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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

176. 乱れ雲

1967年11月 東宝 製作 公開  カラー作品   監督 成瀬巳喜男

交通事故で通産省の役人である夫 江田宏(土屋嘉男)を亡くした江田由美子(司葉子)と加害者である明治貿易社員 三島史郎(加山雄三)の悲恋映画で、成瀬巳喜男監督の遺作となった映画です。

小田急電鉄の 2400形と思われる列車が大きな急行看板を付けて現れた後、
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夫の栄転と初めての懐妊で幸せに浸る由美子が車内で隣の赤ちゃんをあやすシーンがあります。
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事故の後 夫の葬儀に現れた三島に憎悪を感じた由美子であったが、夫の実家からは籍を抜かれ子供も諦めることになりました。姉の采配で由美子は三島から毎月お金を受け取ることになります。

監督官庁の役人を事故死させた三島は青森出張所へ左遷され、会社の常務の娘との婚約も解消となって失意の内に国鉄青森駅頭へ到着した場面もあります。
由美子は実家である十和田湖にある旅館を手伝うことになり、青森の三島の元を訪ねて毎月の援助を断り縁を断とうとします。

その後三島の母親が謝罪に来たこともあって、偶然の再開後二人はお互い魅かれるようになったのです。しかし会う度に悩み由美子が再会を断ったので、三島は転勤願いを出します。
そしてパキスタンへの転勤が決まり青森を離れようとする時、ついに由美子が三島の家に現れ二人は出掛けます。タクシーで宿へ向かう道中、悲惨な交通事故現場に遭遇してしまいます。

二人はかつての事故を思い出し激しく動揺するのでした。タクシーが踏切で捉り停車すると、二人は無言で車内は重たい空気に包まれます。東北本線でしょうか、重厚なハエタタキが並んでいます。
やがてD51形蒸機牽引の貨物列車が左手からやって来ました。
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本線の貨物列車だからでしょうか、とにかく長い列車です。途中で三島が雰囲気に耐え切れず、タバコを吸い出します。

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漸く編成最後の緩急車が現れたと思ったら、その後ろにキロ28形と思われる一等気動車が連結されています。混合列車ではなく修理を受けていた車両の回送でしょうか。
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二人はお互い結ばれる仲ではないことを悟り、別れることに納得するのでした。最後に転勤に向けて上京すべく、DD51形内燃機 重連牽引列車に乗る三島の姿があります。
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三島が座る車内シーンは特急普通車のセット撮影の様にも見えます。

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ロケ当時 東北本線は青森~盛岡が非電化区間で、気動車以外の特急・急行はDD51形内燃機が重連で牽いていました。様子から唯一の昼行急行である、202ㇾ第一みちのく号と思われます。
202ㇾは青森発 5:45で盛岡~仙台はED75牽引と近代化されますが、一転して仙台~平はC62形蒸機となり最後はEF80形電機牽引で 18:43上野に到着でした。

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175.ますらを派出夫会

1956年2月 東京映画 製作  東宝 配給 公開    監督小田基義

お手伝いさん派遣業界では新興の(ますらを派出夫会)が勢力を現し、老舗の(なでしこ派出婦会)はお得意先を減らしてしまいます。両会のせめぎ合いに、没落する亀山一家を絡めて描くコメディ映画です。

亀山家では(ますらを派出夫会)から派遣された人を使っていたが、来る人来る人が皆 問題人間でした。そこで副会長の江川健太(榎本健一)が派遣され、漸く満足する働きに喜ぶ一家でした。
ところが亀山寅造(柳家金語楼)の娘 絹子(白鳩真弓)の婚約者 金田(三木のり平)に会社の財産を持ち逃げされ、亀山家は 一気に没落します。亀山は妻と娘を田舎へ帰して東京で一人働く決意をします。

先ずC59形らしき蒸機の力強い足回りが映ります。
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続いて上野駅地平 11番ホームで発車待ちの、C59形10号機の前面がアップで登場します。現在の 11番線は高架の常磐線用ホームですが、現在の 14番線の位置と思われます。
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旧型客車に乗り込んだ亀山の妻 その(千石規子)と娘 絹子は、窓越しに見送りに来た亀山との別れを惜しんでいます。亀山は「働いてもう一遍暮せる様になったら、皆を迎えに行くからな」と二人に告げます。
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列車の先頭から汽笛が響くと、亀山はいよいよ別れの時が来たと覚悟した表情です。
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動き出した汽車から、そのは「じゃお達者で」絹子は「おとうさん~」。見送る亀山は「その~」次第に小さくなる二人でした。
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そのと絹子が乗る車両の後ろが最後部で荷物車が連結されています。亀山は窓から手を振る二人が見えなくなるまで 11番線で見送るのでした。
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この 11番線の隣は荷物ホームで、到着した荷物をさばいている様子が映っています。1964年10月に手荷物や新聞等以外の荷物取扱いが隅田川駅へと移るまでは、荷物でも上野駅構内は賑わっていました。
さて亀山母娘が乗ったC59形蒸機牽引のこの列車は? 当時の 11番線は東北本線列車の発車ホームでした。全線東北本線を行く青森行は、急行が 9:00発の 101ㇾ青葉のみで(仙台から常磐線経由みちのく号に併結され23:44着)普通列車が昼行・夜行(発駅時点)が各2本ありました。

