汐留貨物駅から 貨物線が延びていました。魚市場の印象が強かった築地でしたが 青果市場部門も大きく、品川区のB6が働いていた映像(ごちそう列車)からも ロケ地は築地市場の様です。

  最後宮下は「今夜の北斗で立つ」と伝えますが、当時の時刻表では 203レ急行北斗は 18:35に上野を出発し 終着青森には翌 8:47の到着です。
  そして 9:15発の 青函連絡船3便に乗り継ぎ 函館13:45着です。さらに 14:19発の3レ急行まりも号に乗り継げば、翌々日の朝 6:40釧路に 所要36時間5分で着きます。(友人の研究室からは、大雪山系らしき山が見えますが)


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279.キューポラのある街

1962年4月 日活 製作 公開   監督 浦山桐郎

鋳物工場の多い川口の街で貧困と向き合う中学三年生 石黒淳(吉永小百合)を中心に、北朝鮮帰還で悩む在日コリアン家庭を並行して描いた社会派映画です。

冒頭 川口の説明をする途中で、京浜東北線の 72系電車が県境の荒川橋梁を渡る走行シーンがあります。
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次に淳の弟 タカユキ(市川好郎)・金山サンキチ(森坂秀樹)・ズク(西田隆昭)の三人が、下校時 荒川河川敷を歩いています。その背後の荒川橋梁を、電機が旧型客車を牽いて渡って行くのでした。
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タカユキが両親とケンカして家を飛び出した夜には、線路端にある公園で横をキハ58系らしきDC急行列車(準急?)が通過して行く姿があります。
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その後 進学費稼ぎの為 パチンコ屋でアルバイトを始めた淳でしたが隣の塚本克己(浜田光夫)に見つかり、土手上を話ながら歩く横を 70系電車らしきが走り抜けて行きます。
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修学旅行に持参する小遣いの金額が千円となったが貧困家庭の淳と金山ヨシエ(鈴木光子)は、土手道を歩きながら「私達には無縁の話だ」と考えが一致します。
そこへ裕福な家庭の中島ノブコ(日吉順子)が淳に話しかけてきたので、ヨシエは自転車に乗って先に行きます。その先には電機が無蓋車を長々と牽いて、荒川橋梁を渡る貨物列車の姿が見えます。
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タカユキが工場へ泥棒に入ったのを見付けた淳が公園で主犯のノッポ(川勝喜久雄)とタカユキを問い詰める場面の背後では、電機がゆっくりと旧型客車を牽いています。4両目には一等車を繋いでいます。
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また教室の窓から自転車に乗るヨシエを見かけた淳は、追い駆けてパチンコ屋を辞める話をします。するとヨシエも北朝鮮へ帰る話を悲し気にする場面で、電機が重連で貨物列車を牽いています。
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失職していた淳の父親がノブコの父親のお蔭で再就職できたのに自ら辞めてしまい、家の中が荒れ放題の最中に修学旅行に出かけた淳です。しかし駅までの途中でノブコの姿を見かけた淳は、引け目から思わず物陰に隠れて修学旅行に行きません。
集合場所の川口駅前では淳が来ないので、野田先生(加藤武)は心配顔です。
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一方 淳は荒川の土手に寝転んでいると、その横を皆が乗ったらしき京浜東北線 72系電車が通り過ぎて行きます。
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続いて川口駅改札前にタカユキが現れ、浦和鑑別所へ行く為自動販売機で切符を買います。
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その後ろから淳が弟に気付かず現れ、窓口で浦和迄の切符を買っています。

