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日本映画の鉄道シーンを語る

日本映画における鉄道が登場する場面(特に昭和20~40年代の鉄道黄金期)を作品毎に解説するブログ

320.無鉄砲大将

1961年4月  日活 製作 公開  カラー作品   監督 鈴木清純

喫茶ボンヌで働く 津山雪代(芦川いづみ)を 姉の様に慕う高校生 海津英次(和田浩治)が、暴力団 新界組を壊滅させて 雪代と堅気になりたい恋人の五郎(葉山良二)を 応援する青春映画です。

池袋の再開発途上地区らしきで 雪代と話す五郎に 敵愾心を見せた海津は、池袋電車区らしきに架かる跨線橋上で 雪代に組員である五郎と別れる様に話します。
海津の背後では、西隣の東武東上線を 7800・7300系らしき赤い電車が走っています。
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雪代から人間性の良い五郎を 何故嫌うのかと反論されて、
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海津は東側へ走り 雪代は西側へと去り行きます。
東側から西側を臨むカットでは 三段窓の国鉄73系電車が映り、上を西側へ雪代が歩く跨線橋の 構造がよく分かります。
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海津は東端の階段を降りたら 同級生の堀本京子(清水まゆみ)が スポーツカーに乗って待ち伏せしていたので、逃げる様に再度橋上に戻ります。
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その後も 海津がこの跨線橋上で、物思いにふけるシーンがあります。戦時中の金属供出らしきで 手摺り中段の鉄パイプを抜かれたままの橋は、全体に経年劣化が進んでいる様子です。
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そして 雪代をモノにしたい 新界組々長の新界(富田仲次郎)が、ニセの手紙で手下を使って 雪代を拉致する場面を京子が目撃します。
話を聞いた海津は 空手部員や同級生達と 雪代が監禁されている新界組へ乗り込もうと 気勢を上げる場面は、中央本線快速線・緩行線が走る東中野~中野沿いの道路と思われます。
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事件が解決し 神戸へ行って友人が営む会社で 再起を図る五郎に 付いて行く雪代を、京子の発案で 海津達一同は見送ろうと 発車目前の駅へ急ぎます。
連絡地下道から 9番線へ上がると、大阪行のサボを架けた 普通列車らしきが停車しています。
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列車前方の窓から 手招きする雪代達の所へ 一同は駆け寄り、お祝いと別れの言葉を交わしているのを
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海津は少し離れて見ています。
背後の 11番線から東京駅発の 下り普通列車が出発して行きます。デッキから こちらの様子を見ている男が目立っていますね。
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やがて二人が乗る列車が動き出すと、
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双方が手を振って 別れを惜しんでいます。
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その時になって 漸く手を振る海津です。
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列車が去り行くと、海津は一団と離れて 一人Uターンしてその場から離れて行くのでした。
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PS.

 高校生の海津や京子が 軽乗用車(1968年まで16歳で取得できる軽自動車免許があった)とは思えないオープンスポーツカーを乗り回したり、拳銃を所持する暴力団へ 高校生だけで殴り込みを掛ける等々 破天荒なシナリオですね。

 東武鉄道の7300系電車は 戦災による車輛不足対策で 1947年に運輸省から 国鉄63系同様車を割り当てられて導入したもので、国鉄73系同様に改造して 7300系となった電車です。
 その後 1959年~1964年に順次 7800系同様の車体に 載せ替える更新改造され、1984年迄、活躍していました。

 池袋電車区は 1925年に設置され、作中では多くの 73系国電が眠っていますね。跨線人道橋は 戦前からある様で、老朽化から 20世紀末頃に撤去された様です。
 東側の階段下には「職員以外立入禁止」の看板が立ってますが、階段を嫌って潜り込み 近道しようとする者がいた様です。

国電車庫といえば、当ブログでは「165.本日休診」以来の登場でしょうか。車庫の跨線人道橋といえば、年期の入った橋が 三鷹車両センターに現存していますね。

 品川駅の 9番線がある第5ホームは 長い間臨時列車用ホームとして存在し、修学旅行用列車や お盆時期の東北方面臨時列車用として 第4ホームと共に使われていました。
 関西へ向かう五郎と雪代を 見送る場面は 東京駅では許可が下りず、品川客車区の オハ35客車等を 入換用のDD13形内燃機が 構内を牽いてロケしたと思われます。

 13枚目の画像で 海津の背後に入換作業中の DD13形内燃機が、初期の塗装色で映っています。新開発された DD13形内燃機が 1958年から品川機関区へ最初に導入され、翌年には 品川駅構内が無煙化されました。

 本作では 先日閉園となった豊島園で ロケがあり、海津がローラースケート場でバイトしたり 池の畔での立回りシーンがあります。


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コメント


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無鉄砲大将

鈴木清順の映画に、芦川いづみ・葉山良二の「シルバー・コンビ」が(この「シルバー」は「年取った」という意味ではなく、「ゴールデン・コンビ」よりも「上品な、極上な」という意味です)出演しているのは珍しい。