二人は普通列車 青森行に乗ったので、昼行の 10:20発 翌朝 8:29青森に到着する 111ㇾか、12:40発 翌日 12:12にのんびり青森到着という 113ㇾの何れかと思われます。
ロケ当時の東北本線は上野~大宮が電化されているだけで、夜明け前といった様子でした。直通の青森行はこの他 福島から奥羽本線経由の夜行普通列車が2本と合計7本ありますがドン行主体で、主力は急行4本準急1本普通1本が走っていた常磐線経由でした。
C59 10蒸機ですが 1955年 東海道本線が米原まで電化されたので余剰となり、梅小路区から宇都宮区へ転属したのです。東北本線 上野方での活躍も2年半程で、宇都宮電化により白河区へと転属 その後C60 28へと改造されました。

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171.絞首台の下

1959年5月 日活 製作 公開   監督 西河克己

北海道 十勝で酪農を手伝う佐伯千早(稲垣美穂子)は音信不通の許婚 柳本憲(赤木圭一郎)からの葉書で千葉へ訪ねると、彼は殺人罪で投獄されていた。その後 脱獄してしまい、関係者が次々に殺されるサスペンス推理映画です。

千早は兄の友人で通信社を営む乾保日出(長門裕之)を頼り、乾も冤罪と思われる柳本の事件の裏側のスクープを狙って調べを進めます。乾の事務所を映す場面で、新橋付近の横須賀線 70系と山手線 72系電車の走行シーンが有ります。
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乾が柳本の行方を追いますが なかなか分らないので、ひとまず千早は帰宅することにします。上野駅 11番ホーム 次の発車は 401ㇾ 21:30発 青森行 二・三等 急行津軽号の標示が出ています。
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ホームの売店で千早の見送りに来た小山久美子(渡辺美佐子)が雑誌を買って、デッキに居る千早に渡します。蒸機の汽笛が鳴り、別れの挨拶を交わす中 静かに列車は加速して行きました。千早は二等並ロザ車に乗車した様です。
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しかしこの列車は上信越方面行の 14番線から青森行のサボを架けて発車しました。ハテこの列車は?小生の妄想では、上野に 23:06に到着した長岡発の 742ㇾが尾久へ回送される時 青森行のサボを架けてロケに使ったのではと思われます。
またロケ当時上野発の列車は常磐線 成田線方面以外は電化され、EL牽引で出発していましたのでアフレコと思われる蒸機の汽笛はイメージ先行の勇み足と思われます。

次に 乾の所へ情報を売り込みに来た 多田(信欣三)の死体が見つかったと田名網警部(芦田伸介)から連絡があり、乾が出向くと線路際の川に架かる橋のたもとで殺されていました。
そこへ鉄橋を渡って DD13タイプのDLに牽かれた貨物列車が通過して行きました。塗装の具合から あるいは東京都港湾局専用線のDLと思われ、深川線の豊洲運河に架かる鉄橋のたもとでロケが行われたのではと妄想しました。

北海道へ帰った筈の千早が三日たっても帰って来ないとの連絡があり、乾や見送りに行った久美子を心配させます。その後 千早から謎の女(楠侑子)に列車から降ろされたが、遅れて無事実家に着いたとの連絡がありました。
そこで乾は助手の山野圭子(清水まゆみ)を千早の元に派遣し、事情の聴きとりをさせます。謎の女は上野から千早の向かいに座っていたが、宇都宮を過ぎて雨が降り出した頃 急に親しげに「憲さんからの伝言で、会いたいので東山温泉で三日待っててくれ」と言われたので、途中で降りて東山温泉の旅館で三日間待っていた。この並ロザの場面 セット撮影の様です。
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しかし柳本が現れないので、家に帰ったが宿代は先方が先払いしていたと圭子に告げました。

最後は久美子と石川県へ調査に向かった乾は久美子の活躍から重要な証拠を手に入れたが、黒幕の組織に狙われ命からがら事件は解決しました。
帰路の車内 並ロザで事件のスクープ記事の原稿を書く乾と久美子が向い合せで座っているところへ、
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田名網警部と外務省の男が現れます。そして「気の毒だが国際的影響があるので、この事件の記事は差し止めだ」と告げられました。この場面も前出と同じセット撮影です。
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乾と久美子がガックリしているところへ田名網警部は、「我々は次で乗り換えるが、君等はこのまま乗って行くんだろう なにせこの汽車は出雲大社行だからな」とニヤケた顔で言います。
乾は「バカにするなよ」と怒り 書いた原稿をビリビリに破いて、海沿いを走る汽車の窓からバラ撒いたところでエンドマークとなります。
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PS.