終盤 川口駅から北朝鮮へ帰還した在日コリアンの金山サンキチでしたが、翌日タカユキが見かけます。事情を聞けば上野から新潟行きの特別列車に乗ったが途中で残った母親が気になって、大宮駅で降ろしてもらったそうです。
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大宮駅で父と姉と別れ、この駅で在日コリアン人々と共に見送るサンキチでした。
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最後は改めて北朝鮮帰還団の一員として特別列車に乗ったサンキチを見送る場面です。川口陸橋上で手を振る淳とタカユキの前に、EF53形らしき電機が次位にマヌ31形暖房車らしきを繋いだ列車が現れサンキチは窓から手を振って応えています。
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車内から身を乗り出してサンキチが手を振るシーンでは、サッポロビール川口工場専用線と無蓋車が映っていますね。
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PS.
 この映画では荒川の土手と荒川橋梁を中心に16か所以上の鉄道シーンがありますが、明確に映っている場面が少ないのは残念ですね。
 浦山監督は荒川の土手と荒川橋梁が気に入った様で、明らかに列車が人物の背景に入る様にタイミングを合わせて撮影した場面が多いですね。

 大宮駅の次の駅はこの当時土呂・東大宮駅は無く、8.9㎞先(遠い!)の蓮田でした。高崎線の方は、現在と同じ宮原駅ですね。

 淳とタカユキが川口陸橋上からサンキチを見送る場面では、左端のサッポロビール川口工場専用線から東北本線下り線まで一気に跨ぐ片渡り線が見えています。
 末期のサッポロビール川口工場専用線では 1986年に廃止されるまで、日車製 15tDLが日通川口支店に依って製品出荷の為に運営されていました。



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263.三匹の野良犬

1965年9月 日活 製作 公開   監督 牛原陽一

片桐組の仲間に嵌められ 警備員射殺の罪で 死刑判決を受けた岡本隆(小林旭)が、護送中に脱走し 新たな仲間と組んで復讐を目論む アクション映画です。

冒頭 列車で護送途中の岡本は、木暮刑事(多々良純)と手錠で繋がれ向かい合わせに座っています。
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デッキのドアが開き、因縁の東田(郷鍈治)に似た男が入って来ます。
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思わず岡本は立ち上がりますが、「人違いでした」と言って座ります。
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続いて「トイレに行かせて下さい」と頼みデッキへ向かうところで、EF58形電機の走行シーンが入ります。
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岡本がトイレに入り、手錠で繋がれた木暮刑事が外で待つ形です。中で岡本は裁判官から死刑判決を受けた時のことを思い出すと、勢いよく扉を開けて木暮刑事の首に鎖を巻き付けて手錠のカギを探します。
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遅いのを不審に思ったもう一人の平野刑事(長弘)が駆けつけると施錠されたトイレから応答が無いので、急ぎ車内通路を走って反対側のデッキへ駆け込み非常弁を強く引きました。
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列車が急停車するタイミングで岡本は、トイレのガラス窓を割り破って飛び降ります。
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丁度そこは鉄橋上で、反対側から向って来る電機牽引列車が見えます。
急いで逃げようとすると今度は足が枕木とその下の部材の間に挟まり 焦る岡本に、EF80形らしき電機が
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牽引する列車の危機が迫って轟音と共にEF13形らしき電機が通過して行きます。
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ところが岡本は鉄橋の下側にぶら下がって回避したのでした。
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その後ヒッチハイクで乗せてもらった皆川英次(和田浩治)に助けられて検問を抜け、殺されていた片桐元組長の所で出会った神山秀夫(宍戸錠)とダイヤを目当てに三人は組んで行動します。
ダイヤを奪った権藤(高品格)が横浜で営む東海産業へ皆川が入り込み、ライバルの日光海運へ岡本がもぐり込んで共倒れを目論みます。その出だしで、横浜臨港線に停車している貨物列車脇でのロケがあります。(遠く蒸機の汽笛は聞こえますが、姿は無し)

終盤 助っ人の東田が 153系らしき急行六甲号で、横浜駅へ到着します。
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そして今は無き横浜駅東口駅舎をバックに登場して、恰好をつける場面もあります。
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急行六甲号は 1961年10月に登場して特急こだま号などを補完する役割で活躍しましたが、東海道新幹線の開通もあって この映画公開の9月末をもって廃止されています。




PS.
  岡本が護送されている列車は急行まつしま号だそうで(セット撮影でしょう)、「次の停車駅は宇都宮 日光行は 14:??発です」と車内アナウンス(アフレコ)があります。