滅茶苦茶なストーリーかもしれないが、鈴木清順監督にしてはまだまだ良心的な映画だ。主演の和田浩治はこの時17歳くらいで、ダイヤモンドラインでは「やんちゃガイ」(あまり知られていないニックネームだが)と呼ばれた。

5枚目の画像に「職員以外×××立入を禁ず」という立札が確かに見えますね。
この警告板は人の目線よりもかなり高い位置にあるように思えます。

さて、 跨線橋(こせんきょう)という言葉を初めて知りました。最初、目にした時は「路線橋」と思っていたくらいです。単に、「陸橋」とは呼ばないのですね。

さすが、東京にはこのようなロングな跨線橋が存在していたのですね。

かっての地方都市の駅には、このような跨線橋や地下道のようなものはなく、駅の向こう側へ行こうとすれば、かなり離れた通常の踏切まで遠回りをしないと渡れませんでした。
特に、我がH市には西日本旅客鉄道(JR西日本)の広大な車両基地があって、当時は市中を南北に大幅に分断していて、横断には回り道を利用するしかなく、大変不便でした。

この時も一般通行人が自由に通れる「跨線橋」はまだ設置されていなかったと思います。

線路構内の職員専用の近道を勝手に利用しようとする者には赤い旗を持った監視員のような人がいて、「中に入るな!」と叫んでいました。

8枚目の画像には「大阪行き 普通列車」が見えますね(他の映画にも登場していた)。
東京~大阪はローカルで一体どのくらい時間がかかったのだろうか。

赤松 幸吉 | URL | 2020-09-27(Sun)19:37 [編集]


Re: 無鉄砲大将

赤松様 コメントありがとうございます

芦川いづみ・葉山良二のコンビが恋仲という設定は、言われてみれば珍しいことですね。
葉山良二が妙に若々しくみ見えます。

東京近郊に数ある車庫で本作の様に絶好の撮影場所となっている所は僅かでしたし、現在では更に減っています。

本作公開三か月後の時刻表では東京~大阪の普通列車は3本ありますが、早朝に2本と終列車前に1本あるだけで作中の様な時間帯には存在しません。 
ちなみに朝5:00に出発する始発列車121レは、大阪18:15着なので所要13時間15分ですね。

当時は14:40発の111レ門司行などという超長距離普通列車が有り、翌日20:15着なので所要29時間35分でした。

テツエイダ | URL | 2020-09-29(Tue)19:08 [編集]


色の貴重な記録です

いつも楽しく拝見しております。
私は旧型国電が好きで、特に73系に愛着を感じております。この作品には興味深い場面がいくつかありますので、重箱の隅の話で恐縮ですが、初めて投稿させていただきます。

まず、池袋電車区で後方の東武東上線を行くのは、先頭と2両目は東武が新製した7800系、3両目以降は車体が箱型になるのでロクサン直系の7300系です。塗装はインターナショナルオレンジと称し、限られた期間しか採用されなかったので、カラーで見られるとは驚きです。60代以上の東武ファンには貴重なシーンだと思います。

次に和田浩治が跨線橋にたたずむ場面で、「12」と書かれた番線表示の板が写っていますが、よ~く見ると板の上部、1と2の間に横長の穴が開いています。じつはこれ、旧型国電の先頭車に掲げていた行先表示板の廃物利用です。映画撮影時は地色が黒で塗りつぶされていたようですが、昭和40年代になるとあちこちハゲてきて正体が明らかになり、この跨線橋を歩くと、山手、京浜、中央、常磐線など、東京中のあらゆる行先表示板が満艦飾状態だったことを思い出します。

最後に、東中野の場面です。101系が通過後に現れる緩行線の73系ですが、編成中の2両ほど、屋根上の通風器に注目しました。緑がかっていますが、これはプリントの変色ではなく、当時は実際に淡緑色に塗られていたそうです。池袋電車区のシーンのように、順光だとグレーとの判別があいまいになりますが、太陽光があたらないことが、逆に功を奏したのかもしれません。

かなり日本映画は見てきたつもりですが、インターナショナルオレンジと通風器の淡緑色をカラーで確認できたのは初めてで、国電愛好家には貴重な作品だと思います。もちろん、鈴木清順作品のハチャメチャなストーリー展開も十分に楽しめますが。

貴ブログの今後の発展を、期待しております。

73おやぢ | URL | 2020-10-04(Sun)15:48 [編集]


Re: 色の貴重な記録です

73おやぢ 様  お初のコメントありがとうございます。

東上線車輛は鮮やかな色ですがピンボケ不鮮明なので、想像を膨らませて書いたのでした 修正させていただきます。

番線表示の板を行先表示板の廃物利用で使っていたとは、思いもよらない話ですね 初耳でした。

東中野の場面ですが、これまた高速通過していたので分かりませんでした。
73系愛に溢れたコメント これからも宜しくお願い致します。



テツエイダ | URL | 2020-10-05(Mon)17:55 [編集]