千早は北海道へ帰るのに、何故急行津軽号に乗ったのでしょう。上野 21:30発の津軽号は奥羽本線沿線の旅客用列車で、終着 青森(13:08)まで乗っても青函連絡船乗り継ぎは4時間以上待って 17:20発の 19便です。
そして函館着 21:50 ここの乗り継ぎは良く、22:10発 普通列車 419ㇾ釧路行に乗り 池田で降りるとすると3日目の 15:50でトータル所用時間は 42時間20分です。
普通の人は 上野 20:05発の 207ㇾ急行北斗号に乗り、翌朝 9:30青森着 9:50発の連絡線 17便に乗り継ぎ 14:20函館に着き 14:50発の 7ㇾ急行まりも号釧路行に乗り 池田には3日目の 4:42着で所用 32時間37分と 10時間近く早いのです。
   

次に千早は謎の女の言葉で急行津軽から途中下車しますが、東山温泉といえば会津ですから郡山で降りたと思われます。津軽号の郡山着は 1:37ですから磐越西線の接続は4時間以上ありません。
5:44発の 215ㇾに乗っても、会津若松着 7:40です。ここから近いのですが、なんとも半端な時刻となります。上野から夜行に乗ると予想して予約・先払いした組織にしては、何故東山温泉なのか不思議です。青森の浅虫温泉辺りなら適当なのですが・・・といった疑問を感じる人はごく一部でしょう。今見ても面白く、推薦したい映画であることは間違いありません。





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138. 鉄火場の風

1960年1月 日活 製作 公開  カラー作品   監督 牛原陽一

無実の罪で網走刑務所に服役した畑中英次(石原裕次郎)が、復讐を兼ねて勧善懲悪の活躍をする任侠系アクション映画です。

石原裕次郎が歌う 主題歌「最果てから来た男」に乗ってのタイトルバックで、網走から東京へ戻る道中を細かく描いています。ここがこの映画の鉄道シーンの全てと今回は異色作を取り上げます。
先ず 最果ての雰囲気漂う 釧網本線らしき海が近い鉄路を、回転噴火止付の C58形蒸機牽引混合列車の姿が映ります。線路沿いにいた馬は、列車の音で遠ざかりました。
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続いて雪が少々有る原野を、D51形らしき蒸機が 6両の客車を牽いて通過して行きます。
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根室本線か海沿いに転車台のある小駅を通過して、急行列車らしき車内で煙草を吹かしながら寛ぐ畑中が映ります。
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次に美しく特徴ある姿の駒ヶ岳を背景に、湖畔を行く D51形蒸機重連牽引優等列車が映ります。函館本線 仁山~軍川(現 大沼)の小沼沿いの区間でありましょう。
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後部に二等車2両を連結していることから、函館発 11:35 3ㇾ急行アカシヤ号 旭川行と思われます。撮影の都合で下り列車でのロケとなったのでしょうか。

その次は北海道と別れる青函連絡船。1本陰になり3本煙突に見えますが、洞爺丸型 連絡線の様です。畑中は、あえて昼間航行の連絡線で内地へ渡った設定の様です。
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そして次のシーンがハイライトで 爽快な秋空の元 左手より C61形蒸機がヘッドマークも誇らしげに、青い 44系客車を従えて左にカーブしながら高速で通過して行く特別急行列車の姿があります。
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この列車は、当時東北で唯一の特別急行はつかり号です。青地に3羽の雁が描かれたヘッドマークは、当時 東京以北では唯一の存在でした。
最初の画像と同様 線路脇にハエタタキが並んでいますが、釧網本線と東北本線の路線規格の違いが形に(通信線の横棒が3本対7本)表れています。
このロケ地は不明ですが、C61単独で牽引しているので盛岡~仙台の何れかです。この間 183.2km で、停車駅は一関のみ と風格ある特急らしい運行でした。