 当時のダイヤでは上り 36M急行第2まつしま号が 14:41宇都宮着で、接続の日光行は 14:45発の 821レです。脚本は、この列車を示唆しているのでしょうか。(PC客列車ではなく電車ですが)

  102M 急行六甲号は 8:30大阪発で、15:34横浜到着でした。10分後に大阪を発車するPC客列車の 36レ急行高千穂号は横浜着 16:23と所要時間は 39分も多いのです。加速の良い電車ならではの違いですね。

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241.どっこい生きてる

1951年7月 新星映画社・前進座 製作 北星映画 配給   監督 今井正

時代は戦後復興初期。定職に就いて安定した生活を目指す 日雇い労働者 毛利修三(河原崎長十郎)の、だらしなくも前向きに苦闘する生活を描いた社会派映画です。

冒頭 早朝から日雇い労働を紹介する職安の様な所を目指す人々を映した場面で、薄暗い中 千住大橋らしきを越えて来た都電の前後に軌道敷を走る男がいます。
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続いて 高架駅を出発する京成電鉄 200形らしき電車が映り、駅の出口から走り出して来る人々がいます。推測すると 千住大橋駅でしょうか、「防犯強化デー」と書かれた大きな立て看板が目立っていますね。
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次に都電 3000形 3105が停止しない内から飛び降りて 駆け出す男達がいます。行先表示が北千住と読めるので、都電 21系統(千住四丁目~水天宮前)ですね。
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カーブを曲がった所で停車したので、千住中組電停でしょうか 殆どの人が降りた様です。他の車が走っていないので、日光街道の路上を広がって走って行く様です。かつて千住橋戸町にあった職安を想定している模様です。

この日雇い労働の仕事もアブレる日もあって苦しいのに 借家も立ち退きを迫られ、妻 さと(河原崎しづ江)は長男 雄一(河原崎労作)長女 民代(町田よし子)を連れて東北の姉宅を頼って行くことにします。
出発の日 上野駅へ行く前に、アメ横近くの高架線沿いを歩く一家が映ります。山手線か京浜線の 63系電車が5連らしきで走行する姿が映ります。この界隈は現在と殆ど変わりない感じです。
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そして一家は上野駅前へやって来て、露店の本屋で毛利は児童書を二人に買ってあげます。戦後6年目の上野駅前ではアメ車らしき乗用車が溢れて、復興期に入った様子です。
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中央改札口前の明り取りのある大屋根が映り、行列に並ぶ一家の姿があります。やがて「10番線から 11:25発 各駅停車 青森行の改札を開始します」と放送があり、行列は進み始めます。

毛利は妻に金を渡そうとしますが辞退され、二人の子供を連れて改札を通ります。さとは走って12番線を目指す人々の流れの中で、後ろを振り返りながら進んで行くのでした。
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毛利は三人が乗った列車を見送るべく、北方向にある両大師橋に上がります。やがて3番線らしき高架ホームを出発した蒸機牽引列車が、白い煙を吹き出しながら毛利の下を通過して行きます。去り行く妻子に向かって再起を誓っている様な表情ですね。
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その後 努力しても不運や毛利のだらしなさもあって、遂には盗人の片棒まで担ぐ始末の毛利です。逃げ回った末に 簡易宿に戻ると、警官が待ち構えていました。しかし上野署へ出頭すると、妻がキセルをして捕まった故の呼び出しでした。
聞けば「姉宅も極貧状態なので、黒沢尻(現 北上)から二駅程の切符で戻って来た」そうです。余程不憫に見えたのか「本当は3倍の罰金なのだが」と言って、警察では説諭で放免してくれました。

警察を出て 鶯谷~上野らしき線炉端の高台を一家はとぼとぼと歩き、仕切り壁に座り込んで途方に暮れた顔の夫婦です。一家の背後では回送か入れ替え中なのか、小型蒸機が白煙を上げて走っています。
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さとは「今夜子供たちを何処へ寝かせたらいいのか」と呟き 雨も降り出して、毛利も今後どうしたらいいのか迷っている様子です。雨の中 常磐線の 63系電車らしきが走行する姿があります。
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PS.
 毛利の妻が子供たちを連れて乗ったのは 上野 11:30発 113レと思われますが、この列車が黒沢尻に到着するのが 3:26頃と 真夜中です。到着後の行動を考えたら、12:35頃到着する上野 21:30発 常磐線経由の青森行 211レが適当でしょう。
また当時の運賃では、上野~黒沢尻の 3等運賃が 560円です。行きは払えた切符も、帰りは隣の六原までの 10円切符を買うのがやっとだったのでしょう。







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222.おかあさんのばか

1964年6月 松竹 製作 公開   監督 水川淳三

両親・兄と共に平穏な生活を送っていた小学5年生の古田幸(加納美栄子)が、母の急死に因って生活が激変し 数々の困難に直面しながらも成長してゆく姿を描いた映画です。

幸の母 静江(乙羽信子)は区民水泳大会に出場した直後に、突然倒れて 脳出血に因って急死してしまいます。そして翌日から幸が一家の母親役を担うことになります。
しかし学校帰りに無人の家で魚を焼いて夕飯の準備を始めると、ガスの集金人が来て払えないのを怒られ 魚も焦がしてしまい家を飛び出して駒沢から渋谷駅へと行くのでした。
更に三段窓の京浜東北線 桜木町行 72系電車の走行シーンが映った後、
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幸は近所に住む井上猛(三上英一郎)が働く自動車工場へ会いに行き 夜になって帰ります。

ある日幸は近所に住み姉の様に慕う会社員の坂本千恵(榊ひろみ)に東京タワーへ連れて行ってもらい、両親の意向に反して 今は遠い黒四ダムで働く彼氏と結婚する決意を聞かされます。
そして千恵が旅立つ日 幸は一人早起きして、父と兄の朝ご飯の用意をしてから上野駅へ見送りに行きます。地平ホームに面して列車案内札の下がる改札を足早に通ると、14番線へと急ぎます。
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発車ベルが鳴り響く中 14番線で発車を待つ 82系気動車特急 白鳥号の元へ急ぐ幸の横には、16番線の 80系電車と 17番線の 451系電車らしきが停車している姿が見えます。
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幸は最後部から車内の千恵を捜して前方へと進むと、4両目で窓側に座る千恵を発見します。
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固定窓なので声はよく聞こえませんが、お互い身振り手振りを兼ねて別れの挨拶を交わします。
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構内放送で「 14番線は 7:43発 新潟行 特別急行白鳥号です」と流れていますが、当時 2003D 白鳥号は 9:05発 長野経由の大阪行なのでアフレコと思われます。

やがて白鳥号は、ゆっくりと動き始めました。手を振りながら少し歩きますが、立ち止まって列車の最後部を見送ると
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元来た中央改札口へと走り出しました。
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広小路口を出て振り向くと、駅の時計は 7:45指しているので
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京成上野駅方面へと急ぐ姿が映ります。幸は駒沢に住んでいるので地下鉄銀座線で渋谷へ行き、玉電に乗ったと思われます。

見送りに行ってから学校に間に合う設定なので、白鳥号を 7:43発にしたのでしょう。それでも少々苦しい設定なのですが・・・
しかし架空の新潟行としたのは不思議です。黒四の入口は大糸線 信濃大町か北陸本線 富山なので、大阪行の白鳥号のままなら富山を通ります。(上野 9:05発 → 富山 16:03着)

9:05上野発の白鳥号と 5:20青森発の白鳥号を直江津で併結して大阪まで食堂車2両を含む 14両編成で運行する方式は、1965年10月に上野発が金沢行はくたか号として分離されるまで続きました。




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217. 赤い殺意

1964年6月 日活 製作 公開   監督 今村昌平

東北 仙台の地で 常に受け身になって虐げられる生活に耐え忍ぶ高橋貞子(春川ますみ)が、自分を暴行した強盗犯に振り回されながらも何時しか自立してゆく様を描く映画です。