続いては、架線下を C61形より一回り大きい C62形蒸機に替って牽かれる特別急行はつかり号が登場します。左手から平坦な直線を驀進して来た C62は鉄橋を渡って行きます。
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常磐線 取手~我孫子の利根川橋梁でしょうか。44系客車を青色塗装し、白帯2本加えて特別急行らしく統一されています。編成の中程には一際窓が大きいオシ17形食堂車が連結されています。
最後車スハフ43の後部には黄色地にヘッドマークと同様デザインのテールマークが取り付けてありますが、高速故かカメラのピントが不完全なのが残念です。
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最後は上野駅 13番ホームへゆっくり進入して行くシーンです。当時の上野駅は 11~17番線が地平ホームで、黒い蒸機やこげ茶色の電機・旧客ばかりで薄暗い雰囲気の世界ですね。
また常磐線列車の発着は高架ホームの 7・8番線でほぼ固定されていたので、高崎・上信越線用の 13番線への回送推進運転列車でロケして終着駅 上野へ漸く到着したことを強調したかったのでしょうか。
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畑中の行程を到着時からタイトルバックに沿って推測してみると 上野 17:00 ←(2ㇾ特別急行はつかり )ー 5:00青森 19:10 ←(連絡線18便 )ー 14:30 函館 13:51 ←(8ㇾ急行まりも )ー 23:35 帯広 15:51 ←(410ㇾ準急狩勝 )ー 13:10 釧路 13:03 ←(523ㇾ)ー 7:58 網走

となり沿線車窓を楽しみにしていたのであろう畑中は、 初日は急行まりもで車中泊 二日目は青森で一泊して三日目の夕刻 上野に到着と実に 57時間余りの大旅行でした。
単純に上京を急いだら、上野 17:00←(2ㇾ特急はつかり )ー5:00青森 4:20←(連絡線12便 )ー 23:40 函館 22:32←(512ㇾ旭川より 2ㇾ急行大雪 )ー 6:18 網走
となり連絡線内で一泊して二日目の夕刻到着と 34時間42分で着きますが、車窓からオホーツク海や駒ヶ岳 津軽海峡を見ることは出来ません。では妄想はこのへんで・・・


 

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122. 混血児リカ ひとりゆくさすらい旅

1973年4月 オフィス 203・近代映画協会 製作 東宝 配給  カラー作品   監督 中平康

少年鑑別所 愛友学園を脱走し横浜へ戻ったリカ(青木リカ)が、三沢から来たミドリ(村田美智子)から花子(宗田政美)の窮状を聞き助けに行くアクション映画です。

鉄道シーンとしては、リカが横浜から花子のいる三沢へ向かう道程に集約されています。先ず今は無き横浜駅三代目旧駅舎(1928年~1980年)へ、リカが入る場面から始まります。
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切符売り場で「東北線 三沢一枚」と言って買うと、東海道本線上りホームへと向かいます。この場面で早くも怪しい目つきで監視する男がいます。

ホームで待つリカの腰に男の手が伸びた瞬間、男は線路に投げ飛ばされました。そこへ 113系電車が入って来て急ブレーキの音が鳴り響き、何事ぞと線路を覗き込む人々。
続いて 485系特急が迫り来る走行シーン。
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しかし何故か電機の走行音です。次の車内シーンは 583系電車特有のシートが並んだ中程に、リカは一人で座ってお稲荷さんを食べています。
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この車内にも刺客らしき二人の男と、相対するサングラスの男が一人います。次はボンネット型 485系特急やまばと号が白河駅に進入するシーンです。
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そしてホームでリカは駅そばを食べています。
その時赤いコートの男が千枚通しを出すのを見たリカは、残っているソバを丼ごと男の顔に投げつけ 更に蹴り上げます。122-4.jpg
男は線路に転落し、そこへ電機が牽く列車がブレーキ音と共に進入して来ました。

車内でお稲荷さんやパンを食べていたリカは、何故途中の白河で降りてまでして駅そばを食べたのでしょうか。駅そばマニアだったのでしょうか。この当時の白河駅そばが有名だったか定かではありません。
またリカは やまばと号で白河へ到着したと示唆しています。在来線特急最盛期の当時 東北本線には数多くの特急列車が走っていましたが、特急は、あいづ号1本以外白河には停車しませんでした。山形行の やまばと号も全て通過でした。

そして次のカットでは 455系らしき急行電車が発車して行きます。まつしま号仙台行か いわて号盛岡行でしょうか。
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何れにしても白河駅で乗車できる優等列車はこれが正しい姿です。
続く車内シーンは再び 583系です。第三の刺客がナイフで襲おうとしますが、リカが気付かぬ内に坂井八郎(峰岸隆之介 → 峰岸徹)が相手のナイフを叩き落とし 助けられます。