冒頭 仙台駅一つ手前の長町駅近くに住む高橋家が面している東北本線上を、常磐線からの旧客列車を仙台区のC62 7 が牽いて 轟音と共に走り去って行きました。
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貞子の亭主 高橋吏一(西村晃)は図書館司書で、東京での会議に夜行列車で出張の為 仙台駅改札口へと来ています。一晩中数多くの列車が発着する活気ある 駅構内の様子が映っています。
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高橋を見送った貞子は、仙台市電に乗って 自宅最寄りの広瀬橋電停で降りました。乗って来たのは仙台市電 長町線 400形・403長町行で、駅から付けている男の存在に気付いてない様子です。
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夜中に侵入した強盗犯 平岡(露口茂)に暴行までされた貞子は、翌朝 自宅前の線路脇に上って C60 12蒸機へ身投げ仕様としますが踏み切れないのでした。
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線路に面している高橋家では、四六時中 汽笛や列車の走行音が聞こえています。突然 雹が降り出した日には、D62形らしき蒸機が牽く貨物列車が背後を通過する中 洗濯ものを取り込むシーンもあります。
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ある日 妊娠を感じた貞子は、遠く離れた松島で診察を受けます。東北本線 松島駅で帰りの汽車を待っていると、ホームに平岡が現れ「俺と逃げてくれ 東京へ行こう」などと口説きます。

そこへC60 13蒸機が牽く普通上野行き列車が、豪快に黒煙を吹き上げながら到着します。
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乗り込んで車内を移動する貞子を平岡は延々と追い掛け、最後部のデッキでもみ合う二人をカメラは追い続けます。
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この当時 松島駅からの普通 上野行きは5本ありますが、該当するのは盛岡始発の 132ㇾで 松島を 11:32に発車して 終着上野には 21:59到着です。

そして松島駅を去り行く列車をホームから撮り続けると、更に二人がもみ合う走行中の最後部デッキを追い続けるのです。電化に備えたポールが立ち並び、接触危機を感じる迫力あるアクションシーンです。
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国鉄の協力で客車最後部に無蓋車等を増結して、そこから撮影していると思われる映像です。電化済の印象を映像から感じますが、1965年10月に仙台~盛岡を一気に電化しているので南から順次施工している様です 。
平岡が貞子と無理心中を望んでいる様なもみ合いはトンネルを過ぎても続きますが、突然 平岡は心臓発作をおこし苦しみ 東仙台駅に着いても不憫に思えた貞子は平岡を振り切ることができません。

中盤 平岡は貞子の息子にメモを託して、広瀬橋に貞子を呼び出します。しかし貞子は現れず 待ちぼうけを喰った平岡の背後を、2D上野行 81系気動車特急はつかり号らしきが通過して行きます。
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その後もしつこく現れる平岡に、貞子は手切れ金を押し付けて別れを宣言して帰ります。しかし平岡の様子が気になった貞子は市電 広瀬橋電停で下車しますが、吹雪の中 直に反対側の市電に乗って戻るのです。
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高橋が京都へ出張する日、貞子は自宅の庭から 453系電車急行に乗る夫を見送ります。その後遂に仙台駅で平岡と待ち合わせ 駆け落ちの旅に出ますが、高橋の愛人 増田義子(楠侑子)が二人を追っています。
ところが二人の乗った列車の先行列車が大雪で脱線したので、とある駅で停止したままとなります。吹雪の中 C57形蒸機らしきを先頭に停車する駅から、二人は あかばら温泉(架空?)を目指して歩くのでした。
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PS .

  今村監督が後年 最も印象に残る作品であると語った本作は、東京オリンピック前の仙台近郊でのロケが多く 大型蒸機も数多く登場する小生推薦の映画です。
  1962年7月に二代目松島駅となったこの駅から始まる二人の最後部デッキでのもみ合いは、今では撮影できない程の危険なアクションシーンであり この映画のハイライト場面と思われます。
  また 具合の悪くなった平岡を見捨てられなかった貞子は、窓を開けると蒸機が行きかう元祖トレインビューホテルとも言える 連れ込み宿へ入る場面などもあります。

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214.にっぽん泥棒物語

1965年5月 東映 製作 公開   監督 山本薩夫

泥棒が裏稼業の林田義助(三國連太郎)は土蔵破りに失敗して 逃走の途中で、列車転覆事件の犯人に遭遇したことから真実を語ることで被る不利益と平安な生活とで悩むコメディタッチの社会派映画です。

林田は保釈中に拘置所内で知り合った馬場庫吉(江原真二郎)と土蔵破りを図ります。馬場と待ち合わせの杉山駅(架空駅)を出ると、
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駅前では国鉄の人員整理反対署名活動で賑やかです。
駅構内では、8620形らしき蒸機が入換作業中の様です。
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二人で高台から目当ての呉服店を偵察していると、右方向の築堤をD51形らしき蒸機が貨物列車を牽いて豪快に黒煙を吹き上げながら走り抜けて行きます。
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山本監督が前作「松川事件」と同様 佐倉付近でロケを行ったとすれば、総武本線 佐倉~物井の旧線が候補の1つに想像できます。

深夜に大竹呉服店の土蔵破りに失敗した林田と馬場は、線路沿いに逃走する途中で9人の大男とすれ違ったのです。その夜明け 半鐘が連打される音で気付いた林田は、列車転覆事故を知ります。
林田は村人達と走って事故現場へ駆け付けると、停車している列車の最後部では車掌か警官がヤジウマ達を進行 左側へと誘導しています。
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そして最前部へ行くと、C51133 のプレートを付けた蒸機がひっくり返って未だ蒸気を上げています。実際の事故映像の短いカットと煙室扉部分のセットを組み合わせて臨場感を盛り上げています。
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その後 高橋はな(佐久間良子)と結婚して幸せになり 列車転覆事件から10年以上経ったある日、杉山事件弁護団が訪ねて来て 馬場が事件当夜に逮捕された3人とは違う9人の男と会った証言をすると聞いて東京へと向かいます。
上野駅から迎えの車に乗った前を都電8000形らしきが走っています。
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保釈中に起こした土蔵破りが発覚して収監され 平穏な生活が壊れるのを恐れる林田は、警察の思惑通り3人に会ったと言い通すのでした。

東京に集まった面々が帰る時上野駅地平13番線で、昔 拘置所で出会った杉山事件の犯人 木村信(鈴木瑞穂)と再会します。木村は息子(金子吉延)同伴で来ており、冤罪犯親子の境遇に涙し 考えを変える林田でした。
13番線には 9:30発 703M 急行佐渡 新潟行が停まっています。14番線停車中の旧客は、9:40発 601ㇾ急行白山 金沢行と思われます。ホーム端にはこの時代、準急・急行券売り場があります。
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最後の画像で 13番線端の木村親子の背後の、15番線にEF57形電機らしきが到着しています。宇都宮 7:40発の普通 524ㇾで、10:04に到着した普通列車と思われます。
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210. 一粒の麦

1958年9月 大映 製作 公開  カラー作品   監督 吉村公三郎

福島県の中学校 教師の井上正治(菅原謙二)が、引率して集団就職した生徒のその後に遭う 苦難に対応して奮闘する姿を追うセミドキュメンタリータッチの青春映画です。

この作品で鉄道シーンはセット部分も含めると合計 17 分余り有り、冒頭から夜の福島駅1番線で集団就職臨時列車に乗車・出発する場面があります。
テープによる県知事挨拶に続き「仙台発 上野行 就職臨時列車がまいります」と構内放送が流れて、見送り人で溢れる1番線にD50 形蒸機らしきに牽かれた臨時列車が到着します。
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井上は就職者を車内へ誘導しながら小泉夕子(安城啓子)が未だ来ないことを心配して相沢校長(東野英冶郎)らと話しています。そこへ沼田イチ子先生(若尾文子)が改札を通り、夕子を連れて到着しました。
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やがて発車時刻となり、井上はデッキに乗り込み出発の挨拶を交わします。するとイチ子から弁当が渡され、大勢の人達に見送られて列車は福島駅を離れて行きました。