次に 485系らしき特急の横からの走行シーンがあります。白河の駅そばで寄り道したので、福島辺りから特急はつかり号にでも乗り換えて先を急いだのでしょうか。
その甲斐あってか、明るい内に小雪舞う 三沢駅に降り立つリカの姿があります。この美しい白樺の駅舎は、新しい駅舎となった現在も一部が旅行センターとして残っているそうです。
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この三沢駅頭でまたしても刺客がリカに襲いかかろうとしますが、リカを父親と間違えた男の子が抱きついたので断念しました。
この男の子の家に寄ることになり 雪が残る砂利道を二人で歩いていると、DE10 1160 ディーゼル機関車が単機でゆっくり走り抜けて行きました。
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これは 2006年廃止となった、米軍三沢基地へのジェット燃料搬入専用線と思われます。

当時のダイヤでリカの行動を追ってみます。朝早く横浜を出発、上野発 6:40 臨時急行 いわて1号 6101M で 8:58 白河着。9:36発の 101D 急行 八甲田1号に乗れば、17:20何とか明るい内に三沢に着きます。
でもこれでは 485系や583系の特急に乗れません。映画に合うのは、上野 9:13発 1103D 急行 いいで・ざおう1号で 11:46 白河着 12:05発の 1101M 急行 まつしま1号で 12:34郡山着 12:41発 2021M 特急はつかり1号に乗り継ぎます。
このまま乗って行けば明るい内に着きますが、三沢には停まりません。そこで 17:38着の尻内(現・八戸)で 18:28発の各停 525ㇾに乗換ますが、三沢到着が 18:52 と夏場でもなければ真っ暗な時間帯です。

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 91. 女死刑囚の脱獄

1960年3月  新東宝 製作 公開     監督 中川信夫

冤罪から死刑囚となり、投獄された今井京子(高倉みゆき)が脱獄して真犯人に迫るサスペンス映画です。

脱獄に成功した京子は 島明夫(和田桂之助)の協力の元、東京に戻る決心をします。追う警察も当然京子が上京するものと考え、ここからこの映画の鉄道シーンがあります。
盛岡駅の改札前に刑事達が張り込んでいる中、島と京子は裏をかいてバラバラに並んでいます。アベックを想定している刑事達の前を無事京子は改札を通り、14:45 発 上野行の札のあるホームへ向かいます。

地下通路を後ろを気にしながら歩く京子。次のカットでは C50 154 らしき蒸機牽引の列車が入線してくるシーンが映ります。続いて上野行列車が到着したからか、刑事達が階段からホームへ上がって来ました。
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刑事達は列車の後ろから前の方に車内を見ながら移動し、京子と島の姿を捜しています。そして汽笛が鳴り、普通列車上野行はゆっくりと発車して行きます。ここで先頭機関車は 8620型蒸機 68649になっています。
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それでも刑事達はホーム上で二人の姿を捜しています。その時後方から島が走って列車に飛び乗り、これを見た刑事達も加速する列車のデッキに飛び乗りました。
刑事達は車内の捜索を始めます。二等車ではその内の一人が車内を見て歩きます。中央部へ来たとき赤ちゃんを抱いた女性に「失礼ですが、その赤ちゃんは?」と尋ねると「あたしの子です」と答えると行ってしまいます。

島はデッキで刑事に見つかり「何故発車間際に飛び乗ったりしたんだ」と問い詰められますが、適当に誤魔化します。上野行普通列車は順調に東北路を南下している走行シーンも入っています。
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その後不安になった京子が島を捜してデッキで会えますが、刑事が迫り危険なドアの外に隠れて危機一髪というシーンもあります。そして列車は関東に入り、宇都宮駅に到着しました。
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車内で島は刑事の隣に座らされていましたが、その刑事が仲間の刑事の所へ話し掛けに席を立った隙にまんまと走り始めている列車から飛び降りてしまいます。そして駅前広場で京子とおち合うと、タクシーで東京を目指します。
当時の時刻表を見ると 盛岡発 14:45 上野行 212ㇾがありますが、この列車は常磐線経由で上野着も 5:50 と早すぎます。次の 17:35 発 114ㇾですと東北本線をそのまま走り、翌朝 6:48 宇都宮着と映画のシーンと合います。




PS.  盛岡駅から東京への逃避行。テツ映画ファンとしては心踊りますが、{ 51. 黄線地帯 }と同様低予算故に現地ロケは出来ず 監督の遊び心とも思われるシーンがいくつかあります。
まずは盛岡駅でのシーンから。地下通路から階段を上がってホームのシーンはどこかで見た様な駅かなと思えば、ハチロクの発車シーンで架線があります。背景を見ても、両国駅では?と思われます。

更にハチロクの所属標が(岩)ですから、新小岩機関区所属の 68649 です。ホームの駅名板等を盛岡に替えての撮影は得意技でしたね。ホーム屋根を支える梁は特徴ある形で、宇都宮駅ホームのシーンでも見られます。
京子がホームへの地下通路を歩いている時、C50 154 が入線して来ますが、このシーンでは架線がありませんしホームの雰囲気が違います。当時このカマが小山区にいたことから、水戸線か両毛線での別撮りと思われます。

盛岡まで東北本線が電化されたのが1965年10月ですから、何故架線が映らない様に撮影しなかったのでしょうか。加えて盛岡発車直後、電化区間で 80系電車とのすれ違いシーンをあえて入れた監督の真意は如何に?!
ちなみにその後大分経ってから、本来の C60型らしき蒸機牽引の走行シーンが入っています。それでいて何故か宇都宮での発車シーンでは、D51 型らしき蒸機の動輪が加速してゆくカットを入れています。

1958年春には宇都宮まで電化されてますので、宇都宮駅ホームの場面で架線があるのは当然なのですが・・・ 当時東北と東京を結ぶ列車の主流は常磐線経由でしたが、上野口でも1961年6月の勝田電化まで蒸機列車が主流でしたので混同したのでしょうか。
小生が思うには、やはり監督の遊び心から編集段階でもあえてこの様なシーンを入れて作られたと思われます。

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 42. 生きとし生けるもの

 
 1955年2月 日活 配給 公開    監督 西河克己

 伊佐早靖一郎(三國連太郎)と菅沼民子(南寿美子)を中心とした、会社内の人間関係を巡る企業系青春映画です。

 曾根鉱業社員の伊佐早は経理課の民子とつきあっていたが、社長の息子 曾根夏樹(山内明)が民子を気に入ったのを知り身を引こうとする。伊佐早の弟 令二(三島耕)はそれを聞き兄を罵り、曾根鉱業に入社した後労組活動に熱を入れる。
 夏樹が民子を秘書として伴い上野から仙台支社を経由して北海道の炭鉱へ向かおうとする場面に、この映画の鉄道シーンがあります。

 上野駅地平ホーム 12番線 最後尾に荷物車を連結した列車が先ず映ります。次に一等寝台車マイネ 41 に乗る民子が香取あき子(東谷暎子)から見送りを受けるシーンがあります。42-1.jpg
窓下には青森行のサボが掛っています。
 あき子は曾根の父である社長の曾根周作(山村聡)が息子 夏樹との結婚を望む仕事関係の有力会社々長令嬢であるが、夏樹は民子の方を望んでいます。

 あき子は民子にウイスキーのポケット壜を渡し、夏樹に渡してほしいと告げます。一等寝台車マイネ 41 の 1200㎜巾ある広い窓際に座る民子越に通路を挟んだ向こうの席に座る女性も見えます。
1950年に新製された最新型寝台車で進駐軍監修の元製造されただけに車両の前後に2か所男女別トイレが有り、更に両方共洋式トイレ!でプラス広い婦人洗面室まで付いています。定員は 24人で夜はゆったりと過ごせます。
 一等車とはいえ、プルマン式寝台車の昼状態のボックス座席では枕部分の白布もありません。収納式の仕切り板が下げられていて、車内の見通しは良く座席の枕部分が異様に厚く見えます。
 特別二等車である特ロは各映画会社にセットが組んであるかの様に多くの映画に登場しますが、三等制時代の一等寝台車がチラリとはいえ映っているこのシーンは貴重かなと思います。

続いて夏樹と南ゆき子(轟夕起子)がホームで話し42-4.jpg
デッキに乗ろうとする時、会社の部下達が北海道の炭鉱がストに入ったので仙台支社には寄らずに北海道に直行してほしいとの伝言を伝えに駆け付けます。
 その後八代恵美(北原三枝)も上野駅に駆け付けますが、一足遅く列車は煙を残しあき子とゆき子が見送る中 12番線ホームを去り行くところでした。
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 さてこの列車は何か? この映画が撮影された頃の昼行 青森行急行といえば、みちのく号です。でも 12番線からではなく、高架ホームの 7番線から 9:50の出発であったと思われます。
 ロケがあった頃の 1954年10月に時刻改正があり、その前から走っていた昼行急行みちのく号青森行にこの改正から 1号車に 二等寝台車が連結されることになりました。
 そして この1両のみ 23:44 青森到着後に切り離され客が乗ったまま青函連絡船に積み込まれ、更に函館からは急行大雪号網走行に組み込まれ 札幌まで連結されお昼に到着との予定でした。

 しかし 1954年9月26日起きた洞爺丸事故により客車の航送は中止。時刻表に載っているこの 1号車は連結されることなく欠車、全車青森行となったそうです。
 本編にある炭鉱ストが頻発した 1950年頃の話であるとすると、1950年10月~1951年5月急行みちのく号(名称が付いたのは11月から) 1号車に一等寝台車マイネ40が連結され 1号車のみ航送し札幌行でした。
 つまり現在の北斗星やカシオペアと同じく上野~札幌の列車が実在していました。上野発 9:35ー23:50青森0:40ー5:10函館5:50ー12:00札幌と所要26時間25分、民間航空路はまだ再開していない(航空路は 1951年11月から)ので最速でした。