続いての車内シーンはセット撮影の様です。井上先生の説明が終わった頃
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渡辺梅夫(高島稔)が反対側の窓を開け「村の人が見送ってくれるから」と言ったので、皆窓から顔を出しました。
線路の両側で提灯を振る村人達の間に蒸機が近付き 
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続いて盛大に提灯や手を振り見送る人達に、客車の窓から大勢の子供たちが手を振って答える中 列車は通過して行きました。
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次に列車はD50 336蒸機が牽いて、二本松駅へ到着します。
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こちらのホームでも大勢の人達に見送られ、同じ車両に乗ってきました。発車する時、手に手に紙テープを持って 賑やかな見送りです。
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そして翌朝 6:00 重連の電機に牽かれて、上野駅へと就職臨時列車は到着します。隣のホームには高崎線用らしき 80系電車が停車しています。東北本線 宇都宮電化は映画公開年の4月14日なので少々苦しいですね。
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井上とイチ子の結婚式が行われている夜、東京のガラス工場から斎藤誠(金沢義彦)と坂田四郎(小林信介)が逃げ出した電報が届きます。
校長の依頼もあって、井上はイチ子と共に急遽 上京することになりました。セットらしき三等車内で済まないと謝る井上に、イチ子は「新婚旅行だと思えばいいわ」と明るく答えます。
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斎藤と坂田はガラス工場に戻るのを拒否したので、東京にある福島県人会館に連れて来ました。井上は浜松の紡績工場で男子社員を募集していたのを思い出し、浜松へと向かいます。
EF 58 148らしき電機が牽引する列車が高速で近付くカットの後、小型の連絡船上に井上の姿があります。当時 全線電化されて2年目の東海道本線ですが、未だ大半の電車は沼津迄の運転でした。
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自動車修理工場で働く西山強(木下雅弘)は三輪車の運転免許を取得し、休日 医院で働く新井香代(田中三津子)を助手席に乗せてドライブします。
くろがねKD型と思われるオープン三輪車で、銀座・皇居前・神宮外苑と走ります。松坂屋百貨店前では都電 40系統の 1100形らしきが前方を走っています。
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トラックの修理不良から事故の賠償を負い、西山の働く工場は傾いてしまいます。夜 工場解散の相談をしているところへ香代が訪ねて来て、医院が名古屋へ移転するので引越すことになったと告げます。
その工場横の柵も踏切も無い線路を 8620形蒸機牽引の貨物列車が、警戒汽笛を盛んに鳴らしながら ゆっくり通過して行きます。江東区の越中島貨物線から分岐した、南砂町5丁目付近の引き込み線でしょうか。
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井上は就職担当の仕事を当初は嫌っていましたが、重要性に気が付き次年度も続ける決意を固めます。ラストシーンは福島駅を発車する翌年の就職臨時列車と、懐妊したイチ子をはじめとする見送る人々の姿です。


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206. 東京暮色

1957年4月 松竹 製作 公開   監督 小津安二郎

幼き日 夫子を捨て男の元へ走った母に叔母が再会したことから妹が振り回され、悲劇に至って怒る娘 沼田孝子(原節子)に接し 寂しく去る母 相馬喜久子(山田五十鈴)の姿を描くドラマです。

冒頭 杉山周吉(笠智衆)が飲み屋に入る前、全線座の看板が見えるので夕暮れの渋谷界隈らしき百貨店近くを貨物列車が走っています。この映画公開の二年半前に電化された山手貨物線でしょうか。
幼少期から父 杉山に育てられて母親を知らない次女 明子(有馬稲子)が、つきあっている木村憲二(田浦正己)を捜す場面では東急電鉄 池上線の大崎広小路駅が映ります。
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午後1時を指すホームの時計後方には、僅か 300mしか離れていない始発 五反田駅に接続する元白木屋百貨店五反田分店の尖塔が見えています。
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中盤 木村がよく通う中華屋 珍々軒へ明子が向かう場面で、明子の後方に遮断機付の踏切が在り 更に背後の築堤上にも電化された線路がある模様です。
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木村が通うので五反田界隈と思われますが、築堤と踏切の関連から目黒~恵比寿の区間で或いは踏切と中華屋はセット設営した物とも考えられます。