 12番線から出る主な列車に仙台行 9:00発の急行青葉 13:00発の急行松島があり、撮影されたのは後の列車かもしれません。1954年10月改正前だと一等寝台車が連結されていた青森行は後に急行十和田となった 1201ㇾ特殊列車だけでした。
 この列車は進駐軍専用列車ヤンキーリミテッドとして東京~札幌に運行され1952年4月から枚数制限付で日本人も乗れるようになった急行で、連絡船から接続の急行(後に洞爺となった)まで列車番号は全て 1201ㇾで統一されていました。
 でもこの列車は東京駅 19:00発 上野駅 3番線を 19:20発と夜行列車であり、マイネフ 38を使っていました。つまり当時 昼行青森行で一等寝台車が連結されていた列車はありません。

 思うに本編では車両に東シナ マイネ416 と記されていることから、当時マイネ41 を連結していた東海道本線の急行 彗星、月光、筑紫の間合いか予備車を品川駅に運んでもらいサボを美術さんが製作し撮影されたのでは?とも考えられます。
 監督が何故一等寝台車に拘ったのか?当初は仙台支社に立ち寄ってから渡道する予定でしたから上野~仙台の乗車予定です。大会社幹部の出張なので一等車と思ったか?映像からも一等車とはいえ寝台車の昼状態は豪華な4人掛けボックスシートの様です。

 この頃の長距離急行列車にほぼ連結されていた特ロこと特別二等車のリクライニングシートの方が遥かに乗り心地が良い筈です。料金面から見ても仮に上野~仙台を急行一等車で行ったとすると、運賃 2920円+急行料金 1080円 合計 4000円です。
 急行特別二等車で行くと、運賃 1460円+急行料金 720円+特別二等車料金 420円 合計 2600円とかなり違います。上野~札幌で比較すると一等寝台車下段で合計 11080円 二等特ロで合計 5720円 飛行機が 10200円となり一等寝台車がいかに高いか!
 この為 1950年には利用率が高かった一等寝台車も飛行機が普及してきたことから次第に下がり、1954年夏の調査では後に急行十和田号となる特殊列車で 33%と低く 1955年7月より格下げされ全車二等寝台車となりました。

この後あき子は北海道へ行くことになり、D51牽引列車が映ります。42-3.jpg

 

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 35.父と娘の歌

 1965年10月  日活 配給 公開    監督 斎藤武市

 元 国際的クラリネット奏者である父 卓道一(宇野重吉)とピアニストを目指す娘 紘子(吉永小百合)の絆を描く、青春ドラマです。

 苦学しながらもピアニストをめざした紘子は、毎朝新聞主催のコンクールで優勝することができました。そしてそれをきっかけに東洋フィルでピアノをひくことになります。
 更に東洋フィルで楽団員の一般募集することを聞いた紘子は、キャバレーで歌手のバックバンドの一員としてクラリネットを吹く父に受けさせようとします。

 父のいる楽団の予定を聞くと、今夜 仙台発 21:30 の青森行に乗って移動するという。急いで特急に乗った紘子は仙台を目指します。
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 車内放送は 仙台着 21:28 一関着 23:10 と続きます。つまり定時で走っても仙台での接続は2分しか余裕が無いんです。

 無事仙台に着いた紘子は階段を降り、青森行が出る1番線へ上がります。
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発車時刻が迫る中 長い列車の窓際を小走りに父の姿を捜す紘子。
 この様子をカメラは車内の天井近くからホームの紘子をを見下ろすアングルで追います。今の様に小型で手ブレ防止機能のカメラの無い当時、どうやって撮ったのでしょう。
 臨場感の有るこのシーンを撮る為に掛けた、監督の熱意と拘りが感じられます。

 駅弁を買っていた旧知の吉行(山内賢)に会い、
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もう一両前に乗っていることを聞いた紘子は更に急ぎ漸く父に会えます。そして東洋フィルのオーディションを受けるよう頼みます。
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 「東洋フィルの第一回演奏会で私がコンチェルトをひくの。お願い!お父さん 私を助けて。お父さんと一緒にひきたいのよ!」
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 C61と思われる蒸機牽引で動き出した列車の窓越しに並走しながら必死の説得を続ける紘子。
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迫真の演技は見る者の心を打ちますが、父は何も答えぬまま列車は去り行きました。
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 演奏会の第一回練習日 クラリネットを持つ父の姿に感激する紘子。そしてラストシーンの父と娘で臨んだコンサートへと映画は続くのでした。



 PS. 当時の時刻表によると紘子が乗ったのは上野 16:30 発の 7D 特急ひばりと思われ、終点仙台には 21:25 着です。車内放送では一関 23:10 ですが該当する列車はありません。
     上野 12:30 発の秋田、盛岡行の特急つばさ は一関 18:42 次の特急はつかり は一関に停車しません。また映像では特急とき が何故か映っています。

     父の乗る青森行鈍行列車は仙台 21:30 発ですが、これに該当するのは上野 11:08 発の 11レ で仙台着 20:08 20:25 発となり終着青森には翌朝 8:13と宿替りにはピッタリです。
     哀愁を感じる仙台駅ホームでの別れのシーン。蒸機と旧客が一翼担っています。この一年後の1966年9月末、仙台~盛岡電化となり蒸機牽引列車は消えてゆきました。

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 10、 「無頼」より  大幹部

 1968年1月 日活 製作 公開  カラー作品    監督 舛田利雄

 1968年 年間 5作も公開された無頼シリーズの第1作  藤川五郎(渡哲也)と橋本雪子(松原智恵子)の悲恋をからめた 任侠アクション映画です。

 3年ぶりに出所した藤川は 付き合っていた 杉山冴子(三条泰子)の所へ向かい、東武東上線池袋行準急電車から降りてきました。
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この駅は東上線の上福岡駅で、右端に見えている団地へ向かいますが 既に既婚者となっていました。
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 藤川の子分が上野組に襲われ 次に藤川を狙っていると知った 辻川猛夫(浜田光夫)が、都電大久保車庫横の 13系統線路上を伝えに走っている場面があります。
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 更に水原一家と上野組の手打式が行われている時に、辻川猛夫も 帰郷すべく行った新宿駅ホームで 女が売店へ行った隙に襲われてしまいます。
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 メインの鉄道シーンはラスト近く、五郎は兄貴格 杉山勝彦(待田京介)の女房 夢子(松尾嘉代)と雪子で 杉山の故郷 弘前へ行こうと上野駅へ来たところからはじまります。
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 22時を過ぎ 改札上の行先札が残り少なくなるも、杉山は現れません。 五郎は先に行って席を取るように告げ しばし別れます。   5番ホームではC57蒸気機関車が発車を待っています。
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 奥羽線廻りの 青森行き急行津軽がSL牽引で上野を発車? この話は昭和32年頃の設定です。つまり33年4月の 宇都宮迄の電化前なのです。

 5番ホームを前方へ急ぐ五郎はようやく車内の二人を見付けます。
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杉山は殺され、既に死を覚悟した五郎は 明朝の列車には乗るからと嘘を告げ、笑顔で別れようとします。
汽笛が響き発車です 五郎の様子を察知した雪子!思わずデッキへ急ぎます
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 しかし止められ、降りることはできません。
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加速する列車。 デッキから手を振り何度も五郎の名を呼ぶ雪子。
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 消えゆく列車のテールランプに向かって 新しい土地での雪子の幸せを祈る五郎であった。
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 ダイヤの面など?な点はありますが駅での別れのシーンとしては第一級です。 
泣かせます!
 

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 8、 赤い夕陽の渡り鳥

 1960年7月 日活 製作 公開  カラー作品    監督 斎藤武市

 小林明の渡り鳥シリーズ第4作  やや無国籍風の勧善懲悪 痛快アクション映画です。

 鉄道シーンは序盤 二宮靖子(浅丘ルリ子)が旧福島駅舎から降り立ってくる場面がある。 明治期建築の威風堂々たる木造駅舎でラストにも登場する。
赤い夕陽の渡り鳥1
 今となっては貴重な姿だが、撮影後建て替えとなり2年後の1962年には現在の面白味の無い駅舎となっている。

 中盤 ハジキの政(宍戸錠)が福島駅から偽装退去に準急列車に乗り込み、発車直後反対側のデッキから飛び降りるアクションシーンがある。 この列車は当時、日中 福島発唯一の客車準急である 上野行あぶくま号と思われる。

 ラスト 吾妻スカイライン開通式に滝伸次(小林明)が不在なのを知った靖子は町を去るつもりと察知し、福島駅へとタクシーを飛ばします。
 しかし到着直前 D51重連の下り列車は動き出す。赤い夕陽の渡り鳥2 (2)
地下通路からハイヒールで懸命に3番線へ駆け上がった靖子だが、無情にも汽笛と煙を残し列車は去って行った。

 駅構内には架線が張られていますが、映っているのは蒸機ばかりです。この映画は1960年5~6月に撮影されましたが、1960年3月に東北本線 白河~福島が電化 1961年3月 福島~仙台電化と丁度この頃福島駅が電機から蒸機への切り替え駅であったと推察します。 くしくも東北本線近代化真っ最中にロケが行われた訳です。

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