そして孝子の叔母 竹内重子(杉村春子)が偶然 喜久子に会った話しから、孝子は明子が母とは知らずに出入りしている五反田の麻雀店 寿荘へ女将の喜久子を訪ねます。
その折 東急 池上線の五反田駅の高架ホーム端を下から撮影したカットに続き
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到着する 3000系らしき3連電車の姿が映ります。
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明子が産婦人科医院へ行く場面では、(201.早春)でも映った東急 蒲田駅が登場し
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傍らに産婦人科医院の看板を映しています。
その後 明子は幼少期から母親がいなかった経緯を孝子から聞き、喜久子に怒りを叫び 更に木村の態度にも絶望して前記の踏切で事故に遭い死亡します。

東急 五反田駅を出発して行く池上線 3000系電車が映った後、
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明子の葬儀を終えた孝子が寿荘へ喜久子を訪ねて行き 怒りをぶつけたのでした。
喜久子は夫 相馬栄(中村伸郎)から頼まれて渋っていた北海道 室蘭への転居に同意し、出発の日 孝子の元へ花を持参しますが孝子は花を供えることを許しません。
「今晩9時半の汽車で北海道へ発つの」と別れの挨拶も兼ねて孝子の元へ来た喜久子ですが、積年の恨みと明子の悲劇からの孝子の行動でしょうか。この間喜久子の挨拶に一言の返事もしません。

上野駅 21:30発 2.3等急行津軽 奥羽線周り青森行の行先板が映り、
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構内放送が流れます。「途中主な停車駅は大宮・小山・宇都宮・・・弘前・青森でございます」
客車の下からは蒸気暖房の湯気が上がっている中、続々と乗客が乗り込んで行きます。
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相馬と喜久子は早々に席を確保して、酒を飲んで出発を待っています。
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ホームでは明治大学の応援団が遠征に行く学生に校歌を歌って励まし見送りをしています。
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卓球部等個人的競技の部員でしょうか、応援団は同行せず3人程が響き渡る校歌で見送りを受けています。
喜久子は寒いのに窓を開けて顔を出して、孝子が来るのでは?と捜しますが誰も来ません。相馬は諦めろと窓を閉めますが、曇った窓を拭いて捜す喜久子なのでした。
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やがて哀愁を感じる蒸機の汽笛が12番線に鳴り響き、4分間に及ぶ屈指の長き 見送り人無き 悲しい上野駅出発場面が終わります。
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これ程印象深く、長い出発場面は見たことがありません。
当時は大宮迄しか電化されていない東北本線なので、C59形蒸機が牽引したのでしょうが音だけで姿は見えません。

見る人の心に響く上野駅旅立ちシーンのロケですが、当時 急行津軽の5号車はスハ43系客車が使われていました。座席の背ずりにモケット、腰部にクッションが付いた急行列車仕様です。
しかし相馬夫妻が座る座席は、急行列車とは思えない板張りの背ずりです。思うに尾久区辺りでオハ61形等の客車を使って、エキストラを乗せて相馬夫妻の旅立ち車内シーンを撮影したのでは?
また二人並んで座る場面では、松竹技術スタッフお得意の座席外しをして撮影したのでは?と思われます。







PS. 相馬は室蘭へ行くのに何故 急行津軽に乗ったのでしょうか?401ㇾ津軽に乗ると、 上野 21:30 → 12:55 青森 17:20 → 21:50 函館 22:10-(419ㇾ)-1:17 長万部 5:02-(231ㇾ)-7:54 室蘭
   と乗り継ぐので、青森と長万部で接続が悪く 3日目の朝に漸く到着となり 所要34時間4分も掛かります。

    普通なら  上野 16:05 -(203ㇾ急行北上) - 6:03 青森 6:25 -(13便 )- 10:55 函館 11:39 - ( 13ㇾ急行アカシヤ)- 13:56 長万部 14:01-(235ㇾ)-16:47 室蘭と乗るでしょう。所用24時間42分です。

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